偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の連載小説!。
by 三浦俊彦
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■ つくづく不思議なものです、人間の感情というものは。というより理性というものは。この「めぐそ-おぐそ論争」においてですね、「死ぬ気になれば男糞も食えたに違いない」という印南哲治の発言に対してですね、そう、印南のこの発言が彼的には、彼の内部では、彼の内外ひっくるめて、とにかく全印南的には革新的な発言のつもりで放たれたものであったためにですね、余計になんといいますか、直後の印南の打撃が大きかったわけですけれどね。
「なに、死ぬ気になれば?」
一瞬せせら笑うような口調になったのが、それまで対達人用の謹厳な敬語で通していた壱原光雄であっただけにギャラリーに身じろぎの波が走ったほどだったといいますよ。
「死ぬ気に……」壱原はやや戸惑い気味に咳払いして「……などならずともいわゆる裏達人は性差を超越しているものですよ。いや、超越せざるをえないものですよ」と壱原はこともなげに言い放ったとか。印南が返答できずにいるうちに、「入ってきて~~」壱原の呼びかけに応じて室内に川延雅志と佐古寛司が現われたという次第です。
そう、この文脈でこの二人という理由は自明でしょうね。いや川延雅志が蔦崎事件サバイバーであることはですね、印南事件終息後まで世に伏せられていたためにですね、会場内の人々の目にはそういう特権的立場で川延が現われたようには見えなかったはずですよ。佐古・川延コンビはネオアルティメット大会ファンにはお馴染みでしたし、個別に見ても川延は長年の街頭口中脱糞をほかならぬ壱原相手の顔面脱糞パフォーマンスで洗練中の男でしたしねえ。一方の佐古寛司=則武保彦は蔦崎公一との過去の因縁からして蔦崎追悼兼後継起爆装置胚胎現場には必需の人格だったわけですし。二人は予定の行動だとばかりテーブルにのぼって印南、壱原が向かい合うちょうど等距離のですね、中央のちょうど中央に二人横向きにズボンを下ろし背中合わせにしゃがんでですね。
「バシュぶジぶっ、ボぃっばしュっ!」
「ばばぶぶズっぷうっ、ぶぱズぼん!」
同時に汁気たっぷりの超濃厚放屁とともにですね。にゅるにゅるぬるぬると超極長大便をうねりひりだしたのでしたよ。
目覚ましかったのは、まずは川延の白尻、佐古の黒尻のコントラスト。
そしてそのコントラストとコントラストをなす形で、川延の放出物は暗焦茶、佐古の放出物は明山吹色という、濃淡が逆になったメタコントラストというか、コントラストがクロスした絶妙ビジュアルが実現したことでしたよ! 意識的な鍛錬の賜物か偶然か天然必然かはギャラリーの目には見てとれなかったでしょうが、印南の鍛えられたおろち達心には一目瞭然だったろうじゃありませんか。ねえ。そんなものは。でしょ?
もう一つ川延・佐古両名の糞射ぶりの特性はですね。中軸となる極太バナナ便の周りを、ぷりぷりと細かい霧状の下痢がオーラ模様に取り巻きながらときには飛沫を水平に飛ばしながらですね。二人ともそれぞれがですよ。ちょうどバナナ本体をガードする形で霧雨ビジュアルを形成することでしたよ。印南はですね、顔前三十センチも離れてない空間にXY二色尻から反二色大便がですね、目測350g×2的大量をもって盛り上げられる現場をですね。初めて網膜現像したばかりか顔じゅうに点々と香ばしい二色飛沫を浴びてですね。素直に絶句したとのことです。なにしろ尻毛の密生する男尻ってものは、印南の見慣れたあの女尻この女尻のどれよりも数層色が濃くてですね。そう、川延の白尻とはいえ佐古尻と比べた場合の相対的色彩であってですね、印南の触れた大半の女尻よりも色黒だったわけですから。さすが肉質の硬さ脂肪の薄さが皮膚色に染み出ていてですね。肛門の膨張と収縮がどうも女尻基準でみると無駄にダイナミックでですね、糞射速度も女糞の三倍に相当したんだそうです。やはりこう、男女の腹筋力の差が脱糞迫力に直結していたらしいですね。糞射直後の「むふうーん」という安堵的いきみ余韻声もですね、女声の場合に比べ男声の重低音がはらわたを不快に震わせたとまあ、印南は人生最後から弐番目の言葉で呟いたと言われてますが。常時こういうレベルの男尻・男糞を淡々処理しつつある壱原なる男には今こそかなわない、今日こそ認めざるをえないと、印南哲治たるもの部屋中に立ち込め始めた細かいXY糞汁蒸気に噎せながら咄嗟に観念したらしいわけですよ。
すでにこの段階で観念していたわけですから、勝負は決まりきってましたね。
XY蒸気臭が明らかに芳香めいて感じられたのが印南の某中枢を覚醒させた……といった類の奇跡のショットも兆しすら見えなかったわけですから。
「さあ、いきますか。いきませんか」壱原光雄は印南哲治を促すように、挑発するように「そうですか。では」
ってなノリだったようです。
壱原光雄は、脱糞男二人の去ったテーブル上に乗り出してですね。もうまっしぐらですよね、ほかほかむんむん♂臭い芳香湯気をたてまくっているこってり二色二山をばくばくと食べ始めたわけですよ。それっきゃありませんので。
壱原が豪烈に食い尽くすさまを全部見届けずに印南はですね。黙ってうなだれて立ち去るというあまりに率直な敗北表明を遂げたのですよ。大達人・印南哲治がすごすごとですよ。
ここに例のおろち史上有数の最初期大錯誤が灯りまくっていたというわけです!
XY二色二山をばくばくですよ。激烈に、嬉々として。そりゃあ傍目にも嬉々としてだったといいます。
「そうなんですか、そういうベタな光景が印南の眼前で……」
そうなんですよ。これはもう悲惨というしかありませんね。
だって一目瞭然じゃありませんか、その勢いからして、嬉々ぶりからして、壱原光雄が求道者でも努力家でもなく単なる体質者であったということくらい。
そう、単なる、です。この文脈では。
単なる体質者、単なるLGBTの一端にすぎなかったんですから。
そう、だからこうなりますかね。まず見かけ上は。
恋愛、つまり川延の対壱原ベクトルとですね、追悼、つまり佐古の対蔦崎ベクトルというですね、現在定位・過去定位二つのベクトルがですね、反動的に強力な残りひとつのベクトルすなわち未来志向のベクトルをですね、印南に突き付けあてがったのであると。印南哲治の爆弾的行動の導火線に火は放たれたと。いずれにせよ「達人」としての徹底度への特許を完膚なく喪失した印南はですね、達人体質の成分ことごとくがついに揮発し去ったのみならず一挙自己破壊的方向へと集中的に化合し己の全細胞を致命的に刺し貫き始めているのことを悟ったと。このまま黙座していては死しかない、というわけですね。
体質者を求道者と取り違えたがゆえの、架空の包囲網に窒息したのです。
しかしどうしてそこまで勘違いしますかね……。
修業や克己でXY糞嬉々バクバクむしゃむしゃは常識で見て無理でしょう。体質でなければ。
わからなかったとはねえ。なぜに?
生き延びておろち紀元幾周年を喝采する記念群像の先頭に立つべき人物だったのに……。
■ 自己の原点へ回帰して出直しを図るためにはあの男に会うしかなかった。
Q:自己とは誰のことか。 A:印南哲治。
Q:あの男とは誰のことか。 A:笹原圭介。
そう、すがるように笹原圭介に電話をして訪れた印南哲治だったのである。
今やおろち文化の完全なる外側に居を定めている笹原は、この上なく幸せそうに見えた。
Q:なぜ幸せだったのか。 A:香港エステのエ揉み姫さんを妻とし、毎日消灯した部屋で正常位のセックスを楽しんでいたから。
そう。そのとおりの女性を妻とし、そのとおりのそれを楽しみ、一切の逸脱を潔癖に排除していた。
印南的おろち開眼の誘因となり源泉となった笹原圭介、いわばメタ達人笹原圭介でありながら、自らはおろちとは無縁の生活に幸福を見出している「未おろち分子」からの攻撃もここに加わったのである。
Q:攻撃とは何のことか。 A:印南哲治の主観的受け止め方。
笹原がいなければ印南哲治がそもそもおろちに開眼することはなかったであろうだけに、笹原の「未おろち幸福生活」の現実は印南に大嫉妬と大不条理感の綯い交ぜ的大ショックを与えたのである。笹原の邪気なき小市民的笑顔が、印南にとって駱駝の背を折る最後の「一本のわら」になったことは間違いない。
Q:一本のわら効果を実感的確認するために、印南哲治の大窮状を形成した「巧まぬ連合軍」包囲網を列記せよ。 A: 1/袖村茂明・蔦崎公一という体質者へのコンプレックス。 2/達人的過大評価による虚名の重圧。 3/体質とは反対方面の、壱原光雄という超絶努力家型求道者への敗北感 4/〈異質・同質挟み撃ち説〉的敗北感の根本が錯誤であったこと 5/すなわち〈異質・同質挟み撃ち説〉の崩壊。壱原光雄的XY没入は体質の賜物にすぎなかったこと。 6/未おろち分子としての笹原圭介によるおろちパラダイムの自然否定 7/橘菜緒海と接触しそこねたという運命の空虚。
……要因4と7は、あまりに運命の皮肉が濃厚なケースでは、本人の主観に達していない事柄が心理的動揺と崩壊へと直接に加圧することの古典的実例とされている。その圧力は、完全な「反復強迫的コピー」となって放出されることになる……
Q:なぜに? LGBT全盛の時代に、なぜあのくらいわからなかったのだろうか?
A:「なぜにってですね、おろち紀元前にはですね、LGBTSMОのSMОとくにОは少数者内差別に晒される傾向大だったんですよ……。ゆえに印南哲治ほどになりますとですね、少数派内多数者たるLGBTへの反撃的反逆精神が煮えたぎっておりましてですね、それが壱原体質のG性認識を拒む原因となったのでありまして……。拒むといっても現象的には単に「気づかない」というまあその、結果的に嘆かわしい錯誤の様相を呈したわけでして、О体質的ルサンチマンに発するG盲が印南的惨劇悲劇をもたらしたと言えるんですね……。
ああ、差別されるということはすべてが、反逆的向上心ですら、すべてが裏目に出るということなのですよ……。
LGBTですらない端的多数派の笹原圭介的熟年リア充が追い打ちとしてですね、印南哲治向けとどめの一撃となったのはこれ、振り出しに戻ってループ再開といいますか、う~むやっぱり反復強迫的コピーの醜態は逃れられなかったようですねえ……」
■ その日、永畠冬尚(今日の研究では、印南哲治が生涯で唯一用いた偽名とされる)は床屋でパンチパーマの手入れをし、自称行きつけのスナックが混んでいたため、やはり自称なじみの寿司屋に入りキムチで焼酎をあおった。一時半過ぎ店を出ると、にわか愛車のコスモで駅南口の駐車場に駐め、ワイシャツにネクタイ、黒いジャンパーの上にハーフコート、ミラーグラスに黒いチロルハットという昨年の兄と同じ格好に着替え、ジャンパーの内側にダイナマイトを巻きつけ、内ポケットにサバイバルナイフを差し、ニッサンミクロMODEL1800SW上下二連式ショットガンと七月二十六日付の入った偽造猟銃所持許可証を携え、標的の山水デパート大須図店7階まで階段を歩いて上り、下見で確認しておいた三人の警備員が下階に降りる瞬間を狙って中央レジの前で猟銃を構え、天井に二発発砲してから「静かにすれば命は取らぬ」と宣言した。兄貴はここで短気を起こしたから失敗したのだ。オレたちはもっと政治的でなくてはならぬ。
ちなみに兄弟という設定がいかなる動機で採用されたのかはおろち史家の間でも意見一致を見ないが、それなりの心理学的理由は伏在していたのであろう。
「ここは銀行ではありませんので」と応対したベテラン女子従業員の陰で携帯ベルを押そうとした男子従業員の胸に永畠は至近距離からねらいを定めて静止させる。従業員らに命じてただちにエレベーターとエスカレーターを停止させ、上階レストラン街と下階に続く階段・エスカレーターのシャッターを閉めさせた。
脱出した客と従業員の通報で、警官が階段を固めた。「ダイナマイトがあるで!」という怒号に、警官隊は凍りついた。永畠冬尚もしくはその分身が一時期兄と一緒にビル解体現場や採掘場で働いていたことはすぐに判明、ダイナマイトが本物であることは確実視された。
従業員と客は健康食品売場のロビーに集められ、下階から拡声器で響く説得の声に、シャッターへの発砲で応えた。
「責任者は誰だ」という永畠の声に、売場責任者代表の西崎辰彦販売課長が前に出る。永畠は「この要求書を店内スピーカーで読み上げろ」と西崎に命じた。
子ども連れの客と妊婦、老人、身障者が合計約三十人いたが、永畠は解放を拒んだ。
人質は恋人・友人八組、夫婦五組、父娘二組、姉弟二組、兄妹一組、叔父姪一組の男女計十九組と、連れのいない男性十四名、連れのいない女性十九名、従業員二十一名(男十名、女十一名)だったが、そんな内訳は永畠にとってどうでもよかったようだ。
永畠は男性を全員床にうつぶせに寝かせて、女性に手足を縛らせた。
女性は全員全裸になるよう命じられ、男性全員に目隠しをするよう命じられた。ひとりでも逃げたり行方知れずになったりしたら全員を射殺すると宣告した。
(第96回 了)
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■ 三浦俊彦さんの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■