「世に健康法はあまたあれど、これにまさるものなし!」真田寿福は物語の効用を説く。金にも名誉にも直結しないけれど、人々を健康にし、今と未来を生きる活力を生み出す物語の効用を説く。物語は人間存在にとって一番重要な営為であり、そこからまた無限に新たな物語が生まれてゆく。物語こそ人間存在にとって最も大切な宝物・・・。
希代のストーリーテラーであり〝物語思想家〟でもある遠藤徹による、かつてない物語る物語小説!
by 遠藤徹
6.首語り(中編)
もう一度内村が古代エジプト展に行ったのは、その翌日だった。夜勤明けで眠たかったが、どうしても知りたいことがあったのだ。学芸員に聞くと、アピスとは、古代エジプトで豊穣の神とされた聖牛のことなのだそうだ。体が黒いとか、眉間に三角の白い斑点があるとか、全部で二十九の特徴をもつ必要があり、それらがすべてあると認められると、アピスとして崇められる。そして、新たなアピスが登場するとともに、古いアピスは殺されて食べられてしまったということだった。
「あら、内村君じゃない」
声をかけられて振り返ると、そこには加奈子嬢の姿があった。
「あなたもまた見に来たの? やっぱり魅力的よね」
なんということだろう、加奈子嬢はほんとうにこの仮面に魅了されているようだった。こうして、一人でまた見に来たくらいだから。そして、そのおかげで内村はあこがれの人と二人でもう一度エジプト展を見ることができたのだ。
「あれ、ちょっと見て」
加奈子嬢が眉をしかめた。
「なに」
「あれって、ごはん粒じゃないかしら」
確かに、仮面の口元に小さな、少し茶色がかった米粒がついていた。明らかに牛丼の汁を吸ったごはんつぶだった。
「ほんとだ、古代の米かな」
なんだかシラケた気分になった内村は、わざととぼけたことを口にした。けれども、加奈子嬢は、ぱあっと目を輝かせた。
「ちょっと、それって大発見じゃない? 古代エジプトにもいまみたいなお米があったってことでしょ」
「そうだね」
何だろうこの感覚。内村は戸惑った。さっきまでのあのときめきが消えていた。加奈子嬢の感嘆の声がなぜか耳障りだった。加奈子嬢へのあの憧れの気持ちが、萎え萎えになっていた。
「あのご飯粒のせいだ」
内村は米粒から目をそむけ、隣のガラスケースの中のミイラを見やった。ミイラの下には脱ぎ捨てられた包帯が放置されており、その間からだいだい色のものがちらりとのぞいていた。昨日内村が売った風邪薬の箱の色だった。』
静岡県に住む十九才の学生さんが作ったお話でした」
「くだらん」
「まったくだ。聞くに耐えん。即刻ここから立ち去れ」
「これ以上戯れ言を垂れると、女だろうと容赦はしないぞ」
鉾の会のメンバーは、威嚇の言葉を発した。
けれども、どんなに脅されても、暴言を浴びせられても少女は話しやめなかった。なるほど、大した物語ではなかった。ただ、少女はそれを嬉々として朗唱するように語った。ひとつ話し終えても、彼女はやめなかった。
「はい、次行きますよ。これは、ちょっとポエティックなやつです。
『夜になると安藤は飛ぶ。昼の間は背広の下に折りたたんでいた漆黒の翼を広げて、月明かりの下を飛翔する。
夜になると小林は潜る。指先で土を掘って掘って、掘り進む。掘った穴に頭を突っ込んでいって、やがて頭がすっぽり地面に潜ってしまう。そのまま、さらに掘り進んで、肩、胸、腰と地中に入り、やがては全身が土の中に消えていってしまう。
夜になると内村は溶ける。眠っているうちに徐々に体の輪郭が曖昧になり、ふるふるしたゼリー状の塊となる。翌朝目覚めた時には元の体に戻っている。全身のこりや痛みが綺麗に取れているのを感じながら、内村は心地よいのびをする。』
どうです。なんだか不思議ですよね。これを書いたのは、仕事が忙しくて目が回りそうだという商社マンの方です。こういうのがいい息抜きになるんですよね。
さらに、こんなのもあります。
『蚊がしつこく刺してくる。さっきから何回も叩き潰しているにもかかわらず、また刺してくる。間違いなく同じ蚊だ。なにしろ、血と一緒に潰れたはず蚊の死骸がいつの間にか消えているのだから。
「死なないのか? こいつは」
恐怖がよぎる。もしかしたら、こいつはこれからずっと自分につきまとい続けるつもりなのではないか。なにしろ死なない蚊である。いや、死ぬのだが、また生き返ってくる蚊なのである。
そのとき、はっと気づいた。
「お前、まさか」
わたしは恐慌に陥る。一瞬蚊の羽音が、女の声に聞こえたからだ。
「あ、い、し、て、た」
そんな風に聞こえた気がするのは、耳の錯覚だろうか? いや、そうでもなさそうだ。さっき刺された跡がぷっくりと大きく膨らんで、どこかでみたことのある顔のかたちになった。』
こちらは、会社重役の六十二才の方のお話。この方は恐妻家なのか、もうひとつこんなお話も作っておられます。
『仕事から戻ると、殺したはずの妻が夕食の支度をしていた。殺してばらばらにして、あちこちに埋めたはずなのだ。トントントンと包丁で野菜を切る音が響き、ぐつぐつと鍋の煮える音がしている。後ろ姿のままの妻には首がない。
「どうした。首はみつからなかったか?」
背中越しに嫌みを言ってみたが当然返事はない。
しばらくして、夕食ができたらしく、妻が茹であがったものを皿に載せ、周りに野菜をあしらって運んできた。
「お帰りなさい、あなた」
皿の上で、茹であがった妻の首が笑った。』」
「もうやめろ、さもないと・・・」
特攻服の男が刀を抜いた。少女はそれを見て微笑み、さらに口を開いた。
「続いて、浪人中の若者が作ったお話。
『怪物の牙が迫ってくる、という夢から醒めると、実はそれは工事現場から落ちてきた鉄パイプであって、それがまさに頭に突き刺さりそうになっているのであった、という夢から醒めると、なんのことはないほんとうは世をはかなんで身投げをしたのであったが、落ちていく先が刈り取られた竹藪であり、斜めにカットされた竹の群が待ちかまえているという事実に落ちながら気づいてあわてるがもうどうしようもない、という夢から醒めない。』」
「やめろーっ!」
とうとう、我慢できなくなった特攻服は、少女の首に向けて刀を振り下ろした。いや、それは脅しだった筈だった。なぜなら、刀は少女の首の少し手前で止まったのだから。ところが、驚くべきことは起きた。斬られていないはずなのに、首が落ちたのだ。するりっとすべるように、首が落ちた。地面に転がった。
「ば、ばかな」
「俺は斬ってないぞ。脅しただけだ」
「どうなってんだ」
「それでは、続いて」
少女の首は、まだ語っていた。まるで自分の身に起こった異変に気づいていないかのようだった。胴体から切り離されたというのに、物語るのをやめないのだった。
「わたしの現状に鑑みて、四十才の主婦が幻視したという物語をお届けしましょう。
『原理主義的な宗教を報じる過激派に拉致され、法外な金銭、次いで捕虜の解放を某国に要求するための人質とされた者ら。自己責任論によって国から見捨てられた彼らの首はあっけなく切り落とされた。そしてその断首の光景が、YOUTUBEにアップされた。
けれども、いまYOUTUBEにアップされている映像はもっと衝撃的だった。なにしろ、生首が歌い始めたのだから。西アジアの砂漠で、二つの生首が競い合うように歌った。
ベートーベンの「歓喜の歌」だった。
その歌声は、朗々と砂漠のなかに響きわたった。』」
さすがの鉾の会のメンバーも、この事態にはなすすべを失っていた。少女の体は、首を欠いたままその場に立ち尽くしており、地面に落ちた首だけが、先ほどまでと変わらぬ調子で、物語を語り続けている。こんな異変は、まさに想定外だったようだった。
周囲の硬直状態には無頓着に、生首となった少女は、語り続けた。
「それでは、最後にこんな物語を。
『高山邦夫はいじめを受けていた。
吃音症を患っていたことから来るおどおどした態度のせいで、それは小学校時代からずっと続いていた。教科書にはマジックで落書きされ、上履きには汚物や虫が毎日のように入れられ、教室には座る椅子がなかったり、机と椅子がトイレに移動されたりしていた。それでもなぜか、高山邦夫は学校に通い続けた。どんなにいじめを受けても、反抗することもなく、文句を言うこともなく、登校した。中学でも状況は変わらず、高校に入っても、それは永遠に続くかのように思われた。
変化が訪れたのは、高二の時だった。
クラス替えで初めて一緒になった生徒に、山田孝史という人気者がいた。明朗快活な山田は、話術が巧みだった。面白い話をしてはクラスの笑いを誘っていた。山田には、海野楓花という公認の仲の恋人があった。二人の関係は、とても落ち着いた静かなものだったし、二人とも人望があった。だから、二人の関係はごく自然なこととして、クラスの仲間に認知されていた。
そのクラスになってから、急にいじめがなくなった。いじめグループに属していたメンバーが同じクラスにいたにも関わらずである。やがて、高山邦夫はその理由を知ることになる。山田のせいだった。山田が、『ワン・オン・ワン物語合戦』などと称して、クラス内で小話の創作熱を高めていた。だれもが、そのゲームに夢中になった。それを繰り返す内に、彼らの心の内側が変化したのだ。なんの道徳的な教訓も、差別をとがめる言葉も口にされたわけではなかった。ただ、オリジナルの物語を考えること、自分のオリジナルの物語を発表し、友達のオリジナルは物語に耳を傾ける。楽しんでそれをするだけで、人の心は大きく変わる、そのことに高山邦夫が気付いたのは、自分の考えた物語がクラスの喝采を浴びた時だった。
「すごいな、それ。すばらしいよ」
山田が絶賛し、クラスの皆があろうことか高山邦夫に拍手を送ったのだ。彼は自分がクラスに溶け込んだこと、いや溶け込まされたことに気付いた。そして、そのことに悦びを感じている自分がいることにも。
けれども、その時を境に、高山邦夫のなかには激しい憎悪が生まれた。理由は分からない。山田が自分の存在理由を奪った、そんな風に感じられたのだ。それはもしかしたら嫉妬だったのかもしれない。けれども、正体はよくわからない。ただ、高山は憎んだ。恨んだ。自分の人生を変えてしまった山田の能力を恨んだ。
ちょうどそのころ、帰宅途中の高山に一人の初老の男が声をかけてきた。
男は、辰浪と名乗り、自分は戦前から密かに続いている政府のある機関に所属する者だと名乗った。君にどうしても知ってもらいたいことがある、と。
近くの喫茶店に誘われた高山は、驚くべき話を聞かされた。
彼は、自分が、いまはほぼ根絶やしになってしまった言霊師の家系の生き残りなのだと教えられた。
「言霊師?」
まったく初耳な言葉だった。
「そうだろうね。君のおじい様は、自分たちの能力を忌んでおられたからね」
辰浪は、やさしくうなずいた。
「だから、おじい様は、君にもこのことを知って欲しくはなかったんだと思うよ」
おじい様は自分が産まれる前に死んだと聞いていた。母親はおじい様のことをほとんど語ろうとしなかったから、特に思い入れもなかった。
戸惑う高山に、辰浪はこんな話をした。
言霊師は、言葉を操ることで世界を操作する。それはけれども、必要最低限のことに限って使うよう定められていた。かつては護国鎮守のために国に仕えた家系であった。いまはその家系はもう途絶えたと思われていた。一族の歴史の最後、彼らはこの国を大きな戦争に巻き込むために大いに働いた。一族の子供らを人質に取られてやむなく協力したのだった。彼等は、国民すべてを戦争へと総動員する壮大な物語を作り上げた。勝ち目のない戦争を、あたかも美しいページェントであるかのように国民に思い込ませた。言霊の力を使えば、それはたやすいことだった。ただ、そのことの代償は大きすぎた。彼らは幻滅し、絶望し、自責の念に駆られ、戦争が終わると集団自決という道を選んだ。二度と自分たちの力を利用されないようにと、姿を消したのだ。去り際に彼らは、最後の言霊の力を使いもした。彼等が存在したという記憶自体を、為政者の頭から消し去ったのだ。
「一言付け加えておくなら、あなたのお母様は、この能力とは関係ありません」
そんな風に告げられた。
さらに、彼をさんざん苦しめてきた吃音こそが、能力の証なのだとも教えられた。吃音は、未熟な時期における言霊の発動を抑えるための機序であり、成年を迎え、自分の能力に自覚的になった頃には治るとも教えられた。やがて言葉の主となる者は、その産みの苦しみを知るために吃音を患うのだということだった。
(第18回 了)
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