「モーツァルトとは〈声〉の音楽である」――その声をどう人間の耳は聞き取ってきたのか。その本来的には言語化不能な響きを、人間はどのように言語で、批評で表現して来たのか。日本の現代批評の祖でありモーツアルト批評の嚆矢でもある小林秀雄とモーツアルトを巡る、金魚屋新人賞受賞作家の魂の批評第四弾!
by 金魚屋編集部
一.
もう二十年も昔の事を、どういう風に思い出したらよいかわからないのであるが、僕の乱脈な放浪時代の或る冬の夜、大阪の道頓堀をうろついていた時、突然、このト短調シンフォニイの有名なテエマが頭の中で鳴ったのである。僕がその時、何を考えていたか忘れた。いずれ人生だとか文学だとか絶望だとか孤独だとか、そういう自分でもよく意味のわからぬやくざな言葉で頭を一杯にして、犬のようにうろついていたのだろう。ともかく、それは、自分で想像してみたとはどうしても思えなかった。街の雑沓の中を歩く、静まり返った僕の頭の中で、誰かがはっきりと演奏したように鳴った。僕は、脳味噌に手術を受けたように驚き、感動で慄えた。百貨店に駆け込み、レコオドを聞いたが、もはや感動は還って来なかった。
改めて説明するまでもないと思うが、小林秀雄『モオツァルト』のたいへんよく知られた一節である(章番号2、引用は集英社文庫、以下『モオツァルト』からの引用はすべて同文庫版)。文章の直前に楽譜が抜粋・引用されている。モーツァルトを知らなくてもクラシック好きでなくても、音符さえ読めるならたいていのひとがどこかで聴きおぼえがあると思うだろう。交響曲第四〇番ト短調(K五五〇)の終楽章冒頭、上行のみだが、アレグロ・アッサイの主題である。
このくだりをはじめて読んだとき、当時中学生だった私は「驚き、感動で慄えた」。中原中也、長谷川泰子とのもつれた三角関係のなれの果ての逃亡と関西放浪という、若き日の小林のこれまたよく流通され、いまごろになって映画化までされた愛憎のドラマは言わずもがな、「小林秀雄」という名と肩書しかこのときの私は知らなかった。それでも文体の魅力が手伝ってか「文芸評論家ってすげえな」と思った――などと書いたら悪い冗談だろう。
この作品の中ではこれともう一箇所、併せてただ二箇所だけが、当時モーツァルトから私が感じていたものの核心を誰よりも正確に射抜き、鮮烈に表現していたからだ。
小林が『モオツァルト』を発表したのは戦後まもない昭和二十一年、四十四歳のときである。二十年前と本人は書いているが、かれがこれを体験したのは昭和三年、二十六歳の冬のことだ。このときの体験を小林は後々まで忘れがたく思っていたようである。
あれは僕が大学を出た年ですからね、あんな驚いたことはないですよ。あんな経験をまたしません。あんな鮮明な。ああいうふうなことは、想い出とか何とかというんじゃないんですからね。サッサッサッ、本当に音が聴こえるんですからね。だから、もう驚いちゃったんですよ。ああいう経験は、青年時代でなければできないなあ。音を思い出すとか連想するとか、そんなことはできますけどね、あんなふうに知らないうちに、夢の中みたいに……。
(『小林秀雄全集 特製CD 小林秀雄と音楽を聴く』、新潮社)
昭和四十二年、六十五歳の小林がオーディオマニアとしても知られていた作家の五味康祐に語った言葉である。いま、CDでその声を再生すると、あの甲高い声でいつにもまして早口でまくし立てる、いかにも熱をおびた調子が小林らしい。
『モオツァルト』を書いた当時と言えば、不惑を過ぎ、戦禍をくぐり、すでに大家と言われるまでになっていた小林である。そのかれが三年のブランクを経、十八年前の体験をふり返って書きつけたことばに、気負いや思わせぶり、記憶の減衰はあったとしても、偽りはあるまい。それからさらに二十年を経てもそのときのことを忘れてはいないのである。したがってこれを一見特異にみえて、じつは背伸びして奇を衒いたがる若者らしい心理体験の表白と思ってはならない。
小林はここで、はからずもモーツァルトを他の音楽と隔てるたいせつな要素のひとつに触れている。モーツァルトという音楽は、耳元で「誰かがはっきりと演奏したように鳴」る音楽だ、ということである。これを、誰かに耳元で呼びかけられてハッと目を覚ましたときの、その声のような音楽だと言いかえてもいい。あらかじめ言っておけば、モーツァルトとは〈声〉の音楽である。このことは、モーツァルトの比類のない本質の一面にすぎない。とはいえ画竜点睛、これを欠いてはモーツァルトという音楽はありえない、そう言い切っていいほど重要な構成要素なのである。
不遜と思われるかもしれないが、私もそのころ小林と同様の経験をしていた。それはたまたまおなじト短調シンフォニーで、溝がなくなるほど聴いたブルーノ・ワルター(1876―1962)とウィーン・フィルの一九五二年ライブのモノラル・レコードだった。私の経験はこの一枚にはじまった。小林の中で鳴ったのは第四楽章、アレグロ・アッサイの主題であるが(ちなみに新潮社版・小林秀雄全集を全巻買うとおまけで付いてくるCDに収められているのはあのリヒャルト・シュトラウス(1864―1949)の指揮、オケはベルリン国立歌劇場管弦楽団で、第一楽章のみである)、私の場合は第二楽章、アダージョの主題が対位法的に重なりながらゆっくりと一度目のピークを迎えていく箇所だった。居間のソファーにもたれて家の中庭とその向こう、瑞泉寺の山門へ連なる杉林に西日が当たるのをぼーっと眺めていたら、ワルターの飄々としたタクトを通してモーツァルトの虚空の精神が私にとり憑いた。音は頭の中だとか耳元だとかそんな遠慮がちにではなく、あたかも東京文化会館のステージの中心にいる私を本物のオケが取り囲むように鳴りひびき、その振動すら伝わってくるように思えた。
そのていどの経験はほんの序の口にすぎず、私にとってモーツァルトという音楽はじっさいに音が鳴っていようがいまいが「サッサッサッ、本当に音が聴こえる」のがあたりまえのことになっていったのだが、そんな経験を重ねるうち、これは特定個人の性癖に依存するものではなく、つまり私の頭がいかれているせいでは必ずしもなく、音楽自身のもつ特性にちがいないと思うようになった。
そう考える理由はおいおい語ろう。ちなみにこうした経験は「青年時代でなければできない」わけではない。小林のように、ともすれば個人的なメロドラマの中へ誘導され埋もれてしまうような、ある普遍的なものをすくい上げていくことが肝要である。ついでに言うと、真に普遍的なものはえてして真に個人的なものごとの中にこそあるが、それは小林が描くようにドラマチックでも何でもなく、むしろ日々のごくたわいのない思いやつぶやきの中で、微かな光芒とともに消えゆくものだ。
それにしても解せないのは、『モオツァルト』のような読むほどに凡作としか思えない一エッセイが日本の読者、しかも文学と音楽それぞれの分野の有識者にまで過剰に評価あるいは意識され続けてきたことのふしぎさであるが、同作よりも、むしろモーツァルトとは直接かかわりのない別の作品にこの音楽の核心をうがつようなことばが、読者にも、ときには本人にすらよく認知されないまま差しはさまれているという事実である。いったいそれはなぜなのか?
この疑問が後々も私を小林の文章へ向かわせることになった。半世紀近く経ったいまもこれを書く動機であり続けている。
二.
「過剰に評価され続けてきた」と言った。この作品を新潮文庫で読んだ昭和五十年当時の私には、小難しい理屈はよく分からなかったが、ゲーテやスタンダールら文人たちの名ぜりふ、たとえば「悪魔が発明した音楽」だとか「耳におけるシェクスピアの恐怖」といったことばにはこころ震えた。「モーツァルトは、歩き方の達人であった」「彼の使命は、自らこの十字路と化すことにあった」(いずれも章番号11)などという小林の決然としたもの言いもまた、いうところの他にことよせて己れを語る一手法であったとしたところで、何ともカッコよく感じられたものだ。当時としては斬新なカット&ペーストによって十分に錬られた音楽エッセイとはいえるだろう。身も蓋もない言い方だが、そう思わざるをえない。
と言うのも、挙げられているモーツァルトのそれぞれの曲を聴いて小林自身が具体的にどう感じたかを語る文章には、冒頭に引いた箇所を除いてまったく共感できなかったからだ。つまり、いちばん肝心かなめであるべき〝印象批評〟の大半について、私は小林と見解が分かれたというより失望したのだった。ひとによって意見はさまざまだろうけれど、批評の中でも〝印象批評〟ほど難しいものはないと思う。感じたことを素直に書く。まずこれが中学生どころか、大人になるほど難しい。しかも批評はこれ抜きでは成り立たない。対象とそのひと自身のかかわりとが、何よりも素直にさらけ出されるという意味で、その作品の柱石になるからだ。
わけても耐えがたいと思ったのは、次のような文章である。
今、これを書いている部屋の窓から、明け方の空に、赤く染った小さな雲のきれぎれが、動いているのが見える。まるで、
と書いて、次行に変ホ長調シンフォニー(K五四三)の終楽章アレグロの主題の音型が引用され、改行してこう続く。
の様な形をしている、とふと思った。三十九番シンフォニイの最後の全楽章が、このささやかな十六符音符の不安定な集りを支点とした梃子の上で、奇蹟の様にゆらめく様は、モオツァルトが好きな人なら誰でも知っている。
(章番号10)
これはないだろう、と十五歳の私は思った。いま一心に耳を傾けている音が目の前の空や雲と共鳴して一緒に乱舞をはじめた、とでも語るならまだしも、ちぎれ雲の形を十六符のオタマジャクシの音型になぞらえるなんて、音楽的経験とは何のかかわりもない駄洒落みたいなものではないか。田舎の中学生でも失笑したくなるような喩えだと思った。
本人の中での発想の順序とじっさいに書かれた文の順番とは、きっと逆だろう。「三十九番シンフォニイの最後の全楽章が、このささやかな十六符音符の不安定な集りを支点とした梃子の上で、奇蹟の様にゆらめく」という文章が先に書かれていた。この表現になお満足できず思案していたかれが手を休め、モーニングコーヒーでも飲みながら窓の外へ目をやると、暁の空を赤や黒のちぎれ雲が流れていく。それを見てひらめいた思いつきがいたく気に入り、文頭に加えることにした。いま読み返してみても、そのていどの必然性しか私には感じられない。『ジュピター交響曲』がド・レ・ファ・ミの曲であるように、この作品は十六符音符の曲であると言えばいいだけの話なのだが、そこへもうひと捻り具象表現によるふくらみが欲しかったのだろう。「今、これを書いていると」「ふと思った」と日常の一コマをよそおうフレーズをどうしても入れたかった。手法として分からなくもないが、肝心の喩えの恥ずかしさには思いおよばなかったのか。これが「批評の神様」とまで言われたひとの文章か。
私は本を閉じた。
以後しばらくの間、このひとのことは頭からすっかり消えた。
ところで言うまでもないことではあるが、以上書いた通りの言い方で中学生当時の私が考え、語れるはずもない。当時の私に宿った思いをいま、ことばに翻訳し直せばこのようになると言うべきだろう。
「きみ、そういうのは遠近法的錯視と呼ぶんだよ」と謗るひともいるだろう。これに対しては、そもそも「過去」というものは多かれ少なかれ「遠近法的錯視」であることを免れないのだ、そのことを承知のうえでなお錯視というなら、どんな錯視の中にもひとかけらの真実が混じっていて、ほとんど聴きとれないほどの声を発しているものだ、と返したい。
*
それから数年を経、学生になってふたたび『モオツァルト』を読む機会があった。小林の他の作品も折にふれ読んではいたのと、この空前絶後の作曲家に対するじぶんなりの全体像が見えてきたことも手伝ってか、以前の印象はいくぶん修正された。三たび読んだのは私が還暦を過ぎてからだからわりに最近のことである。印象は二度目とそう変わらなかった。
玉石混淆だな、と思った。
それを説明する前に、私の小林秀雄評価の前提を語っておかなくてはなるまい。学生時代の私は、次のような小林評に共感をおぼえていた。
あの宣長はどうしても駄目なんです。最初のところで、東京に用があって鎌倉の駅に行って、電車に乗ると、なんかいきなり大船で乗り換えて、それで松阪まで墓を見にいっちゃうという、あの語り口の通俗性というか、下品さというかあれが耐えがたいんです。(中略)彼の物語は最初からそうでしょう。道頓堀だかどっか歩いていると、いきなりなんか来たッとか、神田の街をふらふらしてると、とか、モーツァルトにしてもランボーにしてもみんなそうですよね。そんな馬鹿なことありえないわけで、(後略)
(『言葉は運動する 事件の現場』、柄谷行人との対談「マルクスと漱石」より、朝日出版社)
捏造された出逢いだと断罪する蓮實重彦の気持ちはいまもよく理解できる。「個人的なメロドラマ」と私が言ったのも、おなじ意味合いである。いま改めて道頓堀のエピソードを読み直してみても、
いずれ人生だとか文学だとか絶望だとか孤独だとか、そういう自分でもよく意味のわからぬやくざな言葉で頭を一杯にして、
と書いた舌の根も乾かぬうちに、
街の雑沓の中を歩く、静まり返った僕の頭の中で、
鬱勃たるパトス状態だったひとりの若者の頭の中が、いつの間に「静まり返った」のか。
後者の言い回しは、「街の雑沓」の喧騒のさなかでおぼえる孤独感と、「誰かがはっきりと演奏したように鳴った」経験、この二つを浮かび上がらせたいために用いた対比上のレトリックにすぎまい。「語り口の通俗性」は否めない。
おそらく作者は、ことの前後も脈絡もはっきりおぼえてなどいないのである。何を考えていたというのでもない、ただ散り散りの思いでいっぱいだったのだろう。だから意表を突かれ、おどろいたのだ。それを後年、還暦を過ぎてから「青年時代でなければできない」と振り返る。ご当人からして根拠なく自覚もなく、青年の特権であるかのように思いなしてしまう。そんな物語化を「捏造」と断じる蓮實の批判は正鵠を穿っている。
ただ残念ながら蓮實にとって、音楽は理解の外にあったと思われる。かれには見えていなかった。かれが「捏造」と決めつけたそのこともまた物語の一部と化すことによって、開かれかけた窓を閉ざされてしまった音楽の真実だけは。カエサルのものはカエサルへ、物語は物語へ、音楽のものは音楽へ返さなくてはなるまい。
萩野篤人
(第01回 了)
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*『モーツァルトの〈声〉、裏声で応えた小林秀雄』は24日にアップされます。
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