エズラ・パウンド、T・S・エリオット、アーネスト・ヘミングウェイ、スコット・フィッツジェラルドらと並ぶロスト・ジェネレーションを代表する作家、e.e.カミングス。優しくて人嫌いで、前衛作家で古典作家でもあったカミングスの処女作の星隆弘による新訳!。
by 星隆弘
第五章 大部屋の面々
・・・・・・炊事場でも忘れがたい人が働いていた。木靴を鳴らして。いつも声を押し殺したような鼻歌交りに煤色の大鍋をかき混ぜていた。俺たち、つまりBと俺、はじっくり時間をかけてアフリカと知り合いになった。出し抜けにアフリカと言われてもわからないよな。君たちもアフリカとお近づきになるにはじっくり時間をかけるんだ。君たちは中庭にいて、泥と枯木ばかりを眺めている、するとあの人が大きな木彫りの足をリズムよく交互に振り上げてすたすたと厨房を出てくる、腰に巻きつけていたまだら模様のスカーフをほどいて、押し殺したような声の鼻歌はおふざけが過ぎてとても本には載せられないような天国の歌。事務的に戸口を抜けて中庭に出る、スカーフの帯をほどきながら、すたすたと歩いて散歩中の男女を隔てる石壁沿いの便所へ向かう――帯がどこまでも伸びる尾になって地面を引き摺られていく。便所が近づくと尾と体は袂を分かつ。前者は無限の泥に力なく沈み、後者はびっくり箱的な早業で文明の利器の中に消える。文明の利器から鼻歌のつづきが漏れ聞こえる
『天国は館よ・・・・・・』
――それに、あの人は物腰がしなやかで落ち着いていて、おそろしく知的で、気配りが出来て、筋金入りの無知蒙昧が相手でも鋭くしかしひそやかに刺さる効果覿面な助言の数々をさりげなく伝える、簡潔かつ痛烈に、毅然としてきっぱりと、矢で射るように鋭く次から次へと蒙を啓くのさ。その物腰にはタバコがつきもの、あの人は大事に取っておいた吸殻をほぐしてのんびりとシケモクを巻く。(だからアフリカのポケットはいつもぱんぱんだった)。老いちゃいないが若くもない切れ者らしい顔は灰青色の炯眼を二つしっかと抱き、開けっぱなしの小部屋の戸口から俺たちを見据えている。小部屋は厨房の奥にあって、新しい薪木の言いようもなく清潔でやわらかな香りに包まれている。でも薪割りは格好だけ。本当のところはアフリカとのおしゃべりを楽しみに、殺風景でずぶずぶぬかるんだ中庭を抜け出して、(料理人殿が隙を見て手引きしてくれるんだ、見張り役になってね)砂糖みたいなものを入れたコーヒーみたいなもので一服するんだ。これは偏に料理人殿が俺たちをドイツ人だと思いこんでいたからであって要するに俺たちの健康維持は彼自身が料理人且つドイツ人であったことのお蔭をこうむっていたというわけ。
アフリカは新聞の話をする、各紙とも真実を伝えないことにどれだけ腐心していることやら、かと思えばそういや俺は二メートルもある槍で武装した原住民に寝首をかかれそうになったことがあるんだ、昔々世界のあるところでな、それはそうと俺の見当じゃドイツ軍はスイス経由でフランスに進軍するぜ、そうだアラビア語のものの数えかたと罵りかたを教えてやろうか、ところで仏南部にいたころはよろず屋しながらの放浪を満喫したもんだよ、小さな村のはずれの木陰で草枕して・・・・・・
すると料理人はひとつ唸って、散らかり放題に刻んだキャベツから老いた目を離さずに、
『急げ、看守のおでましだ』
のんびりしたものさ。居心地よく暖かいところなんて厨房のなかぐらいのものだもの。アフリカの性格は飛耳長目というのかな、とかく行った見た察したお見通しだ百も承知だってね――それもかじっていれば、これも嗜んでいる、もっぱらなんでもいけるんだ。政治談義とくれば独壇場、アフリカは異論を挟む隙もない比類なき弁士だった――もっともラ・フェルテに来てからは、ここにもアフリカを閉口し果せる者は無いが、無償提供される意味深な見張りの目は無視できない。でも新聞と政治の話なら大抵の場合、アフリカはけろっとした顔で、俺の親指二本分の分厚さの本にも収まらないほどしゃべるんだぜ――。
『なに、水を汲んできてくれたもんで、コーヒーでもいれてやろうかと』
料理人殿もとい料理人殿が場を取り繕ってくれても、看守は断固としてお前たちは二階へ上がる時間だ。アフリカは煤色の大鍋を忙しくかき混ぜながら、俺たちに大仰なウィンクをくれてまた静かに歌い出す。
『かみさま、豚みてえに飲んだくれ・・・・・・』
愉快な炊事場の話をした以上、不愉快な黒パンの話もするのが筋だろうな。あいつはベルギー人だった、ということは夜となく昼となく噛みタバコをもぐもぐしては唾を吐くわけだ。図体ばかりでかくなった百姓みたいな言い様もなくのっぺらした面ぶらさげてさ。あいつがはっきり発音できた英単語は「おれも」の二つきりだった――どこぞで金をこしらえた誰かがタバコを配給したときのことだ。さきに言っておくけどあいつにつけた名前はある超自然的な音響というか、濁声の絶叫とでもいったほうがいい音の短縮形なんだ、声の主は監督官で中庭に面した小窓から身を乗り出して幸運な幾人の名前を呼ばわったんだがどうやら連中の手紙が(無論しかるべく開封、閲覧されて、内容も書記官、またの名を二足歩行の弱視の承認も得ている)外界の密儀からどういうわけか弾かれてしまったらしい。監督官は、彼のがたがた震える眼鏡が手紙か郵便葉書を検分し終えると――泥の中で、かろうじて聞こえるか否かのつぶやき声に、男たち全員が息を殺して耳をそば立てるなか――見事に(彼以外の全員を心底がっかりさせた)発音してみせた
「狂負うパン」
するとこの十フィートの人物が黒いゲートルをぎちぎち言わせてぎこちなく前進し、噛みタバコを無理くり押し込んだにたにた笑いで応じたんだ
「あい、監督官殿」
あと言うことといえば、あいつは完全なまぬけで、性根が偏屈で、周りも類は友を呼ぶで同じ国籍と偏屈ぶりとまぬけっぷりを分かち合っていたけどそんなのいちいち思い出しちゃいられない。あいつはベルギー人、それが全てさ。あいつの身になにが起こったかとかどんなまぬけで偏屈な罪を犯して仏政府の慈悲深い思し召しのもとラ・フェルテで苦行の日々を送っていたかなんてことに拘うほど俺は親切じゃないんだ。
そういうことにしておこう、なんせこっちのツテに関しては俺の詮索も徒労に終わってね。もう読者諸賢はお気づきの事でしょうけど。眠れる謎は寝かしておくに限る、と思うよ――いやじつは俺じゃなくて、説明できないことがあるのを手抜かりという雰囲気でまとめることになったのは遅すぎた男のおかげなんだけど。なんせ彼は、あの金髪で飢え死しそうな血色悪さの風体で、しっかりと働いたがために(オーケストラの一員としてね)パリの千秋楽の後で逮捕されたことを分析するまでもなく明らかに生恥と感じていたからね。それはまあともかくとして、この特異な連中の肖像描写は遅すぎた男の一言を借りて締めることにするよ、連中を一括りにするのにぴったりなんだ。
「どいつもこいつもワケありさ」
(第41回 了)
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