No.030【対話 日本の詩の原理】『魂の美しさについて―小熊秀雄篇』(後編 最終回)池上晴之×鶴山裕司×萩野篤人 をアップしましたぁ。2年半に渡って連載して来た【対話 日本の詩の原理】も今回で一応の最終回です。戦後詩人を巡る対話ですが、【日本の詩の原理】とあるように、自由詩の原理を巡る対話でもあります。最終回は小熊秀雄。今回の対話で小熊秀雄という詩人の真価が初めて明らかになったのではないかと思います。
詩人はパブリックイメージでは〝魂の美しさ〟を持った創作者です。が、現実はそうでもない。まあ一般社会と同じ。人脈で詩壇を泳ぎ回っている業界ゴロもいれば、詩のような詩が詩だと思い込んでいる詩人もいる。石川が見ていても、今の詩の現状は〝詩的〟止まりです。〝詩〟になっていない詩が多い。理由は簡単。過去の優れた詩との比較です。今現在書かれている大半が過去の秀作・名作に比肩できるとはとても思えない。
〝詩的〟と〝詩〟の違いは卵の白身と黄身になぞらえることができます。〝詩的〟な表現は世の中に溢れています。人によっても違う。「青い 青い」といった一行を読んで「素晴らしいなぁ、詩だなぁ」と感動してしまう人もいます。しかしそれが個々人の感覚を超えて優れた〝詩〟になるためには大きな飛躍が必要です。
【対話 日本の詩の原理】では優れた戦後詩人たちの詩を厳密に読み解いています。基本、意味とイメージから可能な限り詩人たちの表現意図を探っている。アトモスフィアとしての〝詩的〟をほぼ完全に排除しています。また優れた詩人たちの作品は彼らが生きた時代固有の言語像です。各時代固有の言語像として優れた詩が成立しています。テーマだけではありません。たとえば抒情詩にしても、時代ごとに書き方が、言語像が変わっている。同時代の言語像をテーマ、あるいは書き方として捉えられなければ優れた詩にならない。
【対話 日本の詩の原理】は未来の詩人たちに向けたメッセージです。はっきり言えば、文学が斜陽産業になるにつれ、短い詩ならなんとかなるだろうといった質の悪い創作者が急増しています。それと正比例して詩の質も急落している。これは小説の世界も同じ。ただ詩の世界で起こることは必ず小説の世界でも起こる。詩の方が先に堕落して小説がそれに続き、恐らくですが、詩の方が先に活路を見出し小説がそれに続くでしょうね。優れた詩を書くのに近道はありません。まともな詩の原理論は少ない。真摯によい詩を書きたいと思っている詩人の皆さんは【対話 日本の詩の原理】を熟読して学んでください。
■No.030【対話 日本の詩の原理】『魂の美しさについて―小熊秀雄篇』(後編 最終回)池上晴之×鶴山裕司☓萩野篤人 縦書版■
■No.030【対話 日本の詩の原理】『魂の美しさについて―小熊秀雄篇』(後編 最終回)池上晴之×鶴山裕司☓萩野篤人 横書版■
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