〝キマイラ・吼〟〝魔獣狩り〟、〝闇狩り師、〝陰陽師〟シリーズなどの人気作品で知られ、日本を代表するベストセラー作家。一九五一年、神奈川県小田原市生まれ。七七年、筒井康隆氏が主宰する同人誌『ネオ・ヌル』にタイポグラフィック作品『カエルの死』を発表。『奇想天外』八月号に転載され、デビュー。小説デビューは『奇想天外』同年十月号に掲載された『巨人伝』(後に『はるかなる巨人』と改題)。八九年『上弦の月を喰べる獅子』で、第十回日本SF大賞および第二十一回星雲賞(日本長編部門)、九八年『神々の山嶺』で第十一回柴田錬三郎賞を受賞。今年度は『大江戸釣客伝』で第四十六回吉川英治文学賞、第三十九回泉鏡花文学賞、第五回舟橋聖一文学賞で三冠を達成。日本SF作家クラブ会員。
獏さんはとっても仕事が好きである。そしてとってもいい人である。優しげな風貌につい、獏さん、と馴れなれしく呼んでしまうが、実は超多忙なベストセラー作家である。実はもなにも、日本中で周知のことなのだが。
エロスとバイオレンス。多忙の頂点を極めた頃の「夢枕獏」は、一口で言えばそんなイメージであった。それは自身も明言される通り、すべて好きで書かれていたものだ。同時にプロフェッショナルとして緻密に計算されたものでもあった。獏さんの徹底したプロ意識と、それが真の仕事好きから発生するものだということに、私たちは多く学ぶべきである。
しかし獏さんの「仕事好き」は、単に幸福なものとも思えない。それはあまりに根深く、あたかも魂を苛んでいるかのごとくでもある。好きだからだと言われればそれまでだが、なぜそこまで自身を追い詰めるのか。
同じ問いは『神々の山嶺』のクライマーである羽生や、あの『大江戸釣客伝』で釣り竿を握って死んだ男にも向けられる。勤勉に狂ってゆく、とでも言うべき男たちを描く筆致には思い切った斟酌のなさがあり、その「残酷さ」において極めて「文学的」でもある。自身の似姿を描いているからに相違ない。エロスとバイオレンスそのもの、暴力性が自身の内面に凝ったような、忘れがたい魅力に満ちた男たち。本当のことを言えば、そんな男だけが愛されるに値する。
机の前で、自身と言葉とを斟酌なく追い詰める獏さんは、そして多分に詩人気質がある。詩とは本来、そういうものだ。決して曖昧で、ぬるいものではない。文学金魚は今回、獏さんから二篇の詩の原稿を頂戴した。読んでいただければその面白さに、夢枕獏を「詩人」と呼ぶ意味がおわかりになるだろう。
(金魚屋編集部)
──新刊『呼ぶ山』は、山についての幻想や観念が詰まった御著書とお見受けしました。表題作の「呼ぶ山」は、『神々の山嶺』の登場人物、長谷が死んだときの状況になっていますが。
獏 そうですね。長谷が死んだときの、長谷の心象風景を描いています。それは最近、つまり『神々の山嶺』を出版してからずいぶん後になって書いたものですけど。
──他の御作品は昔のものから、山について書かれたものを集めてある形ですね。
獏 ええ、20年か、もっと前。デビュー作ではないんですが、「山を生んだ男」というのが、それに近いぐらいです。
──どこかで、ルネ・ドーマルの『類推の山』に言及されていたと思うのですが、同書の一節に「山について書くのではなく、山によって書く」というのがあります。『呼ぶ山』を拝読していて、それを思い出しました。
獏 そうですね。『呼ぶ山』は短編集で、二十代から三十代の半ばくらいまでに書いたものが中心だと思うんです。その時代、時代のいろんな自分が入ってるんだと思います。
──ずっと一貫して、山に対しては何か根源的なものをお持ちなんですね。
獏 根源的なものはありますね。それはたぶん宇宙だと思いますね。山を通して、宇宙みたいなものを見てるんだと思います。
写真提供:夢枕獏事務所
──柴田錬三郎賞を受賞された『神々の山嶺』は、読者を本当に山の頂に連れて行ってくれる御著書ですが、たしかに「山の上っていうのは、もう宇宙なんだな」と驚いた描写がありました。
獏 僕らの若い頃、山をやる奴は「山とは何なんだ」と自問自答したり、酒を吞みながら「おまえにとって山とは何だ」と話したり、そういう時代だったんですよ。生き方と重ね合わせる山なんですよね。そうすると、僕の場合、宇宙と自然とつながってくる。山のことを考えるということは、宇宙について考えることと一緒だったんで。
──獏さんは、お生まれになったときから、ずっと小田原ですよね。
獏 そうです。小田原に生まれて、何カ所か移っているんですけど、小田原ということでは一緒です。
──箱根の山を見ながら、ということで。東海大学を卒業されてから、上高地に行かれてますよね。
獏 上高地の明神というところがあるんです。その明神に山小屋があったんですね。登山客が泊まるようなところで。そこでひと夏働きました。
──河童橋から、せいぜい明神池までが、観光客のルートですよね。そこから先はもう、すぐに山深くなって。捜索隊のヘリが飛んでいる音が、河童橋近辺までよく響きます。
獏 ええ、明神池の近く。ちょっと足を伸ばした登山客が泊まるところです。そこに僕は、大学を卒業した年に入って。
──お仕事は何をされていたんですか。
獏 ボイラーマンっていうのをやってたんです。僕が朝一番早く起きて、電気のスイッチを入れるんです。自家発電なんで、灯油を入れて、そのスイッチを入れないと、電気がつかない。夜は消灯してしまいますんで、夜中はランプを使うんですね。朝はまず電気をつけて、それから朝食の仕度やもろもろのことがスタートするんです。
──山に火を入れる、って何だか象徴的なイメージです。第一回のインタビューをお願いした野田知佑さんは九州人で、「水との親和性」をよく言われるんですが、「土」あるいは「山との親和性」はお感じになりますか。
獏 水にもとても近しい場所に住んでいたんで、どっちでしょうね。
──『大江戸釣客伝』など読ませていただくと、そうですよね。
獏 小田原っていうのは、まず西に箱根があって、南に相模湾なんですね。それで早川と酒匂川という二つの川に挟まれていて、北に丹沢が聳えているという。海山川がすべて揃ったところなんです。
写真提供:夢枕獏事務所
──とても恵まれた、豊かなところですね。それを反映してか、今までお書きになったものを拝見すると、あまりにも多彩で多芸でいらっしゃいます。私たちはつい、その中心は何だろうと考えてしまうのですが。
獏 自分ではわからないんですね。何かあるのかもしれないけど、山が中心かと言われると、そうでもない。じゃ、川とか釣りが中心かと言われると、それも違うし。そのどれにも所属するものが中心だということだろうけど、何だろう。
──「最終小説」を書くのだ、とかおっしゃるところから、それはたとえ冗談でも、何かあるのかなと思うんですが。
獏 「最終小説」は半分冗談なんですが、半分本気で考えてるんですけど。書く書くと言っていて一生書かない、みたいな。
──20年ぐらい前から、おっしゃってませんか。
獏 将棋で言うと、必ず勝つっていう最終定石っていうのがあるんじゃないかと。わずか2%だけど、先手の方が勝つ確率が高い。そのうち研究しつくされると、先手が必ず勝つ、最終的な定石が見つかるのではないかと言われています。それが小説にもあるんじゃないか。これ一冊あれば、すべての小説の感動が含まれているだろうという、そういう小説があると仮定して。
──で、それはどういう小説かというところから。
獏 神と宇宙について完璧に語られた小説があるとすれば、それが最終小説であると定義していいだろう、と。
──宗教的な、聖書みたいなものが一番強いんだろうな、とは思います。そこからのバリエーションとして、日々の作品をお書きになられているということでしょうか。
獏 そうねえ。
──たとえば格闘小説でも、何となく密教的な空間にある気がいたします。内面だけに閉じられている、ということではないんですが。
獏 どこかへ行く話が好きなんです。ここから向こうへ行く。で、何かを獲ってきたり、そのまま帰らなかったり。山の話もそうで、格闘技の話もそうで、だいたいそんな感じの話が多いんですよね。ここじゃない別の所へ、何とかそこへ行きたい、という。
──それはやはり、何か中心的なものを求めて。お経とか。
獏 うん、それを獲りに。お経とか、仏教的な要素はありますよ。いろんなことをしながらステージを上げてゆく。最後に悟りに至るという、そういう感覚には近いかもしれません。
──獏さんは月産800枚近くお書きになられている時期があって、「何かの修行なのかな」と思ってしまいます。
獏 800枚はいっていないですよ。わずかな期間なら、いっとき、そんなことがあったんですけど、500枚から600枚くらいやった時期は、長くありましたね。今は穏やかなもので、200枚から300枚の間くらい。
──やはり一度は、肉体の限界に挑戦しようという。
獏 それは30代の頃ですねえ。
──肉体の限界が知性の限界にすっと結びつく感じで、格闘技小説でも、筋肉のひとつひとつの動きが分析されて、構造的に高まっているように感じます。
獏 どうなんですかねえ。あまり考えずに書いているので。すごくね、長いんですよ。何年もかけて書いていて、そのつど締め切りが・・・。結果としては何かあるのかもしれないけれど。
──読者は、一気に読めるという特権がありますね。中心的なものを獲りにゆくという最終的な目的が強い観念性になって、全体的な構造を生んでいるように見えます。その構造があらかじめ捉えられているので、細部までリアルに記憶に残るかのような。
獏 自分では、自分が今どういうことをしているのか、自覚はないんですね。
──読者としては、たとえば筋肉の動きのひとつひとつが明確に記憶されているような。将棋指しが全部の手を記憶しているみたいだな、と。将棋の羽生さんと同じ名を持つ『神々の山嶺』の羽生も、岩壁を登ったときのすべての「手」を覚えていますね。
獏 それがねえ。たとえばムカデに「おまえ、そんなに何百本もある足を、どうやって動かして、歩いてるんだ」と訊きますね。いや何百本かどうか、わからないけれども。そうすると、ムカデは考えて、動けなくなってしまう。
──ああ、お訊きしない方が。
獏 だから、何かあるのかもしれないけど、僕はわかんないんですよね。現場で培ってきたものだけなので。何かを把握してからやれば、大丈夫だぞ、という発想ではやってないんですよ。だから結果的に、僕の中に、本人が知らないうちに何かがあって、ということはあると思うんですけれども。
──宇宙と神を設定して、そこから日々の執筆を、というふうではないんですね。それはそうですよね、毎日毎日。
獏 ひとつひとつの作品では、もちろん措定するものはあるんですけど。全体的な世界観とかは・・・。誰かが言ってくれないと、僕の方はわかんないな。
──ああ、ではやはり、言って差し上げます・・・。
獏 長島にたとえるわけじゃないんだけど、こうきたら、こう打つ、みたいな。技術だと思うんですけど、その技術を言葉にできてないんです。
──する必要も、必ずしもないですよね。
獏 こう、感性で、ばーっときたら、ばーっと打つ。(笑)
──でもエッセイなど読ませていただくと、他人があれこれ言う必要がないくらい、ご自分のことをよくわかって、書かれておられるような印象もあります。
獏 僕はよく、自分の書いたものの後に、後書きを書くんで。なんでそれを書いたのかという周辺のいきさつとか、事情を書いたりはしますけれども。事情みたいなものは、あるじゃない。それも書き上がってからの後付けになってるケースも多いとは思うんですけど。
──分析とかはされないんですね。
獏 わかんない部分って、多いですよね。
──作品のそれぞれの場面については、細部までヴィジュアル化されてからお書きになるんですよね。
獏 ヴィジュアル化っていうのは、あります。どういう描写をするときでも、必ず絵を浮かべてから書きます。
──そういうヴィジュアル化というのは、頭の中の作業としては一手間になるので、スピードが落ちると感じられる作家もいるんじゃないでしょうか。
獏 ああ、一手間。なるほどねえ。
──獏さんの場合は、すべて「見て」からお書きになるから、かえってスピードが増すのかもしれませんね。
獏 考えてから書くので。いきなり書くケースもありますけど、だいたい1時間くらい考えてますね。場所と風と光と。主人公がどの位置にいて、窓がどちら側にあって光がどのように入っているか、とか。これからチベットの話を書かなきゃいけないんですけど、獣のお乳のバターで作った蝋燭が灯明になっているんですが、それがどこにあるかとか。それを全部、頭の中で把握してから書いてるんです。
写真提供:夢枕獏事務所
──宮澤賢治がお好きだったと思いますが。賢治のものすごい筆量は、やはり何か「見えて」いたからだ、という説があります。賢治の場合は信仰の力で何か「見えて」いたのでしょうが、それと近くはないでしょうか。
獏 賢治は法華経ですよね。法華経をすごく信仰して、遺言が「法華経を皆に広めてくれ」というような。
──密教的空間に存在する作家、として一括りにしたら変ですか。
獏 密教的空間にいる、ってのは、よくわからないなあ。今言ったように、賢治は法華経だし。
──宗派を超えて、「幻視者」であるみたいな。「見た」ものを書いている。賢治の亡くなった歳を考えると、そうでもなければとうてい説明のつかない、爆発的に書いたといった量が残っていて。
獏 賢治は天然だと思うんですよね。僕は賢治の童話よりも、詩が好きでよく読んでいるんですけど。詩では、言葉が理屈のつかない出てきかたをしていますね。むしろ即興的で一行書くと次の一行が、といったような。谷川俊太郎さんの詩でもそういうのがあって、わかるんですが。そうじゃないと、理解できない、理屈では捉えられないところがいっぱいあって。
──いったん言葉でできあがった世界から、また何かが瞬間的に見えてくるということかもしれませんね。飛躍がありますね。
獏 山本太郎さんだったかな、賢治の詩の言葉について「天鼓の響きである」と書かれたことがあって。
──見えちゃうというか、聞こえてきちゃう。
獏 たぶん宮澤賢治って、どこに生まれても宮澤賢治になった人だと思うんですね。たまたま岩手の花巻に生まれて、それでいわゆる「宮澤賢治」になったように思うんですけど、九州に生まれてもね、その環境で「宮澤賢治」をやっていた。なんでそうだったかと言うと、法華経、やはり仏教なんですね。その仏教と出会う前から賢治だろうと思うんですけど、ようするに宇宙との対話なんですね。宇宙とか自然とか、根源的なものとの対話なので。
──ああ、それです。きっと。
獏 なので、ローカルなものに捕らわれない。東京もローカルという意味で、ローカルという言葉を使っていますが。どこにいても普遍的な対話をしている人なので。だからおそらく、あんなことができたと思うんですね。賢治の詩の中で、マナサロワール湖のことを書いたりしてるんですよ。カイラス山、僕はそこへ行きましたけれど、そのマナサロワール湖に、青玻璃だったかな、の風が吹いているというんですね。賢治の描いた、そのままですよ。
──賢治は闇の中に光を見て、そこから世界を一気に把握している感じがあります。戦中、国柱会にはずいぶん入れあげて、それはまあ、八紘一宇といった政治理念にも繋がってはゆくものではあるんですけど。
獏 仏教的なものはいろんな影響を与えているだろうと思うのですけれど、賢治が「光」というときには、妹のとし子だろうと思うんです。とし子とは一種の、文学的な近親相姦をしていると思うんです。とし子はらい病、レプラを患ったと思い込んでいたらしいんですね。そのとし子の面倒を賢治が看るんです、最後まで。みぞれが降るような東北の、暗い土蔵の中で、兄と妹がこの世界の中で理解し合えるのは自分たちしかいないと、賢治は下の世話までしていた。密教的な言い方をすると、それが賢治の菩薩行だった気がするんですね。で、とし子が死ぬときに、自分はこの妹のために何をしてやれるか、わからない。おろおろしているときに、とし子が、あの松の木に積もった「あめゆじゅうとてちてけんじや」と。賢治はもう、「曲がった鉄砲玉のように飛び出した」と書いているんですけれども。そのときに賢治は救われたと思います。妹のために、何かしてあげられたと。その妹という光が射したと思うんですね。で、闇の部分というのは、そのレプラというのが当時は、遺伝するものと思われていた。だから自分もレプラであると賢治は思い込んでいた。だから結婚できない、と。闇の中で、同じ闇の共有者であるとし子が一筋の光だったろうと。その象徴的なのが、あの「あめゆじゅうとてちてけんじや」だろうと。これはまあ、僕が賢治について、どう考えているか、という話になりましたが。
(2011/5/18 後半に続く)
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