詩を定義するのは意外に難しい。私たちが詩と呼んでいるのは、正確には「自由詩」のことである。自由詩には形式上はもちろん、内容的にもいっさいの制約がない。行分けで書くのが一般的だが、散文詩でもいいし、口語体でも文語体でもいい。俳句のように1行で表現しても、1万行を超える長い詩でもかまわない。また詩的と呼ばれるような、意味やイメージに飛躍がある詩でも、ほとんど小説と変わらない物語のような詩でもいいのである。自由詩は形式・内容面でほとんどなにも制約のない表現である。
ただそうはいっても定義のようなものはある。自由詩は明治維新とほぼ同時に、新しく日本文学に加わった表現である。現代人には想像しにくいだろうが、江戸の人にとって詩とは漢詩のことであり、代表的詩人は頼山陽(らいさんよう)や菅茶山(かんちゃざん)らだった。芭蕉や蕪村の俳句は俳諧と呼ばれ、詩(漢詩)とは区別されていた。また江戸時代には和歌(短歌)は天皇や貴族、武士がたしなむ高貴な表現であり、俳句(俳諧)は庶民(特に町人)が楽しむ下世話なものであるという共通理解があった。つまり江戸時代には現代と同様に詩と短歌と俳句の三つの詩のジャンルが存在していたが、詩の内容だけが明治維新とともに激変したのである。
日本で初めて作られた勅撰集(天皇の命によって編纂された詩集)は、平安時代初期成立の漢詩集『凌雲集』(りょううんしゅう、弘仁5年[814年])である。延喜5年(905年)成立の、最初の勅撰和歌集『古今和歌集』よりも約100年も早い。しかし千年以上も続いてきた漢詩の伝統は、明治維新(1868年)によって実質的に日本文学から消滅した。かわりに登場したのがヨーロッパ詩を模倣した新体詩(現在の自由詩)だった。そこにはかつて日本が体験したことのない、大きな文化的変化があった。
日本は古代から中国文化をその規範としてきた。漢字を学びそこから仮名を作り出した。幕末に至るまで学問とは漢籍を勉強することであり、文学といえば漢詩を読み、作ることを意味した。しかし明治維新を境に、日本は有史以来続いてきた文化的規範を中国からヨーロッパ(欧米)に変更したのである。それは日本が初めて経験する文化パラダイムの根本的大転換だった。今後もこのような激変はそう何度も起こらないだろう。
維新後の日本社会ではいわゆる欧化主義によって、政治経済システムから庶民生活に至るまで、すべてが欧米を規範に組み直された。文学も例外ではなかった。短歌や俳句は生き残ったが、小説は江戸時代とはまったく異なるヨーロッパ的な形式と内容に変わった。そして詩では漢詩が滅び、新体詩(自由詩)が新たに生み出されたのである。
自由詩は明治維新以降の欧化主義を最もストレートに反映した文学である。その特徴を端的に言えば「自我意識文学」ということになる。夏目漱石が近代小説の祖と言われ、彼の「近代的自我意識」が盛んに議論されるように、明治時代の文学者が最も敏感に反応したのはヨーロッパ的な強い自我意識だった。江戸時代までの家や身分制度にとらわれない自由な個の自我意識をどう表現するのかが、明治の文学者の根本テーマだったのである。
日本の自由詩が短歌・俳句の影響から完全に抜け出して独自の表現を確立したのは萩原朔太郎の『月に吠える』(大正6年[1917年])からである。もう百年近く前のことだが、彼の詩は古びない。今読んでも新鮮である。朔太郎の詩は意味や技法面から様々に解釈されているが、それは間違いなく彼一人だけの独自な表現で、本質的にあらゆる伝統から断絶していた。少なくとも無縁であろうと指向していた。つまり自由詩とはたった一人の人間の自我意識に根ざした孤独な表現である。作家の強い自我意識に貫かれていれば、それはどんな形式・内容であろうとも自由詩として成立するのである。
(夢枕獏『タイポグラフィクション カエルの死』光風社出版・昭和60年[1985年]刊より表題作部分)
夢枕獏は現代から時代もの、SFやノンフィクション的小説までを書き分け、驚異的な速度で作品を量産し続けている日本を代表する流行作家である。彼の文壇デビュー作は『カエルの死』であり、昭和52年(1977年)4月に筒井康隆主宰の同人誌『NULL』に掲載された。この作品を含む夢枕の試みは、後に『タイポグラフィクション カエルの死』(以下『カエルの死』と略記)として1冊にまとめられた。本のタイトルにあるように、タイポグラフィを多用した作品集である。
夢枕は後記で「これは、おそらくは世界でも初めての本である。小説の棚にもコミックの棚にも絵本の棚にも、どの棚にも並んでおかしくない本である」と述べている。『カエルの死』は作家によって、どの文学ジャンルにも属さない、あるいはどの文学ジャンルに属してもよい独自の本だと認識されている。ただ夢枕は『カエルの死』を詩集だとは明言していない。しかしわたしたちはこの本を詩集と呼ぶのをためらわない。作家の強烈な自我意識に貫かれた独創的な形式と内容は、詩(自由詩)の本質だからである。
処女作には作家の本来的な資質が必ず表現されているという。『カエルの死』にもそれは言えるだろう。夢枕獏の詩、あるいは夢枕文学全体を貫く大きな特徴は〝過剰さ〟にある。なるほど確かに彼は既存の枠組みに沿って小説作品を書いている。しかし彼の作品は一つの器には収まらない。いったん書き始められた作品の多くは長大な連作となり、次から次へと物語が溢れ出してくる。主題別にいっても同じことだ。登山や釣りをテーマに作品を書き出せば、それは無限増殖的に次の作品を生んでゆくのである。
タイポグラフィ詩は20世紀の初頭にフランスの詩人・アポリネールによって始められ、すぐに大正から昭和初期の日本の詩壇に移入された。萩原恭次郎の『死刑宣告』(大正14年[1924年])や北園克衛の一連の作品などが先駆的な試みである。しかし夢枕のタイポグラフィ詩は、彼らの作品から本質的にはなんの影響も受けていない。夢枕が処女作でタイポグラフィの手法を使ったのは、とめどもなく溢れ出してくる自己の表現欲求を、できるだけ単純化して捉えるためだったと思われる。いわば創作者としての自己資質の根源的確認作業である。
(『タイポグラフィクション カエルの死』より『未完成創造曲「運命」』部分。『未完成創造曲「運命」』はタイトルも含めて上下逆に印刷されているが、本稿では読みやすいように180度回転させて掲載した)
『カエルの死』には夢枕の表現欲求のエスキスが表現されている。それが最も端的に表現されたのが『未完成創造曲「運命」』だろう。作品は「おれは だれだ?」、「おまえは犯罪者だ。狂った悪魔」という自問自答から始まる。しかし犯罪者で悪魔だという答えは、ありきたりの、とりあえずのものでしかない。俺は自分の真の姿を執拗に追い続ける。「ああ おれは だれなんだ。思い 出さねば 世界が 終わる。世界が 閉じる」と自己の内面へと問いを深めてゆく。そして実際に「世界が 終わ」り始めるのである。
(同、部分)
俺は誰なのか?という問いの答えが得られなければ「時がゆれる。次元がゆれる。世界がずれる!」、作品世界が崩壊してしまう。しかしどうやっても真の答えは見つからない。だが作品世界がズレ、崩壊しても、俺の存在が、俺がいったん発した本質的な問いかけが消えてしまうわけではない。世界が崩壊してもなお、「この世に生まれたおれたちはもはやひたすら走るだけ」なのである。
(同、部分)
俺は次第に言葉を失ってゆく。「ななななななんだ」、「ほらほらほらほら」、「わわわわわ」という擬音しか発することができなくなる。そして「ぴょん」と飛躍が起こる。それは俺の存在と、作品世界全体を賭けた命がけの飛躍である。この飛躍は渦を巻く音符の形でグラフィックに表現されている。
(同、部分)
作品のクライマックスでは「あの声は人間。俺は神だ」、「あの声は人間。おまえは神だ」、「俺たちは人間。あんたは神だ」という三つの断言が、「これは(それは/ここは)かたわの・・・・・・宇宙だ!!」という形で統合される。この弁証法的統合は論理的なものではない。夢枕獏の作品行為における、断絶を含む飛躍的統合である。夢枕は俗悪で卑俗な人間世界から、絶対的な神の領域にまで駆け上がる。それによって「かたわの」、つまり不完全ではあるが、ある種の調和を有した作品「宇宙」ができあがるのである。
(同、部分)
『未完成創造曲「運命」』には夢枕文学のエスキスがつまっている。それは神と指揮者(作家)と人類(人間)によって奏でられる。未完成で終わるかもしれないが確かな創造の試みであり、その完成に向けてひた走るのが夢枕に与えられた運命である。「最終小説」という夢枕のヴィジョン、あるいはイリュージョンが生まれてくる理由がここにある。またタイポグラフィ詩で示されたような明確な図像的イメージや擬音は、夢枕の小説読者にはなじみ深いはずである。人間世界(俗世界)から神の世界(天上界)へと飛翔するために、その最大の効果を引き出すために、夢枕作品の視覚的イメージは常に明瞭である。またその飛躍の困難を示すように、言葉にならない言葉が、擬音が多用されている。
『未完成創造曲「運命」』は音符のないメビウスの帯状の五線譜で終わる。ある調和を有する宇宙に達したと言ってもいいし、ここから再び音楽が奏でられ、言葉が湧き出すのだと言ってもいい。また詩集『カエルの死』では、作品タイトル以外に「カエル」という言葉は現れない。「ゲコゲコ」、「ぴょん」という擬音でその存在が示されるだけだ。比喩的に言えば夢枕獏の小説は、カエルがぴょんと飛躍して姿を消した後に、カエルが死んでしまった後に始まるのである。夢枕の作家としての思想の根幹は、詩集『カエルの死』で十全に表現されている。
あまり大きな声で叫んでいるために
世界は不気味な沈黙だ
その沈黙の中で
おれはおのれの肉(からだ)に海のような心音(リズム)を聴く
おれが望むのは
おそろしく破壊的なものだ
創造の初めにかえるための力だ
弱いものは死ぬ
と 言いきるための
おれが求めているのは
無難な言葉ではなく
危険なものだ
文法的な意味ではなく
ましてや人間的なものでもなく
天について正しい言葉だ
おまえとおれとが違うにしても
そのどちらもが正統であるべきものだ
(『岩村賢治詩集 蒼黒いけもの』夢枕獏・篇より『自分戦争』全篇)
夢枕は『カエルの死』のほかに、もう一冊詩集を刊行している。小説『キマイラ・吼』シリーズに登場する放浪の詩人・岩村賢治の創作ノートから、夢枕が作品を選択したという体裁を取った『岩村賢治詩集 蒼黒いけもの』である。もちろん作者は夢枕である。この詩集には詩人・谷川俊太郎が序文を寄せている。谷川は「言わずにはいられないことを言っている、書かずにはいられないことを書いている、しかも言ったこと、書いたことに満足していない。ことばになりえないものを求めてあがき、作者は自分で自分の感情の巨きさをもて余している」と書いている。谷川の序文は必要充分な内容であり、またとても的確だと思う。
引用の作品『自分戦争』にあるように、夢枕の詩は断言から構成される。一つ一つの言葉、思想を言い切っていくのである。「おれが望むのは/おそろしく破壊的なもの」であり、それは「創造の初めにかえるための力」である。俺は「弱いものは死ぬ」と「無難な言葉ではなく/危険」な言葉を吐く。しかしそれは「天について正しい言葉」なのだ。たとえ「おまえとおれ」が弱者と強者に分かれ、貧者と富者、悪人と善人に分かれても、「そのどちらもが正統である」と描くのが夢枕貘の作品世界である。
現在の文学界全体の思想的、経済的な行き詰まりを反映して、多くの詩人が小説を書き、小説家もまた詩を書くようになっている。誰もがこの苦境からの突破口を求めて試行錯誤を繰り返しているのである。しかし小説の本質、詩の本質を理解しないまま始められた試行錯誤は結局は無駄に終わるだろう。夢枕は本能的に詩とは何かを知っている。本質を捉えている。彼は恐ろしく勘のいい作家だ。日本の自由詩ではその創始者である萩原朔太郎を好み、自分の資質に最も近い宮沢賢治の詩を愛好している。また『陰陽師』シリーズではしばしば『唐詩選』から漢詩を引用する。それは江戸期までの日本の詩の中で、最も古い基層をなす作品である。夢枕は詩の勘所をおさえているのだ。
夢枕の作品は地上(俗世)と天上(神世界)を往還する。その直線的な道筋を力強く描き出すのが詩である。小説はいわばその肉体である。実際に歩き始めれば必ず生じる様々な困難を描くのである。夢枕にとって詩とは地上と天上をつなぐ稲妻のような断言であり、小説は迷妄の地上から清澄な天上へと向かう苦しい登山、あるいは神的世界から濁世への滑落あるいは帰還である。この作家は時間があり、出版社からの要請があればいくらでも詩集を量産するだろう。夢枕獏はすぐれた詩人である。
鶴山裕司
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■