偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。
by 三浦俊彦
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■ 「そうですよ。まず第二からいくと、……
金妙塾会議録がおろち19年末に再発見されてこの「第一不確定性原理の反例」「第二不確定性原理の反例」がおろち認知心理学会に報告されるまで、暫定的普遍法則として両不確定性原理が正式登録されていたことは今となっては何人も驚きを禁じえないだろう(現在ですら通俗的には法則だと思っている人が少なくない)。会議録から以下引くように、ウンコ好きな幼稚園児でも(の方がと言うべきか)すぐ思いつきそうな簡単な反例としか考えられないからである。
「第二からいくと、そうですね、要は快便感を醸し出しつつ便臭拡散時間をたっぷりとれればいいわけですよね。簡単です。確かに一見、快便感のためには」
「スピーディーな潔い個室退去、便臭拡散充満のためには未練がましい引き伸ばし」
「という時間的に相反する二要因が求められるようではあります。しかし落ち着いて考えてください、同時実現を強行しようとするからそうなるのであって、継起実現で十分なのですよ、両立と言えるためには」
「というと」
「つまりですね、まず被視体は体揺らしながらずバどばっ、と土砂降り大量便を便器内に速射します。一気出しが肝要ですね。鑑賞者が『あ~気持ちいい~、よかった~~』と被視体とともに生物学的身体を持って生まれたことの幸せをかみしめているのを被視体が『はふあ~~』などと深い安堵系溜息で大確認したあと、まず、直ちに尻拭きに入ってもらいます。とにかく快便なのですから理想を言えばほとんど紙に茶色がつかない粘着度で一回かせいぜい二回ぐりぐりっ、キュウッ、さかさかっとおしまい」
「スッキリ後腐れなくパンツ上げてスカートおろして水流して。でもそれだと便臭もスッキリ薄れちゃうよ」
「いや、スッキリ感というのは、ひたすらスッキリ一色よりも、別種のわだかまり感を背景にしてこそ際立つものなんです」
「というと?」
「つまりこうです。水を流さずにちょっと考えるんです。被視体は、ずバどばっ、はふあ~~、ぐりぐりっ、キュウッ、さかさかっ、これで鑑賞者に十分快便的快感をもたらした後、立とうとしてつっと尻を下ろし直すんです。パキッ、と膝が鳴ったりするとなおいいんですけどね。つまり」
「つまり……」
「被視体の頭をふとよぎるんです。これはバイトだ。お金もらってるんだ。個人的にはすっごい気持ちよくウンコしちゃったけど、こんな秒殺でよかったのか。ギャラは量で決まるとは言われたけど、いくら快便でももうちょっと頑張った感じを見せないと真面目さを疑われるんじゃないか。次もあることだし。体調にただ頼っただけで肝心の気合が入ってない女だと思われはしないか」
「ああ、女子はなにかと手抜き癖を疑われるからねえ」
「日本のビジネス界はまだまだ強いし。精神主義が」
「なので被視体は、一気に出し切ってスッキリ感に満たされているにもかかわらず、尻拭き終わった時点で」
「あえてぐずぐずしてろっていうわけか。露骨だなあ」
「言われてみればまあ……その時点までがとりあえずキモでしたからね、しゃがみから脱糞、尻拭きまでの流れ一続きが高速で進んでさえいれば快便スッキリ感は十分われわれに伝わりますもんね」
「ふむ、そのあとは便臭拡散に努めるだけってことか」
「『だけ』どころか、効果倍増なんですよ」
「倍増?」
「一気に出し切ってスッキリ感、尻拭き終わった時点でふと撤回して、気合しゃがみに入りますよね。ヤラセビデオの常として途中で水流すなと言われてますから、裸尻直下に物体をどっさり置きっぱなしのまま、もうちょっとでそうなんだけど的な踏ん張りをね、演じ始めるわけです」
「なるほど。それのどこが効果倍増?」
「体調良すぎたあまり気合の欠如を疑われちゃたまらない、的けなげな杞憂によって、けなげな踏ん張り演技が始まります。ニセの渋り感、ニセの下腹部未練、ニセの残留便意をそれらしく演じるメタ未練がこれ(そう、制作サイドへの受けをぐずぐず計算してますからこれも本物の未練なんです)、くすんだ灰色の現象的背景となってリアルなスッキリ感を鮮やかなピンクに引き立たせるじゃありませんか」
「なんと、コントラスト効果か!」
「なんということだ。マイナス面ばかり取り沙汰されていた未練がましい渋り感がプラス効果に転じてしまった!」
「しかも、スカトロモデルとしてのプロ意識、まあ一部は素人ОLだったり現役女子大生だったりするわけですが、せめてここでプロ魂見せなきゃ的ななけなしの責任感がいじらしいじゃありませんか。俗っぽい経済観念が日常快便の生理的背景を今度は地と図を反転する形で逆照射するわけです」
「すげー。両方とも図と地を兼ねてるのか」
「ううむ、なんだか深そう。尻拭き後の自発的演技による残便感しゃがみと、つい秒殺しちゃった的健康体質とが引き立てあう……」
「アートですね。なんということだ。ヤラセ盗撮の方が本物盗撮より価値高きものに思えてきてしまった!」
「残便感演技をじっとやり続けてる間じゅう、便器底の大量便から臭気成分がもうもうと個室内に立ち込め続けているわけですしね」
「冬だったりした日には。目に鮮やかな湯気、水蒸気に閉じ込められた便臭成分が被視体の裾に袖に襟に髪に浸み込む有様が」
「この方式は十割快便でなくても使えそうでは」
「そう、一般に応用してほしい方式だね。かりに一気出しきり感覚がイマイチだったとしても、すぐ追加が出そうになければ十割スッキリ感を装ってすぐ尻拭きにかかる。本当は八割であってもいいんだよ、腸内八割空になったかなってところでさっさと尻拭きに。そこで鑑賞者は『ああ、すっきり』とカタルシスを得る。あとの二割は尻拭き後にじっくり構えて出してくれればいいんで」
「腹八分目の法則ですね」
「八割の本体が十分匂い発散してほどよく冷めた頃に、残り二割のフレッシュな腸内ムースがあふれ出て生温かく本体を覆うわけね。ハンバーグカレーの二度掛けよりも味わい深い!」
「腹八分の結節点を挟んで、〈スッキリ→ジックリ〉のコントラスト効果」
「えぇとあれの反転形ですね、時々見る便秘系の。石ころっぽい小塊をぼろぼろ延々とこぼしながらうんうん唸っていい加減われわれも糞詰まり感覚に耐えきれなくなった瞬間、栓が飛んだようにどばばばばっと色鮮やかなマグマが大量に迸り出てくれる感激パターン。あの快感は〈ジックリ→スッキリ〉のカタルシスですが、第二不確定性原理の解決法はその逆だと。スッキリ先行形だと」
「いやぁ、なんだか簡単なことでしたね。いったんスッキリ快便を速攻でやり切ったあと、スッキリの余韻を腸内臭とともに広げていけばいいだけの話か」
「なんで一瞬とはいえ第二不確定性原理だなどと騒いだんだろうね、われわれ」
「いや、第一不確定性原理の方はもっとあっけないですよ」
「とぐろ対滞空のジレンマですよね。あのジレンマが解消して両立できることは、便所盗撮鑑賞者の夢の夢ですよ」
「ああジレンマ……。腰高しゃがみなら長滞空大蛇の長尺つるつる表面ごつごつ表面を堪能できる。しかし古典的とぐろ巻きの妙を味わうには腰低の方が優れている……」
「その両者を満たすには、第二の場合のような継起実現は必要ありません、同時実現可能なんですから」
「どうやって?」
「腰高で最高糞質をダラーッとぶら下げてもらえばいいだけです! もち米級の、粘液と微細繊維でまとまった極上粘土をです。思いっきり腰高でも、直腸内に胴体残したまま便器に着底して大とぐろを巻いてくれるほどの長尺を。長滞空大蛇つやつや表面をじっくり晒しながら、着底後いつまでも切れずに、自らの上に折り折り畳まれつつ横たわっていけばいいだけでしょう。両立するのです、長尺滞空鑑賞ととぐろ鑑賞とは!」
「あっ」「ああ」「あ」「あああ」
「あっ……」
「……単にブツの長さが確保されればよいだけのことだったか」
「それと容易に切れない糞質と」
「簡単なことだな」「あっさりですな」
「まったくです」
「条件がそろいさえすればあっさり両立可能だったですね、第一第二に関わらず不確定性原理なんて気になって、どうもはじめっからわれわれ」
「敗北主義にとらわれていたなあ。とくに第一。腰高のままとぐろを巻く優良大便なんてはなから無理と決めつけていた……」
議事録内でもこのとおり、こんな簡単なことにどうして気づかなかったのか的反省と驚きがしきりに述べられているが、おろち学会がこの議事録再発見後に同じ感慨に浸らざるをえなかったのはまことに暗示的である。人類史上「こんな簡単なことがなぜ今まで」度トップテンとして、車輪の発明、ゼロの発見、遠近法の発明、ゆで卵の立て方の発見、自然選択の発見、条件付確率の発見、女性参政権の発明、レディメイド便器アートの発見、嫌煙権の発明、に次いで「腰高長尺蜷局脱糞の発見」が今日挙げられるのも当然と言えよう。
この「盲点蔓延症候群」の原因は、金妙塾生が語っているとおり(残念ながら発言者の身元は大半が特定できていない)「敗北主義」に求められる。その敗北主義のさらなる原因を特定することは意外と重要である。なぜならおろち文化を一時期支配した紀元前金妙塾発・知的敗北主義的空気は、まもなく入塾してくる印南哲治の、〈対「体質」的悲観主義〉の波動が遠隔作用した副次効果の一つだと今日では考えられているからである。
「……うーむ不確定性原理に昇格できないのはちと残念だが、しかし両立するとわかった方がそりゃ喜ばしい。勘定八分目以上に喜ばしい」
「いやはやなんということだ、ヤラセの方が感慨深くなってしまった……」
「ヤラセか本物かってのは、そもそも人生そのものが一種のヤラセの……」
■ 体質……。
ちなみに、先ほど見た蔦崎公一の談話の次の部分を思い出していただきたい。
「……俺はえっ、えっと思いながらじっとブブブィィーーを浴び続けてました。肛門の周りにホクロが四つちょうど九十度ずつ間隔で点在してるのが印象的でした」。この部分は実はフィクションである。迫井麻美は屋上その他物陰にガス抜きをしに来るとき、パンツを脱いだこともずらしたことも一度もなかったことが確認されている。万一そんな恰好を発見されでもしたら「屁コキ麻美」では済まなくなるのだから当然である。毎回あくまで密かなる布越し放屁だったのであり、「肛門の周り」が蔦崎の視界に入ったことは一度もありようがなかった。つまり蔦崎はとっさに話を盛ったのである。現在の研究では、蔦崎公一・袖村茂明の両体質者は、印南哲治に対し畏怖と遠慮ゆえ不必要なほどの謙遜・卑下を自己紹介的側面全般にまぶしていたことが確認されているが、初期には幾度か、「何やらいかがわしい大先生然」に圧倒されまいと、まれに衝動的に要らぬ虚栄を散りばめたりしていたのだった。「同級生の偶然至近放屁をナマ肛門から浴び続けちまいまして」は印南向け虚構の一例だったのである。印南哲治がそういった体質者の虚構的自己顕示作話に気づいていたかどうかは定かでないが、もし気づいていなかったとすれば、ある部分で体質者を過大評価したがゆえの自己崩壊に陥ったことになり、おろち群像史にひときわ物哀しい微妙極まるネジレを添えていると言えよう。
(ただし当該事例の場合、裸尻ナマ放屁より布越し放屁の方がその〈おもらし構造〉すなわち着衣排泄構造ゆえ屁臭滞留度がかえって濃密で、放屁顔面受けの体験密度も高かったと印南哲治なら想像した可能性も高い。イメージに反した濃密度不等式〈ナマ放屁顔面受け≪布越し放屁顔面受け〉は、印南の人格決壊源流に位置するあのやはりイメージに反した苦行度不等式〈肛門出たて便空中ジカ食い(派手だが新鮮安全)≪皿上放置便犬食い(地味だが雑菌繁殖状態)〉(第57回※超重要なる注、第58回補注a、第59回参照)と疑似完璧にパラレルであり、こうした「虚像形成図式」にとことん苛まれた印南的インポスター症候群を解釈するには同種の双対の継続探索が求められる。
求められる……!
いずれにせよ本件を一般化するなら、蔦崎&袖村の虚栄作話はどれも結果的に謙遜作用をもたらしたとも考えられ、印南流「本当は布越しだったのでは」的反転懐疑によって体質者の「尊大な手加減」が疑われ、これがまた印南的自尊心を追い詰めたという新説が複数の研究者によって支持され始めている)。
しかし体質……。
体質者に拮抗する達人体質……。
本当に達人体質?
体質……。
(第80回 了)
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* 『偏態パズル』は毎月16日と29日に更新されます。
■ 三浦俊彦さんの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■