白石一文の「夜を想う人 偏愛Ⅰ」という連作が新連載となっている。
女主人公はある男性と付き合っている。男は優しく穏やかで、一億するほどのマンションに住んでいる。女の住まいは狭く、ごく普通だが、男はそこに今夜も夕飯を食べにくる。
女は昔、半同棲していた男からDVを受けたという過去を持つ。今度はそんなことのないよう、会社で彼をよくよく観察してから付き合い始めた。彼は優秀な技術者で、会社の開発商品の特許権を持ち、それによって高級マンションを手に入れた。
その土曜日、彼から急用ができたと連絡が入る。夜遅くなってやってきた彼から、15年も前に別れた妻がやってきたと聞かされる。数年おきにやってきては泊まってゆくのだ。女主人公は不安と焦燥に駆られる。
女主人公は彼と入れ違いに、彼のマンションで元妻と対峙する。風来坊のような女で、気持ちの整理がつかないまま、女主人公は彼との連絡を絶つことにする。
で、よくわからないのはここからなのだ。ここまでは、まあ、彼が同僚のサラリーマンなのに億ションに住んでるとかいうのは現実感がないにせよ、よくある恋愛風景である。エリートを捕まえたという高揚感は見られないが、それも過去の経験から慎重で冷静なのだと思えば納得はできる。
で、読者に不可解なのは、元妻の登場についての女主人公の動揺ぶりだ。別れても泊まりに来るような夫婦はいるし、数年に一度のことで、前回のときには女主人公とはまだ知り合っていなかった。今後は控えさせると、その説明でまず十分のはずだが。
小説としては、この不可解な動揺を掘り下げてゆくというあり方が考えられる。つまりこの場合のポイントは女主人公の内面にある。思わぬ形で女主人公の「普通じゃなさ」の原因が出てくれば、「偏愛」の名に値する。
だが小説はするすると、女主人公は彼との旅行に出かけ、結婚し、月日が経っている。元妻との再会があり、女同士のおしゃべりやら共感やらがある。初対面のときの緊張感は理由もなく薄れている。
とはいえ元妻は風来坊の変わり者である。小説のもう一つの展開の可能性は、この元妻にフォーカスを絞り、女主人公が元妻を観察しつつ、本質的な影響を受ける、というものだろう。男を挟んで対立していたはずが、共感し合い、一体化する。しかしこの場合には、男は凡庸である、という構造になるはずだ。
作品では、元妻は異国であっさり死んでしまう。そこへ出向こうとする女主人公を彼が止める。君にその資格はない、と。
謙遜な人間ながら天才的な技術者である彼は、実際には元妻と同様に孤独を愛する人間で、やがて女主人公のもとから姿を消す、というのが結末である。
このプロットからは、視点はつまり、元夫婦を見つめる女主人公にあるはずだが、彼らへの深い感慨も、共感はおろか憎しみもない。三人それぞれに、ちょっとずつ変わり者なだけだ。作者の「偏愛」がどこにあるのか、続く連作で明らかになることを望む。
長岡しおり
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■