ルーマニアは正教の国であり森の国であり、ちょっと神秘を感じさせる物語の国でもある。ドイナ・チェルニカ氏は作家で翻訳家、ジャーナリストだが、小説ではなく〝物語〟作家を自任しておられる。彼女の清新な物語文学を、能楽の研究者であり演劇批評家でもあるラモーナ・ツァラヌさんの本邦初翻訳でお届けします。
by ドイナ・チェルニカ Doina Cernica著
ラモーナ・ツァラヌ Ramona Taranu訳
第4章 真水にすむカエルとの会話
少女と王子たちは無言ですすんでゆきました。突然、子馬たちがなにかにおどろいておもわず後ずさりしました。少女は笑って子馬たちをおちつかせようとしました。
「こわがることはないのよ。ただのカエルよ」
「ただのカエルだって!」みどり色の生きものが、あきれたように、むっつりと少女を見つめながら言いました。
でもすぐあとでその生きものと少女は、「ごめんなさい!」と同時に言いました。
「ごめんなさいね! 怒らせるつもりはなかったのよ」少女が説明しました。
「いやちがうんだ。じつは別のことで怒っているんだ。だからいま、どんなことでもすぐに頭にきちゃう」とカエルが言って、ちいさな玉のような目をアイレとイルにむけました。「あなたのお友だちは、とてもかわいいけど、悲しそうだね。遠くからきたんだよね?」
「なんでもわかるんだね」と少女はほほえみました。
「まあね。自分でもそう思ってたよ。大失敗するまではね」カエルはふきげんそうに言って、とても暗い気持ちになったようでした。
「もしかしたらあなたたちは、とても喉がかわいているんじゃないの…」
暑さが身にしみていましたが、少女は答えませんでした。カエルのご機嫌をそこねるようなことは言いたくありませんでした。それに、近くに井戸も見えないし、泉の音も聞こえてきません。
「どうしてあんなこと、聞いちゃったんだろう。彼ら、よけいに喉がかわいちゃうかもしれないのに」カエルはひとりごとをつぶやいているようでした。
小さなカエルは泣きそうになって顔をしかめていました。でも涙をおさえて王子たちにしとやかにおじぎして、子馬たちにみどり色の前足をふってあたたかく挨拶しました。
「どうか草の上にすわってすこしやすんでください。ぼくもみんなの顔が見えるし」
「ごめんなさいね、わたしたち、いそいでいるの…」アイレとイルが同時に言いました。
「なにがごめんなさいだよ」とカエルがみどり色の頭をふりながら言いました。「水がないと、ぼくは用なしってわけ?」と少女に聞きました。子馬たちのほうを見て、「そうなの?」とまた聞きました。
カエルは突然、少女と王子たちを取り囲むようにしてなんども上へ上へとはねあがりました。みどり色の壁のようになった空気を見て少女と王子たちは笑いだし、草のうえに腰をおろしました。しつこいけど、カエルはかわいい生きものでした。それにたしかに彼らはつかれていたのです。しばらくするとカエルも落ちついて、笑いながら王子たちに言いました。
「ぼくらの世界では、お客さんに贈りものがあるときと、ないときがあるんだけど、なんにもないときでも物語一つあれば、それでおもてなしになるんだ。きっとなにかの役にたつと思うから、ぼくの物語を聞いてください」
三人の返事をまたずにカエルは話しはじめました。
「われらカエル一族は、世界中の井戸を守っているのです。ついこのあいだまでぼくが守っていた井戸は、野原の生きものにも、深い森へむかう旅人たちにも求められて、みんなにほめられていたんだ。まあお水がおいしいから、あたりまえだけどね」少しほこらしげにカエルがつけくわえました。
「ぼくの井戸のお水は清らかで、どんなに疲れていても、たった一口飲んだだけで、すっきりした気持ちになって、元気になれたんだよ。ぼくがいつも井戸をきれいにして、けがれなどが入らないようにだいじに守ってきたからね。でもある日の夕方… あいつがやってきた。世のなかには本当にイヤな生き物もいるよね。あいつの匂いで息苦しくなったけど、井戸の主は、どんなお客さんでも礼儀ただしくお迎えしなければならないから…
あのけものは、泣きながらずっとこう言っていたんだ。
〈ああ限界だ。どうやって生きていけばいいのかわからない。ああ、ああ、もう限界だ。いつか元に戻るのかしら? ああ、あんたはやさしいね。お水はおいしいね〉
で、ぼくを抱きしめようとしたんだ。さいわいなことに、一歩さがったから、それはまぬがれた。さっき言ったとおり、あいつはひどい臭いをさせてたからね。
〈あたしのこと、信じてくれないかな〉と泣いていたよ。〈今夜ここで、元気を取りもどすために、井戸のそばに泊めてくれない?〉
ぼくはいいよと言ったけど、臭いものはほんとうに臭いから、ちゅうちょせず、すこしはなれた萩の近くで眠ったんだ。朝、コオロギとイタチの悲しい鳴き声で目がさめた。ふたりはあぜんとした顔で井戸のなかを見ていた。ぼくもふちにいって水鏡を見ようとしたけど、すぐに顔をそむけてパッとうしろに飛びのいてしまった。ふたりは涙をためた目で、ぼくを怒るように見ていた。〈もうだめだ! 臭くてたまらない! ボズガが井戸を汚してしまった!〉
ぼくは信じられなかった。なにがおこったのか、ぜんぜんわからなかった。
〈だけど一晩だけここで休みたいと言う、かわいそうな生き物だと思っていたよ。いやな臭いをしてたのはたしかだけど…〉
〈それはボズガの臭い! ボズガは臭い!〉
〈ああ、うん、ボズガ、ボズガね! でもどうして元気をとり戻してくるお水を汚すんだろう? ぼくらはあいつに、なんにも悪いことなんかしてないのに〉
… というわけなんだ、虹のむこうからきた王子たちよ、少女よ、そしてかわいい子馬たちよ。こうしてぼくは、この世にはほかの生きものに苦しみをあたえるためだけに、自分とはちがうものを汚すためだけに、生きているやつがいるとしったんだ。きれいでいいものを、ぜんぶだいなしにしちゃうやつがいるってことを」カエルはにがりきった顔で話をおえました。
「もうどうしようもないから、ぼくらは井戸をふさいだ。いまは毒の雑草が生えたらどうしようって、しんぱいしてるんだよ」
「でもお水はどうしてるの?」
「ぼくらはいま、夜の露を飲んでなんとか生きてるんだ。太陽は大好きだけど、強い日ざしはこわいよ。とは言っても、ながく我慢できるわけじゃない! あずさ弓によると、この場所の地下に泉が流れているそうだけど、どうやったら泉にとどくんだろう? 小さくて弱いこの手は、役にたたないからね」と言って、カエルはむりに笑おうとしました。
「わたしたちにできること、あるかもしれないわよ」少女はカエルをなぐさめるように言いました。
「ぼくとアレイはお水を飲まないけど、君を見すてるわけにはいかない」イルもずばりと言いました。
「井戸をほったこと、ないけど、がんばるわ!」とアイレもつぶやきました。
みんなはいっしょに仕事にとりかかりました。
夜になったころ、泉の音がきこえ、ようやくわき水の出どころが見えたのです。
「やったぁ!」少女と王子たちは喜びながらだきあいました。「カエル君、お水だよ!」
「ああよかった、よかった」とカエルは言いましたが、いつものように自分の気持ちをちょっといたずらな口調でかくしていました。「星は? 星はどこなの?」
「まだおわってないよ。もうすこしがんばろう。泥や根をほりだして、井戸の壁を固めるんだ。星の光がきれいに水鏡にうつったら、はじめて井戸ができあがるんだ」
みんなは休まず井戸をほる作業にはげみました。あかつきの星が空にかがやきはじめたころ、井戸ができあがり、星の光がきれいに反射しました。朝いちばんの星にむかかって、つぎからつぎへと、ヒバリやアライグマ、ハタネズミ、イタチ、甲虫などの地上の生き物たちが挨拶しました。ほりだされた土の上にすわっていたカエルは、ふかい感謝の気持ちでみんなを見まもっていました。井戸ができあがってアイレとイル、少女と子馬たちがまた旅にでようとすると、カエルはあたたかい笑顔で一行を見おくりました。
「ありがとう! きみたちに心から感謝するよ」とカエルはつぶやきました。「おきをつけて! それと、もし銀狐が危険をまぬかれる前に雨が降り出しそうになったら、ぼくを呼んで! ボズガにまでだまされそうなこの小さなカエルでも、いざとなればお役にたてるんだから」と、半分あまえたような声でカエルが言いました。カエルの心は、王子たちへの永遠につきない友情であふれていたのです。
第5章 コウモリがゴン・ドラゴンの話をする
とつぜんコウモリがあらわたので、かんたんにはおどろかない銀狐も、いっしゅん息がとまりました。その黒いつばさと、盲目の目を見ただけで、相手はだれなのか知らなくても、どこからきたのかわかりました。
「ま昼なのに、ゴン・ドラゴンに外で仕事をさせられる、夜の生きもの…」と銀狐がものうげに言いました。
「あいつには、夜なのか昼なのか関係ないだろ! こっちがねむいかどうかも!」コウモリはぶつぶつ文句を言いました。
「あなたが虹をわたってきたことにきづいたとき、あばれくるったのさ。うちの洞窟の天井にあったクモの巣も、恐怖でちぎれてしまったんだよ」
「へえ、わたしのことをまだおぼえているとは思わなかった」銀狐が苦笑しました。
「銀狐は、世界にただひとりだけでしょ!」と、銀狐の身体がはなつ光のなかに入らないようきをつけながら、コウモリが言いました。「ぼくらは今でも飽きもせず、あなたたちの戦いの話をしてるんだよ。ゴン・ドラゴンが火とけむりを吐いて、あなたはしっぽでそれを撃退したよね。あいつは爪でつかんで押しつぶそうとしたけど、あなたは稲妻のようにすりぬけちゃった。そして最後に、つかれはてたゴン・ドラゴンが目をとじるのをわすれて、あなたの毛がはなつ光で目がくらんでしまった。そして虹の根元にたおれたゴン・ドラゴンが怒りに怒ってさけんでいるうちに、あなたはこの世界と空の世界のあいだをつなぐ、色とりどりの道をすべるようにさっていってしまった。ゴン・ドラゴンは、いつかもし戻ってきたら、すさまじい復讐をしてやるからな! と怒鳴ったよね。だけどあなたは少しもおびえず、しずかにこう言った。〈そんなチャンスはないでしょうね。わたしが地球にかえるのは、アイレとイルが大きくなって、わたし死ぬときがきたと感じたときだけよ!〉。ぼくにはあなたの姿は見えないけど、あなたを感じてるよ。まだ若くてきれいでしょ。どうして帰ってきたの?」
コウモリはあわれみと、恐れと、あこがれがまじり合うような声で銀狐にたずねました。
しかし銀狐は自分の心に閉じこもっていて、コウモリに答えませんでした。
「ご勝手に」コウモリがため息をついて言いました。「だけどあいつをなめないほうがいいよ。ここに帰ってきたんだから、地上での一歩一歩で、あなたにしかえしをするつもりだよ。道のとちゅうで会う生きものや石とかにも、気をつけたほうがいいよ。どれがあいつのすさまじい攻撃をひめているか、わからないからね」
「それはアドバイスなの? それともおどし?」ほほえみながら、うわの空で銀狐が聞きました。コウモリのこまった顔を見て、「あんたはやさしいところもあるのね」とつけくわえました。
コウモリは、おもいなやんだように片方の翼をあげ、それからもう片方の翼をあげて飛びあがりました。影のような姿が空にとけこむまえに、コウモリは自分にいいきかせるように「多分ね」、とつぶやきました。
絵 アンナ・コンスタンティネスク
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