「世に健康法はあまたあれど、これにまさるものなし!」真田寿福は物語の効用を説く。金にも名誉にも直結しないけれど、人々を健康にし、今と未来を生きる活力を生み出す物語の効用を説く。物語は人間存在にとって一番重要な営為であり、そこからまた無限に新たな物語が生まれてゆく。物語こそ人間存在にとって最も大切な宝物・・・。
希代のストーリーテラーであり〝物語思想家〟でもある遠藤徹による、かつてない物語る物語小説!
by 遠藤徹
6.首語り(上編)
「これから、世の中どうなるんでしょうか」
少女は憂い顔だった。
「だいじょうぶ。心配しないで」
買い物袋を手にした真田は、相変わらず笑顔のままだった。
「でも、先生のセミナーは存続が不可能になったんでしょう? それに、本だって絶版にされちゃったんでしょ?」
「うん、まあ、表だって活動するのは難しくなったかもしれないね。先日の、竹山仁君の死はぼくにとってもショックだった」
竹山仁ことジンは、もとはストリートミュージシャンだった。自作の歌を歌い続けていたのだが、真田との出会いをきっかけとして、路上《対話》詩人となった。路上で、出会った人との対話のなかから、その人に必要と思われる物語を紡ぎ、それをメロディーに乗せるという新しい試みをしていた。そのジンの頭を、残酷な暴力が割った。斧という原始的な道具が、彼の頭を口元まで真っ二つに割ったのだ。犯人は未成年だったため、名前も公開されなかった。鉾の会のメンバーであることだけがクローズアップされた。さっそく、その事件を「神によるスイカ割りの儀」と呼んで神格化するような論調の、ふざけた書き込みがネットに氾濫した。
スイカを割ろう~
スイカを割ろう~
腐ったスイカ、醜いスイカ、過てるスイカは、
神の斧でまっぷたつ~
などというふざけた歌詞の歌をアップした者もあった。さらに、その曲に「いいね」が何千件もつけられるという惨状だった。
真田の本を出していた三つの出版社には、早朝の誰もいない時間に銃撃がなされた。窓ガラスが割れ、壁に銃弾が食い込み、社名の入った看板に豚の血がぶちまけられた。犯行声明も何も出されなかったが、会社側は犯人の意図を汲んだ。つまり、真田の本を絶版にしたのである。言論が暴力に屈していいのかという声はあるにはあったが、それを口にするのさえ相当な勇気が必要だった。
そんな重苦しい空気のなか、一人の学者が、勇気をもって発言した。政治学者の上条憲吉だった。
「この国の民主主義はいま死に瀕しています」
某ケーブルテレビ局の番組に出演した上条は、深い憂慮を示した。
「なるほど国家もまた暴力装置でありますが、現在その装置は有効に機能してはいません。なぜなら、現在のような状況においては、国家の法秩序は、警察や自衛隊の存在だけでは維持できないからです。なるほど、警察や自衛隊が、対暴力の装置として存在しているのは事実でしょう。犯罪や暴動を起こせば、彼らが鎮圧のために出動するわけですから。
でも、現在頻発しているタイプの殺人はどうでしょう?
昨今の風潮、特に鉾の会のメンバーが起こした一連の事件は、この秩序維持装置が無効となったことを示しています。なぜなら、彼らは目的遂行を美学化してしまっているからです。いわゆる戦中の「花と散る」美学です。彼らは逮捕も、拘留も、死刑すら恐れていない。むしろ、無名の一市民として生きるより、英雄的行為とされる国賊懲罰を果たすことに喜びを感じている。英雄と賞賛され、英霊に加われるとおだてられて、嬉々として残酷な行為を行い、死刑ですら栄誉と捉えてしまう。さらにまた、そうした者たちをあがめ奉る、思考停止した偶像崇拝が横行している。
〝考えるな、従え〟。
〝恐れよ、そして従え〟。
〝自我を捨て、美学に身を委ねよ〟
そんな無言のメッセージが、世の中に溢れています。自分を持つこと、自分で考え、行動することが否定されているのです。政治家のなかには、この風潮を自分たちの危険な政策を推し進める格好の時期と捉える向きもあります。そして、批判の声は封じられている。テレビも新聞も事実を報じるだけで、そこに秘められた危険性について誰も告発しない。逆に、そうしたニュースを、芸能ニュースや、スポーツニュース、あるいは他の残虐な事件の報道で覆い隠すことに腐心しているようにすら見える。
わたしは、真田寿福先生の書物によって救われた人間です。でも、いま先生の本は書店から姿を消し、先生が主催していたセミナーもまた閉鎖を余儀なくされています。その背後には、否定しようもなく暴力がある。かつての戦争の時代の、滅私奉公ならぬ、滅私奉命とでもいうべき発想が、歪んだ美学となって世を覆いつつある。
こんな風に、わたしが公の場で意見を述べることを止めようとする声も多々ありました。命が危ないと言われました。けれども、わたしは決心したのです。そもそも、真田先生に救われた命です。わたしは、先生が説かれる、『自分の主人となれ』という声をもっと多くの方に届けたい。『物語健康法』こそ、いま読まれ、実践されるべき書物であると、わたしは皆さんに訴えたいのです。ですから、絶版になったこの本のPDFをわたしはネットに挙げました。これは先生の赦しを得て版権フリーとなっています。どんどんダウンロードし、また拡散してください。それが、わたしたちにできるささやかな抵抗運動なのです。時代を変えるための闘いなのです」
この後、上条憲吉は、大学の大教室での講義中に、突撃してきた学生に刺された。幸い一命はとりとめたものの、いまだに彼は集中治療室に収容されたままである。
「上条先生、命は助かって幸いでしたね」
「そうだね。いわば一種のクーデターが起こったわけだよね。見えにくい専制政治が敷かれようとしてるわけだ。でもぼくは信じているよ。なるほどいまこの国は病んでいるかもしれないけど、でも、健康になりたいと願う心はなくなっていないって」
「そうですね。先生もお気をつけて」
「はは、ぼくは重要人物じゃないから、誰もぼくのことなんか狙わないからだいじょうぶだよ」
しばしの立ち話のあと、真田は帰宅して、その日の食材をテーブルの上に並べた。
「やっぱり、あった」
真田は、買い物袋の中にまた一通の封書を発見した。
「まったくいつの間に」
苦笑しながら、それを開けてみた。そこには、インターネットのサイトアドレスが記されてあるだけだった。
「なんだか、そっけないね」
いいながら、パソコンを立ち上げ、そのアドレスを打ち込んだ。画面いっぱいに現れたのは、微笑む少女の顔だった。
「もう見てくれているかしら、孝史さん」
一方通行の映像だった。わざとそういう設定にしてあるようだった。
「分かってると思うけど、わたしよ、楓花です」
真田は画面から目を離せなくなった。
「とても不自然なこと、世の理を覆すようなことだけど、あなたにもう一度会えて良かったわ。だってあり得ないことですものね。それから、少女としてのわたしの生還を喜んでくれた彼女の両親にはお詫びをしなくてはなりません。これから起こることは、おそらく彼らにとっては耐えがたいことでしょうから。でも、分かって欲しいのです。あなたの出会った娘もまた、本当はこの世にもういない存在だったってこと。ある不自然が起こって、世の理が覆されて、彼女はかりそめに生きていた。いえ、生きているように見えただけなんです」
彼女は後ろ向きに歩いて、カメラから遠ざかった。
「どうして、そんなところに」
真田はぎょっとしたように立ち上がった。
「孝史さん、いま駆けつけようとしたわね。わかるわ。でも、来ないで。そこでちゃんと見ていて欲しい。これから起こることを」
だが、すでに真田の姿は部屋になかった。着の身着のままで彼は駆けだしていた。近づいてきたタクシーを止めて乗り込んだ。
「神宮町の報国ビルまでお願いします」
「あそこに行かれるんですか? もしかして、お客さん、憂国詩人の会のシンパですか?」
言葉を濁した真田だったが、運転手は調子に乗ってしゃべり出していた。
「わたしもね、かねがね、あの人たちの勇姿には喝采を送っているんですよ。浄化ですよね。この国を清めてくれている。そう思いますよ。そう、海原泰山先生の著書を読んだときのような、爽快感、心が洗われる感じが似通ってるんだな。ええ、わたしも参加してみたいもんですよ。あの会に。なんでしたっけ、そうそう暗唱と賛美のね、あの会ですよ。ただまあ、会費も高いし、わたしのような人間にはなかなか手が届きませんけどね。でもまあ、それが却って、なに? なんだっけ? そう憧れになってね。さらにも賛美の念が募るっていうかね、うん」
運転手はしゃべり続けた。真田は瞑目していた。心を静める呼吸法を用いて瞑想状態に入っているのだった。
真田の部屋では、観客を失ったまま、パソコンの画面での映像が続いていた。少女は、鉾の会のメンバーとおぼしき、特攻服の面々に取り囲まれていた。
「鉾の会の皆さん、あなたがたに自由を贈ります。物語る自由、自分で発想する自由、自分で考える自由をお贈りします」
「なんだこいつ?」
「黙れ、黙れ!」
「失せないと、斬るぞ」
「優れた物語である必要は無いのです。傑出したものでなくともいいのです。自分のなかからなにかを産み出す悦び、それを感じることさえ出来れば。『自分になる』ということを体感できればそれでいいのです」
それは、彼らにとって不愉快な言葉であるようだった。
「たとえばこんなのはどうでしょう? ちょっと朗読してみますね。
『 深夜、コンビニでアルバイトを始めた大学生の内村は、その客を見てのけぞった。もし体が柔らかければイナバウワーしてしまうほど驚いた。なぜなら、夜中の三時にゴホゴホと咳をしながらやってきたのは、どこからどうみても古代エジプト第十八王朝のファラオだったからだ。つまり、いわゆるひとつの、あるいは一人の、いやいや恐れ多くもおお様であるから御一方のツタンカーメンである。
なぜそうとしれたかというと、内村が先月、友達以前恋人未満の憧れ人である加奈子嬢といっしょに古代エジプト展を見に行ったばかりだったからだ。
このように書くと若干誤解を招くおそれがあるので修正しておくならば、内村と加奈子嬢は二人きりで行ったわけではなかった。引率の教員と、他のゼミ生たち総勢九名で訪れたのである。なんということはない、ゼミの学外実習にすぎなかった。
「すごいわね」
加奈子嬢が目を輝かせたのは、当然のことながら例の黄金のマスクの前であった。
「これ二十三金なんでしょ」
「そうだね、金の割合がおよそ九五%、残りの五%も銀だと思うよ」
加奈子嬢をひどく気に入っている指導教員が、すぐそばで解説を始めた。
「頭巾と胸飾りにつかわれているのは赤水晶とラピスラズリ、あとは長石と石英だな」
そう、内村たちは工学部の金属工学科に所属しているのであり、今回の展覧会訪問も、物質の視点から古代エジプト文明を捕らえ直すためだった。
「時価四百兆円ってほんとかしら」
「まあ二百兆っていう説もあるけどね。いずれにせよ、誰にも買えないっていう意味だよね」
加奈子嬢の友人の一人である、どうでもいい女子が発言したが、どうでもいいことなので、内村は完全に聞き流した。そして、黄金色に輝くツタンカーメンの仮面をうっとりと眺める加奈子嬢を、うっとりと眺めたのだった。
「あの、悪いけどさ、く、く、ゴホッ、クスリあるかな」
その黄金の仮面をかぶった、全身包帯姿の人物にそんな風に尋ねられた場合、普通の人はどう反応するのだろう。重さ十一キロもある仮面をつけているせいか、その包帯姿の人物は前屈みになりながら、しきりに咳こんだ。
「はい、あちらの列の手前にございます」
「悪いけど、ゴホゴホッ、適当に選んでもらえるかな」
「かしこまりました」
ちなみに、「その風邪は喉から、それとも鼻から、あるいは咳から?」と聞こうかどうかまよったけれど、結局内村はごくふつうの風邪薬を取ってきて渡した。
「こ、ここで飲んで、ゴホッ、いいですか」
「どうぞ」
水道からくんできた水をコップに入れて渡してあげると、ツタンカーメンの仮面をつけたミイラ男は、仮面の口元から器用にそのクスリを飲んだ。いや、器用にのみはしたが、すぐにゴッホゴッホと、有名な画家の名前を連呼した。
「ありがとう」
ツタンカーメンの仮面をかぶった人物は、包帯の間から畳んだ万札を数枚取り出して、無造作にレジ前においた。
「あ、こんなにいりませんから」
「いいよ、取っといて」
そういって、帰って行こうとしたのだが、出口のところで振り返った。店内の光を反射して、マスクがきらりと光った。
「ちなみに、ゴホッ、この時間でもあいてる飲食店ってあるかな? どうもお腹がすいてしまってね、ゴッホゴッホ」
「それでしたら、そこの角のところに吉野家がありますけど」
「それって、何屋さん」
「牛丼屋です」
「牛丼ってなに?」
「牛の肉を乗せた、ご飯を出すお店ですね」
「なに、牛の肉?」
ツタンカーメンの仮面をかぶった人物の顔が輝いた。
「牛の肉を食うと言うことは、新たなるアピスが現れたということだな」
「は?」
内村にはちんぷんかんぷんのことを、仮面の人物は口にした。
「それはめでたい。是非ともその祝いの儀式に参加させてもらわねば。幸いなことに腹もちょうど良い具合に減っておるし」
いいながら、その男は重そうな仮面に引きずられるようにして、ゴッホゴッホを咳をしながら去っていった。
(第17回 了)
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