妻が妊娠した。夫の方には、男の方にはさしたる驚きも感慨もない。ただ人生の重大事であり岐路にさしかかっているのも確か。さて、男はどうすればいいのか? どう振る舞えばいいのか、自分は変化のない日常をどう続ければいいのか? ・・・。辻原登奨励小説賞受賞作家寅間心閑の連載小説第5弾!。
by 金魚屋編集部
永子へのクリスマスプレゼント、三輪車はひょんなことからトミタさんが手配してくれることになった。美大時代の友だちがデザインを手掛けたシリーズがあり、安く買うことができるという。予定では何日か前に「夜想」で受け渡し、としていたが予定がなかなか合わず、結局イブの前の晩に車で届けてくれることになった。「リアルサンタじゃないですか」とからかうと、満更でもない顔で首を回していた。
そろそろ向かうぞ、と電話があったのが午後九時。せっかくの機会なので好きなものを飲み食いしてもらおうと、準備万端の状態で出迎えることにした。黒のワゴン車で現れたサンタは、赤いリボンで飾られた大きな包みを俺に渡すと、興味深そうに店の外観、そして中の様子を観察していた。
「おい、年季の入ったいい店じゃねえか。もっとイマ風の造りかと思ってたよ」
リニューアルしたいんですけどねえ、とまぜ返すと「もったいねえことするな、馬鹿野郎」と怒られた。
「あ、あと年明け早々、京都に行ってくるよ。太秦なんだけど」
京都か、と思った瞬間にコケモモのことが浮かぶ。そういえばここ最近、ヤジマーからの追加情報がない。
「お仕事ですか?」
「いや、娘からのリクエストでな。好きなアイドルが撮影をやってるらしくて」
「お、仲良いじゃないですか」
「違う違う。俺の後輩が撮影所にいるからさ、ちょっと顔利くのを知ってんだよ」
理由はどうあれ、嬉しそうなのは良いことだ。
「トミタさん、せっかくなんで何か頼んでいってくださいよ」
そう言ってメニューを出すと、案外素直に「本当か? じゃあお言葉に甘えるかな」と窓際の席に腰を下ろした。
「食べ物もできますから、何でもどうぞ」
「うん。もう決まったぞ」
「え?」
「チョコレートパフェ、ひとつな」
実は甘党、中でもチョコパフェが一番好きだというので、少々緊張しながら調理にかかる。その間、マキが二階から降りてきてトミタさんに「わざわざすみません。主人がいつも……」と頭を下げていた。大人になっても、こういう場面は照れ臭い。永子は寝ているというので、抱っこして連れて来ようとすると「馬鹿野郎」とトミタさんにまた怒られた。
「せっかく寝たところなんだからやめとけ」
「いや、でも……」
「あと、サンタの正体はまだ知らなくていいだろ」
そう言われると、もう食い下がれない。マキは部屋に戻りしな「いい人ね」と笑っていた。
待たせること十分弱。お待たせしました、とパフェをテーブルに置くと、トミタさんは真剣な顔で見つめていた。思わず緊張が走る。
「……いいね。うまそうだ」
シンプルな感想に「ありがとうございます」と頭を下げると「ひとつ頼まれてくれるか」と顔を上げる。
「ちょっと照明を落としてくれないか」
「え?」
「スイッチをパチパチやってくれ」
お安い御用とスイッチに駆け寄り、オンとオフの組み合わせを色々と試してみる。トミタさんは気に入ったパターンの場合「ストップ」と声をかけ、自分のスマホで写真を撮らせた。
「あの、もうちょっと優しい表情できません?」
「馬鹿野郎、顔は後で消すから要らねえんだ」
なるほど、と答えたものの目的はよく分からない。数パターン撮った後で改めて尋ねると、「この店のおかげでパッとひらめいたんだ」と満足そうなサンタスマイル。
「これくらい広くて、この雰囲気っていうのはいいよなあ」
詳細は分からないままだが、こんなに店のことを褒めてもらったのは初めてだ。ある意味クリスマスプレゼントだと思ったが、これも口には出さなかった。
イブが来た。テーブルの位置を変え、お客さんが短冊を付けたクリスマスツリーを真ん中に持ってきた。本当は限定メニューなども用意したかったが、毎年何もしないからと父親が却下。ただ昨日のトミタさんの言葉を思い出すと、それで良かったような気がする。
「パパちゃん、まだ、ゆうがたにならないねえ」
さっきから永子は口を開くとそればかり。夕方にマキが仕事から帰ってきたらクリスマス開始。朝、そんな風に伝えたから、待ち遠しくて仕方なくなっている。夕方までは普通にしてようね、と伝えたかったのに言葉は難しい。
少しお散歩してきたら? と、クリスマスツリーの周りをぐるぐる回る永子を見ながら母親が笑う。そうしようかな、と遠慮なく立ち上がったのはマキへのプレゼントを用意しようと思ったから。日頃の感謝を込めて、は勿論だが、永子にもサンタの気持ちを知ってほしかった。そんなことを考えたのは、昨晩トミタさんが来てくれたからだ。
店を出て少し歩くと、あっという間にクリスマスムードに囲まれた。いつもと違う商店街の賑わいに目を輝かせながら、「ゆうがた、まだかなあ」と繰り返す永子。
「あのさ、サンタさんになってママにプレゼントあげない?」
「え?」
「いつもありがとうってプレゼント」
「うん、あげたい。でも……」
「ん?」
「パパちゃんにもあげたい」
へへ、とだらしなく笑ってしまった。その言葉がプレゼントだよ、という気持ちを込めて久々に肩車をしてあげる。予想以上に重い。頭上の歓声をありがたく拝聴しつつ、腰への負担を考えるとそろそろ肩車卒業かもなあと考えていた。
新商品のクリスマス用パンケーキを持って、マキが帰ってきたのは午後四時過ぎ。夜に来てくれるサンタさんを見たいから、とお昼寝をしていた永子がちょうど起きたタイミングだった。
父親と母親に店を任せ、音の出ないクラッカーでクリスマスをスタート。普段と違うのは料理の豊富さくらいかと思っていたら、ケーキを食べた後にマキがトランプを取り出し「じゃあ、やろうか」と永子に声をかけた。始まったのは神経衰弱。
「調子良かったらババ抜きもいけるよ。七並べはもう少しかな」
俺が飲みに出かけている時に練習していたらしい。意外と自分が勝てなかったことも含め、今までの人生で一番楽しいトランプだったことは間違いない。
スタートが早かったこともあり、自発的にお昼寝までしていた永子は結局眠ってしまった。大人のクリスマスはここからがメインだ。
今日だけは大人の都合で歯磨きは免除。起こさないように寝床まで運ぶのはマキ、裏の物置に隠していた三輪車を持ってくるのは俺の仕事。予想していた事態だったが、やはり三輪車は大きい。枕元には置けないので急遽足元に変更。途中で目を覚さないことを祈りつつ、クリスマスはお開き。そのままマキと二次会を始めることにした。
永子がいないだけで会の趣旨は大幅に変わる。喫緊の課題はひとつ、リッちゃんを冬休みに預かるか否か。リッちゃんの母親は「本人が決めるのが一番」と言っているらしいので、あとは我が家が決めるだけだ。ただマキは自分の姉の家の話なので居心地が悪いのか、珍しく意見を述べようとはしない。重ねて俺の親に気兼ねしている可能性を考えると、実質俺が決めざるを得ない状況だ。
結論から言えば答えは出ている。今まで迷っていた原因は善悪ではなく覚悟。それは間違いない。冬休み中預かることの善し悪しなんて立場次第で変わる、つまりどうだっていい。俺が今まで気にしていたのは、預かることによって起こる将来のアレコレ。それらに責任が持てない、いや持ちたくない。つまり覚悟がなかった。でも昨日、トミタさんに三輪車を届けてもらって、その辺りがクリアになっている。別にトミタさんに何か言われた訳ではないし、そもそも理屈ではないような気がする。ただサンタになるのも悪くないな、と思えたことは事実だ。
「だって、もう永子のサンタになってるじゃない?」
マキにそう言われて、更に理解できた部分がある。俺は永子のサンタではない。父親だ。永子がサンタから三輪車を贈られたと思うことは正しい。なるべく長くそうあってほしいとも思う。でも俺は永子の父親なので、サンタには決してなれない。そして同時に、リッちゃんのサンタ、正確には永子以外の誰かのサンタならなれる。
うんうんと頷き、残ったチキンをつまみながら、数学の証明が苦手だったことを思い出した。今だって変わらない。プロセスはきっと滅茶苦茶だ。だからマキには結果だけを伝えた。
「うん、リッちゃん、預かってみよう」
そう伝える前の少々長めの沈黙に引っかかっているのか、マキの「ありがとう」には戸惑いの色が滲んでいた。時計を確認するとそろそろ十時。リッちゃんにいち早く報告したいが、ちょっと遅いかもしれない。
「ううん、大丈夫よ。早く教えてあげよう。イブの夜だし」
そんなマキの言葉に後押しされ、スマホを取り出した。リッちゃんは今日、楽しい時間を過ごせただろうか。町中を埋め尽くすクリスマスムードは、今がそういう時期だと知らせてくれるだけ。楽しさを保証してはくれない。「ちょっとお風呂沸かしてくるね」とマキが立ち上がる。ほぼ同時に聞こえた「もしもし」というリッちゃんの声は心なしか暗かった。
「連絡遅れてごめんね。冬休み、リッちゃんの気持ちが変わってなければ、うちに来ない?」
本当に? と何度も確認する声は、照れ臭くなるほど弾んでいる。もしかしたら断りの電話だと思って、さっきは暗い声だったのかもしれない。切り際に「メリークリスマス」と伝えると、「うん、ありがとう!」と返ってきた。なんとかサンタになれた気がして、ふっと気が抜ける。と、テーブルに置いたばかりのスマホが震えた。画面を確認するとヤジマーからのLINE。何てタイミングだよ、とぼやきながらチェックする。
メリークリスマス/よいこの君にサンタからプレゼントだよ!
馬鹿らしいメッセージの後に記されているのはURL。どうせマニア向けのアダルトサイトだろうとクリックすると、開いたのはインスタグラム。ん? と目を凝らす。左上のアカウント名は――苔桃。コケ、モモ。
あ、と思った瞬間、風呂場からマキが戻ってきた。何食わぬ顔でスマホをオフ。
「リッちゃん、電話出た?」
「うん、出た」
「どう、喜んでた?」
最初は声が暗かったんだけどさ、と話しながら、頭に貼り付く「苔桃」の二文字を追い払う。最後の最後にとんでもないサンタが、厄介なプレゼントを放り込んできた。
(第30回 了)
縦書きでもお読みいただけます。左のボタンをクリックしてファイルを表示させてください。
*『オトコは遅々として』は毎月07日にアップされます。
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■