川上弘美と松浦寿輝との対談が出ている。「『闇』を内包するファンタジー」というタイトルなのは、「あたらしいファンタジー」という特集だからだ。
川上弘美と松浦寿輝は、これに朝吹亮二( 朝吹真理子の父君 )を加えた三人で詩の同人誌を出しているということで、いわば身内同士といった感じだ。松浦寿輝は児童文学を書いているし、川上弘美ももともと純文学から出たという作家ではないので、まあ、フツーにファンタジーを語り合っている。
で、読んでるうちに、それとは別に、いろいろと疑問のようなものが湧いてきた。
ファンタジーというか、ファンタジーベースの小説というのは、ときどき大当たりする。これは児童文学っぽいものが、たまに大当たりするということと同義だ。
大当たりというのは「普段買わない人が買う」からそうなる、と言われる。子供とその親だけでなく、「かつて子供だった人」が買う。って、全部じゃんか。正確に言うと、「かつて子供だったことを思い出したい人」たち。いや、「かつて、そんな夢の世界で生きていた子供だったことを思い出したい人」たち。まあ、こんなところだろう。
で、そんな時たまの大ヒットって、たいてい外国のものだ。イギリスはお家芸みたいなところがある。そのコツはなんなんだろ、ってのが、皆が一番関心があるテーマだろう。 「「闇」を内包する」かどうかなんかより、さ。
シャープでラディカル。最良のファンタジーって、そういうもんじゃなかろうか。イングランドが誇る『不思議の国のアリス』は、聖書の次に発行部数が多いという。あやかりたいものではないか。聖書はタダで配ってるから、事実上の売り上げトップだ。
『不思議の国のアリス』『星の王子さま』また『ソフィの世界』といったものを見ると、どこかで思想・哲学に通じるものを持っている。そこがシャープでラディカル、に通じるのか。
日本では、よく子供番組の主題歌が当たったりする。あるいは日本版『不思議の国のアリス』ともいえる『千と千尋の神隠し』といったものが最良のファンタジーの部類だろう。哲学があるというより、何かのバックグラウンドがあって、それを上手く焼き直しする。それ自体、日本の文化の特徴をよく表しているみたいだ。
ファンタジーって観念的でピュアなものだから、いろんな本質が露わになってくるところがあるんじゃないだろうか。で、なんか日本の文壇だか、詩壇っぽいシガラミを引きずって為される、身内同士の「対談」って形式は、やっぱ「「闇」を内包する」としか言いようがないかも。
池田浩
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■