Interview:三浦俊彦×遠藤徹 対談(2/2

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三浦俊彦:昭和34年(1959年)長野県生まれ。都立立川高等学校卒業後、東京大学文学部美学芸術学科を卒業。東京大学大学院人文社会系研究科(美学芸術学講座)教授。美学・哲学の研究者で小説家。和洋女子大学名誉教授。代表作に『M色のS景』、『この部屋に友だちはいますか?』、『サプリメント戦争』、『エクリチュール元年』など。文学金魚で『偏態パズル』を連載中。

 

遠藤徹:昭和36年(1961年)兵庫県生まれ。東京大学文学部英米文学科・農学部農業経済学科を卒業。同志社大学言語文化研究センター教授。アメリカを中心にした現代文化の研究者で小説家。代表作に『姉飼』(日本ホラー小説大賞)、『戦争大臣』(小説)、『プラスチックの文化史―可塑性物質の神話学』、『ケミカル・メタモルフォーシス』など。文学金魚で『贄の王』などを連載中。

 

三浦俊彦氏と遠藤徹氏は二十数年来のお知り合いで、共に大学で研究活動を行いながら小説を書いておられる。また小説の傾向は異なるが、必ずしも既存文学の枠組みにとらわれない作品を目指しておられる。今回は映画などを題材に、お二人の文学に対するお考えや、理想とする文学について自由に語っていただいた。なお司会は文学金魚編集委員の小原眞紀子さんに行っていただいた。

文学金魚編集部

 

 

 

■純文学とエンターテイメント小説について■

 

遠藤 吉村萬壱の『クチュクチュバーン』はお読みになりましたか。

 

三浦 昔遠藤さんから紹介されたけど、まだ読んでないな。

 

遠藤 『クチュクチュバーン』は「文學界」新人賞受賞作で、その後、吉村さんは『ハリガネムシ』で芥川賞を受賞されたんです。『ハリガネムシ』は完全に芥川賞を受賞するために人間を描いた小説なんですが、『クチュクチュバーン』は人間が出てこないんです。いろんな生物が合体して膨らんでいって、最後にバーンと爆発するという話しです。浅田彰さんがすごく高く評価していましたね。『クチュクチュバーン』は画期的な作品だったと思ます。吉村さんはデビュー前に京大新聞の新人賞に応募した作品があって、それはある日突然空から金星人と火星人が降ってきて、地球人をグチャグチャ潰していくだけの話しなんですが、そういう状況の中で主人公はサウナに入っている(笑)。この作品は本にはなってなくて、僕は新聞社の人からコピーを送ってもらって読んだんですが、そういった作品には魅力がありますね。

 

小原 笙野頼子さんとかが好きそうな作品ですね(笑)。

 

遠藤 笙野さんは僕の作品を、すごく評価してくださったんです。

 

小原 ああ、そうだと思いますよ。

 

遠藤 純文学誌の「新潮」にも三回作品を掲載させてもらったんですが、笙野さんはすごく誉めてくださいました。

 

小原 笙野頼子さんの最高傑作は、私は『母の発達』だと思います。でもああいった作品は文壇的な評価にはのってこないじゃないですか。彼女は『タイムスリップ・コンビナート』で芥川賞を受賞していますが、どちらかと言えば、それを受賞するための型にはまった作品を書いた時に、お約束としてご褒美が出る。その作家の本質とはあまり関係ないところで文壇の賞は決まってしまうところがありますね。

 

三浦 でもわかるような気がしますけどね。ちゃんとした作品が書けるかどうかを評価するのが賞だとも言えますから。

 

小原 ただ一般の読者は、賞を受賞した作品を代表作だと思うわけでしょう。特に女性作家がその人らしい作品を書いても、なかなか評価されにくい。男寄り、あるいは制度にすり寄った時に評価される傾向が強いです。あれは読解力がないからそうなるんでしょうか。それともわかっていて制度に寄り添わせよう、忠誠心を試そうとしているんでしょうか(笑)。

 

三浦 そういう意味では、エンターテイメント小説の世界は純文学の世界と違って、どれだけ本が売れるかで評価されますよね。

 

小原 その点、エンターテイメント小説業界はわかりやすいですね。けれども一方、現状では出版社のマーケティングによって、本が売れたり売れなかったりするし。出版社がこの本を売ろうと思ったら、あるわかりやすいラインを決定しなくてはならない。

 

三浦 僕も売れる本を書きたいと思うんだけど、今まで読んだ、いわゆる売れた本というのはやはりいいんですよ(笑)。それはほとんどエンターテイメント小説なんだけど、高見広春の『バトル・ロワイヤル』、鈴木光司の『リング』、『らせん』、それから谷川流の『涼宮ハルヒ』シリーズなんかを読みました。どれも学生に勧められて読んでみた本なんですが、やっぱりよかった(笑)。自分でこれは面白そうだなと思って選んだ本よりも、売れるだけのことはあるなぁと思いました。『バトル・ロワイヤル』なんか、文章はド素人なんだけど、エンターテイメントとして流れを追っていくと素晴らしい。あれは第二作は出てないのかな。

 

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遠藤 書けなくなっちゃったんだよね。

 

三浦 ああそうかぁ。僕はあの作品は素晴らしいと思うのね。ハルヒや西尾維新なんかもライトノベルと聞いていたから、赤川次郎みたいな作品なのかなと思っていたら、ぜんぜん違っていた。赤川次郎も百冊以上読んでますけどね(笑)。『バトル・ロワイヤル』は別だけど、たいていの売れた本は文章もいいし内容も面白い。これは確かに売れるなぁと思いましたし、見習わなきゃならないなとも思いました。

 

小原 女性では、江國香織さんなどは純文学気質の作家ですが、児童文学出身で文壇の制度からなんとなく外れている。そうすると、とりあえずエンターテイメント小説の区分に置かれてしまう。あるいは本が売れているという時点で、純文学ではあってはならないという不文律でもあるのかな(笑)。先日、『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』で谷崎潤一郎賞を受賞されて、なんだか皆、ほっとしたというところがあります。

 

遠藤 でも村上春樹さんなんかは、純文学なんだけど、エンターテイメント小説を遙かにしのぐ売り上げですよね。

 

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小原 『火花』もそうですが、作家の持つ背景やイメージによってマーケティングして、「純文学として売った方が売れるのか、エンターテイメント小説として売った方が売れるのか」という命題が出版社に突きつけられる。(笑)。作家としても、作品を書いて発表する場を確保するためなら、純文学とかエンターテイメント小説とか、なにか札を首からぶら下げる必要があるんだと言われれば、別にかまわないでしょう。

 

三浦 内容本位なのか、表現本位なのかで、純文学とエンターテイメントに大別されるのが基本でしょうけどね。それにしても『火花』を読んでも、最新の純文学を読んでも、あまり表現で勝負しているようには見えませんね。『火花』は評価されて当然だと思うけど、新しさがないね。読む前に結末がすごいという口コミを聞いてて、期待していたんだけど、これじゃダメだなぁと思ってしまった。Fカップくらいじゃ納得できないなぁ(笑)。もっと取り返しのつかない結末にしてほしかった。

 

小原 普通人だったら取り返しがつかないと思うかも。三浦さんが特殊作家だからじゃないですか(笑)。

 

三浦 あと主人公の漫才コンビの最後の舞台のネタがつまらすぎた(笑)。もっと面白いネタにしてほしかった。いい作品なんですが、あのくらいでいいんだろうと世間に思わせてしまうという点では、不満が残りますね。

 

小原 『火花』は売れましたが、そのわりにはすごく面白かったという話しはあまり聞かない。芥川賞なんだからメチャクチャ面白くてどうする、とは思いますけど(笑)。

 

三浦 ただところどころ、アフォリズムっぽい表現もあるしね。さすがにお笑い芸人は頭がいいなと思いました。これは見習わなきゃなりませんね(笑)。遠藤さんはお笑いは見ますか。

 

遠藤 お笑いは大好きです。

 

三浦 僕も学生が卒論でお笑い論をやったりすることもあって、義務のようにお笑いを見ていますけど、やっぱり面白いですね。

 

 

■アートの大衆性について■

 

小原 お笑いはモンスターとか、異形のモノに通じるところがありますね。異形性を感じさせるくらいラディカルなお笑いをやっている人は、いつか第一線で活躍するし、型にはまっているとなかなか抜けられない。

 

三浦 ただまあ、テレビは昔よりも保守的になっていると思います。だけど僕の家には今、テレビがないんですけど(笑)。十六年間テレビなしです。本当は見なきゃならないでしょうね。お笑いはDVDとかで見ています。

 

小原 メディアが多様化して、かつて二流と言われていたようなメディアの方が自由なことができる状況なのかもしれません。制度疲労があらゆるジャンルで起こっている。それを言うと芥川賞もそうなんでしょうが、文藝春秋社は今までも似たような危機を乗り越えてきた(笑)。

 

三浦 僕は文学賞は今のままでいいと思うんです。純文学の現状とかに関しては、僕もいろいろ苦情を言いたい点はありますが。

 

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三浦俊彦著『この部屋に友だちはいますか?』

平成六年(一九九四年)河出書房新社刊

 

遠藤 芥川賞を受賞した作家でも、注目されるのは受賞した前後くらいでしょうね。

 

三浦 ただ芸術は、一般の人にもある程度わかりやすいものでなくちゃならないよね。今、アートワールドの権威に、マルセル・デュシャンなんかがなっちゃっていますね。デュシャンの『泉』――便器にサインしただけの作品ですが、それが二十世紀最大の芸術ということになっている。でもデュシャン自身は、あれを芸術のつもりでやっていない。悪戯だったわけです。それを美学者が、僕も美学者の端くれとしてこれは良くないなと反省するところがあるんだけど、アート業界の人間があれを持ち上げて、いつの間にか二十世紀最大の芸術になってしまった。デュシャンは特権的な芸術を嫌って芸術と生活を一致させよう、芸術を民主化しようとしたわけだけど、逆になってしまっている。『泉』が最大の芸術ということになってしまうと、一般の人はわけがわからない。便器が最大の芸術だと言われると、自分にはわかんないや、難しすぎるよということになってしまう。つまりアートがよりエリート主義的になってしまったんですね。もし芥川賞が本当に前衛的な、ものすごくわかりにくい作品に授与されるようになってきたら、必ず文学は堕落していくと思う。だから普通の小説に賞を与えるというのでいいんです。地に足が着いていないとどっかで勘違いしちゃうからね。ただまあ実際には、わけのわかんない作品の方が面白かったりするんですが(笑)。

 

 

■好きな作家について■

 

遠藤 僕は小説で一番誰が好きかと言われたら、やっぱりカフカかな。

 

小原 人間じゃないものが出てきますものね(笑)。

 

遠藤 でもカフカはすごいリアリズムなんですね。描いている世界は不条理ですが。『城』なんてどうやってもたどり着けないわけです。

 

三浦 遠藤さんは今、小説を読んでいますか。僕はぜんぜん読んでいないから、少しは読まなきゃならないなぁと反省しているところなんです。

 

遠藤 読んでいますよ。小説を読むのが一番暇つぶしになるからね(笑)。

 

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遠藤徹著『戦争大臣』

平成二十二年(二〇一〇年)角川書店刊

 

三浦 僕の暇つぶしは、どうしても映像になっちゃうんだな。

 

遠藤 映像も見ますけど、家はテレビは子供たちが占領していますから。

 

三浦 そういう外力がないと、活字を丹念に追う気にならないね(笑)。読むとなると、どうしてもお勉強の英語の論文とかになっちゃうんだよね。小説をじっくり読むという余裕がなくなってきちゃった。

 

遠藤 確かに今、ジョイスの『ユリシーズ』を読めるかと言ったら、ちょっとしんどいよね。もっと軽いものしか読まなくなっています。

 

三浦 軽い気晴らしを読むか、もしくはきちんと読み込んで、博士論文を書けるようなものを読みたくなっちゃうよね。

 

遠藤 歯ごたえのある小説を読むのは、若いときにやっておかなきゃならないよね。

 

三浦 若い時に、それなりに小説を読んでおかなきゃならないなと思って、古今東西の大作、名作を読んでみたけど、たとえばドストエフスキーなんか、とんでもなくくだらないと思ったんですが、遠藤さんはどうですか。

 

遠藤 僕は割と好きです。『悪霊』なんか、かなり好きな小説です。

 

三浦 トルストイも、『アンナ・カレーニナ』とかはいいんだけど、中には『復活』とかとんでもなくくだらない作品があってさ(笑)。読むに耐えないわけだけど、それは僕が間違ってるのかな。

 

小原 どういう視点から読むか、ということもあるんじゃないですか。

 

遠藤 ドストエフスキーは、すごいエンターテイメント小説だと思います。『カラマーゾフの兄弟』なんて、推理小説みたいでしょう。

 

三浦 『カラマーゾフ』も僕はくだらないと思うんですよ(笑)。

 

遠藤 面白いと思ったけどね。若いときに読んだから、今読むとどう思うかわからないけど。

 

三浦 やたらと表現が大仰じゃない。昔の小説だからしょうがないのかもしれないけど、今ああいう書き方をしたら、高く評価されないでしょう。

 

遠藤 でも彼は流行作家だったんだよね。みんながあれを読んでいたっていうのは、ちょっと驚きですね。ほかに何も娯楽がなかったせいかもしれないけど。

 

三浦 文学も進歩してるよね。今の方が洗練されているでしょう。表現技法とか、楽しませる要素を詰め込んでいる。

 

小原 ただそれは、夏目漱石を読んでへたくそな現代小説だと言うのといっしょで、漱石がいたから今の小説があるわけでしょう(笑)。

 

三浦 そう言えば、朝日新聞が漱石の作品を再録するのはやめてくれないかな。あれはどういうつもりでやってるんだろう。

 

遠藤 漱石は朝日新聞に小説を連載してたからね。

 

三浦 一回掲載すればそれでいいじゃない(笑)。

 

小原 今、文学の方向性みたいなものがぜんぜん見えなくて、とりあえず原点に帰るしかないってことじゃないですか。その原点が、たぶん朝日新聞は漱石しか思いつかなかった。(笑)。

 

三浦 僕は大学院は比較文化・比較文学というところにいて、そうするとテーマがいつも「漱石とラフカディオ・ハーン」なんですよ。その二人の特集ばっかりで、みんなそれを研究しているんです。

 

小原 その組み合わせは学内事情以外、よくわからない(笑)。

 

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三浦 いい加減、その組み合わせはやめてほしいと思っているんですけどね。最初にそれをやった人がいて、その流れを今でも受け継いでいるだけなのかもしれませんが。ハーン文学の価値が高いとは思えないし、国際的価値があるとも思えない。漱石だって、国際的に評価されているかというと、あまり普遍性はないでしょう。

 

小原 漱石は日本が欧米文化にさらされた時に踏ん張った人だから、国内的にはとても重要だけど、国際的に評価される筋合いは最初からないかも(笑)。

 

三浦 漱石とハーンで論文を量産している学者を見ていると、それでいいのかなぁと思ってしまうところはありますね。作家はそれはまあ、賞をもらうことを目的としたり、文壇でどう生きていくかといった悩みはあると思うんですが、学者はもうちょっと冒険してもいいんじゃないかなぁと思うんですよ。

 

小原 学者として研究しがいがあるのは、むしろ森鴎外では。学者さんの世界でも、人気投票的な心理が働いているのかもしれませんが(笑)。

 

三浦 そうね。学者がもっと頑張らなきゃならないのかな。

 

 

■学問と文学について■

 

小原 文学もやはり学問なので、ラディカルに、原理的に作品を読んでいく人がもっと現れてもいいと思います。

 

三浦 小説家が文学論を書いたり、対談とかで文学について語ったりしますけど、あれはあんまりよくないなと思ったりはしますが。

 

小原 漱石が『文学論』を書いたのは、小説という芸術を理解するためでしょう。それが把握できたらもう文学論を書く必要はない。小説家は、小説を書いている時が一番楽しいはずですから。

 

三浦 文芸誌から声をかけられると、露出の機会を逃したくないんでああいう文学論を書いたりしてるのかな。私は一番お世話になった文芸誌での対談を不義理にも辞退したりしてましたが。

 

小原 ・・・・・・漱石は家庭人としては非常識ですが、文学や学問に関しては極めてまっとうでしたね。文学者志望の男の子からファンレターとかが来ると、「余計なことを考えずに勉強しろ」と(笑)。

 

三浦 でも勉強しろとは言うけど、あんまり指導はしてくれないんだよね(笑)。今は論文指導とかあるけど、われわれの学生の頃もそういうのはなかったよね。

 

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遠藤 なかったですね。

 

三浦 論文をどう書いていいかわからないまま、適当にでっち上げて提出したりしていたわけです。今はもう大学一二年の頃から、マニュアルに沿って手取り足取り論文の書き方を教えたりするわけだけど。僕なんか、ひどい卒業論文を書きましたよ(笑)。遠藤さん、自分たちの頃とくらべて、今の学生ってどう思いますか。

 

遠藤 うーん、あんまり面白いものは感じないなぁ。

 

三浦 僕は自己否定するようで忸怩たる思いがあるんだけど、今の学生の方ができるような気がするよ。

 

遠藤 そうかなぁ。まあうちの学部はまだ卒論が一本も出ていないからわからないけど、僕が見ている限りでは、けっこう常識的なことを書くのに終始していますね。

 

三浦 でも今は情報の扱い方が以前とはぜんぜん違うね。僕が東大に在籍していた頃よりも、今の学生の方が知能指数が高いんじゃないかと思います(笑)。会話している端からどんどん調べていくからね。情報による脳細胞の刺激の仕方が違う。

 

遠藤 でも一冊の本をじっくり読み込む能力は下がってるね。

 

三浦 ただそういう根気的な能力がどこで実を結ぶかというと、学者になったりする時だけなんだよね。一般社会で重宝されるのは、やっぱり情報処理能力だよ。

 

小原 ところで文学金魚で『偏態パズル』をお読みの方はおわかりでしょうが、三浦さんは偏態の偉い人ですよね(笑)。けっこう危ういことを書いておられるわけですが、そのへんの限界コードみたいなものはあるんでしょうか。

 

三浦 大学はコンプライアンスをうるさく言うようになってるけど、明らかな犯罪を犯さない限りだいじょうぶじゃないでしょうか(笑)。

 

遠藤 むしろネットにいろんな真偽不明の情報をさらされる方が困るかもね。

 

三浦 うん。逆に言うと、今の時代は何をやろうと隠し立てできないからさ。僕がいるところは美学芸術学だからね、いわゆるいかがわしい資料だって必要なんです。ポルノグラフィの美学というのもちゃんとあるわけですから。

 

 

■衝撃を受けた作品について■

 

小原 それではまた、掲載できるお話しに戻しましょう(笑)。お二人が今まで一番インパクトを受けた映画はなんですか。

 

遠藤 大学に入ってから二十歳の時に見た映画ですが、寺山修司の『田園に死す』です。

 

三浦 僕も見ました。でもぜんぜんいいとは思わなかったな(笑)。

 

遠藤 何歳の時に見ましたか。

 

三浦 ああそうか、年齢も関係あるよね。四十歳は過ぎていました。でも年がいってから見て衝撃を受ける作品が本物なんじゃないかな。若い頃すごいと思った作品を今見直してみると、なんだ、たいしたことないじゃんって感じることはよくあることですよ。

 

遠藤 今見ると確かにそうかもしれませんね。

 

三浦 どんなところに衝撃を受けたんですか。

 

遠藤 やっぱりイメージですね。『田園に死す』とかは、一般的な映画とはまったく違うふうに作られているでしょう。それまで見たことのない映画だったってことも、衝撃を受けた原因ですね。こんなことができるんだって思いました。

 

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遠藤徹著『贄の王』

平成二十六年(二〇一四年)未知谷刊

 

三浦 僕は今まで見たことのない映画だって感じたのは、ヤン・シュヴァンクマイエル監督の作品かな。

 

遠藤 僕も見ましたけど、だいぶ年を取ってから見たからなぁ。最初に見たのは短編ですけどね。ケネス・アンガーという監督はご存じですか。シュヴァンクマイエルと同様、実験映画を撮っている監督です。ホラーで言えば、やっぱりデヴィッド・クローネンバーグ監督かな。一番最初に見たのは『ヴィデオドローム』です。一般映画ではジョン・カーペンター監督の『遊星からの物体X』ですね。

 

三浦 あれはすごいね。ただ目が肥えちゃうってのは悲しいもので、『遊星からの物体X』は時間が経ってからもう一回見たんです。そうすると、CGに馴れちゃった目から見ると、ちょっとクリーチャーの動きがぎこちないんだよね。

 

遠藤 頭に足が生えて走り回っているクリーチャーは、ちょっと忘れられないですね。

 

三浦 クローネンバーグもいいけど、デヴィッド・リンチ監督の『イレーザーヘッド』は傑作だったな。

 

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三浦俊彦著『サプリメント戦争』

平成十三年(二〇〇一年)講談社刊

 

遠藤 あの映画は音が、ノイズが素晴らしかった。

 

三浦 僕はつい最近衝撃を受けた映画が一つあって、ラース・フォン・トリアー監督の『メランコリア』なんです。僕は予備知識なしに見たんです。最初は鬱の主人公の心象風景が描かれているんだろうと思った。現実の惑星ではなく、心象を象徴的に表現しているだけだろうと。でもだんだん現実らしくなってきて、あれれと思っているうちにラストシーンまで突入していっちゃったから、誤解して見始めたがゆえに、衝撃を受けたということもあるのね。でも映画の前半は、心象風景だっていう解釈も可能なように作られてるじゃない。そこがすごいなと思いました。

 

遠藤 僕は三浦さんに勧められて見たんだけど、みんなが虚無感を抱えて、慌てもせず、最後に滅びを受け入れるところがなんとも言えない衝撃を与える映画ですね。

 

三浦 これはいいことかどうかわからないけど、僕は自分がいいと思った映画は、その理由が明確に言えるんですね。僕が『メランコリア』で一番衝撃を受けたシーンは、旦那がインターネットなんか見るなよと言っているのに、妻が見てしまうところ。ネット上の画面に、詳細な図で地球に衝突して地球を滅ぼす惑星の軌道が描いてある。人間ってそうだよなぁって思ってしまった。地球の終わりがわかっていても、せっせと計算して、解説付きで世に発表するヤツがいる。そういうことを、最後の最後までやる動物なんだよなぁと思って衝撃を受けたんです。予備知識なく見ると、それも思わせぶりな挿話に見えるんだけど、実際に地球が滅びてしまう映像の後では、そのリアリティが迫ってくるんだな。ああいう映画があるから、映画はみなくちゃならないなと思います。音楽が始まるとげんなりしちゃうってところはありますけどね(笑)。

 

遠藤 ラース・フォン・トリアーは、人間が嫌いなんじゃないかと思いますね(笑)。

 

小原 音楽は情緒に訴えかけるから、映画では観客の感情を一定の方向にまとめあげるために音楽を使いますね。三浦さんはそれがイヤなわけですね(笑)。

 

三浦 イヤですね。みんな同じでしょ、これはこう感じるよねって、念を押されてるような感じがイヤなんです(笑)。

 

遠藤 映画は大衆芸術で、わかりやすくないとダメだからね。

 

三浦 大衆のレベルはそんなに低くないでしょ。

 

遠藤 う~ん、どうかな(笑)。

 

小原 マスの欲動に乗っかる心地よさもあるし、それに徹底して逆らう心地よさもありますよね(笑)。

 

三浦 でも大衆もうるさいなと思いながらも、映画ってこういうもんだって思ってるところがあるんじゃないかな。たまにBGMがないような、ちょっと変わった映画に触れるとすごくショックを受けて、初めからこういう映画が見たかったんだってなるじゃない(笑)。前任校で学生がある発表で、シュヴァンクマイエルの『アリス』を取り上げて、ディスニーの『アリス』に比べていかにこの映画がすごいかを語ったりしたことがあるわけです。でもそんなこと、わかりきってるじゃない(笑)。

 

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小原 テレビドラマとか、わかりきったシーンは飛ばしたくなることがありますね。

 

遠藤 でも『半沢直樹』なんかはそれがいいんですよ(笑)。

 

三浦 『半沢直樹』は面白かった(笑)。あれはDVDで買って一気見したけど面白かった。続編やらないのかな(笑)。

 

小原 そういうとこだけ普通のオジサン(笑)。

 

三浦 徹底して俗なものも好きなんだよ。だって『バトル・ロワイヤル』とかもいいって言ってるわけだからさ(笑)。

 

 

■三浦氏と遠藤氏の今後の作品について■

 

小原 お二人の今後の創作の予定や展望はどうですか。

 

三浦 それは僕は明確にあります。もっと小説を書かなきゃならないなと思います。文学金魚で連載している『偏態パズル』は、クライマックスはもう決まっています。そこにいついかせようかというだけの話しなので、心配しないで見守っていてください。収拾がつかなくなっているわけではないです。ちゃんと完結します(笑)。

 それと『下半身の論理学』や『戦争論理学 あの原爆投下を考える62問』もそうなんだけど、ああいうふうな、人が嫌がるものを書きたいと思います。本当は重要なのに、誰も言おうとしない、右派も左派も嫌がるようなテーマの本を書きたい。原爆について話し始めると激論になるから、日本の新聞はどこも取り上げるのを嫌がる。下半身の話しもそうで、男も女も嫌がる。下ネタが好きな人間ほど嫌がるところがある(笑)。そういった本は売れないかもしれないけど、売れない隙間のことを正面から書いて、それを強引に売りたい。『下半身の論理学』や『戦争論理学』も今のところ売れている気配はないんだけど、そういったテーマで売れる本を書きたい(笑)。

 また次の本はフェチ論を書く予定なんだけど、学問は結局フェチなんです。さきほどのデュシャンの話しなんか、大量の概念フェチを生んでいるわけです。コンセプトに酔うタイプの、妙に芸術ずれした人たちを生んでいます。そういう概念フェチを中心に据えて、学術論文に相当するような本を一冊書こうと思っています。この本では芸術の定義を正面から扱おうとも考えています。そうするとどこまでが芸術か、どこから芸術ではないかという論点が出て来る。曖昧な領域が生じるわけで、そこで盗撮ビデオなんかも取り上げたい。あるいはこの前文学金魚に『芸術作品としてのポツダム宣言─レディメイド文学の提唱─』という講義を掲載しましたが、便器がレディメイドの芸術なら、レディメイドの政治文章や法律の条文を持ってきて、それを文学作品化するということもやってみたい。文学で最も先鋭的なのは、アートや音楽ですでにやられている前衛的な試みを再現することじゃないかと思うんです。文学を実践しながら、そこに今までの自分の仕事を綜合してゆくような試みをやりたい。

 まだあるんですが、大学モノを一つ書きたい。これについては遠藤さんとコミュニケーションを取りながらやっていきたいと思いますが、フェチ論を合体させた形でやるかもしれないな。というのはフェチ論を論じている大学教授が、大学内のいろいろな仕組みのゴタゴタに巻き込まれて窮地に陥るという話しを書きたいんです(笑)。筒井康隆の『文学部唯野教授』をもっとシリアスにした感じかな。たまたま僕は大学を代わったわけだけど、そこで得られた経験なんかも入れて、大学というものを相対化するような作品を書きたいですね(笑)。

 

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遠藤 僕は研究書に関しては、だいたい書き終えた本が二冊あります。さきほどちょっと話しに出た、スーパーマンとバットマンを題材にした本です。スーパーマンが初めて登場するのは一九三八年ですが、アメリカの二十世紀の始まりからスーパーマンが登場する時代の背景や経緯を書いたものです。KKK(クー・クラックス・クラン)など、アメリカの精神の根幹が形成される時期を論じたものです。この本にはヴィジュアルをいっぱい入れようと思っています。見ても楽しいような本にしたい。バットマン論の方は現代アメリカ論です。つまり9.11後のアメリカを論じた本です。この二冊は同時刊行か、二冊続けて出すことになると思います。

 もし書けたら書きたいと思っているのが、文芸評論なんだけど、「人間のいない文学」というのを書きたいです。昔僕が思いつきで言ったのは、バルタン星人が地球人の文学を読んだらどう評価するのかというアイディアでしてね(笑)。「ウルトラマン」第二話で,バルタン星人は,イデ隊員に「人間の命をなんだと思っているんだ」と問われて、「命? わからない」と答えるんです。大変痺れるお言葉です。そういう視点で文学論を書きたい。バルタン星人が評価する文学ってどういうものかということでもあるんですけどね。

 小説は、僕は書いたけどまだ発表していない作品がいっぱいあるんです。そういうのをちょっと書き直して出していく作業も必要かなと思っています。新しい作品は、一つはエンターテイメント小説になりますが、これは売れる本を目指していきたい。もう一つは純文学系ですが、言葉にこだわって、言葉でしか表現できない世界を小説で書いてみたい。映像化不可能な言葉の小説世界ですね。

 

小原 よろしければ文学金魚にどんどん発表してください(笑)。

 

三浦 売れる本を書くのは難しいよね。

 

小原 今はどんな本が売れるのか、誰にもわからない。もし売れるとしても、人に指図されて売れたって結局は続かない。ああしろこうしろと言われて直しても、売れなければ結局は作家の責任(笑)。自分が狙った通りに売れたら面白いし、仕事も続きますよね。世間の反応には敏感でなきゃならないですが、五〇歳を超えてまだ書きたいことが山ほどある作家は、好きに書いて発表する方法を考えた方がいいですよ(笑)。

 

三浦 売れないことを誇っている、斜に構えた作家もいるようだけど、やっぱりある程度売れなきゃねぇ(笑)。でも前言を撤回するようだけど、売れてる本って確かに面白いんだけど、内容はそこそこなんです。僕が本当に素晴らしいと思う作品は、音楽でも映像でも文学でも、なぜか売れていない。それはちょっと不安になりますねぇ。つまり自分が本当にいいと思って書いたものは売れないのかなって思ってしまう(笑)。信念を持って素晴らしい作品を作っている人はたくさんいる。でも信念を貫くと売れないのかなって思っちゃいますね(笑)。僕は七十歳まで大学教授を続けるつもりはなくて、定年後はすぐ執筆活動に入りたいんだけど、それにはやっぱりちょっと本が売れなくっちゃね(笑)。売れるものを書きながら自分の信念を貫くのが理想だね。

 

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小原 じゃあ、そろそろ録音は終わりということに。後は三浦さんと遠藤さんのオフレコのお話しをたっぷりお聞きします。今日はありがとうございました。

(2015/09/08 了)

 

 

 

 
贄の王 天才児のための論理思考入門