Interview:宇野亞喜良(1/2

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宇野亞喜良:昭和九年(一九三四年)愛知県名古屋市に生まれる。父親は室内装飾家で母親は喫茶店「白薔薇」を営んでいた。名古屋市立西陵高等学校図案科を卒業後、カルピス食品工業株式会社に入社し、広告やパッケージデザインを制作する。三十五年(六〇年)、日本デザインセンター設立と同時に入社。三十九年(六四年)、日本デザインセンターを退職し横尾忠則、原田維夫(つなお)氏と共にスタジオ・イルフィル設立。同年、横尾、和田誠、瀧本唯人、山下勇三、山口はるみ氏らと東京イラストレーターズ・クラブを結成。四十年(六五年)、スタジオ・イルフィルを脱退しフリーになる。講談社出版文化さしえ賞、赤い鳥さし絵賞、日本絵本賞、読売演劇大賞選考委員特別賞、紫綬褒章、旭日小綬章など受賞多数。

 

宇野亞喜良氏は二十代から一貫してイラストレーターとして活躍してこられた。書籍や雑誌の表紙・挿絵はもちろん、その範囲は各種パッケージデザインやポスター、絵本などにも及ぶ。半世紀以上のお仕事の中で作風は様々に変わっているが、誰もが一度は目にしたことのある作品であり、戦後のイラストレーションを界を牽引し続けてきた画家である。宇野氏はまた寺山修司作品を始めとする舞台美術も数多く手がけておられる。今回はイラストレーションはもちろん、舞台人との交流についてもお聞きした。なおインタビューには文学金魚で演劇評を連載中の星隆弘氏にも加わっていただいた。

文学金魚編集部

 

 

 

■イラストレーションと演劇について■

 

金魚屋 文学金魚はインターネット上の文芸誌なんですが、宇野さんはネットはあまりおやりになりませんか。

 

宇野 ネットはやらないというか、よくわからないもので。パソコンをやり出すときっと面白くなるとは思うんですが、面倒なんですよね。紙だと読みたいところというか、興味のあるところだけ見ればいいわけですが、ネットはいろんなところに情報が分散しているでしょう。なんだか路地に入り込んでしまうような気がして(笑)。

 

金魚屋 そうですね。文学金魚でもコンテンツは基本的に削らないでアップし続けています。それにはメリット、ディメリットがありますね。その気になれば全コンテンツを読めるわけですが、迷路的になってしまうのも確かです(iPadで文学金魚をお見せする)。

 

宇野 文学金魚のロゴやイラストなんかは、コンピュータ上で色指定するんですか。

 

金魚屋 画像をスキャナーで取り込んでいます。文字やイラストの背景は白なので、バックの色はコンピュータ上で追加しています。宇野さんはバックの色まで指定されますよね。

 

宇野 僕は実際に背景に色を付けることが多いんですが、付けない場合は色指定します。これは劇団新宿梁山泊の『星の王子さま』(作・寺山修司、演出・金守珍(きむすじん)、構成・美術・宇野亞喜良)のポスターなんです。原画の上にトレーシングペーパーをかけて、赤が何パーセント、黄色が何パーセントとか指定するんです。

 

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劇団新宿梁山泊公演『星の王子様』のポスターについて説明される宇野氏

 

 

金魚屋 宇野さんのイラストは、白い部分が白という色に見えます。それはプロだなぁと思います。宇野さんは映画と演劇がかなりお好きですね。

 

宇野 好きですね。でも最近は責任ある批評を依頼されることも多いんですが、映画でも演劇でも、途中で眠っちゃったりしてね(笑)。

 

金魚屋 演劇好きは、子供の頃に宝塚をご覧になって以来ですか。

 

宇野 子供の頃は寝るってことはなくて、ちゃんと見てましたけど(笑)。演劇は好きだったんでしょうね。僕は名古屋生まれなんですが、戦後名古屋に御園座という、東京で言うと歌舞伎座のような劇場ができたんです。そういう戦後の復興期に演劇を見ていました。当時は左翼系の演劇人が多くて、舞台が終わると役者が出てきてアジテーションを喋ったりとか、スクラムを組んでロシア民謡を歌ったりしていました。

 

金魚屋 新劇の人たちは、なぜか左翼系だったですね。

 

宇野 文学座だけが岸田國士、久保田万太郎、岩田豊雄という日本の作家が三人寄って結成された劇団ですから、左系ではなかったですけどね。宝塚ももちろん違いますが(笑)。劇団青俳の、岡田英次さん主演でフランスのマルセル・パニョル原作作品でしたが、劇が終わってから芝居には出ていなかった木村功さんが登場してきて、やっぱり花道で一席ぶって帰っていったことがありました。その後の木村功からは想像できませんが、初期は左翼青年だったんですね。劇団青俳だけじゃなく、前進座なんかも左系の感じでした。

 

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金魚屋 当時の宝塚は何を上演していましたか。

 

宇野 よく覚えていませんが、宝塚には、それまで見ていた新劇なんかとはまるっきり違う熱気がありました。劇の後半になると、観客がみんな立ち上がっちゃったりしてね。僕は宝塚を見た後、気持ち悪くなって三日間寝込んじゃいました(笑)。当時は宝塚はダメでしたねぇ。

 

金魚屋 劇とレビューの組み合わせというのは今と同じですよね。

 

宇野 そうです。母親が演劇とか舞台が好きでしてね。母親に連れられて、妹と一緒に宝塚だけじゃなく、松竹新喜劇や漫才なんかも見に行っていました。劇団民藝が戦後に最初にやった舞台だと思いますが、『その妹』っていう劇があるんです。それも見ています。だから歌舞伎から文楽まで、今考えるとちょっと不思議ですが、いろんな舞台を見ていたんです。

 

金魚屋 宇野さんは演劇好きですが、お仕事はイラストレーター一筋ですね。

 

宇野 そうなんですが、舞台の仕事をする時も、これも一種のイラストレーションだなという感覚があります。つまり普通のイラストレーションだと、それを発表・掲載する出版なり映像なりのメディアがあるわけです。そこでは予算なんかも含めて、限られた条件の中でイラストレーションを作っていきます。それは演劇も同じですね。劇を見る人たちを考えながら背景の絵を描いたり、ポスターをデザインしたりするわけです。制約がある中で対象に光を当ててゆくというのは、イラストレーションも演劇も似たようなところがあります。

 

 

■新宿梁山泊について■

 

 先日、新宿梁山泊の舞台『ハムレット』を拝見させていただきました。あの舞台はポスターやチラシはもちろん、舞台美術も宇野さんが手がけておられますね。

 

宇野 『ハムレット』では、その前の前の舞台で使った人形たちを使いました。普通は旅芸人の一座が父親殺しのシーンをやるわけですが、それを人形でやったんです。

 

 江戸糸あやつり人形座ではないですよね。

 

宇野 違います。結城座は独特の糸の吊り方をするんです。江戸糸あやつりですね。『ハムレット』に出た人形たちは、出使いと言って、手で直接人形を持って操るんです。

 

 あの演出はすごく劇的でした。

 

宇野 以前やった芝居は中国の話だったんです。その時の中国の王様が、そのまんま今回も出ています。

 

 旅芸人の一座が和風だったのは、そのせいなんですね。

 

宇野 そうなんです。シェイクスピアのオリジナルでは、北欧かどこかの事件を舞台にしているわけだから、中国風じゃまずいわけですが、アジアの劇団一座を呼んだという演出にしたんですね。

 

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劇団新宿梁山泊公演『ハムレット』ポスター

イラストと題字 宇野亞喜良

 

 舞台美術は集団制作になると思いますが、どのような手順を踏まれるんですか。

 

宇野 実にプリミティブですね。イラストレーションは絵をどう配置して、ロゴをどこに置くかとか、ある生理に基づいてやるわけですが、舞台装置はちょっと違います。お金がある劇団だと、こちらが描いた絵を渡すと東宝舞台とか、プロの職人さんたちが作ってくれるわけだけど、この前見ていただいた新宿梁山泊などは、劇団の男の子たちが金槌とノコギリを使って舞台装置を作ります。そこに僕が絵を描いてゆくんですが、隣で役者たちが稽古しているんです。そちらの方にはライトが当たっているんだけど、描いてる僕の方には理想的な光が来ないんです。だから薄暗い中で、風になびいているカーテンとか石垣とかを、ベニヤ板にダイレクトに描いてます。看板屋さんに近い仕事ですね(笑)。体力がいります。

 

 梁山泊さんのブログに、舞台美術制作中の先生の写真が掲載されていました。こういうふうにお作りになるんだなぁと思いました。

 

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劇団新宿梁山泊公演『ハムレット』舞台美術制作中の宇野氏(新宿梁山泊HPより転載)

 

宇野 贅沢な劇団ではないですから、そうせざるを得ないんです(笑)。

 

 客席の右側に、フクロウの顔をしたモナリザがありましたね。

 

宇野 よくモナリザだってわかりましたね。

 

 最初はオフィーリアかなと思ったんです。でも調べてみると、あれは二年くらい前に梁山泊さんが上演した『少女仮面』(唐十郎作)で使用されていました。

 

宇野 そうです。ああいう死を覗かせるような風景は、シェイクスピアの中にも、唐さんの中にもありますね。

 

 役者があそこから出入りするわけですが、その時ライトが当たってドクロが浮かび上がるようになっていて、とても効果的でした。ハムレットが墓を掘るシーンでもドクロが登場しますから、イメージが統一されていましたね。

 

宇野 新宿梁山泊は、骸骨が出てくる芝居が四つか五つあるんです。梁山泊はよくご覧いただいているんですか。

 

 実は『ハムレット』が初めてです。でも宇野さんのイラストは、劇場でもらうチラシなどでしょっちゅう拝見しています。

 

宇野 やっぱりチラシは大事なんですね。宣伝効果を果たしているわけだ。

 

 次にどの舞台を見ようかと考えるとき、やっぱり一番先にチラシを見ますね。

 

宇野 後になって、この舞台の内容に、こういうイラストレーションは合ってなかったなって思うこともあるんですが、もう刷って撒いちゃってますからね。僕たちの仕事っていうのは週刊誌的で、一週間で記憶から消えてゆくだろうから、そんなに責任感がないというか、適当なやり方で描いている部分もあります(笑)。

 

 

■舞台美術について■

 

 チラシのイラストレーションをお描きになる時は、実際に戯曲の台本なんかをお読みになるんですか。

 

宇野 読みます。これは今年東京芸術劇場で上演した『新宿版千夜一夜物語』のポスターです。寺山修司さんが一九六八年に書いた芝居なんですが、寺山さんからこの芝居のポスターを頼まれた時にはまだ戯曲台本ができていなかったんで、絵を先に描くことになったんです。で、裸の女性が自分のおっぱいを絞って母乳をカップに入れている絵を描いたんですが、それを寺山さんがおもしろがりましてね。技術の人と相談して、実際に乳房から母乳が出るようなキャラクターを芝居の中に入れたんです。だから厳密に劇の内容とポスターのモチーフがつながっていない場合もあります。また台本はちゃんと読んだんだけど、自分のイメージに近づけるために、わざと誤読する、間違った解釈をすることもあります。一度そういう誤読をすると、なんとなく劇が自分の物になったような感覚があって面白いんです。また演劇では、そういった誤読が許されるようなところがあります。極端なことを言うと、役者なんかは、お客さんの質とか雰囲気によって、微妙に毎日演技を変えたりすることがあるわけです。だから僕がヘアーとかメイクまで美術担当する時は、役者さんに毎日変えてもいいよって言うんです。今日はこういう感覚でやりたいと思ったら、青白い男が浅黒い男に変わってもかまわないんです。

 

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Project Nyx(プロジェクト・ニクス)公演

『新宿版千夜一夜物語ハムレット』ポスター

イラスト 宇野亞喜良

 

 役者さんのメイクも担当なさるんですか。

 

宇野 ここがポイントだなという役者さんは僕がメイクします。梁山泊の『ハムレット』ではハムレットやオフィーリア、それにオフィーリアの父親のポローニアスなんかを僕がメイクしました。ポローニアスは髷が結えるくらい髪の毛が長い役者さんだったので、僕がハサミでジョキジョキ短く切っちゃって、通いのデザイナーに、リーゼントにしておいてくれって頼みました。舞台芸術の仕事をすると、そういった造形ができるんです。

 

 シェイクスピアの戯曲を読んでいると、ポローニアスは頑固親父のイメージなんですが、梁山泊さんの『ハムレット』ではリーゼントのせいか、すごくおちゃめな人という感じになっていましたね。

 

宇野 息子をパリに行かせるときに、いろいろ哲学というか訓戒を垂れるわけですが、「着る物にはいくらお金をかけてもいい」と言ったりするわけです。僕はあの台詞で、きっとおしゃれな人なんだろうなと解釈してああいうメイクにしたんです。でもポローニアスは大臣ですから、シェイクスピアの中にもきっとそういう感覚があったんじゃないかなぁ。台本だけじゃなく、メイクでも役者たちがいろんなところに迷い込んで、考えてくれれば、劇がより面白くなるんじゃないかと思っています。

 

金魚屋 宇野さんは、集団の中で物を作ってゆかれるのがお好きなんでしょうか。イラストレーションも演劇も、自分だけではなく他人がいるわけでしょう。

 

宇野 イラストレーションの仕事でも、このメディアはどういう人たちをターゲットにしているのかとかあまり考えなくって、担当の編集者がおもしろがってくれればいいと思っているところがあります(笑)。ほかの人と呼吸するようにつながっているところが面白い。演劇はもっとそうですね。実際に役者の顔を見ないと、デザインの感覚がつかめないようなところがあります。演劇では人間をダイレクトに見てゆくおもしろさがあります。

 

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金魚屋 他人がどう思うか考えず、ただ好きな絵を描くというのが絵画のイメージですが、それだけが絵ではないですね。

 

宇野 昔の画家たちは、今の僕たちの仕事に近いイラストレイティブな仕事をしていたんじゃないかと思います。宗教的な壁画を描いて、悪いことをするとこういう地獄が待っているよと脅したり、神聖な気分を作ったりしていたわけでしょう。そういう依頼者のテーマを絵描きたちは描いていたところがあります。近代になってやっと、自我といいますか、自分の考え、感覚や癖を出してゆく絵が発生したんじゃないでしょうか。イラストレーターはむしろ、ラファエロとかダヴィンチ、ミケランジェロなんかの時代に近い仕事をしているのじゃないかなと思います。

 

金魚屋 オリジナリティの神話が、近代になって登場した新しい概念であるのは確かですね。

 

宇野 ゴッホやピカソなど、近代の絵描きだって、絵描きを職業にしている以上、絵が同時代の人たちの共感を得て、同時代の魅力を伝えていないとお金にならなかったりするわけです。イラストレーションはスポンサードされてお金を得る仕事で、絵描きは絵自体の魅力でお金を得るわけですが、時代感覚をいかに獲得するかという意味では同じようなところがあると思います。ただイラストレーションは自分一人で哲学を発酵させて絵画にするということではなくて、人間関係の中から絵が出てくるので、ちょっと無責任な職業なのかもしれません(笑)。極端に言うと僕自身はなんにも考えていなくって、人と会った時に絵が発生するようなところがあります。そういう気楽なところがイラストレーションにはありますね。でも僕が気楽にやってるだけなのかな。もっと厳粛に絵に向き合っている人もいるかもしれませんが。

 

 

■舞台美術について■

 

金魚屋 文学金魚はいろいろな方にインタビューさせていただいていますが、なぜか寺山修司さんのお話がよく出るんです。前衛俳人の安井浩司さんは寺山さんと高校時代からの友達で、寺山さん主宰の同人歌誌「牧羊神」の同人でした。山田太一さんは早稲田大学時代の寺山さんの親友で、谷川俊太郎さんは阿佐ヶ谷の河北病院で寺山さんの臨終を看取られた。宇野さんの前に荒木経惟さんにインタビューさせていただいたんですが、寺山さんはカメラは荒木さんの弟子ということになっていますね。

 

宇野 荒木さんが寺山さんのカメラの師匠みたいですね。確か荒木さんが天井桟敷周辺を撮った写真集が一冊あるんじゃないかな。

 

金魚屋 あったような気がします。荒木さんの写真集は数が多くて、また後から既刊写真集をバラバラにして再構成しちゃうから、ちょっと初版のタイトルはわかりませんが。

 

宇野 荒木さんの写真集は面白いですね。奥さんが亡くなった時の写真集で空を写していますが、それがなんだか悲しそうに見えたりします。でもいつの空かわかったもんじゃない(笑)。そういう編集感覚というか、仕立て方がうまいんですね。

 

金魚屋 宇野さんが舞台芸術をお仕事をされたのは、寺山さんが最初ですか。

 

宇野 資料が出てきたので『宇野亞喜良クロニクル』に収録しましたが、仕事として最初にやったのは、藤城清治さんが主宰しておられた人形劇と影絵の劇団「木馬座」の舞台美術なんです。一九六二年か三年に木馬座の舞台装置をやっているんですね。木馬座は「ケロヨン」とかのテレビ番組も作っていました。僕は人形劇は高校時代にやっていたことがあるんですよ。六〇年代に寺山さんと最初に仕事をしたのは、まだ天井桟敷がない時代に、人間座という劇団が寺山さんの戯曲を上演することになって、そのポスターを描きました。

 

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藤城清治主宰「木馬座」舞台美術ラフ画(一九六二年頃)

『宇野亞喜良クロニクル』(グラフィック社 二〇一四年十一月二十五日刊)より

 

金魚屋 寺山さんとはその頃からのお付き合いなんですね。

 

宇野 六〇年代に新書館という出版社が、「フォアレディース」という女の子向けのシリーズ本を出していたんです。そのシリーズで、僕は寺山さんと初めて出会いました。僕は「フォアレディース」のアートディレクションをやることになったんですが、寺山さんの小説がおもしろいってことで、けっこうな数の少女たちのファンがついたんです。ファンレターもいっぱいきていました。でも寺山さんは、自分の中には前衛性もあるのに、少女文学だけを書くのはどこか不満だったらしく、その後で天井桟敷というアングラ演劇の劇団を作ることになったわけです。でも天井桟敷の最初のポスターやチラシなんかの仕事は、僕には声がかからなくって、横尾忠則とやったんです。僕を入れると少女っぽくなっちゃうんで、寺山さんは横尾忠則の前衛性と組んだんだろうという、ひがみが僕の方にはありましたけどね(笑)。でも二、三年経って、僕も寺山さんといっしょに仕事をするようになりました。

 

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『思い出さないで』(寺山修司著 新書館  For Ladies 一九七一年刊)/『ふしあわせという名の猫』(同 一九七〇年刊) イラストとブックデザイン 宇野亞喜良 『宇野亞喜良クロニクル』より

 

金魚屋 山田太一さんにお聞きしたんですが、山田さんと寺山さんは、学生時代、まったくといっていいほど演劇には興味がなかったとおっしゃっていました。山田さんの方はそこそこ演劇をご覧になっていたようですが、寺山さんは金がなかったから見てないんじゃないかなと言っておられた。それがネフローゼで入院されて、十年くらいしたら天井桟敷を立ち上げて演劇人になっていたわけでしょう。いったい何があったんだろうなぁと興味をそそられるんですが、そのあたりを宇野さんはつぶさにご覧になっていますよね。

 

宇野 実際に舞台は見ていなかったかもしれないけど、寺山さんは活字には強い人だから、いろんなものを読んでいたんでしょうね。寺山さんの最初の本は『われに五月を』ですが、そのブックカバーがずっと誰の作品かわからなかったんです。最近になって、野崎泉さん編の『鈴木悦郎 詩と音楽の童画家』(河出書房新社)という本が出まして、それを見ていたら『われに五月を』の表紙がありました。鈴木悦郎という人は、中原淳一さんがやっていた少女雑誌「ひまわり」や「それいゆ」の表紙や目次の絵を描いていた人でしてね。最初に寺山さんに会った時に、僕は「寺山さん、今、ピンクっていいですよね」と言ったら、「ああ、桃色ね」という答えが返ってきた。桃色というとどうもポルノチックで、女性のストリッパーの衣装なんかが思い浮かんでしまうでしょう(笑)。僕はおしゃれな感覚でピンクって言ったんですが、寺山さんには通じなかったなぁと感じた思い出があります。だから寺山さんにはそういった可愛い感覚が通じないんだろうなと思っていたら、鈴木悦郎を使って処女出版のカバーを作っているわけですから、寺山さんは「ひまわり」や「それいゆ」なんかを見てたんだなと気づきました。情報のつかまえ方は実に素早い人だったから、演劇に関してもいろんなところから情報を仕入れていたんでしょうね。

 

金魚屋 同人歌誌「牧羊神」はだいたい全部読みましたが、十八歳頃の寺山さんは、日本中で一番優秀な文学青年だったんじゃないでしょうか。

 

宇野 そうでしょうね。当時、湘南の方の中学が校歌の歌詞を募集していて、寺山さんはそれに応募したそうです。中原淳一さんの雑誌にも、公募の文章を出したりしていたけど、落っこっていたらしいです。だから活字文化に目覚めたのはそうとう早いですよ。それと早い時期に映画を見始めていますね。天井桟敷という劇団名は、マルセル・カルネ監督の『天井桟敷の人々』から取ったわけでしょう。あの映画の脚本は詩人のジャック・プレヴェールですが、プレヴェールには『王と鳥』というアニメになった作品があります。その中に、王様がオルゴールをかけると、「ロバと王様と私/明日はみんな死ぬ/ロバは飢えで/王様は鬱屈で/私は恋で・・・/時は五月」っていう歌詞の歌が流れるんです。これはプレヴェールの『おはなし』という詩の一部ですが、寺山さんはこの詩の「五月」が好きだったんじゃないのかな。実際に青森に五月に行ってみると、春らしい感じがぜんぜんしないんですね。だから寺山さんの『われに五月を』の「五月」は、フランスの五月だったり、誰にでも通じる標準的な五月がイメージされているんだろうと思います。寺山さんは戯曲で東北をモチーフにして、地方色をおもしろがった時代があるような気がするけど、基本的には世界に通じるような標準言語を使っていたんだろうと思います。

 

金魚屋 ただ寺山さんのマルチな才能は拡散して見えるところもあります。俳句なら俳句一筋の作家から見ると、いいとこ取りの腰掛けのようで、批判があるのも確かです。

 

宇野 でも寺山さんの人間性を悪く言う人はあまりいないでしょう。かわいげのある人でしたから。お母さんが生きているうちに作品の上では殺したり、お父さんのことなんて考えてもいないのに、それをある日亡き父に変えてみたりとか、人が読んだときにどちらが衝撃度が高いか考えて、内容を変えてゆくといったジャーナリスティックな一面はありましたけどね。

 

金魚屋 宇野さんは俳句も書いておられて、『句画エッセイ集 奥の横道』という著書もありますが、句作を始めたのは寺山さんの影響ではないですよね。

 

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『句画エッセイ集 奥の横道』宇野亞喜良著

幻戯書房 二〇〇九年五月八日刊

 

宇野 寺山さんとは関係ないです。

 

金魚屋 句会とかには参加されるんですか。

 

宇野 灘本唯人というイラストレーターがいて、その人が主宰する句会には何度か参加したことがあります。

 

金魚屋 宇野さんの場合、俳句もイラストレーション的なところがありますね。

 

宇野 絵を描いていて、その絵を俳句に置き換えるというか、絵を文章で表現しているようなところがあるかもしれません。絵では表現しなかった、脇に咲いてる花を俳句で表現したりとかね。俳句を書くと、そういったことができるので面白いんです。絵とイラストレーションで交感し合うというか、照らし合うといった感じです。

 

 

■アングラ芸術について■

 

金魚屋 宇野さんは天井桟敷の初期はだいたいご覧になっていますか。

 

宇野 初期の方が見ています。

 

金魚屋 初期はかなり実験劇だったでしょう。『毛皮のマリー』とか。

 

宇野 『毛皮のマリー』やこの前の『新宿版千夜一夜物語』なんかは、むしろ風俗劇ですね。新宿に実際にあるお店の名前を使ったり、『毛皮のマリー』は女装劇といって、ゲイバーのママさんたちをキャスティングしたりして。だからゲイバーのファンたちが客席を満員にしていました。その後、『星の王子さま』という男装劇をやって、レズビアンバーのママたちも俳優で使ったりしていたんです。ですからお客の入りを計算したんでしょうね。初期の方にはそういった風俗、通俗劇の要素があって、後半になるとちょっと観念劇っぽくなります。

 

金魚屋 唐十郎さんとはお仕事はされていませんか。

 

宇野 唐さんとは直接お仕事をしたことがないんです。新宿梁山泊のやる唐さんの戯曲の舞台美術は手がけていますが。

 

金魚屋 天井桟敷組と状況劇場組という区分けですか。一応、寺山さんと唐さんは、抗争しているということになっていましたよね(笑)。

 

宇野 そうらしいですが、実際にはそんなことはないですよね。資料なんかを見ていると、寺山さんのところに唐さんが行って、薫陶を受けたりしたこともあるようです。

 

金魚屋 寺山さんも唐さんも、土方巽さんのところにいた時期がありますね。

 

宇野 土方さんでつながっているんでしょうね。天井桟敷も、後半になると、土方さんの暗黒舞踏的なものを取り入れていたように思います。土方さんがお亡くなりになって、慶応大学に資料が寄贈されて、慶応で研究会があったときに僕も聞きに行ったことがあるんです。フィルムが上映されて、その中に、カメラでバシャバシャ写真を撮っている人が写っていました。上映が終わって、土方さんの奥さんの元藤燁子さんへの質疑応答があったんですが、「公演中に写真を撮られるのは不愉快ではないんですか」という質問に対して、元藤さんは「土方は平気でしたよ。舞台でオナラもしましたし」と答えておられました(笑)。暗黒舞踏とは言ってるけど、「桃色ダンス」という公演名もありますから、後の人は神がかった厳粛なものだと思っているけど、そんなことはなかったですね。僕も初期の舞台を見ましたが、観客がカメラを向けると土方さんはポーズを取って、ずっと止まっていてくれるんです。シャッターが下りてから次の動きが始まる(笑)。そういう撮られ好きだったりするところもありました。

 

金魚屋 土方さんは抜群に写真写りが良かったですね。

 

宇野 客体としてどう写るか、ちゃんとわかっていたんでしょうね。

 

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金魚屋 そんなに身体の大きな方ではないですが、写真で見ると大きく見えます。吉岡実さんなんかは、土方さんの舞踏について滑稽でグロテスクで猥雑と書いておられます。そんなに神聖なものではなかった。大野一雄さんの方が、ちょっと神々しかったかもしれません。あの方はキリスト教者でもありましたから。

 

宇野 土方さんは東北の秋田出身でしょう。「水ガメの中の水を鎌で斬りつけて遊んだ」とか、不思議なイメージがありますね。お姉さんの着物を前後ろ逆に着てみるとかね。今思い出しましたが、僕が寺山さんの舞台の美術を初めてやったのは『アダムとイヴ』という芝居だったんです。それは人間座という劇団が上演したんですが、その人間座で土方さんが出演した芝居がありましてね。その時に瑳峨三智子という、山田五十鈴さんの娘が女優で出ていたんです。で、土方さんと瑳峨三智子が舞台に出てくると、瑳峨さんの方が奇妙なんですね。土方さんは着物を前後ろに着て、下駄を持って踊ったりして、奇妙さを人工的に作るんだけど、瑳峨三智子って人は人工的じゃなくって変なんです(笑)。お母さんの影響なのか、着物もちゃんと着られるんだけど、だらしない着方をしていました。奇妙な着物の着方で、映像としては瑳峨三智子さんの方が変に見えてしまった。あの時は、ああ、土方さんの方が負けたなぁという印象を持ちましたね。後のことですが、瑳峨三智子さんは九州の方のクラブのママか何かになっていて、そこに推理作家でシャンソン歌手だった戸川昌子さんがインタビューに行くというテレビ番組があったんです。戸川さんが「あなたはいい女優だったのに、どうして女優をやめちゃったんですか」と聞くと、瑳峨さんは「女優って仕事が来て初めて女優なんだけど、わたしのところには仕事が来ないんですもの」と答えるわけです。それから瑳峨さんは、唐突に戸川さんの方に腕を伸ばしましてね。戸川さんはビクッとしたわけですが、瑳峨さんは「ゴミが」と言って、どうも戸川さんの服についていたゴミがすごく気になっていたようなんです(笑)。そういう計算できないようなおもしろさが瑳峨さんにはありました。

 

 

■一九六〇年代について■

 

金魚屋 一九六〇年代は独特のおもしろさがありましたね。今、演劇人と詩人、小説家、画家、イラストレーター、それに三島由紀夫みたいな、小説家だけど愛国の士なんかが結びつくことはないですものね。

 

宇野 特に思想を語り合ったりはしないんだけど、当時はどこかで美学的につながっていたようなね。それが楽しかったです。

 

金魚屋 僕らは一九八〇年代に青春時代を過ごしたんですが、ちょうど土方さんがお亡くなりになって、もうこれで暗黒舞踏は終わりかなという感じが漂っていました。寺山さんもお亡くなりになっていたわけですが、まだ唐さんが精力的に活動されていたのでアングラ演劇は健在だという感じでした。でも最近になって、新宿梁山泊さんがすごく目立って見えてきているような印象です。もちろんJ・A・シーザーさんの演劇実験室◎万有引力もあるわけですが、公演の数から言っても、梁山泊さんがアングラ演劇を支えているような印象ですね。

 

宇野 それは嬉しいですね。金守珍(きむすじん)という演出家は、最初、蜷川幸雄さんのところにいて、そこをやめて唐さんの下についたんです。その二つがつながっているところが、(きむ)さんのおもしろさじゃないですかね。

 

金魚屋 (きむ)さんは『夜を賭けて』、『ガラスの使徒』の二本の映画を撮っておられますが、基本、舞台演出と舞台俳優がメインのお仕事でしょう。知っている人は知っている超有名人ですが、知らない人はぜんぜん知らない。でも唐組ももう動いていないようですから、唐さん、寺山さんのアングラ劇をある程度まとめて見ようとすれば、梁山泊さんの公演に通うしかないかもしれない。

 

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演劇実験室・天井桟敷 パリ公演 『毛皮のマリー』ポスター(一九七一年)

イラスト 宇野亞喜良(『宇野亞喜良クロニクル』より)

 

宇野 (きむ)さんはきっと、正統にアングラ劇を継いでゆくと思います。ただいろいろなものに流行があるように、演劇も動いています。(きむ)さんは今、唐さんと寺山さんとシェイクスピアの三つをやっているわけですが、それらが交流すると、また違った演劇の味が生まれてくるのではないかと思います。さっきお話した『新宿版千夜一夜物語』ですが、(きむ)さんの演出では、ただおっぱいを絞るだけじゃなく、その前に寺山さんの短歌を一つ入れるわけです。そうするとおっぱいを絞るシーンが抒情的に、なにかのメタファーであるかのように見えるんです。「亡き母の」とかいう短歌が流れると、母のおっぱいなのかなと思ったりね。(きむ)さんは、そういう寺山さんも思いつかなかったような演出を始めていて、この方法だと喜劇が突然悲劇的になってしまったりするんですね。舞台でバケツの水をこぼしながら、「涙は人間が作った一番小さな海です」とかいう寺山さんの言葉を入れると、劇の味が変わってきちゃうんです。不条理劇の中にセンチメンタリズムが入ってくるというかね。

 

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演劇実験室・天井桟敷 第五回公演 『新宿版千一夜物語』ポスター(一九六八年)

イラスト 宇野亞喜良(『宇野亞喜良クロニクル』より)

 

金魚屋 アングラ劇は、とにかく事件を起こしていって、これはいったいどうなるんだろうと思っていると、最後にすべてがつながって見えるようなところがあります。そういう意味では従来の演劇の構造を壊そうとしたり、今までになかった新しい演劇を作りだそうとする前衛劇(アヴァンギャルド)とはちょっと違うと思います。アングラはギリギリのところ、いわゆる〝劇〟なのであって、意外とオーソドックスな面があるんじゃないでしょうか。

 

宇野 唐さんが新宿梁山泊のために書き下ろした戯曲に、『風のほこり』という作品があるんです。これは唐さんのお母さんとおぼしき女性が、エノケンのところに戯曲を売りに行くといったお話です。唐さんのお母さんは実際に、エノケンなんかの軽演劇が好きだったのかもしれませんね。『風のほこり』というのは、エノケンたちがやっていた劇団「カジノ・フォーリー」のもじりなんです。そういうふざけたところというか、ユーモアがあるんです。でも唐さんも寺山さんも、一種マザコン的なところがあるんじゃないでしょうか。寺山さんの『新宿版千夜一夜物語』はアラビアン・ナイトですから、本来は魔法のランプをこすると怪物が出てくる。でも寺山版では新宿のトルコ、今で言うソープランドで男のペニスをこすると怪物が出てくるということになっています。で、男のペニスがダメになっちゃって、一番最後に、寺山さんのお母さんの名前は寺山はつって言うんですけど、「はつ、はつ」って言いながらオナニーをするシーンがあります。そういうふざけたことをやっているわけですけど、お母さんの名前でオナニーをできるっていうのは、マザコンのすごいところですねぇ(笑)。寺山さんの短い小説の中にも、いろんな言語をはつという言葉に置き換えて、はつばっかり使っている作品があります。そういうことができるのは、マザコンの人だけでしょうね。

 

 

■演劇と嘘について■

 

金魚屋 寺山さんがお母さんと一緒にいるのを長時間見たのは、山田太一さんだけなんですね。お母さんの溺愛ぶりはすごかったようです。修ちゃん、修ちゃんという感じで。山田さんは、寺山さんのお母さんが大好きで大嫌いという感覚が、なんとなくおわかりになっているようでした。

 

宇野 谷川俊太郎さんは、寺山さんが九條今日子さんと結婚した時の媒酌人でしょう。寺山さんと九條さんが新居で暮らし始めた時に、九條さんが気がついたんだけど、かさこそ音がしていて、見に行ったら家屋が燃えはじめていたという事件がありましたね。お母さんのはつさんが火をつけたんです。寺山さんが病院に入院していた時に着ていた浴衣の切れ端で火をつけたそうです。

 

金魚屋 それは演劇的ですね(笑)。

 

宇野 九條さんとの結婚を、お母さんが許してくれなかったので、お母さん抜きでひっそりと二人で式を挙げたわけです。ただはつさんは、最後に九條さんを養女にするわけですね。森崎偏陸も養子になって、九條さんと森崎さんが戸籍上の兄妹か姉弟になった。だからはつさんは、知的で人柄のいい人たちを後に据えているわけで、やっぱり頭のいい人だったんじゃないでしょうか。九條さんは不愉快な嫁だったかもしれないけど、この子には後を託せると思ったんでしょうね。お母さんは、「わたしが生きている間に、修ちゃんはわたしを何回殺したことか」と言っていたようですが、ちゃんと寺山のことは理解していて、そういうところではセンスのいい方だったと思います。寺山さんの少年時代、お母さんはアメリカの将校のところに家政婦の仕事で行ったりしていて、寺山さんは嫉妬しながら贅沢に暮らしていたんでしょうね。

 

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金魚屋 寺山さんは自伝的な劇や詩をたくさん書いています。母子家庭だったのは間違いないですが、貧乏だったとかいじめられたとかは、かなり脚色が入っているようですね。

 

宇野 嘘ばっかりみたいですよ(笑)。

 

金魚屋 実際は優等生で人気者で、裕福ではなかったかもしれませんが、食べるのに苦労した子供時代ではなかったようです。

 

宇野 お母さんの働きぶりが相当すごかったようですからね。幼稚園の時に、みんな下駄だったのに、彼だけ革靴だったそうですから(笑)。

 

金魚屋 土方さんもそうですね。戦後すぐにモダンダンスを習っていたわけですから、相当なシティーボーイだったかもしれない。でも後年の土方さんは、文字も知らないようなふりをしていましたから(笑)。

 

宇野 アスベスト館という名前は、奥さんのお家の仕事から来ているんですか。

 

金魚屋 元藤さんのお父様が、アスベストの輸入で財をなされたようです。ただ今になるとアスベストって、なにかおどろおどろしいですね。暗黒舞踏によく合っています。

 

宇野 火が出たらおしまいみたいな感じですね(笑)。昔、土方さんと対談をしたことがあるんです。その中で、お豆腐を描いていて、豆腐の窪みとかをやたらにリアルに描いてゆくと、豆腐に見えなくなって、レンガに見えちゃうようなことがあるってお話したんですね。本人はその気がなくても、画家の執念で描いているうちに物が変容してしまうことがありますよねっていう話をしたんです。土方さんはその話が気に入ったらしく、講演を録音した『慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる』というレコードを聴いていたら「豆腐が石になることもあるんだよ」とおっしゃっていました。

 

金魚屋 意外とアイディアをパクってるんですよ(笑)。

 

宇野 でも土方さんはきっとパクりとは思ってなくて、自分の想念の中で、既成のイメージになっちゃっていたんでしょうね。僕の方でも、土方さんに一つアイディアをあげたという感じで気分が良かったです(笑)。でもそれだけイメージが豊かで、もらえるものはもらっちゃうといったような時代だったんですよ。

(2015/03/02 後編に続く)

 

 

 

 

 

 

宇野亞喜良クロニクル 奥の横道