性にまつわる全てのイズムを粉砕せよ。真の身体概念と思想の自由な容れものとして我らのセクシュアリティを今、ここに解き放つ!
by 金魚屋編集部
小原眞紀子
詩人、小説家、批評家。慶應義塾大学数理工学科・哲学科卒業。東海大学文芸創作学科非常勤講師。一九六一年生まれ。2001年より「文学とセクシュアリティ」の講義を続ける。著書に詩集『湿気に関する私信』、『水の領分』、『メアリアンとマックイン』、評論集『文学とセクシュアリティ――現代に読む『源氏物語』』、小説に金魚屋ロマンチック・ミステリー第一弾『香獣』がある。
三浦俊彦
美学者、哲学者、小説家。東京大学教授(文学部・人文社会系研究科)。一九五九年長野県生まれ。東京大学美学芸術学専修課程卒。同大学院博士課程(比較文学比較文化専門課程)単位取得満期退学。和洋女子大学教授を経て、現職。著書に『M色のS景』(河出書房新社)『虚構世界の存在論』(勁草書房)『論理パラドクス』(二見書房)『バートランド・ラッセル 反核の論理学者』(学芸みらい社)等多数。文学金魚連載の『偏態パズル』が貴(奇)著として話題になる。
小原 誰にでもある心理だけど、固執するのは子供っぽくもあるし、裁判まで争うのは特殊ですね。経産省の女性たちも、そんな他人の個人的な争いの矢面に立たされたくない。とにかく何がどう転んでか、自分が職場にいづらくなることを怖れているのです。当然じゃないですか。だけど、そんなヒマな職場じゃないでしょうが、同僚の女性たちが、「私たちはどうしてもそれを受け入れられない。そういう私たちの認知は歪んでいるかもしれないし、多様性を受け入れられないのは我々の障害かもしれないけど、我々はそういう病いを抱えた特殊な女性なんだから、特別なトイレを作ってくれ」って言ったってよかったわけですよ。
三浦 そういうことがあれば、この判決は全然違ってたんですね。
小原 おそらく。で、それを作ったとしますよね。そこに関しては、いわゆる普通の女子トイレになるわけですよね。平和じゃないですか。ぐるっと回って、今まで通りですよ。
三浦 そうですよ。だからこの経産省の女性職員たちがね、実際は、前半で見たところによると、やはり違和感・羞恥心を抱いていたことはまず間違いないということが察せられますね。だからそれを「過大評価していた」と言ってるのは、つまり本来はもっと大声で言われると予測されていた、ってことでしょ。
小原 そうですよね。「私たちは、別に認知が歪んでいるでも、レベルが低いでも、多様性を受け入れられない狭い知性しかないでも、どんな悪口を言われてもいい。ただ、トランスジェンダーの人々が特殊な障害を抱えているのと同じように、我々は我々の女性性というものに固執するという特殊な病を抱えているので、保護されるべきマイノリティとして、普通に女性しか入れない女子トイレを作ってくれ」って言えばよかったってだけで。
三浦 そりゃトランスジェンダーの場合には初めからマイノリティだという意識があるから言えるんだけど、一般の女性はそれ言えないですよ。
小原 うん。そんな反射神経のある女性って、まずいない。
三浦 ある特定のコミュニティでの何人かが、自分だけそれを言うってことはまずできないでしょ。だから匿名のアンケートを取れば、嫌だっていう意見が出たと思うんだよね。匿名アンケートは取ってないでしょ。おそらく皆を集めて、「さあ、反対意見ありますか」って、やっただけでしょ。そんなんじゃダメなんですよ。
小原 ダメでしょうね。
三浦 だから匿名のアンケートを取ればいいんですよ。ここでね、それ書いてないね。
小原 やっぱり意識として、それが現実にならなければ、自分にどんな不利益が被さってくるか、今の段階では想像できない。手を挙げて反対っていうところまではまず行かないですよね。
三浦 これね、男だったら絶対言うと思いますよ。男性だったらね、同じような立場に立たされたら、ヤダって言うやつが絶対出てくる。
小原 女性は、出しゃばりのレッテルを貼られて、男性や権力者に嫌われると損だと思っているし、「あなたは同僚への思いやりがないんですか」と言外に責められていると感じる。そういう女性たちの、空気読んでノーと言えない性向から、不同意性交罪も成立したのでしょうに。
三浦 津田塾大学のトランスジェンダー受け入れも同様で、学生に対する説明会はやったようだけれども、「反対意見ありませんね」で、おしまいでしょ。
小原 三浦さんもそうだけど、女性の権利がないがしろにされてるって、YouTubeなどで言ってる人って、たいてい男性ですよね。
三浦 まあ女性もいないわけじゃないけど、男性が多いね。
小原 娘とか奥さんとか考えたら、男性だって心配なことに変わりないでしょうが。
三浦 だから女性にこれ言うとまた怒る人いるかもしれないけど、今まで女性がいろいろ不利益を被ってきたのは、女性自身にかなり責任があったと思いますね。
小原 不利益だと感じない、という態度をとってきたのだから、今になって不利益だと言うなら、まさにそうですね。
三浦 言うべきときに何も言わなかったんですよ。だから、あ、そうか、これでいいんだと。女性っていうのはこういう扱いでいいんだっていうふうに、男性の方は思い込むんです。例えば参政権がないという状況で、女性はまあ、政治に今まで積極的に入ってこなかったし、権力欲を発散するようなこともなかったから、女性は政治ってのはやらないんだな、家にいて働きたいんだな、と。女性は政治のことはたぶんわかってないんだから、参加しない方がいいっていうことで、そう悪気があって女性の参政権がなかったんじゃないと思いますよ。
小原 それは思います。面倒なことを一つ、免除している感じだったかも。
三浦 それが本当に社会のためであり、女性のためでもあり、こういうもんなんだって思い込むわけですよ。でも女性だって政治に口を出したいんだって、言われて初めて気がつくわけだよね。言わなきゃわかんないんですよ。
小原 男の人たちは、「言われてみればそうだよね」と、わりと受け入れる反面、そんなこと思いもしなかった女性たちが、言い出した女性を異端視することはあったと思います。ところがだんだん、これまで眠らせてきた欲求に気づく、と。
三浦 経産省の件もそうだよね。こんなもん、とんでもないと内心思ってるんだったら言うべきなんです。それを言わないからこういう判決が出てしまう。
小原 なんか内心、思っているのかどうかも、わかんない。おっしゃる通り、女性はこういう問題を矮小化して捉えようとするメンタリティを持っていて、これが問題だって端的に指摘する人はやっぱり男性が多い気がするんですね。
三浦 どうしてなのかな。
小原 これは私の仮説ですけど、人の根源的な欲望として自分の可能性を広げたい。経産省のトランスジェンダーさんは、男とも女とも本当は決められたくない。自分が肉体的に男だから、実は女なんだって主張しているだけで、もしちょん切ってしまったら自分の可能性を狭めてしまう。自身をできるだけ肥大化したいという欲望は、それ自体を非難するわけではなくて、女性は女性でこうやって男と一緒に扱われる新しい局面にあたって、それも一つの可能性かな、これで男女平等がまた一歩進むのかもしれないなぁ、とか思って、ちょっと様子見てしまってるところがある。男も女もないじゃない、ってのは、これまで進歩的な女性の考え方としてあったし。そうすると異を唱えるのが、女性の権利を守るという意味で進歩的なのか、女性を従来の枠に押し込めるという意味で保守的なのか、よくわかんない。そこのところで、生活の上での不便や危険や、そういう不利、さらに不利が広がるっていう実際の被害みたいなものがまだ見えてきてないのではないですかね。
三浦 まあ、被害を受け得る可能性に対する想像力とかね。
小原 そうそう。トランスジェンダーの方々みたいに、思考実験や理論武装が進んでないので。
三浦 あとやはりね、侵害される、受け身になる、相手に強引にされるってことに女性はまあ、これも非常に怒る人がいるけれども、一定の心地よさを感じてしまうというところがあるんですよ。
小原 あると思います。女性は。
三浦 男性主導で、男性が何かを利用するんであれば、その通りにさせる。自分はそれに従属してその通りにさせておく、そういうあり方。
小原 それは従属っていうか、従属のように見せかけながら自分の可能性やキャパを広げてるってつもりがあるんですよ。行き過ぎれば、それは錯覚ですが。
三浦 だから、そうやってイニシアチブを取ることによって自己規定しちゃうのは男性自身であってね。男性が勝手に自縄自縛しちゃう、その残余を自由に使うっていう戦略を取ってきているわけですね、女性は。それがトランスジェンダー時代には裏目に出てるってところがありますね。
小原 そうそう、残りものに福があるとか、そういうのを受け入れて渡っていくのが実は上手いやり方、みたいなのを刷り込まれてるんですよね。その剰余の部分をトランスジェンダーに奪われそうになっている。
三浦 まあ、この判決自体をそれほど居心地悪く感じてない、このニュース聞いた上で、別にひどいと思ってない女性が思いのほか多い可能性もあります。
小原 いまんとこわかんないですね。だって経産省なんか出入りしないし、そういうことを思わない、私は物分かりのいい存在なのよ、ってアピールもある。私はもっとうまく立ち回れるから、そんなところでギャーギャー言ってエネルギーの無駄使いをしないわ、っていう思い上がりもある。
三浦 一般にね、痴漢被害者に対して厳しい目を向ける女性っていうのが多いのと同じ。
小原 そうですね。本人に隙があったんだとか、被害者にも落ち度があったんだとか思わないと、逆に不安だから、っていうのもある。
本件説明会において、担当職員が、数名の女性職員の態度から違和感を抱いていると見たことから、経済産業省としては、職員間の利益の調整を図ろうとして、本件処遇を導入したものと認められるところではあるが、トイレの使用への制約という面からすると、不利益を被ったのは上告人のみであったことから、調整の在り方としては、本件処遇は、均衡が取れていなかったといわざるを得ない。もっとも、上告人は、本件説明会の翌週から女性の服装等で勤務するようになったというのであるから、本件処遇は、急な状況の変化に伴う混乱等を避けるためのいわば激変緩和措置とみることができ、上告人が異を唱えなかったことも併せて考慮すれば、平成22年7月の時点において、一定の合理性があったと考えることは可能である。
しかし、本件判定時に至るまでの4年を超える間、上告人は、職場においても一貫して女性として生活を送っていたことを踏まえれば、経済産業省においては、本件説明会において担当職員に見えたとする女性職員が抱く違和感があったとしても、それが解消されたか否か等について調査を行い、上告人に一方的な制約を課していた本件処遇を維持することが正当化できるのかを検討し、必要に応じて見直しをすべき責務があったというべきである。そして、この間、上告人によるトイレ使用をめぐり、トラブルが生じることもなかったというのである。上記の経緯を勘案し、また、自認する性別に即して社会生活を送ることは、誰にとっても重要な利益であり、取り分けトランスジェンダーである者にとっては、切実な利益であること、そして、このような利益は法的に保護されるべきものと捉えられることに鑑みれば、法廷意見がいうように、人事院が上告人のトイレの使用に係る要求を認めないとした本件判定部分は、著しく妥当性を欠いたものであると考える次第である。
三浦 だからまあ、激変緩和措置というね、移行期においては正しかったという措置がね、上下の階は使わせなかったと。でも、もう四年も経ったんだから、経産省が何もしなかったということがやっぱり良くなかったと。その辺は正論ではあるけれども。今度は女性の裁判官ですね。
裁判官渡邉惠理子の補足意見は次のとおりである。私は、その主文および理由ともに、法廷意見に賛同するものであるが、 トランスジェンダー (MtF) である上告人による本件庁舎内のトイレ利用の検討について補足意見を述べておきたい。
私は、経済産業省に施設管理権等に基づく一定の裁量が認められることを否定するものではないが、原判決も認めるとおり、性別は、社会生活や人間関係における個人の属性として、個人の人格的な生存と密接かつ不可分であり、個人がその真に自認する性別に即した社会生活を送ることができることは重要な法益として、その判断においても十分に尊重されるべきものと考える。
三浦 そんなに性別が重要であるならば、なんでその性別固有の性器をくっつけたまま平気でいられるんですか、っていう話にまた戻っていくんですよね。その観点がどうもないですね。だって体の違いなんだから、第一義的に性別っていうのは。
もっとも、重要な法益であっても、他の利益と抵触するときは、合理的な制約に服すべきことはいうまでもなく、生物学的な区別を前提として男女別トイレを利用している職員に対する配慮も必要であり、したがって、本件についてみれば、トランスジェンダーである上告人と本件庁舎内のトイレを利用する女性職員ら(シスジェンダー)の利益が相反する場合には両者間の利益衡量・利害調整が必要となることを否定するものではない。
しかしながら、女性職員らの利益を軽視することはできないものの、上告人にとっては人として生きていく上で不可欠ともいうべき重要な法益であり、また、性的マイノリティに対する誤解や偏見がいまだ払拭することができない現状の下では、両者間の利益衡量・利害調整を、感覚的・抽象的に行うことが許されるべきではなく、客観的かつ具体的な利益較量・利害調整が必要であると考えられる。本件についてみれば、上告人は、性別適合手術を受けていないものの、本件説明会の翌週から女性の服装等で勤務するようになり
三浦 「この服装で勤務したから、女性だ」っていうのは、ちょっとやめてほしいんだけどね。この服装ってのは、関係ないね。
小原 ここはちょっと徹底しないですよね。男性が女性かっていうのは、この前から我々が言っているように一義的に肉体の差であって。少なくとも、どんな服装が女性で、どんな服装が男性かなんてわかんないですよ、今の世の中。
三浦 女性の服装をして、女性に対して性的に興奮する男性であることは間違いない。だって妻子もいるんだから。
小原 女装癖と同性愛とは別物ですよね。ススキノの事件もあったし。興奮するからこそ、他の女性職員が日常的に使う女子トイレに入ることを主張しているとしたら? そういう可能性は考えないんですかね。この人は社会制度をおちょくるのが好きみたいだし、ほかならぬ役所で、性道徳的に禁じられている場所に自分だけは入り込めるなんて痛快ですよね。
社会生活を送るに当たって、行動様式や振る舞い、外見の点を含め、女性として認識される度合いが高いものであったということができたのであり、上告人による女性トイレの利用に当たっては、法廷意見や1審判決が判示するとおり、女性職員らの守られるべき利益(上告人の利用によって失われる女性職員らの利益)とは何かをまず真摯に検討することが必要であり、また、そのような女性職員らの利益が本当に侵害されるのか、侵害されるおそれがあったのかについて具体的かつ客観的に検討されるべきである。そして、本件についてみれば、経済産業省は本件説明会において女性職員が違和感を抱いているように「見えた」ことを理由として、上告人に対しては執務する部署が存在する階のみならずその上下の階、あわせて3フロアの女性トイレの利用も禁止するという本件処遇を決定し
三浦 「見えた」ってことはやはり違和感があったんですよね。こういう措置が取られざるを得なかったということは。
その後も、上告人が性別適合手術を受けず、戸籍上の記載が男性であることを理由にこれを見直すことなく約4年10か月にわたり本件処遇を維持してきたものであり、このような経済産業省の対応が合理性を欠くことは明らかであり、また、上告人に対してのみ一方的な制約を課すものとして公平性を欠くものといわざるを得ない。とりわけ、一般に、当初はトランスジェンダーによる自認する性別のトイレ利用に違和感を持ったとしても当該対象者の事情を認識し、理解することにより、時間の経過も相まって緩和・軽減することがあるとする指摘がなされており(一件記録によれば、このように考えていた女性職員らが存在したこともうかがわれる)、
三浦 まあいいいんじゃないの? って言ってる女性も、どうもいたようだ、っていう記録があるんですね。
また、誤解に基づく不安などの解消のためトランスジェンダーの法益の尊重にも理解を求める方向で所要のプロセスを履践することも重要であるという指摘もなされている。そして、このような観点からは、仮に経済産業省が当初の女性職員らからの戸惑いに対応するため、激変緩和措置として、暫定的に、執務する部署が存在する階のみの利用を禁止する(その必要性には疑問が残るが、たとえ上下2フロアの女性トイレ利用まで禁止する)としても、徒らに性別適合手術の実施に固執することなく、施設管理者等として女性職員らの理解を得るための努力を行い、漸次その禁止を軽減・解除するなどの方法も十分にあり得たし、また、行うべきであった。
三浦 ただ、どうしてそのトランスジェンダーに対する心理療法の必要性は誰もいわないんでしょうね。これが一番簡単な解決なんですけどね。個人を直す。しかも認知行動療法はかなり発展進歩してますからね、
また、原審の認定事実によっても、本件説明会において女性職員らが異議を述べなかったことの理由は明らかではない。上告人が男性であると認識していたために、上告人が女性トイレの利用を希望することを知って戸惑う女性職員が存在することそれ自体は自然な流れであるとしても、本件説明会において女性職員らが異議を述べなかった理由は一義的ではなく複数あり得るものである。すなわち、女性職員らが、上告人にその自認する性別のトイレ利用を認めるべきであるとの認識の下で異議を述べなかったことも考えられる(一件記録によれば、このような女性職員の存在もうかがわれる)。
三浦 これさっき言った、逆の意見を持ってるから言わなかった人もいるんじゃないの、ってことですね。つまり、いや使ってもいいんじゃないですか、って意見を持っているからこそ黙っていたんじゃないかと。どっちの意見を言っても結局、他人からは、あんなこと言ってって思われると。だからもう発言できないということですよね。どっちを言っても悪く思われる。
小原 そうですね。感じ方は人それぞれと思えばこそ、自分が一方向に促すことを言うのは避けたがるでしょう。
また、女性職員らが、異議ある旨の意見を多数の前で述べることに気後れした可能性がないとは言い切れないものの、戸惑いながらも上告人の立場を配慮するとやむを得ないと考えた場合や反対することは適切ではないのではないかと考えた場合
三浦 まあこれ、そういうことですよね。
(一件記録によれば、このように考えた女性職員らの存在もうかがわれる)などの理由による場合も十分にあり得ると考えられる。
三浦 イエスと言ってもノーと言っても変に思われるから黙ってましょう、ってことになっちゃったんじゃないか。
原判決が、こういった女性職員らの多様な反応があり得ることを考慮することなく、「性的羞恥心や性的不安などの性的利益」という感覚的かつ抽象的な懸念を根拠に本件処遇および本件判定部分が合理的であると判断したとすると、多様な考え方の女性が存在することを看過することに繋がりかねないものと懸念する。
三浦 そうです。「存在する」ってことは、嫌だっていう人もいた可能性を認めてるわけだから、嫌なんだけどそう言えない人が一人でもいるんだったら、やっぱり使わせないべきだと思うんだけどね。
小原 そうですよ。一人の人権がそんなに大事なのだったら、もう一人の人権だってね。
三浦 そしたら一対一でさ。じゃあ今までの通りにしましょうとなるよね。
小原 それは一対一ですもん。
三浦 一人でも反対者がいればね。その反対者がいたってことは高い確率で言えるわけ。多様性、多様な考えがあった。
小原 この判決は決まったことだけれども、誰か一人がどうしても肉体男性が入れないスペースを一つ作ってくれって強く主張したら、それを排除するのもまあ、おそらく人権侵害になるから、作ってあげるべきだということになるでしょう。それ、作ったらいいじゃないか。それを皆がどのぐらい使うか、ってことですよね。
三浦 そうそう。まあね、それの実態もわかってませんけどね。
以上のとおり、トイレの利用に関する利益衡量・利害調整については、確かに社会においてこれまで長年にわたって生物学的な性別に基づき男女の区別がなされてきたことやそのような区別を前提としたトイレを利用してきた職員に対する配慮は不可欠であり、また、性的マイノリティである職員に係る個々の事情や、例えば、職場のトイレであっても外部の者による利用も考えられる場合には不審者の排除などのトイレの安全な利用等も考慮する必要が生じるといった施設の状況等に応じて変わり得るものである。したがって、取扱いを一律に決定することは困難であり、個々の事例に応じて判断していくことが必要になることは間違いない。
三浦 これはちょっと、言い訳めいていてね。個々の事例に即して考えた結果、トランスジェンダーの勝ちですっていう判例が確立したことは事実なんだから。そうすると個別に考えた結果、やはりトランスジェンダーの利益が勝りますよねっていうことがあちこちでこれから生じますね。その前例になります。
小原 それがおかしいと思うんだったら、それはもう裁判所というより立法府の責任だろうって言外に言いたいような気がします。なんか嫌味な判決っていうか。
三浦 そういうことですね。
しかしながら、いずれにしても、施設管理者等が、女性職員らが一様に性的不安を持ち、そのためトランスジェンダー (MtF)の女性トイレの利用に反対するという前提に立つことなく、可能な限り両者の共棲を目指して、職員に対しても性的マイノリティの法益の尊重に理解を求める方向での対応と教育等を通じたそのプロセスを履践していくことを強く期待したい。
三浦 トランスジェンダー個人に対して先にやれ。って何度でも言うけどね。この判決のトランスジェンダーもちゃんとそういう研修受けなさいよと。あなたは男性ですよ、そういう基本的な認識をまず持ちなさい、と。
小原 切り取らない限りは肉体男性だっていう自覚を持ってもらいたいですね。
三浦 それが基本ですよ。で、最後の一人は単に、同意すると言ってるだけか。
トランスジェンダーの人々が、社会生活の様々な場面において自認する性にふさわしい扱いを求めることは、ごく自然かつ切実な欲求であり、それをどのように実現させていくかは、今や社会全体で議論されるべき課題といってよい。トイレの使用はその一例にすぎないが、取組の必要性は、例えばMtF(Male to Female) のトランスジェンダーが意に反して男性トイレを使用せざるを得ないとした場合の精神的苦痛を想像すれば明らかであろう。
三浦 この「精神的苦痛」っていうのは、わからないですね、なんでって思うけどね。別に使えばいいじゃない、体が同じなんだから。
本件説明会において、上告人は、女性職員を前に自らがトランスジェンダーであることを明らかにしているが、引き続き行われた意見聴取の際には女性職員から表立っての異論は出されていない。
三浦 だからこれがね、やっぱり問題なわけですよ。女性がもっとガンガンやっぱり言うべきだよね。
小原 言い出すと、やっぱ本音を言いそうになるでしょ。気持ちワルいとか、頭ヘンじゃないのとか、絶対言ってしまう。でも同僚だから言っちゃいけない。言えないので、女性たちの方が矯正しろと言われたわけです。ていうか、そもそもビジネスの現場で、トイレなんてくだらない、個人的なことに意見を求められること自体が心外だし、女だと思ってナメやがって、と私なら思いますが。
その後上告人は本件処遇に従い使用を許された階の女性トイレを使用しているところ、その期間は本件判定の時点で約4年10か月(休職期間を除いても約3年8か月)にわたっているが、その間何らの問題も生じていない。加えて、原審の認定事実によれば、本件説明会に先立ち、上告人は、平成10年頃から継続的に女性ホルモンの投与を受け、平成20年頃からは私的な時間の全てを女性として過ごすようになっており、そのことを原因として問題が生じたことはなかったというのである。
三浦 しかし女性ホルモンの投与自体が、これ自傷行為ですからね。非常に健康に悪いわけですから、しかも鬱の原因になるからね。
小原 そうみたいですね。
三浦 自殺率も高まるし、ホルモンはやめろっていう研修を受けさせるべきなんだよ。本来は。
法廷意見は、こうした事案において、直接には上告人の行政措置要求に対する人事院の本件判定部分の当否を判断の対象としているが、実質においては上告人に対する経済産業省当局の一連の対応の評価が核心であったことはいうまでもない。その観点から得るべき教訓を挙げるとすれば、この種の問題に直面することとなった職場における施設の管理者、人事担当者等の採るべき姿勢であり、トランスジェンダーの人々の置かれた立場に十分に配慮し、真摯に調整を尽くすべき責務があることが浮き彫りになったということであろう。
課題はその先にある。例えば本件のような事例で、同じトイレを使用する他の職員への説明(情報提供) やその理解(納得)のないまま自由にトイレの使用を許容すべきかというと、現状でそれを無条件に受け入れるというコンセンサスが社会にあるとはいえないであろう。
三浦 だからまあ、この現場の女性職員が反対していれば、この判決は逆になりましたってことを言ってます。
そこで理解・納得を得るため、本件のような説明会を開催したり話合いの機会を設けたりすることになるが、その結果消極意見や抵抗感、不安感等が述べられる可能性は否定できず、そうした中で真摯な姿勢で調整を尽くしてもなお関係者の納得が得られないという事態はどうしても残るように思われる(杞憂であることを望むが)。
三浦 「杞憂であることを望むが」っていうのは余計だね。この人がもう、いたずらになんか自分は先進的な意識を持っているとアピールしようとしてますね。
小原 なぜ「杞憂」と決めつけるのか、ですよね。なんでしょうかね。
三浦 どうしても納得を得られないっていう方が人間の本性であって、そちらの配慮を否定する側に立証責任があるはずなのに。
じゃあまとめましょう。7つほどポイントがあるように見えたんですよ。で、第1のポイントは、滑りやすい坂への懸念ね。つまりこれは特定の事案に関する判決であるにもかかわらず、不特定多数の人が出入りする公共のトイレに対してもトランスジェンダーの利用を認めたかのように誤解されて、そのような宣伝によって、特に左派系のメディアはそういう風潮があるんだけど、それに警戒しなきゃいけないっていうことが一つですね。
小原 現場ではロジックでなく雰囲気で、現場の駅員さんとか運用されていくんでしょうから、それはもう止められない。
三浦 理屈では起こらないはずなのに、起こっちゃうだろうなっていうのがありますね。それから第2のポイントとして、滑りやすい坂が止まってるとしてもね、特定コミュニティの中ではこういう措置が正しいんだよっていう模範例を示してしまったんです。これから学校とか大学とか企業とか、いろんなそういう閉じられた空間では、性自認が女性だという人の女性スペース使用を認めろってことになりますね。
小原 そうですね。で、閉じられた顔見知りの集団であればあるほど、和を乱すとか、尖ったことを言うとか、そういうのを特に女性は避ける傾向にあるので、異を唱える人は排除されていく。空気読むっていう感じになっていくので、どうしてもそれは言いづらい。
三浦 そうだからこれも非常に暗い未来が見えてしまう。3番目のポイントは、まさに今のそれです。女性が苦情を言わないからこういう判決になりましたよって、はっきり言ってますよね。この判決では、もし女性がその趣旨や違和感をもっと表に出していれば、こういう判決にならなかったということが、もう言われてる。でも、これから女性がこういったケースに関して苦情を言うようになるかというと、ちょっとこれもね、どうなんでしょうか? と、ちょっと懸念されるところです。
小原 だけど日本では、女性の置かれた無言の社会的圧力や雰囲気に、時代遅れなほど配慮しているのが、特に性にまつわる法律だったんじゃないかな。例えば女性が痴漢にあったって言えば、証拠も何もなくとも、女性はありもしないことを言えないはずだ、なぜならそういう被害にあったことを恥と思うはずだから、と。なんでここへ来て、あんたたちが言わないから、とか言い出すのか、わかんないです。
三浦 ただ、それも一律に言えなくて。強姦罪なんかの場合には、本当に必死の抵抗をしないといけない、恐怖で身がすくんでしまったぐらいのことではレイプが認められなかった。それが最近になって、不同意性交罪ができてイエスと言わないかぎりレイプが成立すると認めたわけですよね。でも今回の判決はちょっとそこは遅れていて、ノーと言わなきゃイエスなんですよっていう含みになっちゃったんですよね。はっきりノーって言う人、いなかったじゃないかと。だったらトランスジェンダーの権利を取りましょうねっていう。これはちょっと疑念が残りますね。
小原 同意についてはハンコとか、録音とかないと怖いかもですね。
三浦 イエスっていう同意があれば、そのときだけセックスに至るっていうので、私は非常にいいと思います。彼氏に嫌われたくないからノーと言えないだけだったから。ただ今度は、イエスと言えというプレッシャーが女性にかかる可能性がある。
小原 まあ、どこまで行ってもね。
三浦 女性は、彼氏を失うことに対して異常な恐怖を持つ。あれ何なんですか。
小原 付き合い慣れてないと、うーん、そうかもしれない。
三浦 彼氏のいる、いないが女性コミュニティの中でのステータスにすごく影響するんですよ。男の場合は、彼女がいる、いないってそんな重要じゃないんだけどね。
小原 でも彼女が欲しい、欲しいって言ってるのを見ると、なんでそんなもんが欲しいのかなって思うときあります。
三浦 正確にはセフレのことですかね。いずれにしても男性コミュニティにおけるステイタスには影響しないってことです。女性コミュニティでは、後ろ盾の有無でマウント取った取られたがあるみたいで。
小原 そうなのか。なるほど。
三浦 だから彼氏に嫌われたくない、彼氏を失いたくないという女性の心に付け込んでそう要求する男っていうのは、やっぱり後を断たないでしょうけど。
小原 うーん。女性と一括りに言っても、偏差値とか、経済的自信とか、交際経験の多寡とかで変わる気もしますけどね。
三浦 それから4番目のポイント。これはあの、研修を受けるべきは誰かって問題ですよ。
小原 あははは。そうですよ、まさに。
三浦 なんで女性一般の本能的で重要な羞恥心や警戒心をなくさなきゃいけないんだ、と。そんなものに研修を施して変えさせるなんて、とんでもない転向療法になる。
小原 百パーセント同意します。
三浦 それよりはマイノリティであり、認知の歪みに苛まれているトランスジェンダーを矯正するという方向での研修を施すべきなんですよ。これをまったく無視しているこの判決は、決定的に欠陥があると、私は思います。
小原 マイノリティが強制的に矯正されるってことに対して、昔のなんかそういうのを連想して、アレルギーがあるってことなんでしょ。
三浦 これが混同されていて、あの上司が「もう男性に戻れ」って言ったのが、パワハラ・セクハラだと認められたわけだけど、これは確かにそうなんだよね。女装するなって言う権利はないですよ。女装もしていいし、名前変えてもいいけれども、ただ女性だと言うのをやめろって話なんですよね。
小原 同意です。あんたは男だ、と言うのは事実の告知であって、ハラスメントではないですもんね。肉体的に切り取っちゃって、戸籍を変える。そのぐらいしてもらわないと性別を変えるということはできない。まして他人に迷惑かけることなんか。
三浦 でも今、アメリカなんかで反LGBTの州では生まれながらの性別に従ってトイレも使わなきゃいけないから、手術を受けていてもダメなんですよ。
小原 それは素晴らしい。だって要するに、染色体の問題ですもん。
三浦 そうですよ。いくら手術しても女性にはなれませんから、でもさ、戸籍を変えさせるというところまでは譲歩してるんだから。
小原 女性が男性の身体になるのはハードル高いでしょ。だとすれば男性が取っちゃえるのだって、たまたま可能な、ごく表面的な話でしょ。
三浦 今、社会はそれ以上を求めるなよ、って話ですよね。それから5番目のポイントは、これは本論ではあまり触れなかったけど、「女性として勤務している」ということの実態は何か、って問題ですよ。そこはあまり論じられてない。実際はね、あの判決ではあまり言われてなかったけど、どうやら経産省のこの職場が、男性と女性との分け方が非常に煩雑だったみたいなんですね。例えば出勤簿が、男性は青で女性が赤、という具合に、不必要なところで男女分けてたみたいなんですよ。
小原 キャリアも、ですか。
三浦 そうなんでしょ。で、それに対して、この職員が女性として勤務したいという要求を出す根拠にもなっていたわけ。そこで、変なところでの男女の区分けがなければ、この職員も、もしかしたら苦情を言わなかったかもしれないんです。
小原 アタシとか、どうすんのさって、ちょっと意地になっちゃったところがあるんでしょう。
三浦 意地というか、やっぱり変だと思ったんじゃないですか。出勤簿まで色が違う。だからこの職員にいろいろ言われた結果として、出勤簿の色を同じにしたらしいんです。同じでいいじゃないね。男女別にする必要もないし、そういうおかしな、不必要なところで男女を分けるという過剰なジェンダー意識が、この職場にはあったみたいなんですね。
小原 うーん、なるほど。
三浦 それをなくすってことは今、社会の使命なわけです。そんなことがもうたくさんあってね。それが元々なければ、この職員だって、女性として自分は勤めたいんだっていう意識がそんなに肥大化しなかったと思うんですよ。だから問題は、こういうジェンダーステレオタイプを極力なくすことです。これがやっぱり課題なんだってことが、この件からわかる。そのせいで、こんなトイレの問題にまで広がっちゃった。
小原 なるほどね。
三浦 だから、これはこの職員にも同情できるところで、そういうくだらないところで男女の区分けを設けていた、この経産省の職場がまず悪かった。
小原 それはよかったかもしれない。そういう指摘を受けたのは。
三浦 それから6番目のポイントはね、やはり裁判所、最高裁というものも、判断材料とするものがいわゆる世論なんだ、と。もしくはその法律の運用と、一般常識と思われるトレンド。そういったものに依存して、敏感に自分を順応させている。つまり世の中を引っ張っていくっていう意識じゃなくて、世の中に規範を示すんだっていう意識よ。
小原 それは判決文を読んで思いました。全然、論理的じゃないんだもん。
三浦 世の常識に順応するのが裁判なんだなって、よくわかるということです。これはあの、職場の女性たちの感情がもしこうだったら、ってことが論拠になっていたことからもわかる。一般の人々の感情がどうかってことに非常に注意する必要があるんですね。裁判というのは、だからトレンドですよ。表面のトレンドです。
小原 トレンドっていう意味では、ちょうどその前にLGBT法案が成立した、これに乗らないのは、やっぱりよくないんじゃないか、みたいな。
三浦 そうそう、そういうことですよ。あとマスコミがガンガン言うのは、とにかくトランスジェンダーの権利を認めるってだけだから。青山繁晴さんがYouTubeで言ってたけど、裁判所ってのは、そういうもんなんだと。裁判官はテレビをずっと観ていて、世間の動向に合うように判決していく。だから今回はね、あまりにも表面的なトレンドに迎合しすぎた感じがしますね。
小原 だからテレビでしょ。観てるったって、せいぜい。YouTubeが素晴らしいとは思わないけど、もうネットとかに移りつつあるわけだから、メディアっても。
三浦 だけどテレビや新聞に迎合しておけば、そんなにバッシングも受けないしね。
小原 うーん。世界的トレンドを把握するならネットだけど、ローカルに合わせてるのか。
三浦 ただ、私はこれはね、国民審査で全員バツをつけるべきだと思うね。次の選挙のときは、もう全員、落とすべきだと思う。この裁判官たちはあまりにも世間知らずだよ。
小原 法曹なのに論理破綻してるし。
三浦 そうそう。あと最後、第7のポイントは、これはまあ、小原さんが言ったことで、立法への責任転嫁はあると思うね。立法がこうなんだから。こういう判決で当然でしょ、って。この判決の内容自体、もしかしたらこの裁判官たちもおかしいと思ってたかもしれないんだよね。
小原 嫌味な感じがするのは、そのせいかも。
三浦 こんな判決を下すべきではないと思いつつも、世のトレンドがこうで、しかも法律すらできた現状、こういう判決を下さざるを得ないよね。
小原 そうだと思います。こんな流れを作っちゃって、裁判所だけ一人頑張るなんて、そんな責任はないよ、って言ってる気もします。
三浦 まあ結果としては、最高裁判所がちょっと読み過ぎちゃって、言語が先走りすぎちゃったきらいはあるけれども、原告側に有利な判決になるだろうって予想はされていた。その意味ではこの裁判官たちにも言い分はある。もう戦争起こっちゃったんだから原爆落としたの当たり前じゃない、っていうのと同じ理屈でね。
小原 読み過ぎたかなぁ。そんなに知的な判決か、突っ込みどころが多すぎるって感じはしますけどね。
三浦 まあ、この7つの項目ですね。レインボーになってオチがついたなぁと。国際的な基準では、虹は6色らしいですけどね。
小原 玉虫色の判決でした、ということで(笑)。
(第03回 後編)
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