女優、そして劇団主宰でもある大畑ゆかり。劇団四季の研究生からスタートした彼女の青春は、とても濃密で尚且つスピーディー。浅利慶太、越路吹雪、夏目雅子らとの交流が人生に輪郭と彩りを与えていく。
やがて舞台からテレビへと活躍の場を移す彼女の七転び、否、八起きを辻原登奨励小説賞受賞作家・寅間心閑が Write Up。今を喘ぐ若者は勿論、昭和→ 平成→ 令和 を生き抜く「元」若者にも捧げる青春譚。
by 文学金魚編集部
初年度、研究生にとって最初のヤマ場は十一月に来る。試験が行われるからだ。科目は基本的に入所試験と同じく、セリフ、発声、歌、ダンス。このうち一項目でも落とせば、荷物をまとめて即退所。劇団四季の研究生としての暮らしは終了する。結果的に同期の半数が消えてしまう大変厳しいヤマだ。
もっと言えばこの試験、一度だけではない。毎年行われる。三年目の試験は「劇団員試験」となり、合格すれば卒業証書が授与され、晴れて四季の劇団員へ、という仕組みだ。
実はおチビちゃん、雲行きが怪しくなっていた。出席率九十五パーセントを求められる中、毎朝の過酷な満員電車のせいか体調を崩してしまい、扁桃炎で一週間休んでしまう。その結果、研究所の所長さんから「虚弱体質」と言われ、「ガラスのような性格」と分析までされてしまう。
まずい、と焦った。もし試験で落ちて退所なんてことになったら、四月から今までの半年間は、いや、入所するまでに頑張ったあの時期は何だったのか!
思った以上に「一週間欠席」のダメージは大きかった。裏返せば、役者は体力勝負ということだ。確かに気力だけでは二、三時間の舞台は務まらない。体力が気力を持たせるのだ。
そうか、とおチビちゃんはようやく合点がいった。だから、午前中のレッスンはあんなに身体を動かすんだ。それなのに私ったら「虚弱体質」なんて呼ばれちゃって……。
そんな状況の中で迎えた初めての試験、おチビちゃんは妙に気負うことなく無心で頑張った。あんなに苦しんだダンスも上手くいった、気がする、かも、多分。とにかく悔いはない。あとは天命を待つだけ。それからの数日は、時間が経つのが早かったり遅かったりで大変だった。食事も喉を通らない、ほどではなかったけれど。
そして迎えた結果発表の前日、そろそろ帰ろうかなというタイミングで浅利先生にばったり出会ってしまった。
「何だ、まだ残っていたのか。早く帰りなさい。明日、ちゃんと発表するから」
「はい……」
先生の態度からは何も読み取れない。もちろん抜けがけして結果を訊くのも無理。いつも前に出ると緊張するけれど、それとはタイプの違う緊張が内側に溢れている。結局何も言えないまま、先生は立ち去ってしまった。
帰る道すがら、入所式の日に言われたあの言葉を何度も反芻してみる。
「うちの主演女優はね、みんな小さいんだよ」
あんなに嬉しかった言葉なのに、ちっとも不安は消えなかった。つくづく一週間もダウンしてしまった我が身が恨めしい。このまま明日が来なければなあ、という願いも空しく白々と夜は明ける。さあ、運命の日だ。
さすがに今朝は考えることが多すぎて、満員電車もあまり辛くない。気付けば稽古場に到着していた。
「おはよう」
「おはよう。いよいよだね」
「うん、そうだね」
みんなと普通に喋っているつもりなのに、どこか雰囲気が違う。その理由が分かっているだけに、「ちょっと、どうしたのよ」ととぼけることもできなかった。
まず一度荷物をまとめてから、貼り出された試験の結果を見に行く。落ちていたらそこで終わり。荷物を持って出ていくだけ。同期の仲間とも、浅利先生とも、この稽古場ともサヨナラだ。
さあそろそろだわ、と息を細く吐いたおチビちゃんの視界に浅利先生が入り込む。
――もう、こんな時に会うと余計緊張するじゃない。
まさか口には出せないので「おはようございます」と頭を下げる。と、近づいて来た先生が軽い調子で囁いた。
「君はわりと早く役につけると思うよ」
え、と驚く間もない。もしかしたら聞き間違いかしら、と疑いたくなるほどフワッとしたトーンだった。ということは、私、受かってるのかしら?
「あの、それって、合格してるってことですか?」
まさかそんな風に訊くことはできない。結局おチビちゃんは、さらに落ち着かない気持ちのまま、自分の運命を見に行かなければいけなくなった。
結果は、合格。
思わず力が抜ける。嬉しいというより、とにかくホッとした。明日からもまたここで、勉強を続けていくことができる。そのことに心底安堵した。
ダンスやセリフに関して、それぞれの先生から「努力している」「伸びている」という評価もいただいた。でも素直には喜べない。体力に関しては、厳重に釘を刺されたからだ。曰く、来年同じようなことがあれば退所――。やはり「一週間欠席」は悪い印象を与えていたようだ。
今回、おチビちゃんは体力の重要さを叩き込まれた。でも背筋が伸びた理由はそれだけではない。合格できなかった者は稽古場を去り、その結果同期の人数がいきなり半分に減った。スミエちゃんは受かったけれど、高田馬場の居酒屋でバイトをしている同期生は落ちてしまった。
次は私がいなくなってるかもしれないんだわ……。
そんな不安に妙な現実味があったのは、親しい人たちが何人かいなくなったから。去っていく背中にかける言葉は見つからない。もしかしたら、元々そんな言葉はないような気もする。
次の朝、退所を免れたおチビちゃんはまた満員電車で人波にもまれていた。今朝も横須賀線は満員すし詰め。いくら慣れたとはいえ、やはり辛い。でも来年、それとは比べ物にならない程の激しい波が待ち構えていることを、幸か不幸かおチビちゃんはまだ知らずにいた。
無事試験にも通り、研究生生活が二年目に入ったおチビちゃんは考えていた。役者にとって何より大切なものが体力だと分かった今、どうにかして健康にならなければいけない。「虚弱体質」なんて呼ばれないよう、身体をしっかり作り上げなければ……。
問題点ははっきりしている。どう考えても家が遠過ぎる。そして電車が混み過ぎている。毎朝あんな目に遭っていたら、おチビちゃんでなくても体調を崩してしまうだろう。
当然、改善策もはっきりしている。もっと稽古場に近いところに住むしかない。
ただそうはいっても、現実はなかなか厳しい。中学の英語教員であるお父様が家を出ることを許してくれなかった。ちなみにお父様、芝居を観るのは好きだけど、「女は荒むからなあ」と娘が役者になることも反対。本当はおチビちゃんを通訳さんにしたかった。
結局また五時起きかあ……。そう諦めかけた時、興味深い話がひらりと舞い込んでくる。届けてくれたのはダビデさん。そう、あの怖い思いをした夜、駅まで迎えに来てくれたお父様の元教え子だ。
建築家である彼が週末だけ使っている都内・下目黒の下宿に、一室だけ空きがあるという。ここなら参宮橋にも近い。これは何かの縁かも、とおチビちゃんは内心密かに盛り上がった。
もちろん、そんな縁だけではお父様も納得しない。可愛い娘が一人暮らしなんて、という親心はちょっとやそっとじゃ動かなそうだ。ならばと付属情報をひとつ。実はその下宿、近々取り壊されることが決まっている。つまり期間限定物件。案外早く家に戻ってくるかも……。
それでもお父様の答えはノー。期間の問題ではないらしい。なるほど、では更に一押し。取り壊しが決まったら即退去しなければならないので家賃は不要。即ちタダ。
とはいっても、お金の問題じゃないんだろうな、と半ば諦めていたおチビちゃんだったが、何と出てきた答えはイエス。え、イエス……? そんな現金な、と思わなくもなかったけど、とりあえずは結果オーライ。またしてもダビデさんに助けてもらった。そうと決まれば話は早い。お父様の気が変わらないうちにと急いで家を出て、いよいよ東京での暮らしが始まった。
下宿、とは他人様の家の部屋を借りること。お世話になるお宅はもちろん大きな造り。住まわせてもらう部屋は二階で他には三室あった。使っているのはそのうち二室。住人は男性一人と、週末だけ来るダビデさん。
おチビちゃんの部屋は純和風の八畳間で、引き戸を開けると砂壁に床の間が目に入る。正直に言うと結構ボロ。もちろんトイレとお風呂は共用。家賃タダなので仕方ないけれど、鍵がないのはさすがに怖かった。まあ、いつもスミエちゃんや高校時代の友達が遊びに来ていたので心強かったけれど。
暮らし始めてびっくりしたことは、そこの家主さんの正体。なんと女優の木暮実千代さんだった。ちっとも知らなかった。その頃はもう還暦間際だったけれど、木暮さんといえば「男を惑わす妖艶な女」が当たり役。初めてテレビコマーシャルに出た女優としても有名な方だ。
あまりお会いする機会もなかったが、一度だけ部屋に呼んで頂いた。もちろん、おチビちゃんが役者を志していると知ってのこと。びっくりするほど綺麗だった。大先輩が話してくれる芸能界の話はちょっと眩しすぎたけれど、自分のために話してくれること自体が嬉しかった。
おチビちゃんが見た目黒の町は、何というか妖しげな雰囲気。というのも、部屋から廊下に出て窓の外を見ると、諸事情により数年後「ソープランド」と名称変更する性風俗店がある。更に目の前の建物は「目黒エンペラー」、当時コマーシャルを流すほど有名だったお城の形のラブホテルだ。別に耳を澄ましていた訳ではないけれど、時折聞こえるのはバスルームに反響する洗面器の音。どこか大人びた響きだった。
もちろんおチビちゃんはいたって品行方正。稽古から帰ると洗濯に自炊。経済的な事情もあってモヤシばかり食べていた。
そういえば一度だけ、隣の部屋に下宿している男性が訪ねてきたことがある。しかも夜中。恐る恐る引き戸を開けると「マリファナ、すごくいいのが入ったけどどうですか?」。
すかさず丁重にお断りした。
二年目になると「劇団内バイト」も増える。公演の最中、楽屋にいて役者の衣装の管理やアイロンがけを任されることもあるし、直接公演に関わる「プロンプター」と呼ばれる任務もある。
プロンプト(prompt)は、「促す」こと。転じて、舞台の袖にいて役者が忘れたセリフや所作を教える、という意味になる。聞いただけでも難しそうだが、やってみると予想以上に難しい。セリフ忘れちゃったのかな、と思って教えてあげると、ただ「間」を取っているだけだったり、声の大きさを計算しないと、シーンとした舞台に自分の声だけ響いたり。
更に難易度が高いのは「ダメ取り」。芝居の稽古中、演出家の隣にいて次々と口走るNGをひたすらメモする任務。ひととおり演技が終わると、そのメモをガイドにして稽古を続けるのでとても重要な役割だ。時給は千円。他の「劇団内バイト」の倍額だった。
練習とはいえ基本的にノンストップ。芝居を止めることはできない。
「二十四ページ二行目、登場が早すぎ」
「二十五ページ、セリフもっとゆっくり」
「三十ページ四行目、ダメ」
等々、次々と出されるNGや修正案をレポート用紙に書きつけていく。いちいち台本を確認する時間はない。
もちろん演出を担当するのは浅利先生。正直なところ口の中でモゴモゴ喋るので少々聞き取りづらい。あと主語がよく抜ける。今の指示は誰に対してのものかが分からなくなる。今のは誰に対してですか? なんて訊くことはできない。ただ、この難しそうな「ダメ取り」こそ、おチビちゃんの得意技だったのだ。
通常ありがちなのは、浅利先生本人がメモを読んでも何のことだかさっぱり分からない、というパターン。具体的なキーワードを見ても思い出せないことがある。自分で言ったんだから分かるでしょう、というのは考えが甘い。芝居は生き物だ。
しかし、おチビちゃんが担当した時はこれが如実に少なく、稽古がスムーズに進んだ。別に英才教育を受けた訳ではなく、所謂「見よう見まね」。不思議なことに、聞き取れなかった単語でも、「ちょっと聞き取れなくて」と一言添えるだけで伝わったりした。自分でもよく分からないが結果オーライだ。気付けば浅利先生からお声がかかるようになった。
ただこれ、本来は演出部の仕事。それ以外だと劇団員か役のついていない研究生が任せられる――。そう、実はおチビちゃん、浅利先生の予言どおり、二年目から早くも役がついていた。つまり、舞台の上で演技をする立場になっていたのだ。
研究生で役についているのに、それ以外の芝居のダメ取りもするのはとても忙しい。例えば一階で自分の役の稽古をしていると、二階で他の芝居の演出をしている浅利先生に呼び出される。ダメ取りとしてご指名がかかるのだ。これはとっても珍しいこと。みんな口には出さなかったが、異例な事態だと感じていた。
もちろん名誉なことだし嬉しいけれど、ダメ取りをしている間は自分の稽古が止まってしまう。共演する同期や先輩たちだけではない。指導をしてくれる先生方にも迷惑をかける。例えば日本を代表する振付師の山田卓先生。事情は分かっているので何も言われないけれど、あまりに長く待たせる時は気が気ではなかった。
ただ、このダメ取りの才能はおチビちゃんの毎日を確実に変えていく。研究生で唯一、制作部のスタッフと食事に行くようになったし、浅利先生から必要とされるようになった。そして何より、直接その演出法に触れる時間が血となり肉となり、自分自身を成長させてくれることがとても嬉しい。
(第03回 了)
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