小原眞紀子さんの『文学とセクシュアリティ 現代に読む源氏物語』(第042回)をアップしましたぁ。本格的『源氏物語』読解の『文学とセクシュアリティ』も、ついに今回で完結です。長期間ありがとうございました。『文学とセクシュアリティ』については修正・増補の後、小原さんの他の著作と一緒に一挙刊行予定です。単行本化できる小原さんの原稿はかなり溜まっているのです。著者の方に一つ一つ質の高い作品を仕上げてもらい、それを刊行してゆくのが文学金魚の方針です。もちろん同一著者の複数書籍同時刊行は、文学金魚を世の中にアピールするための方策でもあります。今のところですが、そういった著者を主要執筆者にできているのは、文学金魚にとってとてもラッキーなことであります。

 

こういうことを書くと詩人の皆さんは脊椎反応的に怒り反発なさると思いますが、石川は詩人は概して怠惰だと思います。〝詩人であること〟を、たいして仕事をしないことの免罪符にしているようにすら見えます。4、5年に一度詩集を出し「売れないよぉ」と嘆きながら、詩の業界内を走り回って人脈作りをして、実にささやかな利権の奪い合いをしているように石川には見える。お洋服はもちろん、食事や住むところ、好みの文学者まで薄っぺらいブランド漬けになって恥じない詩人すらいます。呑気を通り越して愚劣です。

 

詩の世界はジャーナリズムが未熟です。ただ詩人が能動的に動かなければ何も始まらないからこそ、詩と詩人は文学の原点なのであります。知性と感性を研ぎ澄まし、誰に頼まれることなく次々に仕事を作り出し仕上げる詩人こそが、次の時代の文学ヴィジョンを作り上げる可能性があると石川は思います。作家にとっては自発的仕事が一番重要です。どうしても書きたいことを書くわけです。しかし現状の詩人さんたちはメディア頼みの「企画仕事」が大好きです。数ヶ月で消費され、決して年を越えないやっつけ仕事に躍起になっている。それでは絶対的にダメなのです。また小説家たちですら苦しくもがいている現状では、詩人さんたちはその数倍は努力しなければなりません。

 

小原さんは『制度=男性性を揺るがしたり、あるいは逆に育成したりするエネルギー=女性性という図式は、この文学セクシュアリティの授業で一貫して見てきたものです。歴史を通して制度と構造、それを無化し、また安定させる力=エネルギーを捉えようとするのなら、日本における女性性の概念について、またその総本山である源氏物語について意識に上らないはずがありません』と批評しておられます。『文学とセクシュアリティ』は『源氏物語』論だけでなく、原理的日本文学論だということです。『文学とセクシュアリティ』で明らかにされた思想は古典にも現代文学にも、また創作にも援用可能な質のものだと思います。

 

 

小原眞紀子 『文学とセクシュアリティー 現代に読む源氏物語』(第042回) ■