偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。
by 三浦俊彦
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■ 「ヤラセか本物かってのは、そもそも人生そのものが一種のヤラセの……」
「あのー〈便器の中〉に話戻していいですか。便器底と尻の間の空間って大事だと思うんです。しゃがみ方が腰高であればあるほど肛門と便器底の距離が長いんで、ニューっと伸びてくる糞質の鑑賞にとって有利なんです。ただでさえエロ度倍増の腰高しゃがみ、物質基準でも万歳で」
「それはわかるがね、肛門と便器底の距離が長いと確かに見栄えはするが、ほらあの、肛門から切れないうちに便器底にくっついて、さらに切れず伸びてくもんだからニョローッ、ととぐろを巻くあの感覚が実現する確率が低くなるでしょ」
「あっ、そうでしたね。トグロウンコこそが我らが楳図かずお的原風景なのに。肛門から離れたとき便器にしっかり着底していないと、するっと落ちてしまって、優良極太便であってもちょい見栄えが落ちたりね。滞空時間が長い糞質ならじっくり見てられるけど、それでも尻がもっと低ければ実現したはずのとぐろ風景が失われたのでは美的ダメージが大きい……」
「ぶらさがり滞空長時間じっくり鑑賞を取るか、一瞬のとぐろ巻きの質感を取るか、ですね」
「二つの美の相克」
「両立は困難なのよ」
「両立と言えば、排便終了後、まあヤラセの場合立ち上がってパンツ上げるまでブツを流さずに便器底に置いときますわな。出きったと見えてもなかなか立たずに、しばらく踏ん張り続けるモデルいるじゃない、ときどき。あれ、私ぁしらけるんですよ」
「いっぱい出したくてつい粘っちゃうんでしょ。排泄量でギャラが多分違うから」
「いや、プロなら、排便し終えたらさっさと立ってほしい。ほっとしたような感じ、あ~すっきりした~、って気分出すには、大物出し終えたらさっさと尻拭いて立ってもらわねば」
「なるほど。大した量じゃなくても、はい終わり、ってペースで満足げにやってくれれば観てる方も一応すっきりするもんね」
「逆に土砂崩れ大量便がドドドって便器底に盛り上がったとしても、ぐずぐすしゃがみ続けられると、まだ腸内に残ってるのかと、欲が出てしまって、本来満足すべきところハードル上がっちゃいますからね。ほんとに追加出してくれればいいけど、散々待たされたあげく結局出ないで立たれちゃうと、渋り感がこっちにも伝わったまま放り出されて、快便気分が台無しですね」
「とはいえ、便器底に盛り上げたままある程度しゃがみ続けてもらった方が『便臭』がこもる感じが出てよいのでは」
「ああそれがあるか。便臭の拡散時間をたっぷり取るか、すっきり快便感を取るか。立つタイミングも難しいんだなあ……」
「とぐろ巻き効果対滞空質感鑑賞効果のしゃがみ時間ジレンマ。それと、便臭充満効果対快便感効果の腰位置ジレンマ。ですね」
「それぞれ第一不確定性原理、第二不確定性原理と名付けましょう」
「不確定性原理……そう言い切るのはどうかな。ハイゼンベルクの粒子のあれは、位置の測定精度と運動量の測定精度が互いに制約しあうジレンマであって」
「精度が両立しないのは位置と運動量の定義からしてほぼ公理だからねぇ。とぐろ対滞空、便臭対快便、に公理レベルの真理があれば儲けものですが。いや悲しむべきと言わねば」
「うーん、でも公理レベルなのでは?」
「いや公理どころか、こっちの場合両立できちゃうじゃないですか。破れるじゃないですか。第一不確定性原理も、第二の方も」
「そうですよ。まず第二からいくと、……
■ 三谷恒明は確かに本人自体は卑小かつ激凡庸な矮小人物にすぎなかったが、袖村的天分に鋭敏に感応する資質についてだけは非凡なのだった。
さて、こんな三谷と袖村茂明が入塾したことにより、蔦崎公一の存在意義も波動効果を倍増させたことに注目したい。誰に対する波動効果だろうか? そう、言うまでもなく金妙塾中興の心臓部・印南哲治御大である。
印南哲治は、金妙塾例会や勉強会に袖村茂明と蔦崎公一が出席してくるようになるや、ただちに疼くような不快な微震を胸の中央から脇腹にかけて感じるようになった。そこはさすがと言うべきかこの道の紛れなき権威だけのことはあり、袖村、蔦崎という二人の稀なる特異体質ぶりを一目で見抜いたのである。二人の資質が、印南自身の塾内創発的ヘゲモニーを脅かしかねない潜在的脅威として映ったのである(三谷恒明を意識するまでにセンサーが研ぎ澄まされるのは後述のようにややあとになってからである)。
印南の感じた異様な感覚が政治的な脅威というよりも原始的な嫉妬であることに印南自身気づくのには半月ほどかかったらしい。すなわち、袖村茂明が豊富に備える偶然スカトロビジュアル体験は、「非作為性」「天然調教」の文化を体現していた。いっぽう蔦崎公一は、周囲の女性から後半身的消化器系天然挑発を受けてきた男であり「愛と羞恥」のメンタル文化を体現していた。
――天然性と羞恥性――
古典的な二つの生理的カテゴリが交わってしまったのでは即たまったものではない。
自他ともに根拠無く意識上正規化的ステップも踏むことなく定着してしまった達人性が色褪せるという以前にむしろ濃度深めて印南哲治自身の心身に負担を強いたことは想像に難くない。
この二つの特異体質が、豊富な食糞体験を淡々積み重ねてきたいわば人為的正統スカトロジストの極限を主観的に窮めつつあった印南哲治の巧んで体感できかねた世界だったのである。盲点だったのである。穴だったのである。失点だったのである。アキレス腱だったのである。火種だったのである。比してトラウマとなったのである。この痛いほどの直感的嫉妬は、袖村茂明と蔦崎公一の金妙路線系体験談が定例勉強会において他の塾生の嘆息誘い出しつつ語られるにいたって印南哲治の頭を
「うううむ……むぅ……」
日夜占領するようになった。
印南の臓腑を嫉妬で焦がした袖村および蔦崎の体験談というのは、彼ら二人が、新参者は突出すべからずという諺的自制の美徳により手持ちの真実エピソード中ごく控えめなものを公にしただけらしい臭紛々だったこと――袖村はあの巫女さん体験や顔振峠グローリア・ハッチオンビジュアル、蔦崎はかえで亭まゆら体験や軟禁糞食らわし体験については当初黙していた――も合わせて、内容的にも印南的自尊心を刺激しまくった。控えめエピソードの内容ですら印南の狂える嫉妬心を苛むには十分すぎるほどだったのである。ちなみに、蔦崎公一が参加初回の自己紹介で語った体験談は中二の時の次のような反厨二的体験だった。
俺のいた中学ってその頃、クラスごとにもクラスの垣根を越えたところでもあちこちできわどいいじめが流行ってたんです、この塾で議論のテーマにすれば大いに盛り上がりそうな種類のね。隣の3組では、授業参観の時に屁をしたとかいう小学校みたいなくだらない理由で、ま、それだけじゃなくて他にもあったのかもしれませんけど、迫井麻美って女がターゲットになってて、俺は俺でその頃三年の女子バスケ部の女たちにけっこうハードにいびられてまして。女たちが食いかけのおかずとかを俺の弁当にドロッドロに吐き出してきて、それ食わなきゃもっとドロドロのもの後で食わされたりとかそういうルールが暗黙に出来てたりして、いろいろ事情はあるんですけど俺のことはまあ措いといて(注・こうした何気ない豊穣背景の些細な仄めかしが、長らく印南的自尊心を致命的に苦しめることになる)。その迫井麻美ですけど、まあ顔立ちとかはごく平凡な女子でしたが、屁コキ女とか呼ばれて男どもに廊下とか付け回されて、俺をいびってた女子バスケ部の女も二三人混じってたみたいですけど、なんかこう「いつぶっ放すか、ぶっ放すか」とか、決定的瞬間を、ガッコにいる間じゅう監視されてたみたいなんですよ。ときどきすいっと後ろから尻に顔近づけて「やってないかな」なんて嗅がれたりしてね。で、一度も「決定的瞬間」がつかめないまま、イビリ屋どもも飽きて、そういうのは一ヶ月ほどで止んだらしいんですよ。で、それからしばらくして昼休みに俺が屋上の給水タンクの陰に寝そべってると――ヒマなとき人目のあるとこうろうろしてると女子バスケに捕まってろくなことになんないんでよく一人で隅っこにもぐりこんでたんで――そうすると迫井麻美がね、屋上に上がってきたんです。で、俺の寝てるタンクのとこに来て、しゃがむじゃないですか。俺の顔の真上ですよ、パイプの高さだけ迫井麻美のケツが高いんでちょうど十センチくらいの距離で見上げる形になって、でスカートまくって、パンツ下ろしてね、おいおいと思いながら、恥かかすまいとじっと息を潜めて動かずにいたら、もろ、
ぶうううーっ、
て屁をかまし始めたんです、それも長あーい。ブウウウウー、って、よくもまあ途切れずにと呆れるくらい、それを十五秒かける十回くらい続けたところで迫井麻美は下を見て俺の顔に気づいたようで、
「あっ、あっ」
と長屁を止められないままケツを退けたんですが、そのあわてぶりがリアルだったんですが、なんだか知らないけど速攻回復した的に俺の顔の上にすぐケツを戻してきてね。さっきよりも俺の顔の真ん中にしっかり照準合わせるようにして近づけてブウィウウウーを続けやがるじゃありませんか。さっきまで無言放屁だったのに新たに「はあああぁぁ」みたいな溜息までつけてです。俺はえっ、えっと思いながらじっとブブブィィーーを浴び続けてました。肛門の周りにホクロが四つちょうど九十度ずつ間隔で点在してるのが印象的でした。迫井麻美は俺を見下ろしながら泣きべそのようなちょっと笑っているような、なんというか同じ女子バスケ系の被害者どうしだという連帯意識があったんでしょうか。たぶんトイレではまだ女子どもに監視されつづけてたんでしょうね、マミがオナラする瞬間を捕まえて男の子たちに報告してやろうとか。それでトイレで屁もできず溜めに溜めに貯めに撓めに溜めてこんなところで、うーんこのときばかりは俺も親近感ていうか、そんなあったかい思いに浸っているうちにはじめ無臭だった屁の突風が、だんだん腸の奥の分になってゆくにつれてということか臭いを増してきて、ニラみたいなゴミみたいな濃い湿り気を帯びていって、風圧も細く鋭く絞られてきて、最後にプ、プ、プ、ぷ、ぷって無音に途切れていって、それがまたプ、プ、ぷ、プ延々二十回も続く中で一度だけピ、って裏声みたいにひっくり返ったんで思わず二人上下目見合わせて
「くすすっ」
て笑いあっちゃったんですが、さらにぷ、ぷ、プ、プ真面目に十発肛門が呟いたあとモ一度ピ、で雫を切るようにして終わりました。
実際にポトンとオシッコが一滴だけたれて、俺の唇の端に滲み込みました。
パンツを上げて立ち上がった迫井麻美に俺は話しかけようとしたんですが、スカートの皺を伸ばすとあいつは小走りに階段を下りて行っちまいました。それからもまあ、俺と迫井麻美は廊下とかで会っても一言も話さずにね、何もなかったかのように、だけどチラッと必ず視線は合わせて、うーん、しかしそれだけの話なんですが、結局何度か互いに一瞬固まって同時に口を開きかけながら一度も話をせずに卒業しちゃったわけですが、あの不器用な距離感が、あのなんだかわからない中途半端な思い出をいっそう美しく輝かせているように思えてならないんです。半端に徹したところがラディカルだったとでもいうのかな。ああいう偶然に恵まれたのは幸福だったと思ってます。あれだけの長あーい屁を間近に嗅いだのはその後二回か三回ぐらいしかありません。そしてあの時いったん退けかけた尻をわざわざ戻した彼女の心理っていうか、いや彼女側ってよりも俺のこのツラがああするにいかにもふさわしい的な衝動を喚起したというか、ツラよりもオーラというもおこがましいですが、それを推測するとああ業が深いなあ、体質なんだなあとつくづくわが身の方を振り返ったりしてしまうわけです。
体質!
……、……。
体質!
体質! これがこのとき司会者席というか議長席というか一番上座で一見悠然と黙っていた印南哲治に最大の衝撃をもたらしたキーワードだった。体質……
体質……
しかも、蔦崎公一が「迫井麻美とはその後一度も話をせずに卒業しちゃった」的まとめ方をしたのは話途中で印南哲治の動揺を感じてとっさに話を短縮したからなのだった。本来なら次のように続くはずだったのである。「迫井麻美はそのあとも屋上をはじめ無人区域でのガス抜きを毎日してたようでね、また鉢合わせしちゃばつが悪いから俺屋上にはあまり行かなくなったんですが、絶好の空間なんでたまに昼休みや放課後につい屋上の物陰で寝てると、場所適当に変えてるのに必ず俺の鼻先に見覚えあるケツが突き出されてきて、ぶううーって。全部で七八回あったかな。いつも屁途中で迫井麻美がおれに気づいて、『あっ』『あっ』てなもんですよ。それ以外言葉を交わさずにね。変な仲でしたよ。いや決して、毎度心新たな慌てぶりからしてあの女がおれのこと追い回してるわけじゃないのに。なんか不思議と鉢合わせしちゃうの。タイミング合っちゃうの。ああ変な仲。あんなんであのまま卒業以来お互い無関係だもんなあ」としみじみ。
そういった内容が密かに端折られたのだった。ただ一度だけの偶然放屁洗礼だったかに蔦崎的謙遜で装われたのである。
印南哲治は漠然と、蔦崎が反射的にエピソードを縮小し手加減したことを悟り、それが印南自身ゆえだとも何となく悟り、恥辱を覚えたのだった。
しかし体質……
話を省略してリリシズム回避態勢がとられた代わりに蔦崎からこぼれ出た「体質」が強烈なボディブローになったのである。
体質……
体質……、……この一語により、印南は蔦崎公一や袖村茂明の域には永久に辿り着けない己れのDNA決定論的宿命を悟ることになる。今日の観点からすると印南哲治自身が蔦崎食ワサレ体質や袖村ビジュアル体質とレベル的に遜色なき「達人体質」の持ち主であることがわかっているのだが、当時の印南本人には自身に体質概念を結びつける正当な自覚はなかったようなのだ。
達人体質?
しかし本当に達人体質?
(第79回 了)
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■ 三浦俊彦さんの本 ■
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