Interview:鶴山裕司著『夏目漱石論―現代文学の創出』出版記念(2/2)
鶴山裕司:一九六一年生まれ。著書に詩集『東方の書』『国書』(力の詩篇連作)、評論『夏目漱石論―現代文学の創出』などがある。『正岡子規論-日本文学の原像』近刊。
寅間心閑:一九七四年生まれ。大学卒業後、少々不安定な時期を経て会社員になる。労働と飲酒の合間を縫って、日々鋭意創作中。
■小説の心理描写について■
寅間 どんな本が売れたかでしか、手がかりは掴めないような気がするんですが。
鶴山 そうですね。ただ純文学の世界では賞に頼り切りになっている面があります。貴重な財産である有名文学賞受賞のインパクトで時間稼ぎをしているような気配がなきにしもあらずかな。一方で大衆文学も本がだんだん売れなくなってきている。宮部みゆきさんや江國香織さんなど売れっ子作家は女性作家が多いですが、本が厚くなっているでしょう。本一冊の単価を上げようという気配がちょっとあります。でもそれはあんまりいいことじゃないなぁ。
宮部さんの『ソロモンの偽証』は四千七百枚の大長編で、読んでいる時は面白いんだけど、読み終わってしばらく経つと「ん?」という感じになる。あれはイジメを疑われた同級生の男の子が校舎の屋上から転落死した、その死の真相を突き止めるために中学生の女の子が校内裁判を開く話なんだけど、ものすごく乱暴なことを言うと、自殺した子が一番の問題だったというオチになっている。三人称複数視点小説で章ごとに主人公が違うわけだけど、全編を通じて心理描写小説です。つまりAという人物の心理を細かく書けば書くほど、Aという人は頭がよくて繊細な感受性を持っていることにならざるを得ない。それをB、C、D・・・と続けてゆくと、心理を細かく描写した人たちに悪い人はいなくなってしまう。残るは自殺した子ですよね。最後までブラックボックスになっているのは自殺の真相なわけだから。
そうすると原因はイジメじゃなかったということになる。自殺した子の心の闇に物語のオチを背負わせるのは小説としてはアリだけど、それを描くのに四千七百枚必要かね、と思います。要するに引っ張り過ぎ。裁判は基本、白黒つけるために開かれる。だけど被告も偽証した人も、誰もかれも悪くないという情操教育小説になっているのはやはり納得できない。これは心理描写小説の罠だな。宮部さんというとても優れたベテラン作家にして、小説の罠にはまってしまったという感じがします。
近代小説では一人称一視点であれ三人称一視点であれ心理描写が中心になりますから、基本的には馬鹿が出てこない。心理を細かく書けば書くほど、主人公は利口で繊細な人間になってゆく。逆に言うと、小説で一番難しいのは馬鹿を描くことかもしれません。カポーティは偉いなと思うのは『冷血』には馬鹿しか出てこないでしょう。あるいはフィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』。村上春樹さんが、一番偉大なアメリカ小説は『ギャツビー』だと言ったけど全面的に賛成です。ギャツビーは愚か者なんだな。浮気者のフラッパーの女に惚れてしまう。その女の気を惹くために危ない商売で金持ちになって、毎晩パーティを開く。女は来るけどすでに子持ちで相変わらずの浮気者。ギャツビーは結局女が起こした自動車事故のとばっちりで殺されてしまう。あの小説、ギャツビーの心理を書きすぎると、彼はいいヤツで頭のいい人になってしまう。絶妙なところでギャツビーの心理描写は止まっているんです。フラッパーの女も同じです。心理を追いかけすぎないから、悪女ではない、いい人でもない、ただ流されているだけの若い女の姿が浮き彫りになる。あるいはフロベールの『純な心』ね。あれは文盲のフェリシテという女中の話なんだけど、甥っ子が南米に行ってしまう。フェリシテは甥っ子が行った場所を知りたくて、女主人の友人の男に世界地図を見せてもらい、甥のいる場所を指さしてもらう。「ここですよ」「でも甥の姿が見えませんが」といったやりとりがある。そこで描かれているのは文字通り純な心なわけだけど、それは愚かさと紙一重です。フラッパーに惚れたギャツビーと同じですね。夏目漱石の小説では『坊っちゃん』の清がそういう人ですね。坊っちゃんが田舎に赴任すると言うと、「箱根の手前ですか、先ですか」と聞く清い女性ですから(笑)。小説ではあまり頭のよくないぼんやりとした人間を、くっきりとした輪郭で描くのが一番難しいんだな。
漱石さんは中期以降は理知的な人物しか登場しない小説を書くようになって、それがピークに達するのが遺作で未完のまま終わった『明暗』です。あの小説の登場人物は主人公はもちろん、サブ登場人物に至るまで全員頭が良くて繊細です。誰が言っていることも正しいし、一理ある。心理描写中心の複数視点小説では「誰も悪くないよね」になりやすいんですが、『明暗』では登場人物たちの感情と利害が激しく対立したままです。つまり誰もが正しいけどその正しさは相対的で、いつまでもいがみ合うことになってしまう。
これをどうまとめるのかは非常に難しい課題で、未完なので推測に過ぎませんが、現実世界で展開する物語の審級を変えてやるしかないだろうと思います。実際『明暗』では主人公の津田がかつての恋人・清子を追って湯治場に行くんですが、最初のシーンから現実が幻想化して見えるという描写があります。温泉の洗い場の鏡に写った自分の顔を見て、津田は「幽霊のようだ」と思う。つまり理知的には誰もが正しい『明暗』という小説に落とし所をつけるには、ある瞬間に登場人物たちの心理が現実を離れて、無意識領域でなんらかの真理を同時把握するしかないと思います。これを小説でやるのは難しい。僕は漱石が長生きしたとしても、『明暗』一作でそんな離れ業が出来たとは思えない。漱石さんは『三四郎』『それから』『門』、『彼岸過迄』『行人』『心』と三部作を書けば作品レベルが上がってゆきますから、『明暗』から始まる三部作を書けば、完成した小説に仕立てられたかもしれませんが。
いずれにせよ、近・現代の心理小説では書けば書くほど謎がなくなってゆく。だから一方で、事件によって物語を動かすという方法があります。東野圭吾さんの『容疑者Xの献身』では冒頭で謎の殺人事件が起こり、中盤で最初の殺人のヒントとなる殺人が起こり、終盤で証拠隠しの殺人が起こって犯人が捕まる。殺人のような決定的な出来事が起こってしまえば人間心理の動きはガラッと変わります。つまり物語が勢いよく動く。でも事件で物語を動かそうとすれば、殺人以上のインパクトはないでしょうね。女と別れたくらいじゃ物語の動力としては弱い。別の仕組みを考えなくちゃならない。
寅間さんの『助平ども』では主人公とナオという恋人が、最初は異和があったんだけど、心理描写を重ねるうちにどんどん同化して来ているでしょう。つまり謎がなくなってきている。小説ではどこかで謎を残して物語を引っ張らなきゃならないわけで、主人公の妹と親友の安太が鍵を握ることになるかもしれませんね(笑)。
寅間 心理描写をやり出すと、小説が平坦になるというのはよくわかります。
鶴山 演劇では唐十郎さんの作品なんかはすんごく台詞が多いんだけど、観客はほとんど聞いてない。あるいは早口で言わないと劇が終わらないので、俳優が早口で言うから聞こえない。ある言葉だけが記憶に残る。演劇はそういう言葉の使い方ができるんだけど、小説は全部読まれちゃうからね。無駄な部分がない。あるいは作家は無駄な部分を作れない。
寅間 そうですね。あんまり熱心に読んで欲しくない箇所を、フォントを小さくして印刷することはできませんから(笑)。
鶴山 小説では実は強調するポイントがない、作れないんだね。下手な作家はここがポイントですって箇所が浮いちゃうけど、それではダメなんで、基本は淡々と物語が進みながら読者に衝撃を与えなければならない。もうこのくらいで十分なんじゃないですか?
■漱石の『坊っちゃん』について■
金魚屋 まだ『漱石論』の話が出てないので、それをやってください。今回は鶴山さんの『漱石論』出版記念対談ということになってるわけですから。
鶴山 ああそうか。じゃあもうちょっと。寅間さんは漱石は読みますか?
寅間 昔から『坊っちゃん』が好きです。
鶴山 漱石作品で文学として一番重要なのは『明暗』だと思いますが、僕は漱石の一番の傑作は『坊っちゃん』だと思います。『坊っちゃん』は一週間くらいで書き飛ばした百五十枚くらいの小説です。そうすると傑作ってなんなのか考えちゃいますね。時間と労力をかけた作品なら傑作になるかと言えば、そんなことはない。宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』だって七十枚くらいでしょう。今は枚数ということにうるさくて、単行本にするなら私小説でも百五十枚は書いてくれ、新書なら百八十枚必要とか本にするために作品を引き延ばす傾向があるでしょう。それは決していいことではないなぁ。
『坊っちゃん』は様々に評価できますが、単純に言うと、明治時代に『坊っちゃん』が書かれていなければわたしたちの明治時代のイメージが変わってしまう。明治を代表するのは『舞姫』か、『金色夜叉』かってことになってしまう。どれもピンとこない。坊っちゃんは功利主義と立身出世主義の明治現代を嫌い、かといって江戸に退行することもできない中途半端といえば中途半端な青年です。そんな坊っちゃんが田舎に教師として赴任して、功利主義と立身出世主義に染まった同僚たちと戦って、戦い敗れて東京に戻ってくる。坊っちゃんは社会との戦いに負けるんです。でも坊っちゃんには帰る場所がある。血のつながりのまったくない女中の清が坊っちゃんの帰る場所なんですね。
あの小説では金でも肉体でもない無償の愛が描かれている。それは漱石だけでなく、人間にとっての一つの理想的な愛の形です。また明治の人たちは功利主義と立身出世主義に染まりながら、それを頭から是とは思っていなかった。それへの違和感が『坊っちゃん』で鮮烈に表現されています。明治は現代にまで続く日本近・現代社会の青春期であるわけですが、『坊っちゃん』があるとないとでは日本社会の青春の質が変わってくる。その意味で『坊っちゃん』は明治という時代を規定してしまうような作品です。それは文学作品にとっての最高の栄誉です。漱石は『坊っちゃん』一作でも文学史に残る作家だと思いますよ。あの作品では坊っちゃんと、功利主義と立身出世主義を体現した赤シャツだけ最後まで本名がわからなくて、山嵐、うらなり、野だいこ、マドンナらは本名が書かれている。漱石は意図してそうしたわけではないと思いますが、優れた作品はその末端まで整合性が取れている。小説を書くなら、これもちょっとだけ考えてみていい問題でしょうね。
寅間 僕は『坊っちゃん』の文体が好きだったんです。ビビッと来るものがあり、読みやすくて好ましいから、学生の頃から何度も読んでいました。内容にはそんなに感化される部分はなかったですが、あの文体はフィジカルに気持ちがいい。もちろん内容と文体のバランスが取れているから気持ちよさが生まれるのだと思いますが。
鶴山 漱石はとても頭のいい人ではありましたね。僕は子規・漱石・鷗外論を書いていて、実は大昔に書いた原稿を大幅にリライトしているだけなんだけど、読書の順番で言うと、子規、鷗外、漱石の順に頭から尻尾まで全集を読んでいった。漱石を読んだときに、パッと現代に出たという感覚がありました。漱石は僕らとほぼ同じ現代的感覚を持っている。子規は本質的に俳人だからちょっと置いておいて、同じ散文家の鷗外を例にすると、鷗外の知性の基盤は江戸にある。彼は五歳くらいで四書五経をすべて暗記していました。江戸の子弟は素読と言って、読み方だけ教えてもらってまず四書五経を暗記するんですね。全部覚えてから、じゃあ意味を教えましょうという講読になる。こういう教育方法は明治以降にほぼ消滅しました。じゃあ丸覚えから意味を獲得するという教育方法がどういう作家を生み出すかというと、鷗外が典型的で、彼は書きながら考える作家です。文学だけでも鷗外の著作は多いですが、彼の本業だった衛生学とか帝国博物館時代の書き物を含めるとその量は膨大になる。
鷗外は一般的には歴史小説家ということになっていますが、晩年精魂傾けたのは史伝です。史伝は一種の伝記で、渋江抽斎や伊沢蘭軒、北条霞亭といった、幕末群小儒者たちの人生の機微を詳細に調べて書いていった。ここには考えてみなければならない鷗外文学の本質があります。もし鷗外が歴史小説を書きたかったのなら、最後まで歴史小説を書いたでしょう。でも最後まで彼がこだわったのは史伝だった。そして史伝には書きながら考えるという鷗外の資質がはっきり表れている。もちろん読んで面白いものではありません。実際最後の史伝『北条霞亭』は新聞連載されていたのですが、読者から「なんでこんなつまらないものを新聞に載せるんだ」という投稿が殺到して連載打ち切りになってしまった。鷗外は帝国大学誌に場所を移して連載を続けたのですが、最後は佐佐木幸綱の歌誌「心の花」しか連載場所がなくなってしまった。「あなたは今や文豪ですよ」と鷗外さんに言ったら、じゃあもっと生前大事にして欲しかったと言うでしょうね。ただ漱石が今目の前に座っていても普通に話ができるでしょうけど、鷗外さんが目の前にいたら、僕は「先生、勉強させていただきます」と言っちゃいそうだな(笑)。彼は僕らが決して獲得できない江戸的知性を持っていた。江戸と明治現代が交わった希有の人です。
鶴山裕司詩人論『詩人について-吉岡実論』
【目次】Ⅰ 詩人について/Ⅱ構築論・解体論/Ⅲ 引用論・他者論/Ⅳ 作品論・言語論
逆に言うと、漱石は僕たちと同じく考えてから書く人です。それは彼の活動期間を見てもわかります。漱石は満年齢で言うと、三十八歳の時に『吾輩は猫である』の第一回を発表した。当時の三十八歳は今で言う四十五から五十歳くらいの感覚だと思います。実際彼は四十九歳で亡くなってしまう。ちょっと早いですが、当時はそのくらいの年齢で亡くなるのは決して珍しくなかった。実質的な活動期間はわずか十二年です。ただその間に信じられない量の作品を書いた。その上同じことを二度繰り返さなかった。漱石さんの偉さはそこにあると思います。ただ上手い小説を書いた作家かと言うと、そうとは言えないと思います。漱石代表作は『心』になっていますが、実にバランスの悪い作品でしょう。前半と後半でパックリ小説が二つに割れてしまっています。今文學界新人賞に応募したら落選するんじゃないかな(笑)。僕らが小説の常識と考えているものがすべて額面通り正しくて、これからもずっと続いてゆくんだと考えるのは危険です。もちろん好き勝手やっていいという意味ではありませんよ。ただ今は、十分文学に関するいろんな常識を疑ってしかるべき状況になっているという気がしますね。
■時代を読むということ■
寅間 鶴山さんの『漱石論』は漱石作品の抜粋があり解説がありという構成ですから、ちゃんと漱石を読みたいなという気持ちになりました。漱石が現代文学のベースになっているわけですね。そんなベースをまったく無視しても、いい作品は書けないような気がします。
鶴山 もちろん近代小説の書き方を、漱石一人が作ったわけではありません。よく知られた作品で言うと、島崎藤村の『破戒』は文学的価値の高い初めての言文一致体小説ですが、これが出たのは明治三十九年(一九〇六年)で漱石の『猫』上篇よりも早い。『破戒』は自費出版ですけどね。藤村はまた、明治三十年(一八九七年)に『若菜集』を上梓しています。これも自費。維新以降の個人詩集で初めてのまともな自由詩詩集が『若菜集』です。つまり藤村は詩と小説両方で画期的な仕事をしている。結果を出しているわけです。でも近代文学の祖に藤村は入ってない。漱石、そして古くさいのに鷗外、それから詩のジャンルでは子規が入ってくる。これは面白いことだと思います。
鷗外は明治二十三年(一八九〇年)に『舞姫』を発表して一躍文壇のスターになる。だけどその後、ほとんど小説を書いていません。鷗外が本格的に小説を再開するのは明治四十二年(一九〇九年)の『半日』からです。二十八歳で『舞姫』を発表して、四十七歳になるまでほぼ二十年近く小説を書いていないんです。この間鷗外は何をしていたのか。文学と哲学の評論を書き、アンデルセン『吟遊詩人』、ゲーテ『ファウスト』などの翻訳をやっていた。つまり考えていた。このあたりは文学者の勘だと思います。鷗外は『舞姫』でチヤホヤされたわけだけど、「今のままでは行かないぞ」という予感をどこかで持っていた。実際そうなった。藤村『破戒』、漱石『猫』以降、小説は言文一致体が動かしがたい基盤になり、それ以前の文語体小説はほとんど前時代の遺物のようになってしまった。文学は結局はその繰り返しです。人間は頭では現状が徐々に衰退しているとわかっていても、今の状態がずっと続くだろうと思う、あるいはそう信じたい。でも続かない。必ず大きな変化が起こる。それを捉えられるかどうかを含めて文学者の優秀さだと思います。
漱石は小説『野分』で、明治四十年代までに活躍した紅葉、幸田露伴、樋口一葉らの文語体作家は全部文学史から消えるだろうと書きました。明治四十年までは試行錯誤の過渡期で、僥倖と偶然で作品が評価されるからだと書いています。面白いことに、鷗外もほとんど同じことを言っています。鷗外は露伴と仲が良かったので遠慮していますが、明治の作家で残るのは子規くらいで、紅葉や一葉、それに鷗外自身の作品は残らないだろうと書いている。鷗外さんはちょっとひがみっぽいところがありましたから自分も含めたんでしょうね(笑)。
後から考えると問題集の答えを盗み見た小学生みたいにはっきり解答がわかるわけですが、尾崎紅葉が死んだ明治三十六年(一九〇三年)くらいの時点で、小説が絶対的に言文一致体に移行するという確信を持ち得た作家はほとんどいないと思います。明治で一番売れた小説は『金色夜叉』ですからね。明治の雑誌や新聞を読めば一目瞭然ですが、文語体純文学作家は腐るほどいた。大衆小説家はもっと多かった。当時は滝沢馬琴調のテンポのいい文語体小説が多かったですが、内容は現代の大衆小説とほとんど変わらない。でもそのほぼ全員が消えてしまった。次に何が起こるのかは、知性と感覚を研ぎ澄ましていないとわからないということです。それを為し得た人が当たり前のような顔で文学史に残っているわけだけど、同時代的に見ると彼らは非常にリスキーなことをしていた。人生は短いですから既存のレールに上手く乗った方がいろんな面で楽なんです。だけど今の状況がずっと続くと信じるのは危うい。今は戦後のアンシャンレジュームが文字通り根底から崩れようとしている時代でしょう。しかも高度情報化社会、高度資本主義社会と人々の知性、感性の折り合いがついていない。みんなSNSは昔からあったように思っていますが、盛んになったのはここ十年くらいです。その使い方や影響力を含めてまだ大混乱している。明治維新期ほどではないと思いますが、現代はそうとうな変革期だと思います。
またそれは小説の世界だけの話ではないです。僕は詩を書きますが、自由詩が完全に確立されたのは萩原朔太郎『月に吠える』以降です。大正六年(一九一七年)刊ですが、小説で言文一致体が確立された時期より十五年ほど遅い。それだけ自由詩の原理を見つけ出すのは難しかった。『月に吠える』は文学的価値の高い、読むに耐える最初の言文一致体自由詩ですが、朔太郎がどこから出てきたのかというと、北原白秋門です。白秋門には三羽烏と呼ばれる詩人がいて、朔太郎、三好達治、吉田一穂です。三好さんは最後まで文語体詩でしたね。文語体の感性が影響したのかもしれませんが、太平洋戦争中に翼賛詩をたくさん書いて、戦後に吉本隆明から戦争責任を厳しく糾弾されました。それはともかく『月に吠える』の序はお師匠さんの白秋が書いている。「萩原君。何と云つても私は君を愛する」で始まります。つまり白秋は『月に吠える』の表現が大きな批判にさらされるだろうことを予感して、あらかじめ朔太郎を擁護した。まさにお師匠さんですね。頭が上がらなかったでしょうな(笑)。
鶴山裕司著 『詩誌「洗濯船」の個人的研究』
【目次】Ⅰ はじめに/Ⅱ 詩誌「洗濯船」の個人的研究/Ⅲ 詩史一九七〇-二〇一〇/Ⅳ 「洗濯船」資料集
ただ大正六年の『月に吠える』まで詩人たちが何もしてなかったわけではありません。ありとあらゆる試行錯誤を繰り返していた。画期的な成果としては、明治四十二年(一九〇九年)に白秋の『邪宗門』が出た。意味的な内容はともかく、文語体の修辞としては完成されています。明治四十年代には白秋と三木露風を双璧とする白露時代があったわけですが、どちらも文語体詩で当時は象徴主義詩だと言われていました。当時の評論などを読めばわかりますが、詩人たちはみんな、「ああこれからは白秋調の文語体詩になるんだ」と思っていた。そのくらい完成度の高い美しい詩だった。で、安心しきっている時に朔太郎が現れた。彼の詩はぜんぜん美しくない。「地面の底に顔があらはれ、/さみしい病人の顔があらはれ。」で始まるわけでしょう(笑)。でもこれが決定打になった。『月に吠える』一冊で、文語体詩から口語自由詩へ、また形式的にも思想的にもまったく自由な詩へと、オセロのように黒から白へダダダッと変わってしまった。それは考えなければならない文学の面白さ、恐ろしさだと思います。決定打が出たと思うのは甘いかもしれない。本当の決定打はみんながこうだと信じた次の段階で出るかもしれない。こういう機微を知るのが近代文学を読み、論じる際の醍醐味でしょうね。
漱石が好きかどうかとか、彼を先生として尊敬しているとか、そんなことはどーでもいい。変革期には何が起っていたのかを知り、そこから今何が起ころうとしているかを知ることが一番重要です。文学は古くて新しい表現ですから、それを探るのは明治文学を対象にするのが一番いいと思います。戦後文学は戦中の自由の抑圧から解放されて、華々しいジャーナリズム時代になりましたが、それを支えた作家は谷崎潤一郎や川端康成、志賀直哉といった戦前から活動していた作家たちでしょう。三島由紀夫くらいから戦後世代になるわけですが、読めばわかりますが、文体は漱石からバラエティ豊富だった谷崎あたりまでを基盤にしていて、そこに現代的風俗や思想を乗せていった。そんな引き写し状況がずっと続いたから、戦後文学は緩やかな弧を描いて衰退していったわけです。詩の世界では戦後に戦後詩とか現代詩が生まれたわけですが、戦後詩が基盤としていたのは、吉本隆明が指摘したように戦前のプロレタリア詩です。現代詩の基盤になったのは戦前のモダニズムやシュルレアリスムでしょう。戦前に戦後文学の基盤がある。原点を考えるなら、明治文学に現代の混沌とした状況を考えるための大きなヒントがあると思います。
文学は突然出現した一人の作家の作品で、ガラリと状況が変わってしまうジャンルです。でも漱石や朔太郎は偶然出現したのか。偶然じゃないですね。漱石は三十八歳まで英文学論などを書きながらグズグズ考えていた。鷗外も小説家としては沈黙し、考える続けることで明治初期の文語体作家の中で、四十年代以降に生き残った唯一の作家になった。朔太郎は『詩の原理』という評論集を書いています。理論としては不十分ですが、彼は詩の原理を考えていた。戦前の自由詩の世界で朔太郎に比肩できる原理的な仕事を残した詩人は一人もいない。文学はすべて人間の意識表現ですから、偶然素晴らしい作品が生まれることはありません。特に継続的に秀作を書き残した作家は書く前に十分考えている。
僕らは今現在生きて活動しているから、あらかじめ特権的な立場にいます。伊藤左千夫、たいしたことないね、『野菊の墓』だけだろ、長塚節は『土』だけだよね、とか考えたりする。でも文学史に残っている作家は、ほぼ全員、僕たちよりも優秀だったと考えた方がいい。今目の前に座っていたら厄介な連中ばかりです。そういう肉体感覚をもって過去の作品を読み、考えてゆかなければなりません。そうしないと人間が時代の変化の機微をどう捉えてゆくのかがわからない。そして人間の全盛期は恐らく十年くらい。決定的な何かを始める際には何かを掴んでいないと難しい。
時代の変化を読めない、取り残されてしまうのは恐いことです。文学全般の大きなフレームで言うと、短歌俳句は古典文学で日本文学の基本ですね。歌壇・俳壇内で斬新で、前衛と呼ばれるような表現は生まれますが、文学全体から見れば短歌俳句は前衛ではない。その最大の特徴は古典的表現にあります。自由詩は明治維新で漢詩と入れ替わるように登場した文学ジャンルで、漢詩が中国経由の新しい用語や思想を日本語と日本文化に移入していたように、維新以降は自由詩が中国に代わる新たな文化規範になった、欧米の用語や思想などを移入し続けた。実に乱暴で生硬な移入も数多くありました。ただ詩人たちはモダニズム、シュルレアリスム、未来派、コンクリートポエムなどを手当たり次第に取り入れて日本語で表現してゆくことで、日本文学における前衛表現、アンテナ文学の地位を確立していった。でもその大きなフレームも崩れ始めています。詩人たちは、もはや現代の前衛がどんな言語表現で作品であるべきなのかわからなくなっています。近過去の戦後詩や現代詩に固執し続けている。じゃあ抒情に戻るのか。詩の世界は戦後一貫して谷川俊太郎を冷遇してきました。谷川さんは素晴らしい詩人ですが、基本抒情詩です。ものすごく乱暴なことを言うと「うれしい、悲しい、さみしい」を表現するのが抒情詩です。その抒情のあり方は万葉の時代からまったく変わっていない。抒情詩は後衛だということです。不細工な表現であっても「絶対なる太陽氏よ」といった、わけのわからない、だけど確かに現代を捉えた表現が前衛文学を牽引してきたのです。
迷走しているのは小説も同じです。小説では少し前に前衛ブームのようなものがありましたが、詩人から見れば現代詩の方法を密輸入しただけの小説です。物語的な意味として現代を捉えられない小説家が前衛を装おうとすれば、修辞、レトリックに頼るしかない。でもそれはすで詩がやったことだし現代の本質でもない。現代を捉えられない状況で前衛が存在するわけがない。現代が捉えられない状況では目先の味方と敵しかいない、「いいね」してくれる人とそうじゃない人しかいない、売れる本と売れない本の二項対立しかありませんね。だから思想も感性も近視眼的になる。でもそれはコロコロ変わってゆく。そして本当のところ、誰もそんな表層的な入れ替わりを現代の本質だとは思っていない。小説でも詩でも一定のセオリーはあるから、アンチでそれを崩すことはできる。そうすると前衛的に見えないことはない。でも僕らが知りたいのは〝No〟ではなくて〝Yes〟なんだな。現代を捉えてそれを肯定的に表現できなければ前衛足り得ないんです。じゃあ現代を捉えられない文学者はどうなってゆくのか。肉体は生きたまま精神が死んでゆくような状態になります。六〇年代七〇年代八〇年代に優れた仕事をした文学者はたくさんいます。今も活動しておられます。だけど現代を捉えられず自らの表現を更新できなければ、過去の仕事はあっというまに古びてゆく。それは本当に恐ろしいことですね。
さっきから現存作家のお名前をあげるのをできるだけ避けていますが、一人くらいあげた方がいいかな(笑)。西村賢太さんは私小説作家ですが、すごく優秀だと思います。私小説作家は基本的に寡作にならざるを得ない。実体験を切り売りして書いてゆくのだから当然ですね。だけど西村さんはもの凄い量の私小説を書いています。これは大正私小説全盛期から現代に至るまでなかったことです。じゃあなぜ西村さんが私小説を量産できるのかと言えば、私小説の仕組みを理解しているからです。感情の上げ下げと落とし所がわかっている。だから本当に些細な現実の出来事を題材にしても三十枚くらいの私小説が書ける。西村さんのような作家は信頼できますね。原理を押さえている。
僕は原理や方法を考えるタイプですが、文学者はあまり理屈が好きじゃないですね。やっぱり天才といった昔ながらの文学神話を信じたい。それはそれでいっこうにかまいませんが、僕は漱石派だな。漱石は「天からインスピレーションが降ってくるのを待ってたんじゃ作品は書けない、人工的にインスピレーションを起こすんだ」と言っています。僕も同じ考えです。方法とは何かを具体的に説明すると、同じ事を違うシチュエーションで繰り返せるということです。たまさかある表現が生まれたんじゃなくて、やろうと思えば何度でもできる。それを援用してゆけば当然表現の幅が拡がる。世界の捉え方の、バリエーションが増えると言っても同じです。世界は多面的ですから、A、B、C・・・といった捉え方ができます。詩、小説、短歌、俳句、演劇、評論などで世界を捉える方法があると言ってもいいですね。ジャンルの垣根を越えたり混交することはできないと思いますが、マルチジャンル作家は可能だと思います。しかしそれには原理と方法を考える必要がある。勘でだけ書いていると、たまさかはまった狭い業界に精神が閉じ込められてしまう。
寅間 音楽でも人を選ばず、誰が演奏してもいい曲が一番優れていると思います。変わった声の人が歌っているとかじゃなくて、誰が演奏しても面白い曲を作れる人が一番スゴイ。天才的な人はエキセントリックな要素が多くて真似しにくいですしね。多少下手な人が演奏してもちゃんと成立する曲が、一番作品としての質が高いんじゃないでしょうか。
鶴山 寅間さんはピアノとか習っていましたか?
寅間 ええやってました。
鶴山 何歳までやってたの?
寅間 十九歳までです。
鶴山 お坊ちゃまだったかよほど音楽が好きだったか、どっちかだな。両方か(笑)。
金魚屋 今のところまででいいです(笑)。長時間お疲れさまでした。
(2019/07/25 了)
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