さやは女子大に通う大学生。真面目な子だがお化粧やファッションも大好き。もちろんボーイフレンドもいる。ただ彼女の心を占めるのはまわりの女の子たち。否応なく彼女の生活と心に食い込んでくる。女友達とはなにか、女の友情とは。無為で有意義な〝学生だった〟女の子の物語。
by 金魚屋編集部
2 六本木の彼女(前編)
窓の外が暗くなる。自分たちが地下にいるのだということを再確認する。
「ごめんね。いきなり声かけて」
「いいよ。ありがと」
偶然、同じ授業をとった女の子と地下鉄で銀座に向かっている。銀座が好きだ。大きなビルが並んでいて、空のすぐ下で買い物しているような気分になれるから。だれがなんと言おうと、世界の中心は銀座だと思う。
「地下鉄の窓に映る自分の顔って、びっくりするほど疲れて見えない?」
レナちゃんが、甘い口調で言う。ネイルアートに凝っていて、いつも違う服を着ている。髪の毛は、巻いた上に盛っている。中に、芯になるものが入っているのだろうか。手間がかかりそう。
「あ。すごいわかる」
どうして私を誘ったのだろう。と思いながら、銀座一丁目で降りる。
「レナちゃんの実家って、すごいお金持ちだって聞いた」
お金持ちを羨む、という発想はあまりない。私は極端なものに興味をひかれるので、好奇心が先に立ってしまう。
「別に」
「レナって、かっこいい名前だね」
どうして髪の毛の色が二週間に一回変わるのか、とか。聞きたいことはいくらでもあった。まだそれほど親しくないから、質問責めにしてはいけない。
「パパが付けてくれたんだって」
パパ、という響きが自然だ。父ではなくて。
「さやちゃんのその靴、かわいい」
「キタムラ。昔親戚に買ってもらった」
大切にしているので、普段はあまり履かないようにしている。
「横浜に親戚がいるの?」
「ほとんど疎遠だったんだけどね。突然、うちに来てくれたことがあって」
「お金を借りにきたんだったりして」
からりと言う。いままでその可能性を考えたことがなかった。レナちゃんの指摘は正しいのかもしれない。銀座をぐるぐる歩く。私と彼女は服装の趣味が違う。それでも、プランタンの洋服売り場を一緒に見る。
「こういうの、着たらいいのに」
レナちゃんは、私にダルメシアン柄のワンピースをあてた。
「あ。でも。ハムスターがダルメシアン着てるみたいになっちゃう」
「ひどくない?」
今度は、ヒョウ柄。
「なんか違う。メイクを工夫したらいいのかな?」
言いたい放題だ。
「女の子たちに誤解されるから、もっと清楚にしたらいいのに」と言い返してみた。
「レナ、地味なものが嫌いなの。みじめで。女の子たち同士が固まってるのも、意味ないって思っちゃう」
多数派は女の子で、自分たちはオンナなのだろう。彼女たちは、大人の女を目指しているはすなのに、自分で自分の名前を呼ぶところがわからない。私のあだ名も、傍から見たら変なのだろうけど。それが学校の雰囲気に合わせたものだから、仕方がない。
「お腹すいた」
レナちゃんがつぶやいた。
「なにが食べたい?」
「自分で考えて」
言いだしたのはレナちゃんだ。なのに、私が怒られてしまう。この不条理。
「どのくらいお腹すいてる?」
聞いてあげる。
「まあまあ?」
そっぽを向いている。
「La Maison du Chocolatは?」
「チョコは飽き飽きなの。マキシム・ド・パリはどう?」
「高そう。やめようよ。フルコースなんて無理だよ」
「単品もあるよ。早く決めて」
語尾に小さなnが付いていることに気づいた。早く決めてん、に聞こえる。異性には有効なのかもしれない。けど、私は困惑してしまう。
「ゆかが、ナイルレストランってところのカレーが……」
ゆかは、私が普段一緒に行動している友達だ。
「インドは嫌いなの」
途中でさえぎられてしまう。バッグを前後に振っている。
「タイ料理は?」
池袋で食べた生春巻きがとても美味しかったのを思い出した。タイ風お好み焼きというメニューもあって、なかなかだった。葉っぱで巻いて食べるのだ。銀座にも似たようなお店があるはずだ。きっと、レナちゃんも喜んでくれる。
「どこにあるの?」
「今から調べるよ」
ポケットから、携帯を取り出す。
「えー? 場所も知らないで言ったの?」
デートプランを練ってこなかった男子はこんな気持ちなのだろうか。
結局、ハゲ天でてんぷらを食べることになった。割り箸がきれいに割れた。新しい店を開拓すればいいのに、知っているところにばかり行ってしまう。
「学校辞めちゃったC組の子、いるじゃない。ここのてんぷらの衣、はがして食べてたんだって。ダイエットしすぎ。拒食症だよね」
髪の毛を指に巻きつけながら、レナちゃんが言う。
「あー。その話、私も知ってる。彼氏がプロポーズしてくれないから、思いつめたらしい」
「逆効果だよね……。あのね、頼みがあるんだけど」
ついに本題に入ったようだ。なんだろう。
「たのみ?」
すこし身構える。
「うん。武田の授業の発表、手伝ってほしいの」
「同じグループの子は?」
「全然やる気ないんだもん。もちろん、レナもだけど」
「私、前期、武田にC付けられたんだよね。なんでも言っていいってことだったから、反対意見を出したら成績が下がった。だから、もうがんばらない。レナちゃんも、適当に流してやればいいよ」
「そんなこと言わないでよ」
説得してくる。
「なにについて?」
「ホームレス」
「自分でやりなよ」
私だって、気がすすまない。深刻な話題は嫌いなのだ。自分の足元が揺らぐような気持ちにおそわれるから。
「だって、最近バイトはじめたから忙しくて」
「レナちゃんが? ちょっとは節約すればいいのに」
「無理なんだもん。生活変えたら死んじゃう。だからお願い」
miumiuのバッグを大事そうになでながら言う。私が欲しかった、サイドにリボンが付いているものだ。経済力の具体的な証を見せられると、うらやましくなる。私には抽象能力が足りないのかもしれない。
「もう。わかったよ。じゃあ、私は資料集める」
「お礼する。なにがいいか考えといて」
「いいよ。別にそんなの」
「武田にどう思われようが、気にすることないよ。あいつ、院生とデキてるらしいし」
レナちゃんの口元にうっすら笑みが浮かんだ。白いコートのポケットからスマホを取り出す。カバーが、ピンクのゼブラ柄だ。
「あ。タカユキ? 迎えに来てくれる? 銀座のハゲ天っていう店。うん。シャネルの近く。はい。よろしくねー」
なんて奴。三十分後、タカユキが店の前に立っていた。茶髪を何度もかきあげる。切れ長の目。顔のパーツが鋭角で構成されている。すれ違ったら、ひんやりした空気が漂ってきそう。タイプだ。高校のとき、私をふりまわした先輩に似ている。シルバーのピンキーリングをつけている。お代は、レナちゃんが払ってくれていた。
「じゃあね。また連絡する」
二人は私の前で腕を組みはじめた。男と女すぎる。私は銀座にひとりで取り残された。
*
「最近、レナちゃんと仲いい?」
すこし不満げに、ゆかが言う。
「授業が重なってるから」
「あ。ほんと」
授業後、図書館へと急ぐ。先に調べておくに越したことはない。私の学校の図書館はうるさい。勉強する人がいないから。女の子たちがひそひそと、つぎのデートのことを話していたりする。ファッション雑誌コーナーがいちばん人が多い。検索用のパソコンで資料を検索する。ホームレスのキーワードでいれてみる。十冊しかない。二冊は小説だ。ダブっているのをさけて、全部借りる。ステンドグラスの窓。ソファーでゆっくり読みたいのに、横たわって寝ている人がいる。閲覧コーナーはひとりずつ仕切りがある。コンセントもあるから、コテを温めながら髪を巻いている人もいる。
――本、借りておいた。
一応、メールする。レナちゃんから電話がかかってきた。
「今日、学校行ってるの?」
「そっちは?」
「休み」
「まあ、まだ日数あるしね」
「タカユキとシャワー浴びてたら、レナはほんとに肌がきれいだね、って言われちゃった」
「よかったね。パワーポイント、使える?」
「無理かも」
「じゃあ、レジュメを作って」
「わかった。ねえ、タカユキ…」
電話が切れた。レナちゃんは、あんまりあてにならなさそうだ。借りた本をぱらぱらめくる。家族との不仲が原因でホームレスになる人もいるということがわかった。否応なしに出ていかざるをえない環境だから、という意味だろうか。その場合、家出とはどこが違うのだろう。
気が滅入ってきた。とりあえず、家に帰ることにする。図書館の傍の森で東大のキャンパスクラッチを持った人たちとすれ違う。香水の香り。
「あら。さやさん。そちらからあいさつしてくださらないなんて、下を向いていたのかしら?」
テニスサークルの人たちだ。縦ロールの髪に、学校名がプリントされたピンクのポロシャツ。下はスコート。全員同じ格好。私が大雑把なせいか顔も個体差がないように見える。
「さあ」
短く答える。
「あなたのそういう態度がね……」
首を傾けながら、こちらに視線を送る。威圧しているのだろうか。
「ちょっと、あんたたち。横に広がらないの」
大きいシスターだ。助かった。猫にホースで水をかけている。いじめているのではなく、洗っているのだ。猫は、しんどそうな表情をしている。足早に立ち去る。背中に冷ややかな視線を感じながら、バスまでの道を歩いた。
大学には、放課後という言葉を使う人がいない。授業の後の放り出されたようなこの時間、私は街をぶらぶらすることに費やしている。趣味はカフェめぐり、というと「好きな歌手はミスチル」と答えた人のように扱われる。
でも、カフェめぐりは奥が深い。そこはレンタルスペースなのだ。建物がきれいなのに、分煙がされていないところ。料理はおいしいけれど、窓辺の日当たりが悪いところ。音楽がかかっているスペースも、おちつかない。テクノなんて最低。音が神経に突き刺さってくるかんじがする。多奈加亭はいつ行っても混んでいる。だから、クッキーを買って帰る。井の頭公園のカフェは、オープンカフェなので虫がくる。ベトナム風のコーヒーが飲めるところなんて、都内でもめずらしいのだけれども。どの場所も一長一短ある。
私のお気に入りは、吉祥寺にある民家のようなカフェ。外から見たら、ペンションのように見えるけれど、看板があるからわかる。コーヒーを一杯たのんで、一時間くらいいる。お客さんがほどほどしかいないので、話し声はほとんどしない。たまに、店長に話しかけている人がいるけれども、必要以上に感じよく見せたいと思っていないのか、そっけなく返事して奥にひっこんでしまう。私はここで、フランスの雑貨を掲載している雑誌を眺める。椅子の下で、足をぶらぶらさせながら。パンケーキをオーダーすると、二十分はかかる。ゆっくりする言いわけになるから、全然平気。
単色のカップ。内装は中間色の組み合わせでできあがっている。原色が排除されているのだ。メニューには、ロコモコもある。コーヒーには、マキアートを施してくれる。葉っぱとか、熊の柄が浮かんでいる。家に帰ろうと思っていたのに、居心地がいいせいか落ち着いてしまう。まずい。
冬に室内にいるのは幸せだ。「雪が降ってくるね」とか、恋人にメールしてみたい。ふかふかしたパンケーキを食べたあと、窓越しに木漏れ日が注いでくるのを感じた。視界が揺らぐ。暖房のおかげで、ほどよく暖かい。
「ラストオーダーのお時間ですが」
声をかけられて、自分が眠ってしまったことに気づいた。時計を見る。夜、十一時半。しまった。そういえば、昨日はレポートを書いていて一時間しか寝ていなかったのだ。なかなかテーマを思いつかなかった。泣きそうになりながらキーボードを打っていた。外でこれほど無防備になるのははじめてだ。
夜はバーになっている。照明が、カウンターを照らす。ギャルソンが、シェイカーを振っている。カクテルを作っているらしい。お客さんが増えている。これだけ動きがあるのに、起きられなかった私。携帯を取り出すと、不在着信が十二件。留守電が入っている。再生ボタンを押し、耳に当てる。
「どこにいるの? 連絡しなさい」
これは一件目。母からだ。まだまだある。
「メールくらいして」二件目。
「一人なの? なにしてるの?」三件目。
「終電、なくなるわよ」四件目。
「有紀ちゃんの家にいるの?」
有紀ちゃんは、高校時代の友人だ。五件目。
「だらしのない娘は、帰ってこないでよろしい」
祖父の声。六件目。ありがたいお言葉をいただいてしまった。無理もない。私がなにをしているのだか、わからないのだから。カフェで清く正しく寝ていた。ラウンドテーブルに突っ伏して。長時間店にいたのだ。場所代を払わなければ。メニューを見る。
「レッドフックください」
シアトルのビールらしい。
「かしこまりました」
ギャルソンがひざまずいてくれる。そこまでしなくてもいいのに。
さて、今晩どうするか。茫然としながら、またしても携帯の液晶をながめる。レナちゃんからも着信があったらしい。コールバックする。呼び出し音だけが鳴っている。どいつもこいつも、だ。
男がビールを持ってきた。栓を抜きながら、曖昧な笑みを浮かべる。
「はい。どうぞ」
レナちゃんは今頃、タカユキといる。部屋でワインを開ける二人。笑い声。学校でパウロ像が見張っていても、そのあとは自由なんだよ。私はストイックなんだ。自分に言い聞かせる。邪淫を避け、間違いのないように生きてきた。その結果の帰宅拒否だ。手酌でビールを飲む。お一人様とか、トレンドだし。最先端だよ。
ブルーグリーンのグラスに、泡がうっすらと現れる。口に含む。胃に響きそうな、苦い味がした。なにがシアトルだ。ビールなんて、もともと好きではなかったのだ。
お皿に入ったピーナツを食べる。これ、コンビニに売ってるアソートパックじゃないの? 手抜きだよ、手抜き。心がかすかすしてきた。ビールを一気に飲む。店内を見渡す。タロットをしている人。銀食器をひたすら磨く店長。前に腕を組みながら、お客さんの様子に心を配るふりをしているギャルソン。出よう、と思った。レジで二千円を払う。おつりが返ってきた。マフラーに顔をうずめて、ドアを押した。
こうなったらしょうがない。ネットカフェを探す。酔ったサラリーマンが、まっすぐ歩行できずに電信柱にぶつかる。漫画ではよくあるけれど、目の前で見ると秀逸だ。カラオケ店が目に入った。一晩、歌って過ごしてもいいのだ。けど、私は歌が下手。自分に対しても見栄っぱりな私。二十四時間営業と表示された、水色の看板が見える。たぶんあれだ。近づいていく。
私の勘は正しかった。自動ドアを通り抜け、受付を済ませる。A7。ベニヤ板に、黒の塗料を塗ったような扉で、隣と隔てられている。昼間、眠ってしまったので意識が冴えている。ためいきをつく。お腹がすいてきた。ラミネートした紙の下に見える文字。カップラーメンを販売中。財布を持って、室内の自販機へ。家では食べられないものを食べたい。ボタンを押す。日清のが落ちてくる。お箸はどこだろう。棚に毛布が積んである。一枚を脇に抱える。ドリンクコーナーの横に、割り箸が束になっていた。その隣に、ポット。ビニール袋を開け、お湯を注ぐ。三分後を楽しみにしてしまう自分が嫌だ。
ファッション雑誌も選んで、自分の個室にひきあげる。扉を閉めても、下の隙間から人が通っていく様子がわかる。カップルだ。こんなところでデートしたくない。上からも見えるのだ。しょうがない。パソコンの前の台にラーメンを置く。狭い個室だ。薄い蓋を開けると、中で冷凍エビと四角い肉がふやけていた。黄色いのは、卵なのだろう。割り箸でかき混ぜ、麺を口に入れる。醤油と塩の味しかしない。卵は、ぱすぱすしている。独り暮らしの人たち、すみませんでした。でも、この安っぽさがたまらない。自由の味だ。
暗い部屋で、携帯が発光する。深夜、一時を過ぎている。レナちゃんからだ。麺が伸びてしまう。明日にしよう。パソコンの機械音が、絶え間なく聞こえてくる。うつ伏せになり、毛布にくるまる。デニムのジャケットと、白のスカートではくつろげない。早く朝になればいい。解放されたい。基本的な安心感が脅かされている。
ウエイターが、ワインを持ってきた。始発で即刻帰宅したあと、昼に友達と待ち合わせて自由が丘のレストランにいる。四時間は眠った。ネットカフェで過ごしたなんて、誰にも言えない。
「君は僕の心の実験室だ。だから、僕は君に見捨てられたのではなく、見捨てさせたのである。なんて言うのね。私、笑うに笑えなくて。無言でいたら急に怒りだしてさ」
きれいに巻いた髪の毛をいじりながら、ゆかの友達が言った。わりとボディーにフィットした、白のワンピースを着ている。恋愛の相談だ。
「要は、振られたことを正当化してるんだよね?」
ゆかはすぐ人の話を要約してしまう。でも、彼氏の前ではその癖を封印しているらしい。
「むずかしい表現で言えば高尚に受け取られると思ってるのかな?」
と、私。
「私、そんなに鈍そうに見える? はー。やってられない」
メインで話している女の子が、こちらに身体を傾けながら言う。私の言葉は逆に彼女を傷つけてしまったかもしれない。
「他大の助教授だっけ? 相手」
手櫛で髪を整えながら、ゆかが言う。助教授、という響きに優越感が含まれている。ゆかの父親は大学教授なので、視点がほかの人とズレているのかもしれない。
「黙ってると、上から目線であれこれ言ってくるんだよね。そういう人って」
私の向かいに座っている子が、発言する。
「わかるー」
相槌を打つ私。
「我慢してたら、本当に体調が悪くなっちゃって。もう無理だ、って思って別れることにしたの」
一人でひたすら話している。
「なんて言ったの? 最後」
興味があるので聞いてみた。
「もう会うのはやめにしましょうって」
「有無を言わせないかんじだね」
「ママにも相談したのね。その人と会う前、ゆううつで。自分でも気づいてなかったけど、ベッドからなかなか起き上がれなくて。遅刻するとまた相手の機嫌が悪くなるし。このままだとダメになっちゃうと思って」
まずそうに、パスタを食べる。
「したら?」
「もう少し耐えてみなさいって。でも、限界で。じんましんが出てくるようになって、自分でも悲しいけど、もう終わりなんだ、って」
視点が定まっていない。
「努力したね」
「うん。お疲れさま」
「でももう、別れちゃうとやっぱり不安。嫌いで、ありえないんだけど。やっぱり不安」
意味もなく、手首から腕にゴールドの時計を何度もスライドさせている。
「買い物でもしなよ」
「つぎの人はいい人だといいね」
「かわいいから、またすぐに見つかるよ」
なんの解決にもならないアドバイスが続く。私は黙々と、グラタンを食べる。
「そういえば、サークルに一年が入ってきた」
話題が移った。
「こっちも」
「私のところも」
「男子にはなつくのに、こっちに対してはそっけなくて。生意気だな、って」
「今年の一年、なんか怖いよね」
「敬語も使えないし。メイク濃すぎ」
「勘違いしてるよね」
私も一年のときはそう思われていたのだろうか。
「さやってどこのサークル?」
あまり発言しなかったので、質問が回ってくる。
「シャンソン研究会」
と答える。
「そろそろほかのサークルに入ったほうがいいよ」
隣の女の子が言う。アドバイスされてしまった。
「そういえばさ、レナちゃん、最近付き合い悪くない?」
アーガイルのカットソーを着た女の子が発言する。セリーヌのバッグから鏡を取り出し、つけまつげに軽くふれる。位置を調節しているらしい。
「前からじゃない?」
「親、ホテルの経営してるんだっけ?」
「ラブホじゃないの?」
ゆかが言う。
「和風旅館だよ」
知らない情報が次々と出てくる。
「え? チョコレート会社の社長だって聞いたけど」
工場見学をさせてもらえるかもしれない。
「手広く色々やってるんでしょ」
吐き捨てるように言っている。またしても私は黙ったまま。
「ところでギリシャ神話の課題、やった?」
「全然」
「分担しない?」
「どういうこと? 私、前回休んだから知らないんだけど。どこまで進んだ?」
再び話に加わる。風邪をひいていて、休んでしまったのだ。不可抗力で行けなくなってしまうかもしれないので、なるべく授業は欠席しないようにしている。
「動画観ただけ。美女のところに怪獣が夜な夜な通ってきて、神殿が崩れた」
「その説明のしかたじゃわかんない」
「だれかテキスト持ってる?」
「家にある。メールするわ」
「いいよ。それで」
五人で三時間は喋った。ゆかはデートがあるので先に帰った。名前も知らない女の子たちと、お揃いのネックレスを買う。そんなことで、今日も終わっていく。
帰ってくたびれて寝転がっていたら、電話がかかってきた。
「レナだけど」
「知ってる。昨日はごめん。かけ直さなくて」
「バイトが終わったら、この時間になっちゃった」
「なにやってんの?」
「浴衣でサービス」
Comme ça des modeというような気軽さで発音する。女としてのキャリアが長いからだろうか。
「え? 親に言えないこと?」
質問のつもりが、非難しているような響きになってしまった。
「まーね。でも、ただのキャバクラだから」
「あ。そう。でもなんで?」
つまらない道徳を言うほど、私は野暮じゃない。事情があるのだろう。
「タカユキと同棲はじめようと思ってるの」
「あ。おめでとう」
驚きが声に出ないように、トーンを低くする。
「親には、女友達とルームシェアしたいって言ってるんだけど」
「彼は、バイトのこと知ってるの?」
「うん。だから発表のほう、全然すすんでない」
「私の名前で借りた本、読んでる?」
「あんまり」
だと思った。私は悪いほうにばかり勘が働くのだ。
「来週だよ? 明日がゆかの順番でしょ?」
「わかってる。昨日もタカユキが来てくれて、後ろから抱きしめながら、お前は最高だよって言ってくれたの」
完全にアホになっている。函館ラ・サール出身だとは思えない。
「とりあえず、出席だけはしたほうがいいよ」
釈然としない気持ちで電話を切った。
机の上のポトスの鉢と充電器の間を、ダンゴ虫が這っていた。うぞうぞしている。足が動いている状態だと、じっと眺めることができない。シャーペンの先でつつくと、丸まった。いつからだろう。私は虫をこわがるようになってしまった。ゴキブリのようなディープな神経逆なで系生物だけではなくて、毛虫も蛾も蝶も嫌。
幼稚園のときは、スモックのポケットいっぱいにダンゴ虫を持ち帰ってくることもあった。学習机の上にぶちまけると、あらゆる方向に歩いていく。それだけのことが新鮮だったのだ。親から怒られるのに、飽きずに繰り返した。大人が叫び声をあげると、得意な気持ちになった。情景を細かに思い出せなくても、感情だけがふっとよみがえる。風が吹くみたいに。おとなしくしている隙を狙って、ダンゴ虫をチリトリの中に入れる。窓を開けて、逃がしてあげた。やっぱり、素手でさわることはできない。望んだわけではないのに、いつのまにか感覚が変わってしまうことはある。いつか自分でも制御できないものが沸き上がってきて、今とは別のところに運んでいってしまったらどうしようと思う。そうしたら、私はそこでなんの違和感もなく居座れるのだろうか。
*
キャンパスクラッチを抱えながら、今日も校内を歩く。タマゴ色のワンピースを着て、森の中を横切る。水玉のカチューシャにフューシャピンクのバッグ。キャンパスクラッチには、フランス語の教科書が二冊。人形みたいに、かわいらしい。ちまちました歩幅で歩く姿は小鳥みたい。他愛なくて弱くて、保護を必要とする生物。それが私。空想するのは自由だ。実際の私は身長が大きい。166センチ。ぱっと見た印象も、大人だろう。
「よっす。さやちゃん」
気の抜けた炭酸水のような声がひびく。右手を挙げている。サークルの先輩だ。私はいつのまにか顔を出さなくなってしまったけど。丈の長い黒のジャケットに、灰色のシャツ。細身のベルト。足を組んでいる。荷物は、ギターを背負っているだけ。片手はポケットの中。
「あ。こんにちは」
男子立ち入り禁止。この学校の校則を、彼は思い切り無視している。目立つ外見のせいで、厳しいシスターにすら甘やかされているから。
「女の子ってかんじだね。今日も、まぶしいよ」
パウロ像に片肘をかけて、手を額に付けている。そんな自分に酔っているのだろう。
「嬉しいです。でも、なんでここに?」
「君に会うために、来たんだよ」
「挨拶がわりですね」
だれにでも言っているのはわかっている。だから全然ドキドキしないはずなのに。先輩は、髪を整えながら袖をまくっている。ジャケットの裏地が赤なことに気付いた。
「あと、俺のサイト作ったから、随時チェックしといて」
紙を手渡される。音楽活動の履歴と、サイトのurl。サイト名は、音田的生涯。音田は先輩の苗字だ。無理もないけど、自己愛が強い。
「あ。はい」
「じゃあ、一曲歌います」
周囲の注意をひくために、両手を上げる。
「え? ここでですか?」
ギターを取り出している。
「降り積もる雪になってー。君に降り注ぎたいよー。ラララ。心をたのしませるために生まれてきたんだーーー。いつでもどこでもー」
ひどい歌詞。けど、憎めなくて口元がゆるんだ。
「なんか、ありがとうございます。名曲でした」
語尾を過去形にすれば、演奏を中断してくれるのではないかと期待した。
「輝ける月になってー。君を抱きしめたいよ。永遠のラプソディー。ラララ。いつでもどこでもー」
けど、終わらない。ここがサビなのだろうか。拍手をしてあげた。
「すごーい」
女の子が立ち止まっている。そんなことをいうと演奏を続けてしまうから、あまり褒めないでほしい。
「君も、魅力的だね」
「いやだもう」
「あんたら。うるさい」
いつのまにか背後にシスターが立っていた。
「あなたたち。シャンソン研究会でしょ? その曲、シャンソンっていえるのかしら?」
中身は軽音部だけれども、シャンソンということにしておかないとサークル認定されない。ロックは宗教的概念に反するものだかららしい。
「そうです」
先輩の応答。妙にはきはきしている。ほかのシスターも集まってくる。
「風紀を乱す曲は作らないこと」
シャンソンではないとばれていたのか。
「男子はわが校に入らないこと」
「パウロ様に寄りよりかかってはいけません。注意されているうちにやめること」
教室へと急ぐ。レナちゃんは武田の授業に来なかった。そんなに男が楽しいかね。敗北感に近い感情が沸いてくる。多数派に迎合したら負けだ。
――レジュメ、無理そう。できるところまでやって、wordでメールに添付してくれる?
メールしてる時間があるなら学校に来い、と言いたい。お嬢様はわがままだ。
(第03回 了)
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