新保博久の特別論文「怪盗と日本人スパイと少女探偵と都筑道夫の創作翻訳」が、とても興味深い。翻訳というものの不可思議なところ、作業でもあり、創り出すものでもある、というところから創作そのものについて考えることになる。
日本において(と言うと、あたかも他国の事情にも通じているかのごとくだが)、外国の文学作品の受容、そのための翻訳は文化そのものにとって重いものであった。それは奈良・平安時代には中国文化の受容であり、明治期にとっては西洋文化であった。いずれも以降の日本文学に大きな影響を与え、平安期には源氏物語などによる国風文化の確立、明治期には漱石などによって日本近代文学が成立している。
ここで取り上げられている翻訳のシーンはもちろん、それより後の話であるが、現代とも違い、単に特定の作品の翻訳という話ではなく、それによって日本にある文学ジャンルが出現する、といった意味をも担っていた時代のことだと思う。しかしジャンルは「ジャンル」そのものとして存在しているわけではなくて、やはり特定の、しかしそのジャンルを規定するような作品の登場によって確立される。したがってその翻訳によって、日本なら日本におけるそのジャンルの受容ということになる。
くだくだしく定義してきたが、こういうふうな手続きを経て、日本には古来からはあり得なかったスタイルのものが、忽然と姿を現した。このことが私たち日本人の文化ばかりでなく、精神に及ぼした影響は、はかり知れないと思う。
その代表的なものが、SF と推理小説、昔で言うところの探偵小説である。これらの成立には、それなりの社会背景、文化、特に宗教が関わっている。世界観として直線的で、それはキリスト教のような、一神教の神に向かって伸びている線だ。それが私たちの社会、言語に翻訳されたとき、この論考にあるような様々の混乱やら変容やらを経た、というのは必然的なことだし、ちょっと愉快でもある。
誤解と反感を怖れずに言えば、日本の SF と推理小説は過去から現在に至るまで、欧米の傑作のレベルに達したことはない。それは、そのジャンル発生の源流に近いところにある作品の翻訳によってそのジャンルに遭遇し、翻訳作品を手本として外形を整えてゆく、という手法から出ることがないからだ、と端的に結論付けてよいと思う。そうでなく、何か内側に根源的なテーマを抱えて、手法や設定をたまたま SF 的にし、あるいは推理小説的にしたものについては、私たちはそれを SF や推理小説としては認識しない。
私たちが抱え得る根源的なテーマとは、私たち自身のものにしかあり得ない。テーマを翻訳し、借りてくることは不可能である。そしてジャンルとはその言語的な外形や手法以上に、最終的にはテーマによって規定されるものだ。この特別論文で最も面白かったのは、翻訳作業のタイトな締切などで混乱し、結末を適当に端折って「創作」してしまったという思い込みがあったが、後に確認すると、そんなことはなかった、という話だ。日本における「事情」を織り込む羽目になった「翻訳」は、その担い手の中ですでに「創作」に近いものと化していた、というなら、それは正しくそうだったのだ、と思う。
水野翼
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■