内澤旬子の連載ノンフィクション「卒業できない私たち」がなかなか興味深い。韓流やタカラヅカなど〈女子の愉しみ〉を追うというもので、今回は王道「ジャニーズ(前編)」だそうだ。
前編というからには後編もあるわけで、なるほど気合いが入っている。内容はもちろん、追っかけ女子の生態であったりするわけだけど、なんとなく同調できない手合いには、ジャニーズ事務所のビジネス戦略を読むつもりになると、それなりに参考になる。
嵐というグループのコンサートのチケットは、ファンクラブに入っていてもなかなか取れず、ヤフオクで落とさなくてはならないという。しかも音楽鑑賞のためではなくて、お目当てのメンバーとの時間を共有(!)するためのものだから、何度でも行きたい。まあ、何万円あっても足りないのだが、でもいいじゃないか、という気になる。彼女たちはそれ以上の慰めを得ているのだし、自分の金を何に使おうと、余計なお世話だ。と、そう思わせるぐらいには、ジャニーズ事務所のビジネスはクリーンな感じを保っている。
知人女性にも40歳を過ぎてジャニーズにハマった人がいるが、いい歳こいた色ボケと思うのは誤解である。極めて地味で小心な、男性と縁遠い独身女性、おそらく処女とおぼしきタイプが多い。つまりは「少女」なので、この記事にもあるように少女マンガにハマっていたのが三次元化したに過ぎない。
この点、韓流が比較的裕福な専業主婦に多いのと、明らかにシマを異にする。韓流スターは放っておいても日本語はカタコトで、いい感じに距離感が生まれるのだが、ジャニーズのメンバーは生きながら 3D でマンガのキャラを演じなくてはならない。これは確かに一種の “ 芸 ” である。
つまりはそれが「アイドル」というものだ。ファンの女性たち、それも特に年配の彼女たちが最も嫌うのは、ハマっている彼女たちを相対化する視線である。馬鹿馬鹿しい、などと言うのはもちろんのこと、使ったお金の額に呆れてみせるというのも、もってのほか。記事にあるように「趣味というのはそういうもの。私だって…」とでも言ってやらなければ、取材は不調に終わるだろう。
それというのも彼女たち自身、現実逃避のために我を忘れることと、現実との狭間で揺れ動いているのだ。男と違い、酔狂から醒めやすく、特に小心な永遠の少女たちである。ビジネスとして、ぼったくりは長い目で見て失敗する。清く正しく美しく。この王道を踏み外してはならない。で、この王道のポイントさえ押さえれば、あとは存外にフレキシブルかつ大胆に、男の子らしさのバリエーションを展開するのがよい。大スターの時代ではないのだ。品揃えこそが市場を制する。
SMAP の中居クンは先日のコンサートで、「おまえら、ついてこいよ、とかって、もうキャラ入ってないと言えない。40 歳になって、介護保険に加入しました」と平気で宣ったという。バリエーションをここまで拡げられる危なげなさ。まさにMr.ジャニーズと呼ぶべきだろう。
長岡しおり
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