『永遠の人』1961年(日本)
監督:木下惠介
脚本:木下惠介
出演:高峰秀子/仲代達矢/佐田啓二/乙羽信子/田村正和
音楽:木下忠司
上映時間:107分
九州の阿蘇の雄大な自然を背景に、阿蘇谷の小さな村で戦前から戦後へと物語が展開していく。第1章、1932年(昭和7年)、大地主である小清水の息子の平兵衛(仲代達矢)は、戦争で脚を負傷し村に帰還する。大地主の小作人草二郎の娘であるさだ子(高峰秀子)には、恋人の隆(佐田啓二)がいたが、隆がまだ戦地にいる間、平兵衛は、さだ子を強姦する。平兵衛は無理やりさだ子の父親と親子の杯を交わそうとし、その日さだ子は川に身を投げるが自殺未遂に終わる。やがて凱旋した隆は、愛する恋人さだ子と会えることだけを楽しみに帰ってくるが、村で何が起こったのかを聞かされ、彼女と駆け落ちしようとする。しかし、隆は大地主の嫁に行く方が幸せになれると置手紙を残し一人村を去っていく。第2章、1944年(昭和19年)さだ子は平兵衛とすでに結婚しており、田村正和演じる栄一、弟の守人、妹の直子と3人の子供を育てている。一方、隆も友子(乙羽信子)と結婚し息子である豊をもうけていた。それを知った平兵衛は友子に手伝いに来させる。すべてを平兵衛に聞かされた友子も、平兵衛同様、自分以外の相手を想い、決して自分の方へ愛情を向けることができない夫/妻に苛立つ。平兵衛は友子を無理やり抱こうとする。そして、それを目撃し、「ケダモノ」と叫ぶさだ子。第3章、1949年(昭和24年)、友子は、肺を悪くした隆と息子を捨て家族のもとを去る。そして隆が息子の豊と村に戻ってくる。平兵衛に犯されたときにできた長男である栄一は、すでに高校生になっていたが、自分の出生の秘密を知り遺書を残して自殺してしまう。第4章、1960年(昭和35年)、平兵衛の娘直子と隆の息子豊は大人になり愛し合っていた。さだ子は平兵衛に秘密で、二人の結婚を認め大阪へ行かせ、そのことを後から打ち明ける。第5章、1961年(昭和36年)、病に倒れ、死の床についていた隆のもとに、豊と直子が赤ん坊をつれて駆けつける。さだ子もまた、隆のもとへ来るが、彼女に隆は、息子たちのことを平兵衛に謝ってほしいという。さだ子は急いで平兵衛のもとへ行き、自分が一度の過ちで彼を30年間苦しめ続けたことを誤り、直子のことを赦してやってくれと頼む。隆を安らかな気持ちで送るためである。平兵衛は最初、それでも赦さないと言い張るが、次第にさだ子へ本心を語り出す。それは30年という長い時を超え、真実の愛を語る対話であり、醜い自らの姿を曝け出す弱い男の本当の姿であった。平兵衛とさだ子は、長い年月を超え初めてお互いを赦そうとし、ともに隆のもとへと向かう。
占領期、そしてポスト占領期、戦後の日本映画には、少なからず敗戦を感じさせる戦後的な要素がある。とりわけ、戦前、戦間期から監督として活躍していた巨匠たち―溝口健二、成瀬巳喜男、小津安二郎、黒澤明などの映画には、リアリズムにせよ、ロマンティシズムにせよ、敗戦を感じさせる何かが画面に焼き付いている。そして、それらの映画の登場人物たちは、戦後の時間を生きている。あるいは、敗戦を感じさせる戦後的映画を過去のものにしながら新しい映画、新しい観念、新しい肉体を画面に表象していった戦後派の前衛監督である中平康、増村保造、大島渚らもまた、異なる方法論によって戦後的なものをフィルムに焼き付けていった。新しい監督たちは新しいアプローチで戦後と向き合ったのだ。もちろん、今回僕が取り上げようとしている木下惠介の映画群もまた、『大曾根家の朝』(1946年)、『お嬢さん乾杯!』(1949年)『カルメン故郷に帰る』(1951年)、『日本の悲劇』(1953年)、『女の園』(1954年)、『二十四の瞳』(1954年)、『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年)と、あげればきりがないくらい戦争との関係において成り立つ「民主主義」「反戦」映画であった。そして、『永遠の人』(1961年)もまた、高峰秀子演じる女性が、戦地から帰還してくる二人の男性との関係をめぐって物語が展開していく「戦後的」な映画であるといっていい。しかし、戦前・戦中・戦後を描く『二十四の瞳』や『喜びも悲しみも幾歳月』などの木下映画が、極めて歴史的なリアリティを〈擬装〉しているのに対し、この作品の「戦後的」な時間は、戦後の時空間からは浮遊しているような印象を受ける。戦争に愛する人を奪われる女、そして戦地で脚を負傷し帰ってくる男を中心に物語が展開していくにもかかわらず、戦後的な雰囲気を感じさせないこの映画は、ある種のリアリティを帯びて観客へと訴えかけてくる。それはなぜなのだろうか。今回は、視聴覚的な映像構成と主題から、その原因を探究したいと思う。
僕は、〈自然〉にとり憑かれ、大自然の風景を使って美しい物語を創造する木下惠介が好きではない。『二十四の瞳』に見られるような犠牲者意識をかき立てる歴史の捏造は、現代の観客からみれば、どこか嘘っぽい誇張表現に思えるし、そのあからさまなイデオロギー性に辟易してしまうものもいるだろう。「文部大臣も泣いた」、あるいは「日本国民の涙をしぼりとった」と言われるこの歴史的名作も、どこか嘘っぽく表面的でリアリティがない。なるほど、大衆メディアに「ありえたかもしれない理想的な女性像」を仮構し、女性のナショナリズムはなかったかのように被害者として女と子供を使って語るその技法は、敗戦の歴史的トラウマを負った日本人の傷跡を癒したのだろう。その偽史的な歴史を助長していたのは、唱歌などの日本的な音楽であった。木下のナショナリスティックな身ぶりは、愛国者であり積極的に夫/息子を戦地へと送り出した多数の女性を、反戦者の一人の美しい女性によって偽装し、その「美しい精神」を、日本の伝統的音楽によってローカルな風景へと融合させていく。なぜ、これほど何度も何度も高峰秀子は涙を流さねばならないのか。なぜ、繰り返しノスタルジックに唱歌を歌わねばならないのか。小津映画同様、こういった戦間期を生きた監督によるナショナリズムに現代の観客の一人である僕はコミットできずにいた。だからこそ、母物映画的、反戦映画的形式をとりながら嘘っぽい映像を愛国者精神で強要していく1950年代半ばの木下映画と同時代の新しい映画を並行して映画を観ていくと、革新的に風景を排除しながら〈身体のモダニズム〉を志向した増村保造などの前衛映画に圧倒されるのだ。だが、今回取り上げた『永遠の人』という映画にあっては、阿蘇の美しい自然風景が〈あるもの〉を対位法によって際立たせている。すなわち、人間の〈憎悪〉である。
50年代の木下の代表作『二十四の瞳』などでは、人物の美しさを際立たせるために、重要なシークエンスにおいて、ややロングショットで人物をとらえ、美しい風景に融けこませる手法をとってきた。しかし本作では、人物の醜悪さを引き立たせるために背景と人物を構成している。高峰秀子と仲代達矢という天才的な俳優の顏をクロース・アップで切り取るか、遠景の雄大な自然と中景に配置される人物を陰で覆い明暗をはっきりを描くことで、崇高な自然と醜悪な人間を対置しているように思われる。ここでは、フィルム・ノワール調の明暗の対照化が見られる。シネマスコープによってワイドで自然を収められるため、人物と背景の対置はより一層引き立っている。
図1 雄大な自然と表情を覆う陰
図2 背景と人物の対置
また、俳優がその内面を曝け出すとき、白黒のシネマスコープは、クロース・アップのときに額から上を暴力的に切り取ることで、瞳の演技やまばたき、あるいは微細な表情の変化を際立たせる効果がある。特にこの作品は、仲代と高峰の目の演技が卓抜である。
図3 シネマスコープが切り取る顔のクロース・アップ
図4 高峰秀子のクロース・アップの表情
このような視覚的な構成以外に、本作で特徴的なものが音楽である。周知のように木下惠介の弟である木下忠司は、戦後の木下作品の音楽を担当し、日本映画史においても極めて重要な役割を担ってきた。本作における音楽は、これまでのような物語と自然を結びつけるようなメディアとしてではなく、すべての映像を構成する要素と対立しながら異化効果を与えるような機能がある斬新な音楽である。主人公の感情的な高まりと同時に、フラメンコの激しい音色とリズムに合わせて、熊本弁の唄と合いの手が入る。少しだけ例をあげれば次のような唄だ。
昔一人の女が鬼になったです
それはですな(それはですな)
好かん男のおかみさんになって子供ができたったい
そればってん(そればってん)
婿さんの子供も地獄の炎で火傷したったい
聴覚に訴えてくるのは、フラメンコギターの奏でる激しいリズムにのるローカルな言語、視覚に訴えかけてくるのは壮大な自然と、憎悪を剥き出しにする俳優たち。封建的で家父長的な社会と異国情緒溢れる音楽の異様な組み合わせが、歴史的に、かつて・そこにあったと思わせる固有の地から、物語世界を引き離している。30年間もの長い時を描写しているにもかかわらず、村の風景は、戦後的時空から逸れ続けているのだ。それではなぜこのような歴史から浮遊した物語が、リアリティをもって観客に迫ってくるのだろうか。
「愛情」と「憎しみ」、この二つは、どこまで対極にある概念なのだろうか。対義語のようにみえなくもないこれらの概念は、おそらく愛情/無視ほどに対極にあるものではないだろう。愛情/憎悪はコミュニケーションの対象として絶対的に他者を必要としているからである。この映画のリアリティ、それは、この映画が「憎悪」という普遍的主題を扱いながら、木下兄弟の異質なものを衝突させ、戦後的空間を普遍的な時空へと非歴史化するからである。また、それを最高潮まで高める俳優陣の生々しい演技は奇跡的に人間の本質をとらえている。男と女を繋ぐ「憎しみ」という日常的な営みが、ある時代特有の主題ではなく、またある特定の場所にのみ起こるものでもなく、僕たちの日常の実践であるからこそ本作の名優たちの感情の露出にはある種の親近感があるのだ。「憎悪」は「愛」などよりずっとわかりやすい概念だ。憎悪は歴史的な構築物というよりは、普遍的に、先天的に人間がもつ他者と繋がる最も強力な結び付きに他ならない。それは、しばしば「愛」を超えるといっていい。
この物語に登場する人物は、すでに〈何か〉が奪われている。それは戦争による収奪の連鎖であると言えるかもしれない。平兵衛は戦争により脚を負傷し、身体の一部を喪失している。その欠落を埋めるために、模範的な優等生であった隆の大切な恋人の貞操を奪う。それによる強制的な結婚により、隆はさだ子を奪われる。平兵衛の強姦によってできた長男の栄一は、そのような憎しみから生まれたせいで、母さだ子の愛を奪われている。弟の守人は、母の愛の欠落による栄一の自殺から大事な兄を奪われる。この物語には〈何か〉が奪われた弱者しか存在していないのである。大地主の息子であり、裕福で強者であるはずの平兵衛も同じく重要なものを喪失している。愛する女からは決してえられない愛、その愛は何十年経っても隆の方向へ向かっている。登場人物たちは、このような構造によって、すれ違い続けているのだ。その欠落を埋めるための「憎しみ」こそが、物語を駆動する中心的主題となっている。
憎悪と愛情。この二つの概念はどこか似ているようにも思える。紐帯としての「憎悪」、他者を結びつけるのにこれほど強力なものはないかもしれない。それは「愛」などという美しき繋がりをも簡単に超えるほどの強度をもった「絆」である。息子が自殺した後で仲代は次のように言い放つ。「ぬしと俺とは未来永劫に憎みあうぞ」。人間に普遍的な主題=憎しみが前景化することによって、歴史的コンテクストから乖離する物語。意図的だろうか、30年もの時間、戦前から戦後という激動の時代を描いているはずなのに、俳優陣の老い以外、この村は全く変わらない風景と、人間関係を提示し続けている。村の外部は徹底的に排除されているのだ。そのように人間の本質を描くからこそ、現代にも直結する物語として受容されることになるのだろう。「赦そう」その一言を仲代達矢に言わせるために、風景と人間が過去の一点に縛り付けられている。30年という時を経ても変わらない風景。そして憎しみという関係においてのみ繋がる夫婦。「愛」は、いつ消えてなくなるかわからない危うい感情だ。すなわち「愛」は、「憎しみ」ほど持続する確かなものではない。この物語の先に想像されうるのは、「赦す」とお互いに言うことができた夫婦が「愛」を育んでいく姿ではない。「愛」という不確かな接続ではなく、「憎悪」による断つことのできない強固な繋がり、それによって確かな生を感じ生きていく夫婦の姿だ。
北村匡平
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■