偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。
by 三浦俊彦
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■詳細な研究が待たれるテーマとして、Q調理専門学校の学園祭で催された「フルーツ盛り合わせコンテスト」の一件を忘れてはならない。学生8グループが、それぞれ5種類の果物をいろいろな形にアレンジして並べ、どれに一番人気が集まるかを競うゲームである。近隣の保育園、幼稚園、小学校の生徒を集めて、好きなグループのお皿の前に並ばせるのだ。
ルールは次のようなものだった。
1 フルーツは5種類とも使わなければならない。
2 フルーツ各種類10g以上50g以内、合計100g以上200g以内とする。
3 フルーツ以外に、一種類一個のトッピングアイテムを添付してよい。ただし、キャラクターグッズと食べ物は除く。
4 トッピングアイテムの原価は100円以内とする。
さて、A~H各チームは、次のフルーツを使用することがくじ引きで定められた。
A 桃 グレープフルーツ マンゴ 梅 ネクタリン
B ビワ クルミ キウイ 巨峰 さくらんぼ
C プチトマト 梨 ライチ いちご レモン
D 林檎 スイカ パパイヤ ザクロ キュウリ
E いちじく メロン ブルーベリー 杏仁 柚子
F 柿 パイナップル マスカット 夏みかん アボカド
G 銀杏 バナナ ピーナッツ 栗 ナス
H 温州蜜柑 ココナッツ ラズベリー カボチャ プルーン
それぞれのチームがどのような配置で子どもたちの支持を得ようと腐心したか(ウサギ型に切った林檎の周りにザクロの粒を配置したり、上半分皮を剥いた深紫の巨峰と柄をつけたままのピンクのさくらんぼとを同心円状に並べたり、メロンの果肉にブルーベリーの粒々を埋め込んだり、蜜柑の皮の上にプルーンのドライフルーツ片・生果肉片・ジャムを三色混合配置したり――)想像していただきたい。それぞれトッピングアイテムとしては、A…五色折り鶴、B…蝉の抜殻、C…ナイアガラの絵葉書、D…雲母、E…毛糸のポンポン、F…貝殻の首飾り、G…あれ H…ペアのサイコロ
が採用された。戦前の関係者の予想では、子供たちに、というより日本人に一番人気を誇りガムやアイスクリームのフレーバーにも採用度断然トップを記録する「いちご」を擁したC組が優勝候補の筆頭と見られ、オッズが大幅に傾いていた(食用というより常時スパイス扱いを出ないにもかかわらずフレーバー業界でいちごの唯一のライバルである「レモン」が含まれていることも大きな有利点と考えられた)。が、当日になってみると、今考えれば当然予想されるべきだったのだが、トッピングとして「あれ」を配置したG組にのみ子供たちが群がり大ウケし歓声を呼び、他の皿は全く見向きもされないほどだったのである。
バナナ以外は甘味の乏しいメンバーゆえ苦戦必至と予想されたG組がだ。
そう、G皿はデザイン的に見ても抜群のトッピングフィーチャーを遂げていた。末尾まで剥いた皮付きバナナ――50g制限にしたがって中身を三割ほどの名残惜しい長さで切断されたバナナとピッタリ並んで、バナナの全長かくあるべしというように、分身のごとく幻肢痛のごとく色濃い影のごとく、「あれ」の堂々一本がバナナ状に横たえられていたのである。子ども心にヒットしたのも当然だろう。こうして大穴G組がブッちぎり優勝を果たしたのであった。
番狂わせに誇りを傷つけられた人々が、コンクールの無効を訴え、訴訟を起こした。学園祭の催しで訴訟とは大袈裟に聞こえるが、それほどヒートアップしていたのだ。争点はというと、つまるところトッピングアイテムとして「キャラクターグッズと食べ物は除く」という条項があったにもかかわらず、「食べ物」を起用しているではないかという訴えである。一審(簡裁)・二審(地裁)ともに「あれ」が食べ物かどうかは不問にし、会期中コンクール決着前に異議を申し立てず審査結果の出た事後に初めて騒ぎ出した原告に過失があるとしてG組優勝は有効とした。が、上告審において、高裁ははっきりと「食べ物禁止条項に反したゆえG皿は無効」とし、原告の訴えを認めた。この逆転判例により、「〈あれ〉は食べ物である」という確固たる判例が残ることとなり、三十数年後にいよいよおろち元年が幕をあける暁に、おろち文化の一般的認知の思想的バックボーンとして公に作用したのである。(ちなみにこのフルーツ皿コンクールは、前年に近隣の音楽大学の学園祭でなされたコンクールにヒントを得たものである。そこでは七つのグループが、三種の楽器+一種の変則楽器で「赤とんぼ」の自由アレンジ版を演奏し、聴衆に聴き惚れ度を投票させるコンクールだった。各グループの構成は、A…マリンバ、クラリネット、オルガン+水琴/B…ティンパニー、笙、アルトサックス+木やすり/C…ピアノ、サヌカイト、パンフルート+風鈴/D…ケーナ、アンクルン、バイオリン+ラジオノイズ/E…ギター、尺八、チベッタンボウル+ワイングラス/F…アコーディオン、タンブーラ、バイオリン+拍子木/G…イリンバ、トランペット、タブラ+腸内気体。ダントツ優勝がG組だったことはいうまでもない。)
……この調理専門学校祭のG皿に群がった子どもたちから一人ぽつんと離れて「いちご」に惹かれるままC皿の前にぼんやり佇んでいた7歳の佐古寛司(本名:則武保彦)は、裏の空気を察して建前的大人都合を演じる鉤括弧つき模範児童だったのだが、まあ今考えれば抑圧激しい反おろち傾向の「危ない子ども」だったわけだが、そう、後に格闘技界であれほど露骨なおろち技を駆使して名をなしたあのマッチョ佐古=佐古寛司(本名:則武保彦)がである。自伝的回顧エッセイのうまさでも知られた佐古自身が談じた数々のエピソードにこの「フルーツ盛り合わせ」コンテストの件は一度も出てこない。そのかわり、あのときG皿に向かいそこねたという悔恨からくる無意識の反動か発奮か挽回衝動か反省かわからぬが佐古の回顧談には成人後の準おろち系武勇断がいく種類も語られてきたのである。肝心の子ども時代における反おろち的前歴を相殺するに足るかどうかは後世の判断を仰がねばならぬものの、たとえば……、
■ここで注意すべきことは、蔦崎公一なる男はもともと客観的にも主観的にも極北クラスの――角度によって凶悪にも陰鬱にも愚鈍にも見える――類い希なる醜貌であったという事実だ。◎◎◎◎夫の目尻を延ばして45度引き下げ、鼻を二倍に横に広げた顔と形容すれば近似値を得るだろうか(実際、国立科学博物館における「大顔展」のアトラクションに触発された蔦崎が勤務先の予備校の芸大コース情報処理センターにてCGソフトで自らの顔に逆操作を施したところ◎◎◎◎夫そっくりの顔が出現したという記録が当センター内ハードディスクに残っている)。その容貌ゆえの得失経験を自ら振り返るに「失」の割合が身も蓋もなく圧倒的に上回るとの結論に蔦崎は達していた。とはいえその醜男ぶりへの嫌悪や軽蔑に発する損失なるものはほとんどなく、むしろ逆――蔦崎の個性的な人相に一種「醜の貫禄」を感じ入った男や「野性味の魅力」に痺れた女に勝手に担がれたり畏れられたり買い被られたりしたための、要するに過大評価に由る迷惑なのだった。だからとて最近男もすなるエステといふものさらには整形といふもので今さら芸能人でいえば誰々にいや彼彼にいやお笑い芸人の此是くらいにいやいや其是くらいにも縮小標準化せんとの希望すら野望以前のフィクションたること重々尊重しているがゆえ蔦崎は、一気逆方式に出た。自ら似合わぬ旨鏡前三時間検討検証済みの頬髭・顎髭・口髭を大学二年時より伸ばしはじめ、コンタクトレンズを捨てて丸縁黒眼鏡を常用する道を選んだのである。その甲斐あって、そう、似合わぬ自然装飾が却って功を奏して、一種没個性髭面の演出に成功し、就職時(ただし非常勤採用であった)には一目平凡不細工フケ顔もすっかり馴染んで素顔の貫禄は一斑たりと漏洩せずにすんでいたのである。
とはいえ、二十代最終年・容貌的自意識過剰体質・独身男特有のオーラを、わずかの勉学欲・大なる好奇心・恋愛空想はちきれんばかりの予備校生(ちなみに栄泉予備校という環境は当時、特定の入学制限をつけていないにもかかわらず女子八十パーセント、二浪以上六十パーセント、四浪以上二十パーセント、五浪以上女子には結婚願望沸騰者過半、女子優勢の原因は不明、というデータが残っている)の将来的希望と不安まみれの感性がむざむざ無反応にやり過ごそうはずはない。教室内外において蔦崎の近辺頻繁に学生(予備校生の公式呼称は「生徒」か「学生」か、おろち元年以前の資料にあたるも不統一かつ曖昧である)が立ち居する時間が濃密に重なるやてきめんに、髭と眼鏡に埋め隠された蔦崎の素顔に深みを見破って、駄弁延々正面に座り込み蔦崎の顔からうっとり目を離そうとしない思いつめ型令嬢は二、三にとどまらなかったのである。
蔦崎はこの当時を振り返って、大学時代の吹奏楽サークルの先輩・井嶋達弥に対し江古田駅南口のカフェバーで次のように話している。【『蔦崎日記』、および井嶋達弥の談話から混合再構成】
なにせその予備校の講師って大半が一年契約毎年更新の非常勤だからさ、おれ専用の部屋はないんですよ。けど結構デラックスなところでね、東館の講師控室の隣にずらっと、非常勤講師のための読書用ボックス席の個室が並んでて。「講師席」とかって呼び慣わしてるんだけど。おれ授業始まる前とか終わったあととかよくそこで読書してったんですが、それ知ってる学生が何人か、入れ替わり立ち替わりおしゃべりしに来るわけ。完全にプライベートな防音空間で、好き勝手喋れてさ。だけど椅子は一個しかないから、学生はずっと立ってるわけなんだけど。中にはデスクの端っこに腰掛けちゃうフランクな学生もいるんですけどね。短いスカートの奥に白ちらつかせつつおれの肘スレスレに脚組んだりして。
今でこそちょッとした言葉や視線で「なんとかハラだ」といわれかねないしどこの大学にもそれ関係の委員会が設置されて学生便覧にも諸対策等が立項されてる時代だけどあの頃は、いや今でも予備校ってのはなんかこう、スキマ産業的っつうか、正規の教育機関気取らなくていいウマミで学生との間合もやる気次第というか任意というか、モラルを外れたというより超えたとこがありましてね、ていうのかハラスメントてのは権力関係において生ずる事態でしょ、とすれば学校とは逆に予備校じゃ、学生の方が権力を持ってるわけで。学生が講師を査定して、結果次第で不人気講師はあっけなくクビだから。てわけで単位やるやらないとか成績つけるつけないとか、そういう立場にない予備校講師ってのはほんとね。予備校で採点甘くしたって意味ないし、第一そもそもお喋りしに来る学生の悩みからして学業と生活が一体に溶け合ったファジイ系ですからねえ、予備校講師の仕事って生活カウンセラーの比重がもろ大きいんですよ、生活上ハンディを負った浪人生相手ってことで。男子学生からは勉強の妨げになるとかっつってズバリ性欲関係いうかね、そっち方面の解消法真面目に相談されましてね、何度かソープをおごってやったことありますし。女子学生からも受験勉強と彼氏との関係が両立できなくてとか、これもたいていセックス関係ですがね、いい加減にしろってくらい相談持ちかけられますから。いつ何があったってほんと、逆にそういう下ネタにとことん付き合わなきゃ職務怠慢ってなくらいで。よほどのことが起こらない限り講師が咎められることなんて、いや、僕ぁ教え子とどうこうなったことはありませんよ、少なくとも正常位的意味ではね。
一番印象に残ってるのはありきたりなセックス相談とは無縁の一学生でしたっけ。逆に直球というか、それにしてはどうもこの、中宮淑子という一浪の、つまり全学生中一番若い層の手足目鼻が接近頻繁随一の度をきわめ、そもそも初訪問時の状況からしておろち的であって、どういうことかというと、ええ、僕が下痢気味でしばらく、いやあ予備校ってのは激務のストレスがよく腸にくるんですよ、たぶん二十分ほどもトイレにこもってぶりぶりびちびちやってようやく納得いって手洗って出てったときこの中宮って女子学生がトイレドアのすぐ外で待っててですね、早い時間の廊下に誰もいないときでしたが、「ア先生。トイレに入ってくの見かけたんでずっと待ってたんです」と寄ってきてなにげに質問を始めたわけですよ。待ってたって、そりゃあまあ、いかにこのブサメンが恥かしがってどうすんだって言われそうだけど、朝のしんとした戸口で長時間、明らかに個室内大脱糞をやらかしていたとわかる、狭いトイレの個室から廊下までの距離だからブリブリ音しっかり聞かれてただろうし、なんともやっぱ恥かしいといううか、ああおれ、昔っから痔気味なんで十回くらい拭かないと茶色が消えねえんですよ、その何度も何度も拭いては流ししている水音もペーパー巻く音もしっかり聞かれたわけでますます柄にもない羞恥極まれりじゃないですか。
……この悪意はなかったかもしれない「ずっと待ってたんです」の一言によって蔦崎公一の脳裡に中宮淑子という小柄な学生がポジティブかつネガティブに、おろち系的な意味で一気に根を下ろしたのだった。以後もこの学生は階段をのぼってくる蔦崎を踊り場で見下ろし蔦崎の頭上すれすれにわざと文庫本を落としたり、「講師席」で蔦崎の傍らにすでに他の学生の姿を認めるやあからさまなフクレッ面形成して蔦崎にアピールしたりしていたらしい。ただし他の訪問者に対し均等に嫉妬の視線を放っていたわけではない。もし均等であったなら、蔦崎身辺におろ値の低エントロピー勾配も発生せず、おろち文化の発祥はもっとずっと遅れていたことだろう。『蔦崎日記』と『栄泉予備校99年度卒業アルバム』および教務課所蔵の個人情報カードを照合研究した結果、中宮淑子という学生の行動原理として、次のような事実が確かに読みとれるように思われる。すなわち、
①自分よりも「レベルの低い」女の先着に遭った場合、ごく自然に無視して、先着者と蔦崎との会話に自然な相槌を打ち、笑いを挟み、次第次第に押しのけて中断を暗に促すように、先着者の隣に執拗密着し三十度上方を向いて言葉を差し挟み続ける。
②自分よりも「レベルの低い」女の介入に遭った場合、笑顔で挨拶し、介入者をも快く談笑に引き込み、介入者の携えている鞄類を肘でさりげなくつつきながら次第に無視してゆく。
③自分と「同じレベルの」女の先着・介入に遭った場合、笑顔で挨拶し、先着者または介入者を自然に談笑に引き入れ、ただし必ず自分の方がつねに半オクターブ高い笑いを発するよう計る。
④自分よりも「レベルの高い」女の先着に遭った場合、爪を噛みながら二分間ほど先着者の背後にとどまって順番待ちのふりをし、蔦崎が自分に何か話しかけたとたんに黙ったまま膨れ面を作って退場する。そして蔦崎の帰路を待ち、駅近くで追いついて、「あのひと嫌いだな」と呟く。
⑤自分よりも「レベルの高い」女の介入に遭った場合、蔦崎との会話のピッチを上げ、一言でも介入者が音声を割り込ませると、膨れ面をして鼻の頭に汗を浮かべながら三十度下方を睨んだまま固着する。退場はしない。あとで蔦崎の帰路に追いついてきて、「あのひと、嫌いだな」と呟く。(④とは句点が異なることに注意)
⑥レベルの異なる複数の女の先着・介入に遭った場合、黙っていったん外へ出てラウンジのコーヒーサーバーから紙コップを持って戻ってきて蔦崎の斜め後ろで黙々と啜る。
彼我容貌の相対性に基づくこの種パターンは接近学生一般の共通傾向かもしれないが、とりわけターゲットとなる蔦崎先生の容貌が容貌であればこそ、その周辺すなわち接近学生自身に容貌への過剰な自意識を誘発していたという事情もあると思われる。
⑦先着者が男子であった場合(蔦崎日記によるとその頻度は一・五パーセント)、その容姿レベルの高低にかかわらず、蔦崎先生に「そのケ」がありはしないか、学生に「そのケ」がありはしないか、二人の視線の交錯率をしっかり記憶計算しているとしか思えない眼球運動と唇蠢動そして掌開閉。沈黙のまま背後にて待機。
これほどの争奪戦が演じられていながら学内の噂になった形跡ひとつ見あたらないのは、蔦崎が自ら決めた指定席が奥まった仕切壁の裏にあるという事情によるばかりでなく、集っていた学生らの心情が遊び半分でない真摯なものであったことによるであろう(男子もまた例外なく、「そういう目」で蔦崎先生を見ていたらしいのである)。無責任な噂の乱舞しかねぬ潜在空間の隙々はお互い本気系牽制波により潰しあわされていたということだ。いずれにせよ①~⑦的巧まざる戦略を繰り返すことにより中宮淑子はほどなく、暗黙になんというか蔦崎の中で第一等の地位を占めるようになった。いやむしろ、中宮淑子が一頭ぬきんでる存在となったのは、④⑤に記したような帰路における、次のような地道な努力の賜物であったと評すべきであろうか。【以下、『蔦崎日記』、井嶋達弥の談話、中宮淑子の日記、印南哲治(後出)への談話記録より文体合成】
中宮淑子は毎週おれの帰り道、黄銀台駅までの商店街のどこかでおれに追いつくのでしたっけ。途中まで尾行してきているつもりだったんでしょうか、しかし彼女の姿が正面の店のウィンドウに映ったりしてみえみえなのが可愛かったです。彼女自身は黄銀台駅を利用しておらず、反対方向の椙千代駅までバスに乗るはずなんですが、わざわざ道のり十分間同行してきて、おれが改札に入るのを見送って、またもとの道を戻っていくんですね。
彼女は駅まで三分くらいのところでおれに追いつくと、黙ってのど飴とか、ガムとかを一粒単位で差し出してきていたのですが、半年もするとやがて一本とか一箱の単位で、それもしばしば、封を切ってあるやつとか「これ、食べかけなんだけど」というのが混ざるようになってきました。食べかけといっても板チョコが斜めに折ってある残り三分の二だったりしたのですが、そのうちにどうやら、明らかに手ではなく歯で噛み折ったとみられる湿った断面のチョコレートを手渡してくるようになりましてね。
おれは気づかぬふりをして、彼女と並んで歩きながらそれを食べたりしました。彼女はそういうとき一言もしゃべらないので、おれも無言でした。
ある日ついに、彼女は、ドーナツ型のクッキーを半分囓って、残りをその場でおれによこしてきたんですよ。現場です。くるべきものがきつつあるかとおれは思いましたが、無頓着を装って歯形のついた湿ったカケラを口に放り込みまして。彼女は身長百四十五センチくらいで、髪を天辺近くで二つに分けてリボンで結んでいます。百八十七センチのおれから見るとなんだか腰というか股間のあたりにピンクのつがいの蝶がむずむずまとわりついているような感じです。
だから夏休みの前日、ついにくるべき段階がきたんですね。
お中元のご用はありませんか、と、松坂屋に勤めている卒業生がおれの読書している個室にやってきて、ギフトカタログと手作りのクッキーを置いていったんですよね。賢くて美しくて背の高い、印象に残っている前年の卒業生で、三浪して東京芸大の美術に入った子でしたが、天下の芸大を半年で退学して松坂屋ってのがすごいでしょ。在学中に講師席に一生懸命通ってきたクチじゃありませんでした。で、彼女が帰った少し後、例の百四十五センチの中宮が入ってきたのですよ。ちょっとわざとらしい間合いが、きっとここから出ていく美人を見咎めてちょっと待ってから入ってきたというタイミングでしたけどね。
「これなに」というから、いま帰った卒業生が作ってきてくれてね、食べる? と開けると、彼女不機嫌に「ふ~ん。まずそう」と言いながらつまみました。で、ひとかけら食べて「やっぱりまずい」と唾液付き半欠けを返してくるのですが、今までのパターン踏襲をもの足りながっている様子なんです。試されているとおれは感じましたね。試されてる。ここで怯んだら負けですから。おれは妙に合わせちまって、そうだな、このままじゃ不味いかもな。練ってくれたら食べる。口の中で。おれはそう言わないわけにはいきませんでしたさ。彼女の息が弾んでいます。「待ってね」と彼女はクッキーを再び口に入れ、おれは椅子に反り返って待ちました。
彼女が念入りに噛み砕き、唇を突き出しておれの掌に盛り上げた肌色の粘液。中宮淑子が口の中でどろどろに噛み砕いたクッキー。おれは掌から口に入れました。一気にポイッとやっちまうといかにも思い切ってるみたいですからここが肝心、平然とゆっくりゆっくり、舐めとるように味わうように。
腰掛けてもぐもぐほおばるおれの口もとを、ちっちゃい彼女が見下ろしてる構図はそれだけでちょいエロいです。仏頂面の名残を消さぬ流し目でした。この程度では動じないと言わんばかりです。このエロさは、バーリ・トゥードを初めて観戦にいったとき(たしか堀辺正史門下の骨法戦士がブラジリアン・ルタリブレ迎撃に出動した大会です)、アリーナ席でしたが、寝技の攻防白熱のさなかおれの真後ろのギャル二人が「鼻ツブせーっ!」「ハナ潰せーッ!」と鼻専門の声援を叫び続けていて(あの頃はバーリ・トゥードはほんとのバーリ・トゥードで、グラウンドで上になった方が相手の顔めがけガンガン頭突き繰り出すのが反則じゃなかったんですよ。あれが許され続けてればヒョードルよりマーク・コールマンが最強だったかも)、その「鼻ツブせーっ」の残響を思い出してヘルス十回分の興奮にあとで浸ることができたあれに似ている感じでした、中宮淑子監視下での唾クッキー糊の一食はそれほどにね。しかし冷静に見ているのか。ふーん、やるな、と思って、もういっかい。もっとしっかり練ってくれなきゃ相談聞かないよ。もうひとつ。もうひとつ。とおかわりを次々に注文し、彼女も平然ともぐもぐぶちゅっと応じて計四回だったかな、クッキーを噛み練っておれの掌に押し出し続けてくれました。どれも歯の間からポタン、と塊を落とすのではなく、ニューッと幼稚っぽく唇突き出しマヨネーズのようにジェル状を絞り出してくれるのがなんか素質でした、素質。で、掌に同一パターン五回目くらいにジェルを受け取ってもぐもぐ飲み込んでいったところで彼女、急にぐったりと表情を崩して「先生それってありー? 病気にならないー?」
耐えていた何かが、急にこらえきれなくなったように、目を見開いています。限界だったんですかね。急にしらふにね。「だって、きみ病気じゃないだろ?」と咄嗟に信頼してやると、「うーん。じゃないけど……」と目を泳がせたまま口すぼめて頷いてました。
育ちのいい予備校生のレベルって、所詮これが限界だったんですよ。
「先生、なんかへんー」と連発していました。
なんだか勝ったな、と思いましたね。おれはかわいくなって、
「直接口から口に落としてもらえばよかったな」中宮淑子はこのときには不覚の動揺から回復していて、真顔で「そうだねー……」
ちょうど二浪生が幾人か入ってきて他愛もない噂話を始めましたが、中宮淑子はいつもよりずっとリラックスして余裕を持って談笑を仕切っていましたっけ。……
実のところ蔦崎公一は生来極度の潔癖性であって、実家に住んでいたときも家族ですきやきをつつきあうパターンをひとり嫌って取り箸の確保を主張するなど、唾液・体液の類に関し人一倍の拒否反応を抱えていたことが判明しているので、右の一件実現に至るまでには相当の情緒的定常波が蔦崎内に浸透していたと見るべきであろう。このことがあってから、蔦崎のビザール度を試す中宮淑子の挑発は止み、というより必要なくなり、二人は一段階高次の精神的関係に至ったと評することができる【『蔦崎日記』、中宮淑子の日記より】。
(第6回 了)
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■ 三浦俊彦さんの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■