日本文学の古典中の古典、小説文学の不動の古典は紫式部の『源氏物語』。現在に至るまで欧米人による各種英訳が出版されているが、世界初の英訳は明治15年(1882年)刊の日本人・末松謙澄の手によるもの。欧米文化が怒濤のように流入していた時代に末松はどのような翻訳を行ったのか。気鋭の英文学者・星隆弘が、末松版『源氏物語』英訳の戻し訳によって当時の文化状況と日本文学と英語文化の差異に迫る!
by 金魚屋編集部
夜顔(「夕顔」)
牛車が六条に差し掛かったときのことでした。五条にお住まいの乳母の大弐殿ですが、御出家なさったのです、患いのためだとか。それを聞いて見舞わずにおられようかと、源氏は車を差し向けました。表門には閂が下されており、車で乗り入れられないので、乳母の倅の惟光を呼べと供を遣わせました。
迎えを待つ間、人気のない門前から辺りを見渡しますと、隣の破屋めいた小家を囲む檜垣の真新しいのが目につきました。その上半分は五間ばかりに渡って板材が格子状に組まれており、粗造りながらこれも真新しい白い簾が打ち掛けてあります。簾越しにぼんやりと愛らしい頭の影のようなものがいくつか並んでおりますのは、皆で隠れて大路の様子を覗き見ているのか。いや、あの簾越しに覗けるほど揃って丈高でもあるまい。踏み台にでも上っているのかな。はて、誰が住んでいるのやら、それにあの者らは。此度の外出は念入りに身を窶した御忍びで、前馬の一頭も従けておりませんでした。これでは誰だかわかるまい、源氏は益々目を凝らします。戸口も格子造りで半ば開け放たれており、隙間から見える内のしつらえは侘しげなものでした。「わがやどのいづこにありや」という歌の句があったのを思い出し、源氏は胸の内で「いづことてすめばこがねのみやとおぼえし」と続けるのでした。
垣の横木に青々とした蔦が蔓延り、しがみつくように絡まっているのにも目を奪われました。白い花のほころびた様は次から次へと我知らず美しく微笑む唇のようでした。「ゆきかうひとにこととへば」とひとり口ずさむ源氏に、あれに見える可憐な白い花は夕顔(夜顔)と申しますが、と供の一人が言い添えて花を指差し、「堂々たる花盛りに免じて、花のほかには目を瞑られませ」
「まことに美しい花だ」と源氏は声を漏らし、「一束手折ってまいれ」
供が戸口をくぐって花を求めると、出てきたのは単衣の裾を長く垂らして古めかしい扇を手にした童女でございました。「花のしっかりついているのを幾つか、これに載せてお渡ししましょう」そう言って、幾本か茎を手折って扇の上に置きました。

供は扇を受け取り、そろそろとした足取りで戻ってきました。供が戻るのと時を同じくして庭側の門が開き、惟光が現れました。供の手から扇の花を取って源氏に渡しながら、「鍵を探すのに手こずってしまって面目ありません。道端に長らくお待たせいたしまして、この通り誰も通らぬところなので人目につきはしませんが、どうかご勘弁を」
ようやく車を乗り入れて降りることができました。惟光の兄の阿闍梨、義兄の三河守、それに大弐の女も揃って源氏を出迎えました。尼姿の大弐も床から身を起こして迎えます。
「また若様のお目に掛かれてなんと嬉しいことか。婆はすっかり変わりました、このとおり出家をしましてね。今生にはもう諦めがつきました。これも自ら進んでしたこと。このうえ気掛かりがあるとするなら、ただもう若様のことばかりでございます。それはそうと、具合が良うなってまいりましたのですよ。きっと授戒に報いた冥加にございましょう」
「患いと聞いて」と源氏が返します。「たいそう切なく思ったが、いま今生に諦めがついたと聞いてなおいっそう切なくなった。どうか達者で私の立身出世を見届けておくれ。出家する外なかったなどと思うだけで胸が痛む。しかし、こうして顔を見たことで、生き甲斐ができただろう。極楽浄土へまっすぐ昇るには未練を残してはならないと聞くよ」そう訴えながら、源氏の目は涙に滲むのでした。
(第23回 了)
縦書きでもお読みいただけます。左のボタンをクリックしてファイルを表示させてください。
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■


