自由詩は現代詩以降の新たな詩のヴィジョンを見出せずに苦しんでいる。その大きな理由の一つは20世紀詩の2大潮流である戦後詩、現代詩の総括が十全に行われなかったことにある。21世紀自由詩の確実な基盤作りのために、池上晴之と鶴山裕司が自由詩という枠にとらわれず、詩表現の大局から一方の極である戦後詩を詩人ごとに詳細に読み解く。
by 金魚屋編集部
池上晴之(いけがみ・はるゆき)
一九六一年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒。元編集者。三十五年以上にわたり医学、哲学、文学をはじめ幅広い分野の雑誌および書籍の編集に携わる。共同体としての「荒地派」の再評価を目下のテーマとして評論活動を展開している。音楽批評『いつの日か、ロックはザ・バンドのものとなるだろう』を文学金魚で連載中。
鶴山裕司(つるやま ゆうじ)
一九六一年、富山県生まれ。明治大学文学部仏文科卒。詩人、小説家、批評家。詩集『東方の書』『国書』(力の詩篇連作)、『おこりんぼうの王様』『聖遠耳』、評論集『夏目漱石論―現代文学の創出』『正岡子規論―日本文学の原像』(日本近代文学の言語像シリーズ)、『詩人について―吉岡実論』『洗濯船の個人的研究』など。
■英米詩の影響■
池上 「荒地」派の詩人たちは、アメリカのビート・ジェネレーションの詩人たちと同世代ですね。ウィリアム・バロウズは少し年上(一九一四年生まれ)だけど石原吉郎と同じぐらい(一九一五年生まれ)だし、ローレンス・ファーレンゲティ(ファーリンゲティ)は一九一九年生まれで、一九二〇年生まれの鮎川信夫とほぼ同じです。ファーレンゲティは第二次世界大戦では海軍中尉としてノルマンディー上陸作戦に参加しているから、日本で言えば戦後詩人ですね。アレン・ギンズバーグは一九二六年生まれで少し年下ですけれど、田村隆一が一九二三年で吉本隆明が一九二四年だから、まあおおよそ同世代と考えていいんじゃないかと思います。
「荒地」派の詩人たちが最も影響を受けたのは一世代前のT・S・エリオット(一八八八年生まれ)や、同時代の詩人ではW・H・オーデン(一九〇七年生まれ)ですが、ビート・ジェネレーションの詩人たちの影響はどうだったんでしょう。さっき(第三回)もちょっと言いましたけど、田村さんはアメリカでビート・ジェネレーションの詩人ゲーリー・スナイダーと知り合っているんですよね。ぼくは、田村さんはビート派の詩から直接的な影響は受けていないと思うんですけれど、アメリカでの朗読の体験は、中・後期の田村さんの詩の「語り」的な自由なスタイルのヒントになったんじゃないかと思っているんです。
鶴山 どうだろうねぇ。テキストを読む限り、二十世紀初頭のモダニスト詩人の影響が強いですね。スナイダーの奥さんは日本人だし、ギンズバーグも来日していてそこそこ日本通だったけど、うーん、日本でビート・ジェネレーションの詩の影響をまともに受けた詩人ってほとんどいないんですよ。まあいたことはいた。当時の現代詩手帖なんかを読めばわかるけど、流行り物だったから真似した詩人はいたけど消えてった。ギンズバーグの『吠える(Howl and Other Poems)』を最初に訳した諏訪優さんだって『田端事情』だからねぇ。「荒地」派も現代詩派も朗読には消極的で、いわゆる高度経済詩派の吉増さんや白石かずこさんらが積極的だったわけだけど、ビートの影響かと言うとちょっと違うと言われそうだし。
またビート・ジェネレーションはひと世代前のスーサイド・エイジの詩よりも二世代前くらいのモダニズム詩に親近感を抱いていました。ギンズバーグはイタリアのラパッロにパウンドを訪ねています。ビートルズの『サージェント・ペパーズ』を聞かせ、マントラを唱えてみせたりしてね。ギンズバーグらしい逸話だけど、ビート・ジェネレーションが思想・表現両面でよりストレートなモダニズム詩に親近感を覚えていたのは確かでしょうね。その点は「荒地」派と共通してる。
池上 『新年の手紙』に「リバーマン帰る」っていう詩があるでしょう。
鶴山 詩人は乞食だと書いてて新倉先生が出てくる詩ね。あれはいい詩だね。意図的に乱暴な、吹っ切れた書き方をしている。
池上 詩の後半におもしろい一行があるんです。〝雨男〟というあだ名を付けられているリバーマンという詩人が家族と一緒にアメリカのイリノイ大学に帰る時のパーティーで、「ぼく」が以前リバーマンと料理屋に行った時のエピソードをスピーチで紹介します。「通訳」しているのが、鶴山さんがおっしゃったアメリカ文学者の新倉俊一さんですね。
そこで、板前がたずねたものだ、「お客さん、ご職業は?」
雨男は、鼻をヒクヒクさせて、マイルドな日本語で答えたものさ、
「わたしは、シュジンです」
「へえ、主人?」
「シジンです」
「なーんだ、詩人ですかい」
そこで、ぼくは演説したよ、ヒョロヒョロ、立ち上がって、演説したんだ日本じゃ、
大学の先生と、云ったほうがいいね、
詩人といったら、乞食のことだ、
中西部とはちがうんだ、あの燃える、
夕日がギラギラ落ちて行く、トーモロコシ畠のまん中で、
ほんとうの詩人とは、腕ぷしの強い農夫のことさ、日本じゃ、進歩的なヘナチョコ百姓ばかり、アメリカといったら、ベトナム戦争と人種差別のオウム返しさ、………」
ぼくは酔っぱらって、なーんにもわからない
通訳も酔っぱらって、なーんにもわからない
雨男だけ、キョトンのキョンだ キョトンのキョン!
さ、元気で! きみたちの一路平安を祈る!
日本のことなんか、忘れてしまえ!
あばよ、カバよ、アリゲーター!
最終行の「あばよ、カバよ、アリゲーター!」の元は何かというと〝See you later, alligator.〟なんです。「じゃあ、またね」って言う時の言葉遊びっていうかダジャレですね。英語ではlaterとalligatorで韻を踏んでいるわけですが、田村さんは「あばよ」と「カバよ」に置き換えてダジャレにして、しかも「アリゲーター」は残して、「あばよ」「カバよ」「アリゲーター」と「あ」つながりの音でいわば韻を踏んでいる。すごい翻訳能力です(笑)。まじめな話、田村さんの詩人としての言葉のテクニックがいかにすごいかがわかります。本人も気に入っていた詩のようで、吉増剛造さんが「ヨシマス、お前読め!」ってずいぶん朗読させられたという話をされています(「田村さんの詩の坑道(undermine)」)。
ちょっとおもしろいのは、今日持って来たアメリカの出版社から出ている田村さんの作品集では「See you later, hippo hipster! Arigato, alligator!」(Marianne Tarcov訳)とかなり意訳されているんですよ。田村さんの詩はいろいろな英訳があるんですけれど、別の訳では「So long, gooo bye, See ya later, alligator!」(Sammuel Grolmes, Tsumura Yumiko訳)となっています。どちらの訳からも、「ぼく」が酔っぱらっちゃっている感じは伝わってくるんじゃないかと思います。
この〝See you later, alligator〟っていう表現自体は昔からあるそうですが、一九五六年にビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツが「See You Later, Alligator」という曲を大ヒットさせて、ティーンエイジャーを中心にアメリカでこの言い方が流行ったらしいんです。日本では一九六五年に内田裕也と尾藤イサオがデュオで英語のままカバーしています。
で、どうしてこの一行に注目したかというと、ぼくは文学金魚でザ・バンド論『いつの日か、ロックはザ・バンドのものとなるだろう』を連載しているんですけれど、ザ・バンドの解散コンサート「ラスト・ワルツ」で、映画には登場していないんですが、ボビー・チャールズというアメリカのシンガー・ソングライターがドクター・ジョンと「Down South in New Orleans」という曲を歌っているんです。実は、このボビー・チャールズが若い時に「See You Later, Alligator」を作詞・作曲したんですよ。アメリカでも知名度が低い歌手なので、ロビー・ロバートソンが「Great songwriter, Bobby Charles. He wrote See You Later, Alligator.」って紹介しています。
『Tamura Ryuichi: On the Life & Work of a 20th Century Master』(Edited by Takako Lento & Wayne Miller) 2011年 Pleiades Press
鶴山 『ラスト・ワルツ』の中でファーリンゲティが詩を朗読してるから、ザ・バンドとビート・ジェネレーションは関係ありますね。
池上 はい。ボブ・ディランを経由してですけどね。鶴山さんが「現代詩手帖」の臨時増刊号で「ビート・ジェネレーション」を編集した時に、何か意図はあったんですか。
鶴山 ビート・ジェネレーション自体にそんなに興味はなかったんだけど、パウンド、エリオット、W・C・ウィリアムズ以降のアメリカ詩を総覧してみたかったんですね。できればブラック・マウンテン・カレッジまで届かせたかったんだけど、ビートだけでいっぱいになってしまった。
当時パウンドの『キャントーズ』は新倉先生が一番いい部分を翻訳しておられたし、ウィリアムズの『パターソン』も完訳されてた。残る長篇詩はオルソンの『マクシマス詩篇』とズーコフスキーの『A』だから、オルソンの『マクシマス』まで手をつけたかった。その後『マクシマス』は完訳されたけど、うーん、『キャントーズ』『パターソン』に比べるとちょっと劣るかなぁ。
「ビート・ジェネレーション」は僕が編集した雑誌で、唯一何度か重版になって売れたんです。えらい勢いで原稿を集めてぶ厚い雑誌にしてこうなりましたって言ったら、社主の小田さんにすんごく怒られた(笑)。でも売れた。そういうものなんだね。
池上 コンサート「ラスト・ワルツ」では、後半の休憩時間にサンフランシスコ在住の詩人たち七人がリレーで詩を朗読したんです。映画に写ってるのはマイケル・マクルーアとファーレンゲティだけなんだけど、ロバート・ダンカンとかダイアン・ディ・プリマも朗読しています。
鶴山 ブラック・マウンテンじゃないか。
池上 「ラスト・ワルツ」はサンフランシスコでやったコンサートなんだけど、サンフランシスコのミュージシャンは出演していなくて、その代わり地元からは詩人たちが出たんです。実はぼくはほとんど読んでいないんですが、マクルーアやファーレンゲティの詩ってどうなんですか。
鶴山 マクルーアの詩はアンソロジーの、しかも翻訳で数編読んだだけですね。ファーリンゲティは訳詩集が出ていて読みましたが、軽い詩だなぁというかすかな記憶しかない。ビート世代はやっぱりギンズバーグだろうね。『吠える』はもちろん、『アメリカの没落(The Fall of America)』はいい詩集です。翻訳が出てるよ。
「現代詩手帖1月臨時増刊 ビート・ジェネレーション――六〇年代アメリカン・カルチャーへのパスポート」第三十一巻 第二号(編集人・鶴山裕司) 一九八八年一月三十日発行 思潮社
池上 ファーレンゲティはギンズバーグの『吠える』を出版したシティライツ書店/出版社の設立者としてのほうが有名かもしれないですね。最近ひょんなことから、「ラスト・ワルツ」を実際に観に行って写真を撮ったウイリアム・ヘイムスさんという有名なロック写真家の方と知り合いになったんです。で、話をしていたら、ウイリアムさんはファーレンゲティのアトリエに行って撮影したことがあるとおっしゃるんですよ。ファーレンゲティは絵も描いていたんですね。
鶴山 ビート世代の〝街の灯り〟書店だからね。今世界中の観光地でオーバーツーリズムが起こっていて、ジョイスの『ユリシーズ』初版を出版したパリのシェイクスピア&カンパニー書店は、お店に入るだけで三十分待ちらしいよ。入場料を取ってるのかどうかは知らないけど。シティライツも残っていれば、サンフランシスコの観光地になるかもね。
池上 シティライツ書店はいまでもあって、こちらもちょっとした観光名所なっているようです。あと、鮎川信夫がバロウズの『裸のランチ』を翻訳しているのはおもしろいですね。仕事で依頼されただけなのかもしれませんけれど、興味がなければ翻訳しなかったと思うんです。
ローレンス・ファーレンゲティ(Lawrence Ferlinghetti)
サンフランシスコのアトリエにて(2005年) ©William Hames. All rights reserved. 転載不可
鶴山 鮎川さんも、そんなに品行方正ではなかった節があるけど、バロウズほど無茶苦茶じゃなかったからね。バロウズは奥さんの頭にリンゴ乗せてウィルヘルム・テルごっこをやって、奥さん殺しちゃった人だから。もっとハチャメチャじゃなきゃいかんって、お手本にしたんじゃないですか(笑)。
ただ言語の違いは抜きがたくあって、日本の詩人が英米詩から影響を受けるといっても限定されます。ビート・ジェネレーションは音に敏感なんだ。『ラスト・ワルツ』もそうだけど、スコセッシが監督というか編集したボブ・ディランのツアー・ドキュメンタリー映画『ローリング・サンダー・レヴュー』を見るとそれがよくわかります。ギンズバーグがボブ・ディランべったりだった時期ですね。
映画の最初の方でパティ・スミスが詩を朗読してそれがすぐに歌になってゆくシーンがあります。即興詩はラップなら可能だけど、日本語にもフランス語にもああいう詩(言葉)と歌の相性の良さはないですね。ギンズバーグは歌うことはなかったけど、朗読を聞いていてもドン、ドン、ドンの強い抑揚のあるリズムだものね。
音は持ってくることはできないけど、アメリカ詩の特徴に映像がとてもクリアだということがあります。ヨーロッパ寄りのランゲージ・ポエッツとかスーサイド・エイジは喩を多用したけど、ホイットマンから続く伝統的野蛮なアメリカ詩人はほとんど喩を使わない。人やモノの輪郭がくっきりしている。だから日本のフランス象徴主義系の詩を読んだり書いたりした人がアメリカ詩を読むと、最初はすごく抵抗があると思います。なにこれスカスカじゃんという感じになる。でもそれがけっこう正しい詩の在り方なんだな。
池上 ぼくも鶴山さんも仏文科出身なんだけど、日本ではフランス象徴主義の詩、しかも小林秀雄訳のランボーに代表される日本語訳のフランス象徴主義系の詩が「詩」というものの基本的なイメージになってきたように思います。だから、鶴山さんがいまおっしゃったように、そういう詩のイメージを持っている人がオーデンなんかを読むと「これって詩なの?」という感じがすると思うんです。ランボーの詩みたいにイメージを喚起するわけでもなければ、マラルメの詩ように言葉を徹底的に彫琢して書かれているわけでもない。
特にオーデンの詩は分かち書きされた散文みたいに感じると思うんですけれど、これも詩なんだということがわからないと、中・後期の田村さんの詩のすばらしさも理解できないように思います。簡単に書かれているようなんだけど、実はとても難しいことをやっているということがわからないんじゃないかな。
今日は雑誌「無限」の「W・H・オーデン特集」の号も持ってきたんですが、荒地派の詩人たちの座談会「オーデン・その詩と死」が掲載されています。出席者は中桐雅夫、田村隆一、鮎川信夫、北村太郎の四人で、かなり詳しくオーデンのことを語り合っているんです。中桐雅夫はオーデンの詩だけじゃなくてエッセイ集を何冊も翻訳しているからもちろんですけれど、田村さんも鮎川信夫も北村太郎もオーデンの書いたものをよく読んでいたことがわかります。荒地派はエリオットの影響が強いと思われていますけれど、同時代の詩人としてのオーデンの影響は大きかったんじゃないかと思いますね。
「無限」第33号(W・H・オーデン特集) 昭和49年7月1日発行 株式会社無限編集部
鶴山 「荒地」の詩人たちは中桐さんに引っ張られてオーデンをよく読みましたね。もちろん双璧としてエリオットがいる。二十世紀初頭の英米を代表する思想家詩人です。オーデンさんの晩年のお顔はアメリカの農夫みたいなんだけど中身は正統ヨーロッパインテリだからね。ただ英米詩、というよりアメリカ詩には拍子抜けするほど単純な詩がある。ウィリアムズに「ちょっと一言(This is just to say)」って詩があるでしょう。
I have eaten
the plums
that were in
the icebox
and which
you were probably
saving
for breakfast
Forgive me
they were delicious
so sweet
and so cold
ぼくは
アイスボックスに
あった桃を
食べちゃった
それはきっと
たぶんきみが
朝食のために
とっておいたんだろう
ごめんね
とってもおいしかったよ
とっても甘くて
よく冷えていて
中学生でも読める英詩です。「so sweet / and so cold」は「plums」のことなんだけど、読めばすぐ彼の奥さん(sweetie)のことだってわかる。なにこれって思うけど、こういう詩もアリなんだな。翻訳でもアメリカ詩をたくさん読めばその機微をつかめます。ばかでかい冷蔵庫にマグネットで留めたメモに書かれたようなアメリカ詩。繊細でガサツ(笑)。
日本と同じでアメリカで詩を読む人は少ないけど、ウィリアムズやカミングズは比較的人気があるみたいですね。ジム・ジャームッシュがウィリアムズへのオマージュ映画『パターソン』を撮ってます。主人公がノートにウィリアムズばりの詩を書きまくっている。ペットの犬が噛み破って紙くずになっちゃうんだけど(笑)。カミングズの詩はウディ・アレンが『アニー・ホール』で使ってたかな。エリオットはノーベル賞を受賞したから比較的よく知られているけど、パウンドは99パーセントのアメリカ人が知らないでしょうね。日本での方が有名かもしれない。
池上 そういう意味ではエリオットとかオーデンはヨーロッパですね。オーデンのエッセイを読んでいると、ヨーロッパ的教養の分厚さが違います。西脇順三郎を例外として、当然ながら日本の詩人でオーデンのように本当にヨーロッパ的教養のある人はいない。吉田健一はヨーロッパ的教養を身に着けていたけど、詩人ではないしね。もちろん日本人だからヨーロッパ的教養じゃなくてもいいんだけど、オーデンのように分厚い教養を持った詩人が出てきて、田村さんのような自由詩を書くようになれば、日本語の詩ももっと豊かになるんじゃないかな。
池上晴之
鶴山 詩の世界は中途半端な創作者の吹き溜まりなんだよ。自由詩はたかだか百五十年くらいしか歴史がないのに概要すら把握していない詩人が多い。もうちょっと真面目なことを言えば、日本文学は短歌、俳句、自由詩、小説が官庁縦割りのように分断されている。またお互い無縁でもやっていけちゃうんだな。底流では繋がっているんだけど、総体的に捉えられないから外国人に日本文化の特徴や本質を指摘されたりすることになる。ヨーロッパは文学を一枚岩で捉えて論理化したからそれを特産品として全世界に発信できた。日本はいつまでも日本文化を秘儀みたいにして、曖昧な侘び寂びだとムニャムニャ言ってるだけだから。
池上 エッセイ集『第二の世界』(一九六八年)の序文で、オーデンは「芸術作品」を「第二の世界」と呼ぶって書いているんですが、実際に本を読み進めていくと、オーデンがいちばん理想としている「第二の世界」は「オペラの世界」なんですよ。第一の世界が現実世界で、第二の世界はオペラの世界。中桐雅夫訳が出版されたのは一九七〇年なんだけど、七〇年安保闘争をやっていた当時の大学生とか現代詩を書いていた若い詩人たちは、オペラの世界が第二の世界だって言われてもピンとこなかったでしょうね。オーデンがオペラについて具体的に論じている内容も、ほとんどの人は理解できなかったんじゃないかなぁ。
鶴山 これはドイツ系文学の話になるんだけど、心理学者だけどユングの奇書『赤の書』に至るまで多くのドイツ系作家が理想とする文学はゲーテの『ファウスト』です。詩であり物語であり哲学であり、舞台で光りと音に包まれる戯曲でもある。簡単に言うと綜合芸術。日本でロマン派と言うと星菫派を思い浮かべてしまうけど、本家ロマン派はバロックなどそれまでの芸術の総決算です。ファウスト博士は本気で「己は哲学も/法学も医学も/あらずもがなの神学も/熱心に勉強して、底の底まで研究した」(森鷗外訳)と言っている。
オーデンはイギリスからアメリカに移住したヨーロッパ人だからそういった総合芸術的志向があったんでしょうね。エリオットは逆でアメリカからイギリスに帰化したけど、やっぱりアメリカ的ガサツさがある。コッポラの『地獄の黙示録(Apocalypse Now)』のカーツ大佐お気に入りの詩はエリオットの「うつろな人間」ですよね。「頭の中には藁が詰まってる」っていうやつ。あれはアメリカ人好みだと思います。
■田村詩の書法■
池上 『新年の手紙』で鶴山さんがお勧めの詩はありますか。
鶴山 『四千の日と夜』以来の田村詩の系譜では「おそらく偉大な詩は」でしょうね。
一篇の詩は
かろうじて一行にささえられている
それは恐怖の均衡に似ている
人間は両手をひろげて
その均衡に耐えなければならない
一瞬のめまいが
きみの全生涯の軸となる
(後略)
宮沢賢治の「雨ニモマケズ/風ニモマケズ」と同じで、読んだ瞬間に理解できる詩です。それが優れた詩。でも田村さんは「リバーマン帰る」のような詩の方が書きたかったんだろうな。
鶴山裕司
池上 田村隆一の詩がすばらしいのは、詩を詩として読めるところだと思うんですよ。詩で思想を表現しているわけじゃない。
鶴山 詩の効用はたくさんあって、考えさせる詩もその一つです。ただ田村さんが書いているように詩は本質的には一行で成立する。短歌・俳句は短くて詩型で言えば一行なんですが、自由詩は詩となる一行を書くために三十行、時には百行を必要とする。でも究極を言えば〝詩的〟なものが〝詩〟になるのは一行あれば十分です。その機微をつかんでいるのが詩人。田村さんは「おそらく偉大な詩は」で詩の本質を把握している詩人だということを証明しています。
池上 「灰色の菫」は、田村さんの後期の詩につながっていく作品の一つですね。「順三郎先生に」という献辞が付いています。
鶴山 最初の連が重要ですね。
67年の冬から
68年の初夏まで
ぼくは「ドナリー」でビールを飲んでいた
朝の九時からバーによりかかって
ドイツの名前のビールを飲んでいると
中年の婦人が乳母車を押しながら
店に入ってきて
ぼくと並んでビールを飲んだりしたものだ
(中略)
1939年はW・H・オーデンが
ニューヨークの五十二番街で
「灰とエロス」のウイスキーを飲んでいた「時」だ
その「時」は燃えて燃えて燃えつきて
世界は灰になった
この詩は最後の二行で詩になっています。長い詩であと三連続きますが、それは灰になった世界の説明。ただ西脇ライティングを取り入れているのがもっと重要です。
池上 最後の連は、「さて/ビールにはもうあきた/裏口からそっと出て行こうか/ギリシャの方へ/バッカスの血とニンフの新しい涙が混合されている/葡萄酒を飲みに/「灰色の董」という居酒屋の方へ」ですが、これは西脇順三郎の『Ambarvalia』の「菫」という詩の「コク・テール作りはみすぼらしい銅銭振りで/あるがギリシャの調合は黄金の音がする。/「灰色の董」といふバーヘ行つてみたまへ。/バコスの血とニムフの新しい涙が混合されて/暗黒の不滅の生命が泡をふき/車輪のやうに大きなヒラメと共に薫る。」を踏まえているんですね。田村さんは初期の詩では『Ambarvalia』の「石に刻まれた髪/石に刻まれた音/石に刻まれた眼は永遠に開く。」(「眼」)というようなモダニズム的な表現に影響を受けていたと思うんだけど、中期以降は『Ambarvalia』から「菫」のような語り口を見出して自分のものにしていくわけですよね。
「「北」についてのノート」も、やはり後期の田村さんの詩につながっていく作品だと思います。
絵画と音楽に国境なし、というのは、真っ赤な嘘なり。ぼくが、北米の田舎町で経験した「自由」、および「自由」の回路となりうるもの、ただ一つ、それは言語なり。
北米、アイオワ州にて、一九六八年一月
世界を、さらにもう一度、凍結せしめねばならぬ。「北」の詩には、雪、氷、凍、囚人、その他、「北」を連想せしめる如き言葉(修辞)は厳禁。
氷河期――燃える言葉、エロティックなリズムで書くこと(小動物、森の動物が歩くリズムで)。深刻、悲愴、孤立、断絶、極北、極点、原点、の如き用語、フィーリング、使用すべからず。
口語体(東京語及びアクセント)をフルに活用。
直腸的経験。(こと詩に関しては、開かれていること)
(後略)
鶴山 一九六八年一月にアイオワで書いたメモを整理しただけの詩でしょうね。あ、「(修辞)は厳禁」って書いてるね。僕は『聖遠耳』で「修辞を捨てよ」って何度も書いたけど、田村さんがだいぶ前に同じことを書いてるんだねぇ。驚いた(笑)。
池上 確かにただメモを並べているようにも見えるんですけれど、この作品では、田村さんの詩法の核心である言葉の「選択」と「配列」の対象が、「単語」から「文節」になってきていると思うんです。これが後期には、文節から「文」になっていくわけですけどね。あと、「口語体(東京語及びアクセント)をフルに活用。」ってあるでしょう。詩の一節だからアレなんだけど、田村さんはこの言葉を実践したんじゃないかな。
鶴山 すごくエッセイをたくさん書いていて、文筆家としては散文で食べていたわけだけど、そうなると散文の方にシフトして行きそうなものなんだけど詩を書き続けています。またどう見てもエッセイより詩の方が優れている。
昔サッカーの日本代表監督だったオシムさんが「サッカー選手をダメにするのは成功体験だ」と言ったけど、それは文学にも当てはまる。『四千の日と夜』と『言葉の世界』で戦後詩人として絶大な支持を得たわけだから、普通の人ならその成功体験ラインで行きたくなりそうなものだけど、田村さんは『新年の手紙』で大きく書き方を変えた。勇気を持って変化していますね。
ただ西脇詩や英米詩を取り入れた田村隆一的戦後詩を継承できるのかというと、できない。ブレない、揺るがない一人称を確立できたのは田村さんや鮎川さんだけで、その後の世代はむしろ自我が揺れまくる時代に生きている。現代詩が有効だったのはそれ故です。
文学が個と世界(社会)の対峙表現なのはいつの時代も変わらないわけだけど、巨大に膨れ上がっていく世界に個が対応し切れなくなった際にどうするのか。ごく簡単に言えば現代詩は社会と同じくらい複雑な言語抽象体でそれに対抗しようとした。だけど社会がさらに無限に膨れ上がってゆく情報化時代には現代詩詩法にも限界がある。
尋常小学校卒の吉岡実はそれを「創造力は死んだ 創造せよ」で解消しようとした。もうランボーの「見者」みたいな十九世紀的詩人の特権的感性や知性など信じちゃいない。一義的には個(自我意識)を消して負の焦点として、引用のパッチワークで世界と相似形の言語世界を作ろうとした。負の焦点としての個がなければ世界は存在しない。個は強烈な自我意識ではなく世界を成立させる求心力としてある。漱石の「則天去私」に近い方法です。これは現在進行形の詩法なので、現代社会にどう対応するのかは文学者ごとにほかにもいろいろな方法があると思います。
池上 なるほど、現代詩は複雑な言語抽象体を使って複雑化する現代社会に対抗した、というのは卓見ですね。だから現代詩人は、普通の読者には難解な表現を用いざるを得なかったわけだ。その一方で、田村さんは詩を口語的、散文的にすることで複雑化する現代社会に個として対抗したとも考えることができそうですね。
『新年の手紙』の次の詩集『死語』に「白い紙」という詩があります。
もうこれまでに
いったい なんど白い紙に
ぼくは署名してきたのだ?
鉛筆
クレイヨン
Gペン万年筆シャープペンシル
生れてはじめて
筆と硯を買ってもらったのは
雪の日だった
(中略)
道はぬかっていて
以来
署名してきたのさ なんども
何千何万と署名してきたのさ
画用紙の裏
答案用紙
はがき
手紙
夏の日記帳
商業英作文
軍事的ノート
極秘電文
むろん
領収書借用書利息計算書トラベラー・チェック
祝儀不祝儀
そして ちいさなもの あのちいさな白い紙
言語の細い線 暗い海峡 一篇の詩のそのすぐ
あとに
昔からぼくはこの詩が好きなんです。何というか、詩人になってしまった自分の人生を振り返ってしんみりしている感じがあって、いい詩だなぁって思います。それと田村さんの言葉の選択のセンスのよさがよく出ている。「領収書借用書利息計算書トラベラー・チェック/祝儀不祝儀」の畳みかけのリズムね。普通の単語を並べただけで詩になっているのがすごい。
鶴山 三行一連の詩だけど、この詩はゆったり進んでますね。でも詩の視覚的な形が美しい。モダニストの詩です。
池上 さっき鶴山さんは、詩を詩にしている一行がある、とおっしゃっていたけど、「白い紙」では「領収書借用書利息計算書トラベラー・チェック/祝儀不祝儀」というところだと思います。
鶴山 そうですね。田村さんの中期は『新年の手紙』から『毒杯』まででいいと思うけど、その中でもけっこう変化がある。第十詩集『小鳥が笑った』と第十一詩集『スコットランドの水車小屋』はハッキリライトヴァース化しています。ホントに軽い詩を書いている。でも第十二詩集『5分前』、第十三詩集『陽気な世紀末』になるとまた詩の圧が高くなる。
池上晴之
池上 『スコットランドの水車小屋』に「オレンジギャルのためのサーフィン入門講座」という詩があります(以下、原詩ではa、b、cなどはイタリック体)。
となりの部屋の
ヒゲのカメラマンからサーフィン・マガジンを借りてきた
ドジ井坂が講師だ
サーフィンができないと
おくれてるーって、いわれちゃいそうね
ドジ青年曰く
a まず最初は海や波をじっくり見て研究しちゃおう。
b 海に入ったら波に慣れることが先決 ともかく海へ行って遊ぼうよ。散歩をしたり、貝ガラを拾ったり、詩を書いたりして、それで海に入るチャンスがあれば、サーフィンも自然にできるんだよね。
それでは
ブルーボーイのために現代詩入門講座でも書こうか――
a あらゆる保険には加入しないこと。
b 独身者であること。なぜ名探偵はみんな独身なのか、よく検討してみること。
(中略)
i 人間の悲惨と孤独を糧にして、体力増強に励まなければならぬ。
j 詩の本を売りはらって、海に行くこと。散歩したり、貝ガラを拾ったり、詩を書いたりして。(但し、戦後詩は不可)それで海に入るチャンスがあれば、サーフィンも(詩も)自然にできるんだよね。
午後はヒゲのカメラマンのポンコツ車で湘南高速道路を疾走した
七月七日午後一時
茅ヶ崎市南湖七ノ一の茅ヶ崎海岸に
クジラの死体が打ち上げられているのをサーファーが発見
警察の調べでは
アカボウクジラ(体長三・五メートル オス五、六歳)
死後約一週間
『現代詩読本 田村隆一』で北川透、三浦雅士、佐々木幹郎のお三方が代表詩を五十篇選んでいるんですが、北川透さんだけがこの詩を挙げています。ぼくは、この作品は田村隆一の中・後期の代表作の一つだと思っているんですけど、発表された時に、日吉の大学生協で立ち読みしたんですよ。一九八〇年ですね。「ユリイカ」だったかなぁ、雑誌名は覚えていないんだけど、「オレンジギャルのためのサーフィン入門講座」というタイトルを見て、えっ、て思いました。
もう亡くなられましたが「ドジ井坂」さんは日本のサーフィン界の草分けで、ちょびヒゲがちょっと嵐山光三郎さんに似ていて、サーフィンブームだった当時よくテレビに出ていらっしゃったんです。田村さん、ドジ井坂なんて知っているんだってびっくりすると同時に、流行のサーフィンをテーマにするところに田村隆一の詩の現在性を感じました。
この詩はタイトルこそ軽い感じなんですが、内容は文明批評になっています。ドジ井坂さんによるサーフィン入門講座を軽い文体で引用しているのかと思って読んでいくと、おもむろに「ブルーボーイのために現代詩入門講座でも書こうか」とお得意のa、b、c……というスタイルのクールな文体に変わります。それでいて、最後のjはサーフィン入門講座bのパロディになっていてユーモアもあります。
すごいなと思うのは、ドジ井坂さんのサーフィン入門講座の文章に「詩を書いたりして」という一節を見つけたことですね。これがブルーボーイのための現代詩入門講座への布石になっていて、「詩を書いたりして。(但し、戦後詩は不可)」がキメの詩句になるんですね。「但し、戦後詩は不可」っていうところで、現代詩を書いている人なら思わず吹き出しちゃうと思うんです。でもよく考えてみれば、「ユリイカ」とか「現代詩手帖」を読んでいたぼくのような青年は、まず「サーフィン・マガジン」なんて読まないわけですよ。「オレンジギャルのためのサーフィン入門講座」というタイトルは、現代詩なんか書いているブルーボーイに対する挑発ですよね。田村さんは現代詩を書いているような青年がこのタイトルに反感を持つことをわかっていて、からかっているわけです。
でもこの詩の本当のすごさは最後の連にあります。「七月七日午後一時」以降の行は、クジラの死体が海岸に打ち上げられたという新聞記事から取った言葉を並べているだけです。調べてみたら、これは事実なんです。茅ヶ崎海岸というのはサーフィンのスポットで、そこにクジラの死体が打ち上げられているのをサーファーが発見したわけですよね。この記事というか詩行が、今度は詩の雑誌なんか読むことのないオレンジギャルに対するメッセージになっているわけです。オレンジギャルとブルーボーイがポジ(ポジティブ)とネガ(ネガティブ)の関係になっていて、詩と死が流行のサーフィンと海を通して表現されている。文明批評的な、すごい詩だと思います。
詩の構成ということで言えば、これは田村さんの初期の散文詩「腐刻画」と同じですね。ぼくは「腐刻画」が詩集『四千の日と夜』の原型になっているとは思えないって言いましたけど(第一回)、やっぱり田村さんの詩の原型になっていたのかなぁ。明らかに前半と後半の間の空白の一行が、この作品を詩にしていますよね。鶴山さんがおっしゃるとおり、「連と連の断絶するところに、その一瞬の空白に、ぼくの「詩」があった」という田村さんの言葉を素直に受け取るべきだった(笑)。
あと立ち読みした時にぼくが考えたことは、この詩はあと何年もつかなということでした。「オレンジギャル」とか「ドジ井坂」とかが、どのくらい時に耐えられるのかということですね。で、一九八〇年に書かれた詩だから四十年以上経ったわけですが、「オレンジギャル」は当時は意味がわかったはずなんだけど、もうわからなくなっちゃっています。調べたら太田裕美さんの「南風」という歌の中に出てくる言葉で、この曲はキリンオレンジという商品のコマーシャルソングでした。
いまの若い読者がこの詩を読んでも、「オレンジギャル」とか「ドジ井坂」が何なのかはよくわからないと思うんです。あと何十年も経てば、ほとんど誰にも何のことかわからなくなると思います。でも、たとえばエリオットの詩の中に出てくる固有名詞の意味がわからなくても、その詩の価値は損なわれていませんよね。
鶴山 謎がある方が読者が食いつくことがあるからね。言語表現って、結局言葉の膨らみと落差なんだ。宮沢賢治ライティングになるけど、ジョバンニとかグスコーブドリで読者の視線が止まったりする。謎めいてるでしょ。ただ具体的でストレートでないとダメ。象徴主義的な書き方だと薔薇の中に朝焼けがあって、とかになるけど、作者がもの凄く工夫を凝らしたつもりでも読者は立ち止まってくれない。工夫を凝らせば凝らすほど言語的経験としてはつまらなくなって読者を遠ざけることもある。ドジ井坂って誰、車の窓からクジラの死体が見えた、どんなクジラ? で読者は立ち止まってくれる。a、b、c、d、e……と関連のないことを箇条書きにしていく方法も、内容によりますがシーケンシャルな記述より面白くなったりする。
鶴山裕司
池上 あともう一つ、詩の終わり方ですね。締めないで詩を終わらせる書き方は案外新しくて高度な技法で、それを日本語の詩で意識的にやったのも田村さんが初めてじゃないかと思います。
鶴山 詩に限らないですが言語創作の理想は終わりに結論が来ないことではありますね。真ん中から少し後、少なくとも最終部より手前に来なきゃならない。読者がこれがクライマックスと気づいてしまう創作はダメで、読者が無意識的にここがヤマ場だなとドキドキしても、それを通り越して最後まで読んでくれる作品の方が上手です。
池上 中期後半の『奴隷の歓び』は評価が高いでしょう。確か読売文学賞を受賞しています。巻頭は「物」という詩です。
まず有用な道具でなければならない
生物的人間ではあるが
政治的人間
経済的人間
観念的人間
ではない
奴隷が法律的社会的に認知されるのは
物
としてである
古代ギリシャの哲学者が奴隷を定義して
生命ある道具
声を出す道具
と云ったがそれだけでは不充分である
売却 贈与 持参金 身代金 上納 貢物
の対価にならなければ
奴隷にはなれない
(中略)
紀元一世紀から奴隷制社会の崩壊がはじまる
奴隷から農奴へ
物から人へ
物だけが所有していた純粋な歓びも涙も
政治的社会的存在の複合観念に変質する
物が歓びの声を出すのではない
観念が音を出し
水のようなものを目から流すのだ
(中略)
〈物〉に会いたくなったら
渋谷のパルコ通りへ行くことだ
銀山も葡萄畑もないかわりに
抽象的な情報市場だけはあふれていて
〈物〉の音と光と色彩が沸きたっている
昨夜は〈物〉のために詩を読んできかせてやったのに
きみの反応といったら遠いところを見るギリシャ奴隷の
あかるい目の色そっくり
鶴山 『奴隷の歓び』は一九八四年刊ですか。情報化社会が始まって、膨大な情報の海の中に個人が埋没してゆく危機感が詩の背景にあると思います。
田村さんの詩は一九八〇年『水半球』、八一年『小鳥が笑った』、八二年『スコットランドの水車小屋』のあたりで激しくライトヴァース化しています。でも『スコットランド』と同じ八二年に出た『5分前』、次の八三年『陽気な世紀末』あたりで日常の不安がまた頭をもたげ出す。戦後社会が一番安定していたのは田村さんのライトヴァースの時代の八〇年代初頭だったかもしれない。高度経済成長末期、バブル時代前ですね。
『5分前』には詩のタイトルだけ見ても「螺旋状の断崖」や「緑色の観念形態」があって、初期田村詩のキーワードだった「断崖」「緑色」が再登場している。「もう一つの世界」という詩にはすでに「奴隷」が登場しています。
個人がいなくなった
個人がいなくなったおかげで
都市がなくなった
都市がなくなったために
月の光りが窓をひらくこともなくなった
詩も政治も
構造主義という構造のなかに組みこまれてしまったから
個人は手を汚すこともなくなった
汚れる手がないのだから
個人がいるはずはない
(中略)
四足で
地上を這ったら
どんなに気持ちがいいだろうか
触覚と嗅覚だけがすべてを支配する
階級社会を建設しよう
支配と被支配
差別と被差別
憎悪と復讐とが
人間の女神であり
その女神のためにすべてを捧げよう
奴隷から奴隷の歓びを剥奪すべきだ
それには鞭で彼らに自立の精神をたたきこむのだ
たたいてたたいて
たたきのめすのだ
痛みこそ奴隷の歓びなら
その歓びを中絶させなければならない
(後略)
「もう一つの世界」の世界は個が社会に飲み込まれ消滅する危機感を表現しています。そこからの超脱方法はプリミティブな「支配と被支配/差別と被差別/憎悪と復讐」の復活しかない。
また天上と言いますか冥界に属している田村さんの目から見れば、個は社会に呑み込まれる奴隷。それは必然で動かないわけですが、ややこしい言い方ですが、奴隷が奴隷のまま奴隷でなくなるにはどうすればいいのか。一つは安穏と奴隷に留まる人間からその「歓びを剥奪」すること。さらにその先は〈物〉化することです。そういうふうに文明批評家でもある田村さんの思考が動いている。
もちろん詩は奴隷批判と、奴隷を超えた奴隷の間を行ったり来たりします。『奴隷の歓び』巻頭の「物」という詩では「奴隷」と〈物〉の間で思考が揺れています。でもだんだん本質が明確になってゆく。『奴隷の歓び』に「所有権」という詩があります。
(前略)
おれは〈物〉だから
詩そのものだ
おれの言葉は所有権者どもの言葉では
ない
おれは
おれの言葉だけで生きてきた
所有権者どもには
おれの言葉が
悲鳴に聞こえたり
鼻唄に聞こえたりしたかもしれないが
おれの舌は
あらゆる国境を 砂漠を
七つの海を 五つの大陸を飛び越えて
地の果て
海の彼方まで
どこまでものびていって
おれは
〈物〉の言葉だけで
喋りつづけているのさ
『奴隷の歓び』には〈物〉が頻出します。むしろ〈物〉の方が重要で、『奴隷の歓び』は『奴隷の〈物〉化の歓び』と読むことができます。読者の注意を引きつけるための『奴隷』だと思います。
「所有権」では「おれは〈物〉だから」とありますが、これが社会の奴隷である人間が、奴隷のまま奴隷を超脱する方法として示唆されている。田村さん的に言えば「奴隷」は〈物〉でなければ社会での存在価値がない。逆に言えば現代人は中途半端な「奴隷」なので批判される。反語的ですが「奴隷」が草木と同じように〈物〉化すること、中途半端な感情を捨て去ること、そうすれば人間の精神は揺れない。数ではなく一個一個の〈物〉として存在し得る。〈物〉の存在格は還元不能だから。田村隆一は〈物〉化することができる。しかし現代人すべてが田村さんのように〈物〉化できるわけではない。そうは書いていない。正直ですね。
『奴隷の歓び』二つ前の一九八二年刊『5分前』末尾の詩篇「ぼくの聖灰水曜日」は、
言葉は人間をつくってはくれない
言葉が崩壊すれば人間は灰になるだけだ
その灰を掻きあつめる情報化社会の奴隷たちに
五分前!
で終わります。インターネットが普及してハッキリ高度情報化社会が始まるのは一九九〇年代ですが、八〇年代初頭にすでに田村さんは詩で「奴隷」と「情報化社会」と表現している。勘がいいですね。
ざっくり言えば『5分前』や『陽気な世紀末』では個が社会に飲み込まれてゆく不安を表現したわけですが、『奴隷の歓び』では社会に飲み込まれてしまえ、古代「奴隷」本来の半端な感情のない〈物〉になってしまえという方向に動いている。「奴隷」も〈物〉もポジティブな面とネガティブな面を持っている。田村さんの「緑」と同じ両義的な言葉と概念の使い方ですね。
池上 一九八〇年代初頭といえば、鮎川信夫が十年間詩を書かないと宣言した頃ですね。鶴山さんがおっしゃるように、高度情報化社会になってきて、戦後詩の終わりの始まりが見えてきた時期です。『奴隷の歓び』は当時ぼくの友人の間でも、久しぶりに田村さんが気骨を見せた詩集だ、と話題になりましたよ。この辺りの中期の田村さんのいちばん力のある詩は現代詩文庫の『続続・田村隆一詩集』で読めますから、ぜひ読んで詩そのものの醍醐味を味わっていただきたいですね。
鶴山 詩では言語的な膨らみがいかに大事かということですね。田村詩は英米詩的なリアリズムだからなおそれが目立つ。フランス象徴主義的な書き方が悪いとは言いませんが、最初の行を読んだ時に、読者が「これ、最後まで読むの?」という感じになることもある。特に受容しなければならない情報や知が膨大に膨らんでいる現代はそうですね。
池上 ぼくにとっては、田村隆一の詩を読んでいる時間や空間そのものが詩的体験であり、詩を読む歓びなんです。田村さんは、俳句でも短歌でも小説でも書けないことを詩で書いたと思うんですよ。
鶴山 ただ社会の変化に応じた詩の言語的状況変化というものはあります。一九六〇年代から八〇年代にかけて、歌人・俳人が「現代詩はスゴイなぁ」と仰ぎ見るような時代があったのも確か。当時は「難しい詩だけどわからんヤツが悪い」だった。またその時代に書かれていた思いきり難しい詩に意味がなかったのかと言うと、作家に思想があればそれはいまだ存在意義を持っています。ただ二〇二四年の社会状況と言語状況の変化を考えた場合、七〇―八〇年代の現代詩の書き方を引きずっていていいのかはちょっと考えた方がいい。
戦前の詩壇のスターは「新領土」や「詩と詩論」「VOU」の村野四郎や北園克衛、春山行夫だった。瀧口修造は戦前一冊も詩集を出していないけど、吉岡実が戦前に刊行した『液体』は瀧口なんだ。勘のいい詩人は表現に思想があるかないか気づく。戦後には戦前に『Ambarvalia』一冊しか詩集を出していない西脇さんの評価が急激に高まっていった。表現のバックボーンになる思想がいかに大切かということですね。
また田村さんの時代には一方に入沢・岩成の現代詩があった。修辞的実験は現代詩派にまかせておけばいいという状況でした。戦後詩派と現代詩派は表裏一体。「荒地」派と現代詩派は表現に思想があるから高く評価されているわけだけど、田村さんの詩の書き方がすべてではなく戦後の前衛詩の一方の極だということは忘れてはいけないですね。
池上 はい。あと、中桐雅夫や北村太郎の後期の詩は、ちょっと小言っぽくなっているでしょう。でも田村さんの詩はそうじゃないですよね。
鶴山 だって冷たいもの。田村詩は一人称だけど一人称じゃない。一九四五年八月十五日で死んでるんじゃないかってくらい冷たい。鮎川さんもそうだけど、幽霊っぽくて、寂しいよと死者や生者に寄りかかるようなところがある(笑)。
池上 田村さんの生前最後の詩集は、一九九八年に七十五歳で亡くなる直前に刊行された『1999』です。『スコットランドの水車小屋』の最後に置かれた詩「1999」には、「「1999」//という詩集が出してみたい/もしそれまでに生きていられたら/たっぷり十八年間 ぼくは//蟻のように眠っていて」という一節がありました。それからおよそ十七年間、眠っていたどころか、晩年に至るまで田村隆一はまったく衰えていない。一九九九年を目前にきっちり『1999』という詩集を出して、詩人としてこの世を去って行ったわけです。とりわけ最後の詩「蟻」は、文明批評でもあり、また、たとえば「1999」が年号であると同時にアリの姿を数字で模しているように、田村さんの詩作のテクニックがすべて使われている本当にすごい詩です。全篇を読んでいただきたいところですが、長い詩なので三連目の途中からと最後の六連目を引用しますね。
蟻 おお わが同類よ
宇宙から観察したら 身長3ミリの蟻と
一七五センチのぼくとたいして変らない
蟻と人間だけが一億二千万年も生きながらえてこられたのは
分泌物と匂いという武器でコロニイをつくりわけられたからだ
人間は言葉
コロニイとコロニイが武力衝突するのも
国と国 民族と民族が戦争するのも
そっくりさ
人間は遺伝子
民族は言葉から神にむかう
(中略)
ギリシャ神話では
アイギナ島の住民が疫病で全滅したとき
ゼウスは蟻をその住民に変えたという
さよなら 遺伝子と電子工学だけを残したままの
人間の世紀末
1999
鶴山 戦後詩の根本が個と社会の対峙にあるのは明白です。個が巨大を通り越して無限膨張する社会の前で完全敗北した時点で戦後詩の役割は終わった。田村隆一はどんなに社会が変化してもブレない、揺るがない個を持っていたわけだけど、この個が本当に現世に属していたのかどうかわからないようなところがある。変な言い方ですが。
池上 ぼくがこれからの詩人に期待しているのは、中・後期の田村隆一が切り開いた口語的な「語り」の表現、あるいは散文をも取り入れた非常に自由な表現を使った自由詩なんです。そこに日本語の詩の可能性があると思っています。鶴山さんはどう思いますか。
鶴山 戦後詩も現代詩も詩人の個が核だったのは同じです。ただ戦後あるいは終戦の衝撃は非常に捉えにくかった。鮎川「橋上の人」、田村「言葉のない世界」のように垂直に立ち止まり、吉岡実「卵」、飯島耕一「他人の空」のように白(空白)に包まれたような詩がそれをよく表しています。入沢康夫、岩成達也の現代詩も同じような困難から生まれた。
ただこれは微妙な言い方になりますが、もう個で世界をねじ伏せるような詩の書き方(あり方)は難しいだろうと思う。必ずしもフランス哲学的文脈ではなく、モダンの次という意味でポスト・モダンの時代に入った。それは現在進行形の問題。詩人たちの課題ですね。ただ詩の創作現場の短期的課題としては、現代詩的修辞が有効でなくなりつつあるのは意識した方がいい。西脇―田村的詩法をもっと取り入れた方がいいと思います。
西脇さんのシュルナチュラリズムはなにも難しいことを言っているわけではない。詩人が奇矯なイメージや思考を抱くのは当たり前だと言っている。ただそれを重視し過ぎると表現がどんどん現実離れ、浮世離れしてくる。西脇さんのシュルレアリスム批判です。西脇さんは「瀧口は菫だな」と恐ろしいことを言った人だからね。じゃあこの陥穽に陥らないにはどうしたらいいのか。詩人的なマイナスイメージ・思考に現実の事物を取り合わせることだというのが西脇シュルナチュラリズム。そうすればプラスマイナスゼロになってバランスが取れる。
田村さんは西脇シュルナチュラリズムを取り入れた。英米詩の影響もあって人と物がさらにクリアな詩を書いた。それが『新年の手紙』以降で、そこから田村詩は安定して量産可能になった。詩表現と折り合いが付いたわけです。実際田村さんは死ぬ間際まで詩を書くことができた。安定した詩法から生涯冒険しなかったわけだけど、その原理がわかっていれば修辞的に難しい詩を、言語的圧を上げることもできる。あるいはもっと自堕落な詩も書ける。でも修辞先行の現代詩では書き方が固定される。この問題は創作の現実・現場的問題として少し真剣に考えた方がいい。
池上 田村隆一が詩人としてユニークだったのは、詩的言語を追い求めなかったことです。中・後期の田村さんの詩には、いわゆる詩的な表現はほぼありません。オーデンが「詩は本質的に話されることばであって、書かれたことばではない」と言っているように、話し言葉に近い「語り」の文体で詩を書き、日本語の詩で言文一致をなしとげたことが、田村隆一の偉大さだと思います。図書館で『田村隆一全詩集』を手に取って、一五〇〇頁の重みを感じてほしいです。
鶴山 そうですね。さあ、次は吉本隆明篇だ。「さて、吉本隆明」というわけにはいかないな。頑張りましょう(笑)。
(金魚屋スタジオにて収録 「田村隆一篇」了)
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