「僕が泣くのは痛みのためでなく / たった一人で生まれたため / 今まさに その意味を理解したため」
by 小原眞紀子
金
僕は漫画を買う
僕はりんごを買う
りんごを嚙りながら漫画を読む
僕は電気代を払う
僕は家賃も払う
電気をつけたまま眠ってしまう
外は雨が降っている
駅の脇の路地の
段ボールに住む小父さんはどうしているだろう
存外に豊かだとも聞く
僕なんかより
足りないものはないのだとも
僕だって
りんごはあるし
トリュフの味って知らないけど
屋根もある
持ち家というやつではないけど
漫画をやめて古書を読む
都立の図書館から借りたやつ
むかしむかしで始まるやつ
男はいつも幸せになる
金を糞する猫を飼ったり
王から金貨をもらったり
それで巨大な屋敷を構え
一晩中灯をたやさず
身動きするたび金のかかる
妻に四人の子を産ませる
僕にはたぶん金がなく
不幸だという幸せがある
箱
君のいる箱と僕のいる箱
箱のかたちが違う
箱の色が違う
大きさが違う
箱が違う
二つの箱の距離は
中心からの距離ではかる
君の箱の中心は君が信じる神で
世界の姿を毎夜
図像で示してくれるという
僕のいる箱はこの部屋なので
僕の箱の中心は僕
世界の姿を毎夜
つかまえようと七転八倒する
畳の上でクロールを掻いたり
夕飯後に首を吊る真似をしたり
君の箱の神さまとは
だいぶ開きがあると思うだろうけど
そうでもないんじゃないか
君の箱は八面あるって
すなわち六角形の床なんだね
それぞれの側面を誰かが守ってる
神さまの名代みたいな顔して
君はそいつらと目があうたび
にっこり笑って手を振らなきゃならない
だけど神には黙ってていい
黙って見ているだけでいい
僕の箱の六面のひとつを
僕がさっきから見つめているみたいに
平
平地に暮らせば
心はたいらかに
日々 土地を耕して
日々 種をまく
端から端まで
実りを収穫し
また端から食べていく
夕餉の湯気がのぼり
鍬を肩に帰る
平屋の家へ
転がっている子らのなかには
山を越えたいというのもいる
海へ出たいというのも
汐風に触れれば
心はあれるが
海はもっとたいらかだという
この土地よりも
平時には
魚の群れが縦横に
しずかに無尽にあるという
平地に暮らす
父は口を開きかけて閉じる
西班牙の雨だっておもに平地に降る、と
言おうとして
外国のことなど知らない
海の向こうのことなど
ただ 子らの行く末はみえる
心たいらかに
見通しのよい平地に暮らせば
写真 星隆弘
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* 連作詩篇『ここから月まで』は毎月09日に更新されます。
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