女優、そして劇団主宰でもある大畑ゆかり。劇団四季の研究生からスタートした彼女の青春は、とても濃密で尚且つスピーディー。浅利慶太、越路吹雪、夏目雅子らとの交流が人生に輪郭と彩りを与えていく。
やがて舞台からテレビへと活躍の場を移す彼女の七転び、否、八起きを辻原登奨励小説賞受賞作家・寅間心閑が Write Up。今を喘ぐ若者は勿論、昭和→ 平成→ 令和 を生き抜く「元」若者にも捧げる青春譚。
by 文学金魚編集部
もちろん嬉しいことばかりではない。ドラマの放送開始から一、二ヶ月が経過する頃には、日常生活の中で人々からの視線を感じることがとても多くなってきた。
仕事の行き帰りの電車内や、何の気なしに立ち寄ったデパートやスーパーマーケットで、どうも顔を見られている気配を感じる。何気なく周囲を確認すると、やはりそれらしき人の姿がある。相手が一人の時はまだいい。そういう人はアラ、といった感じで軽く驚いたり、遠目にチラチラと観察してきたり、というパターン。まあ、このくらいなら気の持ち様で何とか無視できる。厄介なのは二人以上のケース。まず誰かひとりが気付くと、すぐさま連れ合いに伝言する。
「ほら、あの子見て。違う、あの子、ほらほら絶対そうよ。ね? そうよね」
そんな耳打ちの後、今度は品定めよろしくジロジロと見られる。対抗策としては俯いたり、そそくさと立ち去ったり。正直なところ、分が悪い。特に困るのはエレベーターの中だ。密室だし無闇に動けない。その中で何人かのグループに気付かれてしまうのは、厄介を通り越して恐怖だ。
「あれ、テレビ出てる人。あの番組、何だっけ」
「え、嘘? どこよ」
「そこよ、そこ」
狭いスペースなので、小声でもちゃんと聞こえる。人によっては「ああ、早苗ちゃんだ」と名前まで知っていて、有難いやら面倒くさいやら。結局乗り合わせた人全員から、チラチラと観察をされることになる。中には声をかけてくる猛者もいて、またそういう人に限って声がやたら大きい。
「すいません、テレビ出ている方ですよね? あの、ドラマ、えっと何チャンネルだっけな……」
TBSですよ、なんて当然教えたりはしない。「あ、はい、すいません……」とペコペコ頭を下げてとにかくその場から離れる。
自分だけの時はまだマシな方で、友達とレストランで食事をしている最中や、果ては家族で旅行をしている時にもヒソヒソ囁かれたり、指をさされたりする。やはり解決策は速やかに退散するくらいしかなく、まるで悪いことをしてるみたいじゃない、とその度にモヤモヤしてしまう。
こんな事、舞台で芝居をしている時には一度もなかった。ただ一方「テレビの力って凄いねえ」と素直に感心もしている。番組の視聴率は二回目以降も二十%台後半と高く、或る意味これは人気番組の宿命なのかもしれない。
おチビちゃんの顔を有名にしているのは、テレビだけではなく雑誌の力もあった。山田邦子さん、速水陽子さんと「新人トリオ」として紹介されるだけではなく、自分ひとりだけ取り上げられることもある。いわゆる女性誌の取材が最も多く、「週刊TVガイド」やTBSの機関紙などにも掲載していただいた。
自分について書かれた記事を読むのはどこか照れくさく、くすぐったい感じがするけれど、四季にいる頃から取材を受けるのはとても楽しみで、前の日からどんな服を着ていこうかなと考えたりもする。
最初に親しくなった共演者は夏目雅子さんだったけど、撮影が進んでいくに従って、他の共演者やスタッフの方とも少しずつ打ち解けるようになった。実際に放送が始まってからの評判の良さも相まって、ひとつのチームとしての連帯感、そして結束力も育まれている。
そんな雰囲気を後押しする様に、撮影が休みのある日、宇津井健さんがホームパーティーを開いて、俳優陣やスタッフさんたちを招待してくれた。場所は成城の一等地で、その中でも一際目立つ正真正銘の豪邸。宇津井さんはタキシード、奥様はドレス姿で出迎えてくれた。招待されたおチビちゃんたちは普段着だったけど、それは御愛嬌。
「すいません、こんな格好で……」
そんな風に恐縮する面々を、「いいから、はい、こっちだよ」と宇津井さんは笑顔で先導してくれた。
通して頂いたのは、以前奥様が「葡萄屋」というレストランを営んでいた地下のスペース。とにかく広くて、幾つも部屋がある。
驚いたのはそのスケールの大きさだけではない。用意されていたお食事はいわゆるビュッフェ形式で、こちらの部屋では和食、あちらの部屋では洋食、そのまた向こうの部屋では……という贅沢なスタイル。お食事の美味しさはもちろんのこと、色々な部屋を訪ねてそこにいる面々、特に今まであまり交流のなかった人と話をするのがとても楽しい。
現場では喋りにくい人でも、これだけ寛いだ雰囲気の中なら話しかけやすい。共通の趣味を発見することもあれば、劇団出身だった人と盛り上がったりもする。お酒が苦手で、打ち上げの類を遠慮することの多いおチビちゃんにとっては、とてもありがたいイベントで、時間を忘れて心の底から楽しむことができた。
個人的に一番素敵だと思ったのは、庭のショーケースに飾られていた馬具の数々。早稲田大学時代、馬術部に所属し、以来数十年の乗馬歴を誇る宇津井さんらしいコレクションだった。
同じくベテランの山岡久乃さんもまた然り。週に一度は、大勢で囲めるちらし寿司などを差し入れして頂けるので、更にチームとしてのコミュニケーションも強固なものとなる。無論おチビちゃんも、その恩恵をたっぷりと受け取っていた。
例えば山岡さんが創立メンバーに名を連ねる青年座出身の有吉真知子さんとは、劇団界隈の話を交わすことが多くなったし、当の山岡さんからも演技論をはじめとして、沢山のアドバイスを頂くことができた。
また打ち合わせで久々に四季の稽古場へ訪れた際に、浅利先生から伝言を授かることもある。その内容は青年座の公演についての感想や、簡単な時候の挨拶だけれど、それを聞いた山岡さんの嬉しそうな表情を見る度に、「四季出身」というキャリアの影響力の大きさ、そして責任感を改めて意識できる。
映画、テレビの活躍で既に人気者だったあき竹城さんは、びっくりするほど裏表のない性格。バーゲン大好きな彼女はイメージそのままの山形弁、そしてノーメイクで、撮影が早く終わると声をかけてくれる。
「ちょっと早苗ちゃん、時間ある?」
「あ、はい。大丈夫ですけど……」
「じゃ、行こうか」
「え?」
「ね、今日やってるみたいなのよ」
とても気軽な調子なので、こちらとしても返事がしやすい。急いで支度をしてお供した先は、新宿ルミネのバーゲンセール。あきさんは到着すると同時に、目玉商品が積まれたワゴンをチェックする。買い物客の数も多いので、大丈夫かな、騒ぎにならないかなと様子を窺っていると大きな声が飛んでくる。
「早苗ちゃん、ちょっとちょっと! 似合いそうなのこっちにあるよ!」
あと元プロボクサーでコメディアンのたこ八郎さんと仲が良く、何度も一緒に呑もうと誘ってもらうけれど、お酒が苦手なのでなかなか叶わない。申し訳なさ半分、勿体なさ半分でいつもお断りしている。
裏表がない、といえば山田邦子さんもそのタイプ。元々新人同士ということもあり、撮影の合間などに話をする機会も多かったが、時が経つにつれ更に気兼ねなく話せるようになってきた。
「ねえねえ、ちょっと昨日考えたんだけど、よかったら見てくれない?」
こんな調子でよく、メイク室辺りで新ネタを披露してくれる。居合わせた人たちはみんな大爆笑。本当に楽しい人だ。お互いの共通点は一重の目で、お化粧がしづらいという悩みも同じ。どのアイプチがいいかを教え合ったり、「美人さんはいいよねえ」なんて言いながら、二人してメイク中の小野みゆきさんを至近距離から眺めている。
その小野さんは元々資生堂のキャンペーンガールで、映画やテレビで活躍中。百七十センチ近い長身と低い声が印象的な「美人さん」。撮影前に行った看護実習の時に帰りの電車が一緒で、ぎこちない挨拶を交わしたことがある。実は彼女とはもっと密な付き合いをするようになるのだが、それはもう少し先のお話。今は目の前の撮影をお互いに頑張るのみだ。
夏目雅子さんとはずいぶん打ち解けて、気付けば恋の話をしている時もある。休憩時間に十円玉をたくさん持って、恋人へ電話をかけに行く姿や、それなのに結局話せなくて悔しがっている姿。その様子はどこにでもいる普通の女の子と変わらない。撮影のスケジュールが半分を過ぎる頃には、こんなこともあった。
「ねえ、早苗ちゃん」
はい、と振り向くと夏目さんが楽しそうに笑っている。
「一緒に歌舞伎行かない?」
「え? 歌舞伎ですか?」
聞けば一緒に行くはずだったプロデューサーの都合が悪くなったという。
「私、早苗ちゃんと行きたいんだけど、どう?」
もちろん断る理由なんてない。早速その場で当日のことを決めて、お互いにウキウキしながら撮影に臨んだ。
当日は朝から歌舞伎座の前で待ち合わせ。まずは幕間にいただくお弁当の手配から。
「あ、早苗ちゃん。ここは私がお支払いします」
「え、そんな、ダメです」
「ううん、今日は私がお誘いしたんだから、ちゃんとしないとってお母さんにも言われてるの」
でも、と言いかけたおチビちゃんだったが、にっこり微笑んだ夏目さんは「ダメ、ダメ」と取り合ってくれなかった。
「こういう時はね、誘った方がきちんとしなきゃってお母さんに教わってきたのよ」
どこか照れ臭そうに話す夏目さんに、普段の看護婦主任の面影はなく、本当に可愛らしい女の子そのものだった。気付けば朝から何度となく「ねえ、楽しいねえ」と言い合っている。思うだけでなく、口に出した方が不思議と心が弾むみたいだ。
帰りは歌舞伎座の近くにある、カネボウの本社へ行こうと誘われた。
「ねえ、ちょっと顔出していこうよ」
いたずらっぽく笑うのはカネボウ化粧品のキャンペーンガール、天下の「クッキーフェイス」だ。何の問題もない。本社を訪ねると、社長自ら出迎えてくれた。
「早苗ちゃん、ちょっとお話ししていくから、サンプルとか何でも好きな物、いっぱい持っていって」
え? と驚く間もなく連れて行かれたのは倉庫のような場所。化粧品のサンプルだけでなく、一式全部入ったポーチや旅行用のカバンまで揃っている。ちょっとした宝の山だ。傍らではカネボウの社員の方が「どうぞ、好きな物をいっぱいお選びくださいね」と微笑んでいる。では遠慮なく、と宝探しをしていると、社長とのお話を終えた夏目さんもやって来た。結局二人で「こっちかな」「そっちじゃない?」なんて相談しながら、かなりの量の戦利品を手にカネボウ本社を後にした。
出てしばらくすると、夏目さんが赤坂のスタジオに寄っていくという。「今日、撮影でしたっけ?」と尋ねても、何となく歯切れが悪い。
「うん、せっかくだから、これ、みんなにちょっとずつお裾分けしようかな」
「あ、そうですね」
「ううん、早苗ちゃんはいいの。早苗ちゃんはそれ、全部持って帰って」
「でも……」
「大丈夫、大丈夫。私、ちょっと寄っていくわ」
そう言ってスタジオへ向かう彼女の後ろ姿を見ながら、本当に気持ちの優しい人なんだなあ、とおチビちゃんは何故だか少し感激していた。実はさっき、カネボウで宝探しをしていた時、夏目さんが男性用の化粧品を手に取ったのを見ている。今日はこれから会うのかもしれない。絶対会えますように、と車に揺られながらおチビちゃんは密かに祈った。実は宝物を選びすぎてしまい、タクシーでなければ帰れなかったのだ。
それからしばらくして、撮影はおチビちゃん的にひとつのピークを迎えることとなる。他でもない、川原早苗がメインとなる回が数週間先に用意されていた。あまり緊張していないのは、きっと現場の雰囲気にうまく馴染んできた証拠だろう。宇津井さんを中心にチームとしての一体感も出てきた。舞台とテレビの違いもそれなりに理解できているつもりだ。右も左も分からなかった初日の自分に、「大丈夫だからね」と声をかけてあげたい。
ただ、好事魔多し。何となく分かっていたことだけれど、人生はそうそう思いどおりになってはくれない。
(第33回 了)
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