偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の連載小説!。
by 三浦俊彦
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■ おろちんぽ症候群に御注意!
「おろちんぽ」という症状が流行っています。おろちんぽとはOROCHINPO←OROCHIMPO←OROCHIIMPOすなわち「おろちインポ」の略称が訛ったもので、おろち状況で性欲が減退してしまう症状のことです。主な原因は、画質の良すぎるおろち映像の見過ぎであると特定されたのはそう昔の話ではありません。近年、Blu-rayからさらに4K ULTRA HDの普及に伴い、肛門から滑り降りるおろちの高画質アップ映像をいつでもどこでも堪能できるようになりましたね。それが仇となり、多くの優秀なおろ知がおろち文化から脱落しているのが現状です。なぜ高画質メディア環境がおろちんぽをもたらしてしまったかというと――
■ 女性は全員全裸になるよう命じられ、男性全員に目隠しをするよう命じられた。ひとりでも逃げたり行方知れずになったりしたら全員を射殺すると宣告した。
西崎辰彦販売課長は永畠から渡された要求書を館内スピーカーとSkypeで読み上げた。このような内容である。
二十四時間以内に〈あの人たちのうち最も要求を満たす三大美尻〉を外のコンコースへ連れてこい。あの人たちのうち、最もおれの要求に合う三人でいい。わかるな。三大美尻に、人質と同じ行為をやってもらう。それを各キー局はアップでテレビ生中継で全国放送しろ。生尻生中継だ。生尻生行為生中継だ。生尻生肥生中継だ。そうすればこのデパートを爆破を中止し、人質全員を釈放する。
固唾を呑んで現場の模様を撮影していた各テレビ局のカメラ班は、〈あの人たち〉という言葉の叫ばれたところで即、音声スイッチを切った。この科白は、前回の人質事件において永畠秋吉が一度だけ交換条件として口走った《反国家的科白》とほぼ同一だった。同様の科白が反復されるとは予想されていなかったため、唐突な諸単語の出現への対応はもちろん間に合うものではなく、視聴者は犯人永畠冬尚の要求の大筋を漠然と推測するところとなった。諸外国のテレビ局ラジオ局の取材班だけが、嬉々として状況を忠実に伝え続けたが、最も過敏に反応したのは、
「なんというか、わらわらと集まってきてましたよね」
「全国からね。いろんな国の人たちがねえ。キリスト教各派やイスラム教各派は自己顕示欲の強さからして予想通りとして、新興宗教各派も当然として、ふだんそういうことに目くじら立てないどっしりしたイメージ濃厚の伝統仏教各派までが大声あげてましたっけねぇ」
「陰陽道やゾロアスター教や道教や、ブードゥー教とかも来てましたっけ、ほほお、この国にこういう教科書的宗教や映画的宗教の組織がちゃんと命脈を保っていたんだ、て気づかされて勉強になりました」
「見たことのない法衣をまとった高僧というか高官というか、何種類も勢ぞろいして何とかを冒涜するな、冒涜させるなと」
「叫んでいる有様は精鋭コスプレ大会を見ているようでわくわくしたものです」
「ネットでもすぐ放送が切れちゃって残念だったけどね」
「なにやらを冒涜する卑劣なテロリストの声明を世界に放映などさせないぞ!」風な事柄を叫びながら彼らは撮影作業を妨害した。急遽即日集まってきたというのは、前回の蔦崎的《反国家的科白》の反復を予期していたものと思われるが、彼ら敬虔な宗教者たちが両事件のターゲットとして何を想像していたのかは今もって諸宗教学者の研究をもってしても、おろち宗教学者の研究を持ってすら皆目不明であるらしい。もう一群、屋根にスピーカーのついた車から次々に目釣り上げて降りてきた右利きの青年たちも諸外国カメラマンらの機材を奪い、踏みにじった。イスラエルの記者が殴られて全治三ヶ月の重傷を負った。特定方面の反応作業に長けている彼らがなぜそのような過敏な攻撃に出たのか、日頃の訓練といかなる関係を見てとったのかはこれもまだ判明していない。前回永畠秋吉の言葉が《反国家的科白》といつしか名づけられ流布していたゆえの条件反射に過ぎなかったのだろうか。かと思えば懐かしきヘルメットとマスクと角材で武装した左利きの青年らも乱入して、誰彼構わず殴りつけていたりした。
現場を伝える映像から、音声は失われた。
ネットでもサイバー攻撃により次々に現場中継が消去または改竄された。
不審に思った市民からのマスコミへの電話はすべて政府と警察に転送された。政府も警察も犯人の要求内容を発表しようとはしなかった。永畠秋吉のときは突発的気まぐれな科白に過ぎぬと気にとめないふりを続けていられた一般市民も、二度目とあっては真面目に乗り出さないわけには行かなくなった。真面目というのが何のことかわからぬまま、押入れを探り引き出しをかき回しハードディスクを検索しまくって、自分は誰々のファンである、崇拝者であると心に決め、ブロマイドやCDを握りしめてデモ集会へ駆けつけた。
前回の永畠秋吉の科白と今回の永畠冬尚の科白とには些細であるがゆえに重大な違いがあったことも市民の行動に影響した。秋吉は「あの人たち」をここへ、「さもなくば人質を殺す」と叫んだ。対して冬尚は、「あの人たち」をここへ、「ならば人質を釈放する」と叫んだのである。必要条件が十分条件に変わったことは今日から見れば重大な違いだった。
《反国家的科白》が《反国家主義的科白》へと穏健に、妥協的に脱皮したと言ってよかろう。
「そうなんですか」
「うむ。条件の論理的脱皮は、電波を通じて見守る公衆と演劇的契約を長時間保持したいとの暗黙の願望が込められていた……というのが今日の定説なのだが」
「緊急性の緩和によって逆に報道規制への大衆的反発が強められたわけですね」
かくして緊急の強行突入の要は生じていなかったにもかかわらず警察は最終的な強行突入の段取りを即時決断していた。必要条件でなく十分条件が提示されている以上人質救出のためという名目は必然性を帯びてはいないはずであるにもかかわらず強行突入というのはあからさまに「あの人たち」がらみの紛糾を忌避する国家主義的体質の一層あからさまな暴露となったわけである。
「あの人たち……」
どの人たちなのかという議論が現場で一切生じなかったのはあたかもトップダウンで何かの徹底化が企てられていたようなのだが、実際は、政治体制とは無関係にボトムアップ自発的に集まった宗教団体、芸能人のファンクラブ、学術団体、環境保護団体の叫びのカオスに掻き消されて、底流に蠢いていたかもしれない議論が浮上できなかったというのが正解かもしれない。
人質に犠牲者が出ているのかどうか携帯電話その他いかなる手段によっても確認されていない中、午後十一時十五分、北海道からヘリコプターで到着した母親が説得。永畠は兄の名を連呼しつつ電話を切って接触を拒否。叫びの内容は、永畠冬尚は兄秋吉を超えるんだというようなことらしかった。すでに印南の内的世界において蔦崎公一が「兄」と認識されていたのか、部外者に把握不能なレトリックだったのかは今日の研究でも明らかにされていない。
「というかそんなことより、あの母親というのは何だったんでしょうか」
「前回の蔦崎事件のとき犯人が偽名だったから、今回もそれを見越してそれなりの候補者を連れてきたということなんだろうが」
「何を根拠に人選したんでしょうかね」
「いちおう定説では、それなりのおろち波動の大きな波紋が捜査員を導いたことになっているが」
「みんな真剣だった」
「なりきってました」
呼び出された「母親」の息子は行方不明の一人息子であり、前日に排便中の脳出血により死亡しているのが自宅アパートで発見されていたが、この時点では身元は特定されていなかった。母親は息子とされた犯人の拒絶の言葉を聞くや体重の20%に相当する大便と10%に相当する嘔吐を体幹両端から雪崩のように噴出して絶命した。
「蔦崎に続いて印南哲治もまた偽名を用いたのは、疑似人格化したおろち波動が自らの主体性を憑依的に自己主張した結果と見られていますが……」
「定説ってやつですな。それなりの説得力はあります。このあとおろち文化のメインキャラクターやキーパーソンが軒並み複数の偽名を使う慣習が定着したために、キャラ立ちが起こりにくくなって……」
「おろちそのものがおろち文化のメインキャラであるとしか言いようがなくなったわけですからな」
全国各地でデモ行進が沸騰した。誰々を売り渡すなと叫ぶにせよ、素早い報道規制こそ犯人に国家が屈服しない証しであることは明瞭だったが、行進と集会は前回蔦崎事件と競うかのように声量を高めていった。警官隊・機動隊との小競り合いが怒声と銃声を誘発し、全国で三十七人が死傷した。その倍以上の行進参加者が急性下痢に見舞われて死亡した。一歩遅れて、AV女優のファンクラブ、アニメキャラのファンクラブが競って「ぼくらのだれだれちゃんを売り渡したら承知しないぞ!」的集会を開き始めた。
二十時間が経とうとしても、要求は無視されたままだった。永畠冬尚は占拠現場へマスコミを、しかも左利きの精鋭ジャーナリストのみを迎えることを要求し始めた。
「そう、あれが決定的でしたね」
「天秤が左右どちらに触れたか、という問題へ還元してはならないというのが今日の定説ではあるものの……」
二十四時間のリミットを待たずに、現場へロケット砲が打ち込まれた。永畠冬尚は窓から銃を乱射しながら自爆した。人質の九割が即死した。火災は隣の雑居ビルをも巻き込んだ。最終的に死者八十二名、負傷者百四十八名。
新聞・テレビは、犯人の要求内容については一切報道を控えた。
遺された永畠の手記――要求声明より一時間後に人質の大便を筆につけてしたためられたものと見られ、ところどころ繊維や胡麻粒などが付着した茶色文字から成る――より、次のことが判明した。「兄」の遺言を反復的に引き継いでしまったのは、返す返すも思慮が足りなかった。今さら撤回できずこれで押してゆくしかないとはいえ、これでは兄を超えることは絶対にできない。しかも兄の遺言中の「あの人たち」が誰を指すのかについて、自分は明言こそかろうじて控えたにせよ特定の解釈を国家・公衆と共有できるかのような確信に溺れてしまった。もしかしたら兄の抱いていた指示対象は自分が安易に国家と共有してしまっていかねないイメージとはかけ離れたもっと高尚かつ崇高な対象だったかもしれない。いやそうに違いないのであり、それを国家レベルに自ら引き下げてしまった自分は永久に嫉妬モードをはるかに上回る実存的コンプレクスと贖罪責任を抱いたまま冥土へ墜落せざるをえなくなってしまった。なんということだろう。しかもこの土壇場の死の覚悟的瀬戸際にあってすら自分には♂糞を食うどころか触れること、いや見ること、いや目前で排出させることにすら食指が動きはしない。死ぬ気になっても壱原レベルにはほど遠い自分、衰弱しきった自分なのだ。
「時間的に蔦崎事件に比べると慌ただしいですが、印南はほぼ蔦崎と同じことを人質にやらせていたようです」
「ラジオ体操、ブラインド・フェロモン……」
「正確にほぼ同じことを……」
「印南は蔦崎の明白な二番煎じをおろち波動によって強いられているという自覚があったようで……」
「シラケるな! シラケたら承知せんぞ! と何度も怯えたように人質らを叱咤激励していたそうです」
「焦るのももっともです。なにしろ人質の全員に奇しくも……」
「少なくとも解剖の結果、犠牲者はみな前頭葉にあの波動の受光体を備えていることが判明したわけでありまして……」
「クワサレ波動受光体とビジュアル波動受光体……」
「そこは先週も復習したところで、三度目ですよ。前頭葉ではなく側頭葉です」
「そうでした」
「解剖学的な正式名称としてはまんま、蔦崎受光体、袖村受光体と呼ばれています」
印南哲治の渾身の大挽回を期した大博打は、しょせんは蔦崎公一事件の二番煎じだっただけでなく、蔦崎公一・袖村茂明のお情け的遺志によって成立していたのである。蔦崎もしくは袖村と近接した場合、何らかの形でおろち物質にまみれずにはいないという、おろち前史において助走的に繰り返されてきた体質事件の数々に、可能的に割り当てられた適合者ばかりが勢ぞろいしてお待ち申し上げていたという次第なのだ。従って今日では、印南事件の惨劇度にもかかわらず、印南哲治の人間的資質も、達人的品質もともに証明するには足りないエピソードとして扱われ、蔦崎&袖村的体質者の顕彰のための教材と見なされるのが普通である。
「まあそういった途中までのそれは容認できるとして、ラストで銃乱射のすえ自爆という、印南哲治のキャラが急変するあたりが……」
「そこが長年、多くの研究者の疑問のタネだったことは確かですね」
「いかにおろちそのものがメインキャラクターをすべての文脈で簒奪するメカニズムがおろち文化全域に浸透しているとはいえ、本来篤実な学者であるはずの印南哲治の通俗粗暴犯的変貌はたしかに……」
「人質を取るところまでが限界だ、断末魔の銃乱射はまことに法則逸脱的だという問題提起が絶えなかったわけですが……」
「幸か不幸か先月のおろち学会全国大会シンポジウムでようやく解明されましたな。最後に窓から身を乗り出して銃を乱射していた人物は、人質の一人であったと」
「印南本人は、奥ですでに死亡していたというのがサイコメトラー高塚雅代の証言内容の新解釈というわけですね」
「ラストの混乱の中で人質は誰も犯人の移動状況を記憶していませんが……」
「高塚雅代にも確信の持てない視界朦朧の状況のようでしたが……」
「蔦崎公一の臨終と同様、その死体は大量の大便を喉と気管に詰まらせて窒息死していたとのことで、この対応関係からまず間違いないでしょう、それが印南哲治ということで」
「このあたり、警察に資料が残っていないのがおろち学進展の中枢を妨げる要因になっています。そもそも印南事件にしろ蔦崎事件にしろ、大便を体幹上部につまらせて悶絶している死体が複数あったというのに、そのどれ一つとして、人質・犯人のうち誰の排泄物だったのかという特定がなされなかったらしいのですよ」
「どうせウンコだろ、とでもいうのですか」
「他に調べるべきことが満載だった事件とはいえ……」
「それが血液であれば、誰と誰の血液かということが詳細に特待されていたはずですがね」
「どうせウンコだということで真剣に取り合われなかったと……」
「どうせウンコ……」
「血液であれば調べられたものを……」
「どうせウンコ……」
「いちおう死因をなしているのですから凶器ですよね」
「どうせウンコ……」
「まがりなりにも凶器なのに、ウンコだからと軽視されるのは……」
「どうせウンコ……」
「考えられない……」
「どうせウンコ……。恐ろしい言葉だ……」
「まあまあ。おろち紀元前のおろち差別についてはもうゲップが出るほど研究書が出てますから。我々が問題にしたいのはさしあたりそこじゃありません」
「そうですね、ラストで……」
「ラストで銃を乱射した人質の男の件ですが……」
■ ――痔の有無にかかわらず、おろちが固いときなど、一定の確率で直腸末端粘膜が出血するものです。おろちが軟らかい時にも、未消化の尖った食材が粘膜を傷つけることがあり、やはり鮮血の混入が観察されます。高画質メディアは、この出血状況をリアルに映し出してしまうのです。VHSビデオ時代には映りようのなかったディテールです。高画質質感を求めるおろ知の美的貪欲が、ウルトラハイビジョンでおろち表面に滑り滴る血液を目の当たりにするとどうなるでしょう。本来、月経的前半身の通俗性を嫌う高尚後半身趣味に発したおろ知趣味の感性にして顛末は知れています。おろち不感症になってしまうのです……。
というわかりやすい次第で、橘印のおろちビデオは、媒体をDVDに変更して以降も、撮りおろしの新作含め画質はVHS時代そのまま。おろち表面にのたくるグロテスクな腸内出血跡は決して映らない、もしくは識別できない粗い粒子で淫靡レベル高きおろち画質をお楽しみいただけます。おろ知の皆様もおろ痴ぎみの皆様も、御安心のうえ橘印をお買い求めください。
※注:おろちんぽはOROCHINPO←OROCHIINPO←OROCHIIMPOすなわち略称の訛りではなく訛りを略したもの、という説もあります。
(第97回 了)
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■ 三浦俊彦さんの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■