エズラ・パウンド、T・S・エリオット、アーネスト・ヘミングウェイ、スコット・フィッツジェラルドらと並ぶロスト・ジェネレーションを代表する作家、e.e.カミングス。優しくて人嫌いで、前衛作家で古典作家でもあったカミングスの処女作の星隆弘による新訳!。
by 星隆弘
第五章 大部屋の面々
俺はついてた。絵描きと物書きを生業にしていたことがさ。かたや我が親友たち、どいつもこいつも油断ならなくて、たいてい裏切者で、もれなく頚椎やらなにやらがくっついたままでよかったねという連中はだ、(若干名を除けば)一単語も綴れなければ読めもしない、あまつさえ似顔絵の一つも描けないのはオーギュストさんが笑いを噛み殺して予言した通り(聞いてるこっちも期待で顔が真っ赤になるほどだった)。でもなによりひどいのは、栄えあるフランス国に刃向かう悪辣極まる陰謀に与した廉で捕まった邪悪な犯罪者たちなのにみな一ッ言もフランス語を話せないってことだった。妙だろ。憲兵当局の言うに言われぬ不滅の叡智については俺も散々頭をひねったさ、連中は――もっと頭の弱い奴らをだまくらかしたってあいつらじゃバカすぎるかマヌケすぎて大逆の計を企てる参謀役などお門違いもいいとこだとわからせたはずの正味のところには思いとどまることもなく――世界中の憲兵に許された特権だという言語を絶する勇猛さをふるって無防備な獲物に鷲掴みに襲いかかっては、同じような獲物も一絡げにしてかの強大国のラ・フェルテに送り込んでいたわけだ、すくなくとも俺にはラ・フェルテの公営獄舎のいくつかにこんな文句が掲げられていたのを見た記憶があるんだけどね
自由。平等。友愛。
ところで俺はオーギュストさんはフランスに必要な人だと思う、軍需工場の同僚たちがストライキに突入した際に(ロシア人だったせいで)捕まっちまったが、ひもじいし子供は青っ白い変なやつと悪目立ちしてくるしでパリにいる奥さんには彼が必要なんだよ。オーギュストさんって人は、上背で五フィートきっかりのこの稀代の悪党は――泣きたいのをこらえきれなくなると(奥さんや子供のことを一度や二度は偲ぶもんだろう、察するにだけど、愛していればさ――『それにうちのカミさんはかわいいやつでしてね、フランス人なんですがそりゃもうべっぴんさんで、まったく、じつにきれいなんですよ、ええ。私とは月と鼈、このとおりの田舎もんの小男に、すらっとした美人のカミさんですよ、読みも書きも、達者なもんで。それにうちの倅はね……一度お目にかけたいもんですよ……』)――すくっと立ち上がって大声で言うんだ、片手でBの腕を取ってもう片手では俺のを取って、
『さあ、ふたりとも! 「クワックワックワッ」を歌いましょう』
それから次の歌を一緒に歌う、オーギュストさんがみっちり教えてくれたやつで、これを歌うのが彼には言葉にならない喜びだった。
『アヒルがいちわ、はねをひろげて
(クワックワックワッ)
けなげなあのこにくちばしひらいて
(クワックワックワッ)
うたうよ(クワックワックワッ)
はしゃぐよ(クワックワックワッ)
Quand(綴りは著者による)』
『ぼくらのひみつはうまくいくよ
クワッ
クワッ
クワッ
クワ
ック』
今後すてきなアヒルさんの歌の恍惚郷はなんだったのかって毎回頭を悩ますことになるんだろうな。それからオーギュストさんが、まったくもって小鬼そのまんまの男が、歌の締めくくりの最後の低音に息が枯れるほど精魂振り絞ったところで反り返るほど高笑いしてたこともさ。
あとそうだ校長先生。
老いぼれてやせ細った小男なんだ。ズボンがおそろしくブカブカで。歩きだすと(おどおどびくびくしてるんだこれが)ズボンが出鱈目にもほどがあるよじれ方をするんだよ。中庭の木にもたれて、おんぼろでこれまたやせ細ったパイプをポケットにねじこんだところなんて――枝が(それも持ち主とならぶとばかでかく見える)そこから飛び出してるみたいだった――サイズを三つ分はまちがえてるほどでかい襟が突き出しているおかげで萎びた首がサイズ二つ分はぶかぶかなシャツのうえにたらりと垂らした白ネクタイと同じ太さに見える。いつも膝下まで丈の伸びた外套を着込んでいた、たぶんそういう膝付きのそういうコートを昔誰かにもらったんだろう。外套には大きな肩当てがついていた、大部屋のちんまりした三脚机に向かって黙々と書き物をしているときなんて、両肘の上から翼がにょっきりと生えたかのようだよ、やたらと大きなペンも骨ばってかぼそい手をひきずって歩いているみたいで。やはりぶかぶかのつばなし帽の先にはちいさなボタンが縫い付けてあるんだけどそれが鋲の頭みたいでね、そのせいかこのおんぼろ人形はその貧相な白髪頭が一度とれちゃったもんだから首までぶすりと鋲で打ちつけて直してあるんだなって思えるんだ、本来は頭がくっついていたほうがいいからな。この人にはどんな凶悪犯罪の容疑がかかっていたんだろう。なんの間違いか彼には口髭が三つあった、うち二つは眉毛だ。むかしアルザス=ロレーヌの学校で教えていたそうだ、妹はいまもそっちだとか。話をしているときには彼の好々爺な顔は和やかに三角形の集まりへと変じる。ネクタイは毎朝のバシン!できゅっと締まり行ってしまうと緩む、セルロイド仕込みの襟に引き回され、粛々と我が身を、敏感に世界を案じていた。食事のときにはこわばった唇の間にスープを流しこもうとして体ごと傾く。ほっぺたのありそうなところには穴ぼこが二つ。授業は皺の隙間に隠れている。双眸の老いのなかに始業終業の鐘が鳴る。彼は、ひょっとしたら、平和とか善意みたいな怪物じみたものがこの世にはあるのだと子供たちに教えていたのだろうか……若者の堕落の原因だな、間違いなく……彼は怒るということを知らなかった、終始びくびくして鈴がチリンチリンとなるような人だった。それになんでも訊きまくる人だった――アメリカに野生の馬がいたとしたら?
そうだな、たぶん校長先生は悪名轟く扇動屋だったんだろう。なんでも御承知のフランス政府には彼らのやり方ってものがあるんだろう、神様のやり方が不思議に満ちているのとおんなじだ。だけどエミールはどうなんだ?
(第29回 了)
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