* 石版と煙突ブラシ、あるいはテキストとテクスト
『無名草子』は正治二年、つまり1200年頃に、俊成卿女によって著されたとされている。だが成立時期は、作中に登場する様々な人物や物語、そして年号を頼りに推測されたものに過ぎない。そして作者も、俊成卿女である可能性がもっとも高い、というだけのことであって、確実な証拠があるわけではない。ということはつまり、『無名草子』と向き合うことになった読者は、それがいつ、誰によって書かれたのかという、テクストを読むに当たってもっとも基礎的とも言える情報を、二つながらに剥奪された状態に置かれてしまうのである。だが、それだからこそ、『無名草子』はなおさら面白味を増す。
この書物は、過去の書物の批評を行う書物である。作中人物である女房たちは、『源氏物語』はもちろん、『狭衣物語』『夜半の寝覚』などの物語、『古今和歌集』や『後撰和歌集』などの和歌集、そしてそれらの書物を司る紫式部や清少納言といった人物についても、各々の意見を披露し、議論を深めてゆく。だから『無名草子』はテクストについてのテクストなのであり、そのような在り方によって、当時の人々にとってテクストがどのようなものであったのかを、私たちに教えてくれるのだ。
だが、そもそもテクストとは何だろう。二十世紀後半の西洋において、文学を研究するための理論はこの「テクスト」という概念を中心にまわっていたと言っても過言ではないだろう。しかし、日本においては、まさにそのために、「テクスト」という言葉に対する一種の違和感―もっと正確に言えば恐怖感―が、文学について考えることを業とする人々の間にはびこっているように思われることがある。彼らには「テクスト」という語が、その背後に難解で、理屈っぽく、実際のところ何の役に立つのかよくわからない一連の理論を従えた、未知の軍隊の歩哨のように見えるのかもしれない。
そのことがよく現れているのが、「テクスト論」という言葉である。「へえ、君はテクスト論なんかやってるんだ」と言うとき、そこには明らかに軽蔑の色が浮き出ている。とはいえ、実際に「テクスト論」をやっている側の人間は、当惑するしかない。なぜなら、「テクスト論」などという言葉は日本にしか存在しないからである。試みに「テクスト論」を英訳すれば、textology とでもなるだろうか。確かにこの語には「テクスト生産に関する諸科学」としての用例がわずかにある。だが現実的に言えば、一般に知られているtextology とは最近の造語であり、その意味は、「面と向かって謝る勇気がないので、text (携帯メール)を使って謝罪(apology)すること」なのである。これはこれで、「テクスト論に関するテクスト論」の興味深い入口にはなりそうだが、これ以上追求するのはやめておこう。とにかく問題は、「テクスト」という、文学理論の基本概念の一つを、まるで文学理論の営み全体を代表するものかのように捉えてしまうその姿勢が、日本における文学の研究と、理論の研究とのあいだにぽっかりと口を開けた裂け目を物語っている、ということなのである。
だが、その裂け目はなくもがなのものである。テクストという概念は、いわゆる歴史主義的な、より伝統的な手法と必ずしも相容れないものではない。むしろ、そのような地道な研究の積み重ねの上に立脚し、その成果をより巨視的な議論の場へと開いてゆこうとするときに有益になるのが、西洋的な、あるいは現代的な理論なのであり、その基本となる概念の一つがテクストなのである。例えばここで取り上げる『無名草子』を、もしひたすら国文学的な方法論のなかで論じたならば、それについてどんなに説明したところで、もともと古典文学に関心のない人々の興味を惹くのは難しいだろう。しかしひとたびそれをテクストとして捉え、洋の東西を問わずより一般的な理論で説明することができれば、あらゆる文学や思想・哲学に関心を持つ人々に、『無名草子』は遥かに身近になるだろう。つまり文学理論とは何のことはない、研究における共通言語に他ならないのである。それはどのような対立も産みはしない。
「テクスト」の定義に話を戻そう。定義、と言っても、それは簡単な仕事ではない。ロラン・バルトは「作者の死」という有名な文章のなかで、作品が物質の断片、つまり「モノ」と言うべきものであるのに対して、テクストは「場」であり、生産行為の経験であると述べている。一方、ウンベルト・エーコは、ロマン・ヤコブソンのコミュニケーション理論をモデルに、「作者の意図」という枠組に閉じ込められた「作品」を、読者の解釈の自由に対して開かれた「テクスト」として取り扱った。
まだ、これではわかりにくいかもしれない。そこで、「テクスト」と「テキスト」を比較してみよう。
日本語では、「テクスト」というべき箇所で、「テキスト」という言葉が用いられていることがまだまだ少なくない。だが「テキスト」という言葉から連想されるのは、教科書や参考書の類であろう。それは情報の羅列であり、巻頭から巻末へと順序よく読み進められてゆくものである。一方の「テクスト」はどうか。一冊の本を思い浮べてもらいたい。その本を机の上に立て、表紙と背表紙を糊でしっかり貼付けてしまう。すると、煙突ブラシのような形をした、始まりも終わりもない書物が出来上がる。
このような書物を前にした読者は、もはや順序よく内容の展開を追う、というだけの読み方には満足できないだろう。読者は好き勝手に書物を出入りし、様々な筋道で、自分なりの意味を発見しようとする誘惑に駆られるはずだ。もちろん、それは最後の文章が最初の文章にすんなりと接続する、あのジェイムズ・ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」のように、円環構造を持った作品に限った話ではない。あらゆるテクストは、本来的に読者の積極的な参加を求めているのだ。
『無名草子』の成立時期や作者像が曖昧であることは、なるほど意図されたことではないだろう。鎌倉時代初期は決して平穏な時代ではなく、さらに『無名草子』は公的な性格を持った書物ではない。後世において権威化されることもなかったので、テクスト周辺の情報は時の流れと共に剥がれ落ちて行った。だが事情はどうあれ、『無名草子』の曖昧性は、私たち読者を、テクスト内部への自由な逍遥へと誘うのである。その題が『無名草子』であることも、充分にその証拠とみなすことができる。何しろこの題は作者によって与えられたものではなく、単純に題が不明であることを示しているに過ぎないからだ。さらに言えば、「草子」も「下書き、書き散らしたもの」の意であり、原則として未完の状態にあることを示唆する。つまりこのテクストは、「名前のない、完成しているかどうかもわからない」テクストなのだ。だからこそ私たちはそこへ飛び込んで、自分なりの評価を下そうと試みることになるのである。
大野ロベルト
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■