偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の連載小説!。
by 三浦俊彦
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■ 「ミッシングリンクがこう、なんといいますか、ハイパーミッシングリンクに昇格したってところですか」
「壱原光雄……。この名前が私が就職した頃にはおろち史の教科書どころか分厚い研究書の索引にもめったに載ってなかったからねえ……」
「今でも認知度はまだまだでは。こういう伏兵がたえず発掘されるところにおろち史の恐ろしさが、そして軽々しく流布しないところに頼もしさがあるわけで」
「しかしこのたびの鈴木くんの発見で壱原光雄の名はおろち史四天王に準ずる重大含意を間違いなく帯びましたね。私を含め少なくとも6人が各支部例会でコメンタリーを発表したしね、鈴木論文の」
「ミッシングリンクを発見した田中くんの論文自体が十分衝撃的でしたからね。田中論文の重大な意味が理解される時間がまだ経過しないうちに、鈴木論文の追い打ち的上書きが」
「――あの、クソしたいんですが」
「震源は田中論文だが、壱原周辺にはまだまだ未調査のアンチ印南哲治的事実が埋もれていることが鈴木論文で実証された。はりきって研究してくださいよね、みなさん」
「ではどうしましょうか、田中論文第二章の確認からやりたいと思いますが」
「お願いします」
「――あの、クソしていいですか」
「壱原光雄について知られていたのは、古参の金妙塾生であるということと、橘菜緒海のセックスレスパートナーであるということ、そしてXXおろちの美的需要に圧倒されてすっかり引き立て役以下に甘んじていたXYおろちの意義掲揚のため奮闘したマスキュリズムの闘士であるということくらいですか。田中論文以前は」
「――あの、クソ……。クソしたくて……」
「闘士ね。マスキュリズムはおろち紀元前の概念的諸潮流中数少ない正論と言えるでしょうから、まあそんなところですか。なにせXXおろちの百花繚乱に比してXYおろちで見るべきものといえばネオアルティメット大会と怪尻ゾロの暗躍くらいでしたから」
「怪尻ゾロ川延オリジナルバージョンもたちまち、名もないJK主体のニセ怪尻ゾロにお株を奪われてましたしね」
「――クソしますよ、もう」
「金妙塾にはXYおろち復権を叫ぶ扇動家が一人は必要だったわけで。壱原光雄が扇動の意図を持っていたかどうかはともかく、しっかり川延雅志に合流したのはあっぱれだったと評価できます」
「田中論文の功績はその「合流」の詳細を明らかにしたことだ。金妙塾内で少なくとも21回におよぶ〈壱原・川延パフォーマンス〉なるものが非塾生をも客席に呼び入れて大々的に開催されていたことはもう10年以上前に伊藤くんが証明していたが、肝心のパフォーマンス内容が不明だったからな」
「〈怪尻ゾロ暗躍再現パフォーマンス公演〉だったんですね……」
「――しますからねクソ。ほんとに」
「無自覚なJKどもによる低品質粗製乱造おろちが本家の堕落のしるしと見なされていた一時期の誤解を解いて、本家怪尻ゾロの名誉挽回に最も貢献したイベントでしたっけ」
「そこで川延は本家怪尻ゾロをカミングアウトしたのかどうかという問題については……」
「――ほんとクソしよ」
「カミングアウトのタイミングはあなたの博論テーマとかかわるので来週のレポートでお願いします。舞台上では少なくとも21回とも、川延雅志自身が怪尻ゾロに扮して、被害者役の壱原光雄を殴り倒し、その顔面にリアル大脱糞してみせるという、怪尻ゾロの一連の活躍をステージで再現したという事実そのものです、田中論文が明らかにした重要な事実は」
「――これからクソしますが、いちおう努力してみます」
「顔面脱糞だけでなく殴り倒しも毎回ガチというのは、今のおろち文化的期待値からすれば最低条件とはいえ、当時としては美談だったそうです」
「――いきなり生グソはあっけなさすぎなんで」
「啓蒙目的でそこまで体を張ってはね。壱原は毎回リアル失神、公演全日程終了時には川延両拳の複雑骨折、壱原前歯奥歯の全部喪失総入れ歯だったというトリビアが、じつはトリビアでなかったというあれは……」
「総入れ歯ですか、あれは川延鉄拳が原因ではなく、公演中に常習的になった壱原光雄の胃液逆流が真の原因とどうやら判明したという、あれですね。公演後目覚めるたびに壱原は嘔吐し、顔面脱糞を思い出すたびに嘔吐していたというわけで。毎時間毎分毎秒のように」
「――努力しますんで。全重量のうちなるべく多くを屁で出すようにしますんで」
「過食嘔吐で歯がボロボロになる系の重いやつですか。歯抜けの原因は拳ではなく酸だった。田中論文がすでにしてどんでん返しを一発演じていたんですね」
「――クソより屁の方がなごむじゃないですか」
「しかしそうするとどうなんです、あっちの方の美談は。美談復活ですか」
「というアンチクライマックスが田中論文にはつきまとったわけだが……」
「美談か神話か伝説を初期条件として必要とするという、文科系を出自とする学問の弊害から自由でなかったということか、おろち学も。確かにそれは……」
「――屁出た。また出た。また出た。けっこう順調か」
「壱原光雄も川延雅志もBL素質皆無だというのに、ああいう超密着系パフォーマンスを代役も後継者もなしで成し遂げたという。とくに壱原は嘔吐してまで意志の力で努力して奮闘していたと。そういう努力系の美談は強力です」
「――これ、コツいるんですよ」
「努力。そう。努力型英雄・壱原光雄。一説には怪尻ゾロの正体が川延雅志だとは知らなかった可能性もありますし。主観的には身近にいなかったかもしれない本家怪尻ゾロの汚名をすすぐためにですよ、ボロボロになるまで肉体を酷使した。いやそれ だけではローカルな偉業にすぎなかったかもしれないが、なんせ印南哲治の破滅にとって必要にして最大の貢献だったことがあれよあれよと帰結したわけだからね」
「私個人としては、鈴木論文で覆されたとはいえ、田中論文の成果段階にまだとどまっていたい気持ちがあります」
「そうですね、田中論文の成果の方がわかりやすいし、まだ学界的に広く認知されているとも言えない。鈴木論文が認知される前にいったん、田中説を暫定的定説として登録してやりたいくらいだ」
「――また出た。なんか半分くらい行けちゃってる感じします」
「田中論文はハッキリ述べています。『発汗の凝縮を、体質によって散らすことはできない。揺らすには複数の体質が必要である。そして散らすには加えて発汗そのものが必要である』」
「明快だな。残念ながら鈴木論文によって乗り越えられてしまったが……」
「鈴木論文がかくも早く学説を更新できたのも、田中論文の異常なほどのわかりやすさにあったわけで」
「――アやべ、クソが。ほんまもんが」
「鈴木くんにはしばらく発表を待ってもらいたかったくらいだな。ニュートンが重力法則を発見した翌年にアインシュタインが出てきちゃったようなものだからねえ」
「田中説は印南哲治の達人的努力の蓄積を、先天性二大体質者、袖村茂明の見者体質と蔦崎公一の食者体質、いかにその二大体質が純正体質とはいってもその二つまたはそこに諸々の準体質が加わったところで、諸体質だけでは揺るがすのがせいぜいで、散らす――憤死させる――ことはできないことを証明したものですね。袖村・蔦崎連合軍に、いやそこに三谷・桑田その他の同盟者が加わったところで印南哲治を達人席から追い落とすことなどできないと。ところが現に印南哲治は、蔦崎爆裂という反作用を伴いつつ現実に大破滅に直進していった。田中説は、背理法により「印南哲治と並ぶ発汗者」がアンチ印南陣営に潜んでいたはずだと結論し、壱原光雄を発見したのでした」
「――もろクソ出ちゃう」
「たしかに……。壱原光雄が激嘔吐を繰り返しながら川延雅志の怪尻脱糞を顔面に受けるパフォーマンスで金妙塾内外を啓蒙していたとしたら、その努力は並大抵ではないからな。壱原はあの笹原圭介との親交で疑似修業っぽいことに一時期励んでいた事実も少しずつ発掘されてきて、まさに第二の印南哲治認定に値します」
「――いいですか、いきますよクソ」
「なにしろXYおろちは見事に印南哲治の守備範囲外でしたから、そっち方面で努力型ニセ体質者が現れてくるとは、まさに印南のポジションと重なる非体質者が派手なパフォーマンスを披露し始めるとは、まさしく不意打ちだったでしょうよ」
「〈壱原・川延パフォーマンス〉を印南哲治は21回中19回観ていることは伊藤論文ですでに確認されていたけどね。パフォーマンス内容があれだと判明した今となっては、印南哲治の受けた衝撃が真に理解されることになったわけで」
「自分を追い詰めつつあるのは、体質者だけではなかった!と。印南自身と同類の、努力肌の啓蒙家がここまでやっていた、と。自分がXX系修業や布教にかまけているときに壱原光雄なるこの低学歴俗人が、一挙XY包摂の境地へ研鑽を積んでいたと。胃液逆流の苦悶に耐えながら顔面XYおろちまみれの感動的な舞台を披露し続けると。ああ俺には真似できない。作為的研鑽で俺にまねできないとは……」
「というわけですね。蔦崎公一+袖村茂明なる体質者側からの〈無意識的に表面化した〉印南批判を補完したのが、壱原光雄という非体質者の〈意識的に隠蔽された〉印南批判でしたからねえ」
「ほんとは隠蔽なんてされてなかったんですが、印南の視点からすれば、自分を陥れたい体質者の波動的陰謀が隠し玉のように非体質的努力家を土壇場で舞台に上げて来た、と見えたはずだと。そう田中論文は結論しています」
「――ああよかった、屁だった。いちばんヤバそうなのが過ぎ去った」
「ネガポジふたつの圧力がじわじわと印南を追いつめてゆく経緯……」
「先天的体質と後天的努力と……」
「異質者と同質者、異類と同類。ベクトル的に挟み撃ちであるだけに、かなり複雑な波状作用となったはずです。印南がいかに強固な意志やら信念やら自尊心やら〈ソレ系ノ語〉やらによって武装しようが、跳ね返しようがなかったですね」
「――いちおう努力は済みましたんで、最後景気よくクソでいいですかね」
「壱原の反印南的要素は、蔦崎や袖村のとは違って、印南の嫉妬を喚起するソフト要因ではなくて、むしろ直接的脅威で迫るハード要因であるため、相乗作用で印南を窒息的に締めつけていったものと推測されます」
「体質者だけでは寄ってたかっても倒れなかったはずの印南哲治。作為的努力の権化・壱原光雄投入で崩れ落ちるの巻。しかし蔦崎も袖村も壱原光雄とは金妙塾内で同席したことがなかったし、ましてや共謀なんてしてなかったんですけどね」
「中村くんがおろちミクロ史学的観点から先週発表してくれたことを信ずるならばね」
「――じゃふつうにクソしますから」
「壱原光雄はおろち史研究の台風の目になりますよ……。これまで印南・蔦崎・袖村・川延の四天王に研究資源が集まりすぎでしたからね」
「秘結して便秘状態でしたよね」
「さてしかし、そこを鈴木くんが……、見事にひっくり返しましたね。田中論文の肩に乗って見事な成果を」
「――きっちりクソ」
「〈ひっくり返した〉の正確な定義は小林くんのテーマとかかわるから、いずれ共同で再来週発表してください。……ともあれ各種美談に頼ろうとしたところが、初期マスキュリストおろち学の限界だったということですね。XXおろちにかかわる諸エピソードであれば、美談の微の字も必要としやしない……。ほっといても耳目を集めましたからね」
「では鈴木論文の検討に移りましょう。印南哲治瓦解をもたらしたプレッシャーの真相、ですが」
「――あれっ。結局ぜんぶ屁になっちゃったっぽい……」
「田中論文の提示した〈異質・同質挟み撃ち説〉がさらに一転して……」
「――まさか全部……新記録かもしんないです。努力の成果か、体質に恵まれたか……。次は屁意がきたときですね」
「あのぉ私、鈴木論文まだ読んでないんですが、つまりこういうことですか、作為的努力家ゆえに波動的体質者にはかなわなかった、その無力感が主因と思われていた印南哲治の惨死が、実は異類たる波動的体質者と同類たる作為的努力家の二正面挟み撃ちで壊滅したのだった、と。これが田中論文だったですよね? それで十分じゃないですか? 自分には波動体質もなければXYおろちを吸引する努力も怠っていた。霊性の欠如が情けなく、努力の偏りが不甲斐ない。印南絶望。完璧でしょう。そこからさらに何か必要ですか?」
「わかりませんかね。これは宿題だな。印南哲治的研鑽努力を侮ってはいけない。波動的霊感プラス作為的努力というプラス作用だけでは実はまだ砕けはしない。ヒネリが必要なのですよヒネリが。プラスプラスヒネリ。考えてください。せっかくだから鈴木論文を読む前にね。意外と簡単ですよ、思いつくのは」
「――次は〈オナラを凝縮して残らずクソに固めて出す〉に挑戦しますから」
「さらなる正解があるかどうかわからないから難しいんです。ここでは正解があるのだと鈴木論文が大ヒント出してくれてますからね。考えてください」
「――やってみせます、クソ固め百%。湯気一筋たてません!」
(第93回 了)
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