「僕が泣くのは痛みのためでなく / たった一人で生まれたため / 今まさに その意味を理解したため」
by 小原眞紀子
点
はるか彼方から
見降ろす僕はどれほど小さいだろう
白いノートの上に
なければ見当たらない
黒い丸い点のなかに
僕の頭と
そのなかに目と
黒くはないシャツと
少し長い脚と
高くない靴が
詰め込まれているなんて
君はわかって
手を振ってるの
どんどん遠ざかる
君こそいまや細かな粉塵でしかなく
青い空が平らな
床かなにかに見えるよ
掃除が行き届いた
だのに取り残された
僕らはそれぞれ
周囲に溶け込んで
泳ぎに行ったり
機内食を摂ったり
仲間と飲んだり
椅子を倒したり
etc…
ただ空を見上げ
地を見降ろしたときに
微小の孤独を見つける
席
椅子取り合戦なら
争って座るのがスジだろう
ゲームのルールに従うのが
礼儀というものだ
会釈もしないで腰かける
満員電車で
騒がしいのはアナウンスだけ
朝は沈黙するものだ
もはや君の席はないと言われたら
上司の手前、青ざめるものだ
昼食時以外、クーラーの下で
座りつづけなくてはならない
同僚たちへの同情をこめて
席を温めることが
生き残ること
卵を孵す鳥のように
やがて過ぎた年月が
殻を割って現前する
わずかな退職金が
巣のなかに落ちてくる
口をあけた
妻や雛鳥がわめくだろう
おつかれさま
たったこれっぽっち
八〇歳までだわね
巣に席はないので
夕暮れは外に出る
居酒屋はどこも満席で
歩きまわる方が楽だと気づく
水
ここへ来てからもう長い
朝の雑踏にも
昼の無為にも
慣れはしたが
夜のとりとめのなさ
いまこの場所のわからなさ
それには耐えず
さまよう
闇を掻きわけて
空気が変わるまで
暗さが重みとなって
腕に絡みつくまで
足で壁を蹴ると
動きが光る
流線型の矢印が指し示す
行くべきところ
帰るべきところ
そこでは皮膚で呼吸する
ぷるぷるする世界が
いつも薄青く
ときおり白く
僕の輪郭になじむ
オレンジが三つ
転がってくる
水を掻きわけて
橙色のさざ波をたて
ナイフから滴り落ちる
雑踏にむかう僕のために
乾いた世界のなかで
写真 星隆弘
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* 連作詩篇『ここから月まで』は毎月09日に更新されます。
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