性にまつわる全てのイズムを粉砕せよ。真の身体概念と思想の自由な容れものとして我らのセクシュアリティを今、ここに解き放つ!
by 金魚屋編集部
小原眞紀子
詩人、小説家、批評家。慶應義塾大学数理工学科・哲学科卒業。東海大学文芸創作学科非常勤講師。一九六一年生まれ。2001年より「文学とセクシュアリティ」の講義を続ける。著書に詩集『湿気に関する私信』、『水の領分』、『メアリアンとマックイン』、評論集『文学とセクシュアリティ――現代に読む『源氏物語』』、小説に金魚屋ロマンチック・ミステリー第一弾『香獣』がある。
三浦俊彦
美学者、哲学者、小説家。東京大学教授(文学部・人文社会系研究科)。一九五九年長野県生まれ。東京大学美学芸術学専修課程卒。同大学院博士課程(比較文学比較文化専門課程)単位取得満期退学。和洋女子大学教授を経て、現職。著書に『M色のS景』(河出書房新社)『虚構世界の存在論』(勁草書房)『論理パラドクス』(二見書房)『バートランド・ラッセル 反核の論理学者』(学芸みらい社)等多数。文学金魚連載の『偏態パズル』が貴(奇)著として話題になる。
小原 LGBT法案が通りました。
三浦 がっかりですけどね。むしろ左派の人達の反対の声が強い状況ですけどね。
小原 みんな文句言って、満足している人は誰もいないっていう。
三浦 いないんだよね。立憲民主党とか共産党側が猛烈に不満言って。自民党はまあ、ダラダラ不満が出続けるぐらいで。立場が変わってね。推進していた側が、あの法案に反対という。ちょっとの文言の変更なんだけど、それが大事な人にとっては、という。面白いですね。
小原 これがほんとの意見交換(笑)。
三浦 法案が通ると、勝手ができなくなるよね。これからは家庭と連絡をとりながら、ということになる。これまでは子供達を内緒で集めて、とかさ。だからまあ活動しづらくなるよね。逆にLGBT関連の条例がなかった自治体にも広がってしまう。すごく急進的に特化した埼玉県みたいなところもあれば、そうでないところもあったのが、一律に国の法律で決めちゃったからLGBTQ+活動というものが全般的に普及するようになる。だから公金チューチューと言われている裾野が広がって、よりお金が向う側に流れるようになると思いますね。ただ、あまり過激なことが逆にできなくなる。いいこともあれば悪いこともある、と。
小原 自民党の議員さんたちで、こんどは女性のスペースを守る連盟を立ち上げるとか。それって、自民党のマッチポンプみたいな話ですよね。
三浦 それねえ。心配されたことって絶対に起こるんですよ。犯罪者が入ってくるってこと。今、Twitterで話題になってるのは相模大野駅の話。怪しいおっさんが女子トイレに入ろうとしてるって駅員に言いにいったら、LGBT 法ができるので注意できません、と。
小原 小田急かぁ。大学だらけの…。意識高いんだか、低いんだか。
三浦 一時期、小田急にはかなり問い合わせが行ったんじゃないですかね。
小原 厳密に言うと、今の法案をベースにしても捕まえられるんですよね。
三浦 うん、捕まえられるんだけど。今の法案っていうのは別に、明確に何かを禁止したり容認したりしてるわけではないんだけれども、それに合わせて現場での運用が変わってくるんだよね。より範囲を広める感じで。今までだったら女性車両に男性が入り込んでいても注意できたけど、その程度のことだと、もう注意できなくなる。差別だと騒がれる恐れがあるからね。それと現場で不審者を現行犯逮捕する場合に、警察官がためらうっていうことが必ず起きる。私はトランスジェンダーなんです、って言われるとね。なにせ逮捕したとしても、起訴されないっていう可能性が高くなる。日本の場合は起訴されたら、有罪率がすごく高い。それが無罪になった場合には、検察官に傷がつくわけですよ。検察はそれを避けたい。性犯罪の場合、容疑者がトランスだって言い始めたら、不起訴や無罪になる確率がすごく高くなる。いろんなレベルで、つまり通報しにくくなるし、通報を受けた警察官が毅然と対応しにくくなるし、それから逮捕されても起訴しづらくなる。起訴しても無罪になる可能性が高いわけだから。そんなこんなで、全レベルで萎縮する。必ずそうなるよ。
小原 間違いなく、そうですね。
三浦 法律としては、生物学的な男女の違いを尊重するということに変わりはないんだろうけど、どんどん変わっていく。
小原 実際に変わってみないとわからないってことがあって。わたし、目の検査にクリニックに行ったんですね。流行ってる目医者さんで、いっぱい患者さん待ってて。で、新しいところだったせいか、トイレが男性用と、男女マークの「誰でも」と、二つしかなかったんですよ。で、わたしは男性用に入るわけにいかないので、男性用にあるのがチューリップだけなのかどうか、わかんないんだけど。見てると、おじさんたちがこぞってこの、男女マークの「誰でも」に入って行くわけですよ、一人残らず。で、わたしはもともと呑気に構えてるスタンスだって、ご存知だと思うんですけど、それ見てたら殺意覚えましたもんね。トランスジェンダーの人たちが、しんどい思いしてたのも、言われればそうなんだろうけど、持ってた権利を奪われるっていうのもね、人間ってすごく抵抗があるもんだな、と思うんですよね。
三浦 それをさぁ、殊勝なことだと思ってやってるわけでしょ。
小原 どんなつもりか存じませんがね。女性よりいろいろ手軽にトイレが済ませられるんだから、男の人たちが犠牲を払えばいいじゃないですか、ねぇ。イズムじゃなくて、バランス感覚とか美意識とかのコモンセンスで。
三浦 今日はね、フェミニストが聞いたら、怒りまくるようなこと言いたいんですよ。こうなったのはフェミニストのせいであると。
小原 ふむふむ。
三浦 今日において、男女差別は存在しないんですよ。機会均等法以降も、「男性は賃金が高いのに」というような言い方をして、あたかも体系的に、システマチックに差別があるかのように言い立てるわけです。だけどそれは、今はないんです、ということをまず認めないと。どういうことかっていうと、まず女性の立場であることは確かに不利なのは確か。でも有利不利と差別は別のことなんですね。
小原 はいはい。
三浦 これ説明するとさ、Zoomイベントとかでもすごい怒られちゃって、もう秒速数十件でチャットがざーっと流れる。
小原 すごい。人気YouTuberみたい。
三浦 家父長制があるというようなことをいまだに言う人がいるんですよね。そんなものはない。それを認めないと、トランス問題は解けない。女性が不利であるってことは、差別ではなく身体の違いからくる。
小原 そりゃあね。
三浦 身体の違いだから、すぐ腕力とかって言うんだけど、そんなことじゃないんですよ。それだったら腕力のない男は、腕力のある男に比べて不利かっていうと、そんなことはないでしょ。そうじゃなくて、生理があるかないかですよ。月の半分、体調不良みたいなもんでしょ。
小原 わたし、不調を感じたこと全然なくて。わかんないんですよ。
三浦 個人差があるね。月の半分は使い物にならないんです、って言う人もいるし。
小原 わたし、男の人以上に無理解だったと思います。そんなふうに言われたら、はぁ??とかって。
三浦 でも組織でトップに登りつめるためには、若い頃からバリバリやらなくちゃいけないから、毎月のわずかな体の不調でも大きな統計的格差に結びついちゃうんだよね。無茶することができる人数は、男の方が圧倒的に多いに決まっている。それは差別の結果ではないんですね。
小原 あと構造的に、そういうふうにして昇りつめなきゃならないっていうプレッシャーを男の人ってのはかけられてるわけで。そうじゃないやり方もあるわけじゃないですか。
三浦 単純に、そうやって頑張らないと、男はモテない。女性はそんなことしなくてもモテるんだから。
小原 モテる、というのはつまり、社会的認知とか、自己肯定感の問題ってことですよね。
三浦 女性は、男性を社会的成功の度合いとか、経済力でしか見ないからね。男の方もそういうところで見られるってわかってるし。一方で、女性はそういうところでは見られないからね。
小原 組織の中で昇りつめるっていう成功もあるけれど、もっと自由なやり方もいっぱいあるじゃないですか。で、そういう型にはまらないやり方は、男だと、何やってんの、って言われる。女の人は自由にやって、気がついたらいい形に、っていうのも可能じゃないですか。
三浦 まったく、そう。
小原 わたしは源氏物語についての講義をずっとやってきたわけで、一昨日の授業でも学生に言ってたんですけど、ようするに紫式部の思想としては、バリバリ働いて出世するなんて、そんなくだらないことは男にまかせとけばいいっていう。女性はその存在そのものが価値なんだから。究極の“フェミニスト”ですよ、紫式部こそ。
三浦 まさにそれよ。つまり、女性は選択肢が広いんですよ。男の場合、大学出て仕事をしてなければ、完全に人間失格扱いですからね。
小原 男は社会で認められる可能性が高いって、だって、そうじゃなきゃ生きていけない人たちなんだから当然なんじゃないの、って。そしたら、どっちが差別されてるんだって。
三浦 ただ表に出て、名を成している人数の差をもって、男女差別があるからだと言う。自分に不利っていうことと、差別されているってことは違うことなのに。
小原 つまり、社会のあるジャンルに進出するのに、適合しない、不利な部分がある、ってことですよね。それに特化したみたいな男性に比べると。
三浦 LGBTについて言えば、やっぱり何かの生きづらさを抱えている。自殺率も高い。それは差別されているからではなくて、もともと精神疾患がLGBT比率を高めるという説がある。不適合の傾向と同性愛というのは、連動してるんですね。
小原 それはあるように感じます。
三浦 確かに生きづらいんでしょう。ただ、それは社会のせいではなくて、個人的な問題から来ている。
小原 そんなふうに思います。だって大の大人が、差別されているからといって自殺するもんでしょうか。
三浦 それをね、社会のせいにしてしまう。
小原 何かにおいて不利であることと、差別とは違う、というのは教育的にも強調された方がいいように思いますね。NHKの朝の連ドラとかでは、不利な中で輝く女性、というのが逆にちやほやされる。そういう風景ってのが、すごくあるわけじゃないですか。同じことやったのに、女の子がやってると皆がすごく注目するってのが。
三浦 そうそう。不利な立場にある人が優遇されているという面はあるよね。
小原 もちろん人数的に、大多数は不利な状況に置かれているわけだけど、優遇によって不利と有利のバランスをとることができるとすれば、それはやはり、価値観の刷り込みとしての差別や社会構造としての意図的な差別とは違う。年金制度みたいに女性に有利なように作り変えられて、定量的な調整が可能なわけですよね。さらに頭のいい人だと、不利を逆転させて注目されるっていう戦略をとる。差別されてたら、そんなことできるわけないじゃないですか。
三浦 欧米の、キリスト教国っていうのは、体系的に性的少数者を差別するので、個人のレベルでも差別意識は正しいという面はあるわけです。
小原 信仰の問題はありますね。日本では、マツコ・デラックスとか、あんなに大きな顔して…。
三浦 まぁ、そういう特権的な芸能人の例を出しても、大多数の人の話にならないからね。
小原 そうすると、女性であることを逆手にとるってのも、一部のラッキーだったり、知能犯的な人だったり、とも言えますけどね。
三浦 それは一般のレベルでも、やろうと思えばできる。例えば、それまでいじめられていたマイノリティが、カミングアウトすると人気者になる、ビジネスなるっていう現象があるんですね。
小原 発想の転換というレベルですもんね。タダでできるし(笑)。
三浦 そう。単純なことなのに結局、今まで女性の権利がどうこう言ってた人たちがね、社会に悪を転嫁しすぎたんですよ。いくら平等になったとしても、いくら社会が改善されても、実際、もう改善されてるわけで、それでも女性の方が社会的活動に関して活躍の度合いが抑制されてしまう。これはもう身体のせいだ、差別ではなく身体だ、ということを言わないといけないんですよ。身体というのをフェミニストが軽視しすぎたために今、トランスカルトに付け込まれてこの有様じゃないですか。男女というのは、身体の違い以外にはない。身体の違い以外の有利不利は無いと声を大にして言っていれば、今のこのザマはないわけです。だって生理もなければ妊娠の恐怖もない、そういう男がさ、40、50歳になって、わたし女性ですって女子トイレに入り、女湯に入るなんてこと許されるわけないじゃない。身体的な意味で男性特権を享受してる人が。だから男性女性の有利不利の源は、全面的に身体だ、という形で女性権利運動を展開してさえいれば、そう、ジェンダーなんてセックスから出てくる付随的なものにすぎないということをはじめから言っていれば、わたしは女です、なんて男がのさばるようなことにならなかったんですよ。フェミニストがだんまりなのは、自分たちがこれまでやってきたことを通すと、LGBT差別の存在を認めざるを得なくなる、とわかっているからです。今さら身体身体言い始めても自己矛盾に聞こえるんでね。だから最初から、身体の差だけを強調すべきだった。
小原 ほんとにそうですよね。肉体的な差だけが絶対的で、そこに立ち返るべきですよね。
三浦 男女の考え方とかさ、そういうのに違いって、ないですからね。今は。
小原 ないよ。
三浦 趣味だとか別にさ、男女別に分かれるものじゃないからね。ジェンダーって、分析装置としてのみ尊重すればいいものをさ、ジェンダーの現象そのものを尊重してしまったわけです。
小原 存在しないものをずっと見ていて、それにとらわれていると。存在してないものを、むしろ自分たちの問題の延命のために、逆に打ち上げてるような感じがします。
三浦 そういうことなんだよ。非常に倒錯的でね。例えば、精神分析の医者が、患者が霊の現象に脅かされているとしたら、霊という概念があまりに便利だから、霊の存在そのものを尊重するようになっちゃった、みたいなもんですよ、ジェンダーって。確かに、男らしさ女らしさみたいなものを拡大再生産するような仕組みがあった。それはあくまで理論的な仮説であってね、分析するための道具だったはずなのに、ジェンダーが実在することになってる。これは困った話で、これが今、トランスジェンダリズムの延命に使われてるんですね。これをなんとかしないといけない。法案が通ってしまったことによって、身体の違い以外を違う違うと言い立ててきた迷惑人間たちが反省する機会にはなるよね。
小原 それは気がつくと思います。特に日本にいたら。欧米で生きづらい人が日本に移住してくるわけじゃないですか。日本に来るのは極端かもしれないけど、わたしが一番尊敬するミステリー作家のパトリシア・ハイスミス、彼女はレズビアンだけどアメリカで生きづらいのでヨーロッパに渡った。ヨーロッパの方が文化程度が高いから、なんか楽に生きられるってことなんでしょうね。さらに日本への移住を決心すれば、日本なんか天国ですよね。
三浦 うん。それなのにああいう法案が通ってしまうと、差別があるからああいう法律が必要になったという既成事実ができてしまうことになる。
小原 またしても、実在しなかったものが目に見えるように、あたかも存在したかのようになってしまうということがあり得ますね。ジェンダーでも差別でも。
三浦 我々はどうやって対抗していくか、一つはもちろん女性スペースの処置という性犯罪の防止、それと活動家の利権に対して。あとは利権に絡んで子供の教育ですね。小さい頃からの適正化とか、その3つが言われているんだけど。これら以上に実は問題なのは、ジェンダーアイデンティティというものが、あたかも実在してるかのように法律に書き込まれ、反映されてしまった。心の性別なんて、オカルトとか守護霊みたいなものですよ。守護霊の性別は何か、とかさ。身体が男であれば、その脳、そこから派生する心の性別は男に決まってるじゃない。
小原 ほとんど定義の問題ですよね。
三浦 あの法案に反対した人ですら、女湯に入ってきた男性が「本当に心が女性かどうかわからない」とか言うんですね。「心が女性」ということがあり得る、と認めてしまっている。とんでもない勘違いですね。反対者ですら、そうだから。
小原 男とか女ってのは肉体に関して言うんだって。心の男とか女とかいう概念自体、語義矛盾。そんなものないんだって、それが一番すっきりしますよね。
三浦 そう。「小原眞紀子さんは無理数ですか?」って聞くのと同じ。カテゴリーが違う。
小原 数じゃないもん(笑)。男とか女っていうのは、身体の特徴のことですよね。男性性とか、女性性とかは、温度みたいな1つの尺度としてはあり得るかもしれないけど。相対的に測るものに過ぎなくて、女性性とか男性性とかいうものが絶対的に存在するものではないですよね。
三浦 たとえば男の子は乱暴なもの、女の子はおしとやかなものと頭ごなしに信じ込んでいて「私は女の子だけど、おしとやかさが足りないから心は男性寄り」みたいな文言がTwitterなんかでもよく見受けられる。これを当たり前のように言う。つまり今回のことでは、性犯罪だの利権だのに目を奪われて、そもそも「心の性別」という前提を疑うってことが疎かになってるね。
小原 そうですね。なんかついてるか、ついてないかだけで決めればいい。非常に稀に両性具有の人がいるんで、その人に配慮すればいいんじゃないですかね。
三浦 「本当に心が女性だったら文句は言いませんけれども、わかんないじゃないですか」と言って女性スペースを懸念している人たちの段階ですよね、これって。もう、心が女性とか自体を否定してくださいよ、ってことで。
小原 すごく思うのは、いわゆる美醜って、やっぱりあるじゃないですか。ただ、あれも相対的なもんだし、見方で全然変わるし。いわゆる美人って概念としては確かにあるんだけど、じゃ、この人が美しいか醜いか決定するっていうのは、ナンセンスじゃないですか。男性性、女性性ってのも、そういうものかな、って。
三浦 うん。そうそう。
小原 概念としての美醜は存在するけれど、一人の人をつかまえて、この人が美しいか美しくないかっていうこととは、審級が違うので、さっきの「小原眞紀子は無理数かどうか」っていうのとあんま変わんないと思うんですよね。
三浦 そうそう。見かけが女性、というのだって、服装を前提としているけど、男がスカート履いてちゃいけないっていうことが、そもそもおかしい。もちろん、女性が背広を着てたっていいわけで、そうすると服装では区別できないことになる。体格でも区別はできない。そうすると、雰囲気で区別するしかない。今はなんとなく、女性っぽかったら、女子トイレに入ってきても咎められない。なんとなく男っぽかったら咎められる。曖昧にやるしかないんだけどね。最終的には生殖器と染色体で決めるとわかってさえいれば、という条件付で。
小原 なんか、面倒くさいですねえ(笑)。
三浦 性犯罪がうんぬん以前に、そもそも男とは何か、女とは何かっていう。
小原 根底の不在(笑)。
三浦 なんとなく男っぽいとか、女っぽいとか、基本的なところで非科学的な概念が逆に強化されつつあるということが腹立たしいですね。知的レベルが下がっていて、我々は仕事がしづらくなる。
小原 まったく。どうすればいいんでしょうね。
三浦 深刻なのは、同調圧力というものが性犯罪の危険を高めている。あの法律は、女性スペースに生物男性が入ってきてもいいですよ、とは言ってないんだけど、言っているかのように、さっきの相模大野の件みたいに、「あの法律があるので」ということで、現場の人が責任回避をする。これはね、おそらく政府が正式に、「そんなことありませんよ、LGBT法案によって生物的男性が女性スペースに入ることを少しでも容認する趣旨はありませんよ」と言ったとしても、新聞などでそれをガンガンと報道としてもね、現場ではおそらく改善されないんですよ。なぜかというと、あのエスカレーターの片側空けがあるでしょう。
小原 あります、あります。
三浦 駅にも貼ってあるわけ。エスカレーターの手すりにも書いてある。立ち止まって利用してください、歩かないでくださいと。その貼ってあるそばから、みんな右側空けて、そこ歩いてるわけよ。ときどき私は、わざと立ち止まって塞ぐんだけど、当然の権利のように、どけ、とか、すいません、とか文句言われる。頭ではわかってるはずなんだよね。だけど、大衆レベルでの道徳はそういうものでさ、どつかれたこともあるからね。
小原 危ないですよ(笑)。同調圧力に水差すようなことは危険ですって。「東大教授、エスカレーターの右側空けに抵抗して殴られ頭打つ」って、ニュースで見たくないなぁ。
三浦 でしょ? だからそれと同じです。確かに政府は生物学的男性に女性スペースの利用を許可していません、って言ったとしてもね、現場でやはりそういう大衆レベルでの暗黙の道徳みたいな、それでもやはり性的少数者への配慮でしょ、だったら苦情言っちゃいけないでしょ、って。現場の責任者は、ちょっと我慢してください、トランスジェンダーかもしれないので、みたいに言わせちゃうことが絶対あると思う。
小原 あるでしょうね。
三浦 右空けモデルですよ。これにね、準ずると思う。学校でもそういう教育するし、各事業者企業でも広まるし。エスカレーターの右側空けとか誰にも教えられてないことですら、そうなんだから、強固に持続していくと思いますよ。女性はなお我慢を強いられるということです。これまで我慢をしてきたせいで、こうなったんだから。
小原 そうかぁ。自衛策としてはせいぜい、公衆浴場とか脱衣所とかがあるようなところは旅行でも行かない、個室に温泉があるところやホテルしか当面は行かない、と。それで観光施設が悲鳴を上げたら、ちょっと変わるかもしれない。気の毒だけど、そんな感じかな。あとは、あのどうしようもない殺意を感じながら生きていくしかないんでしょうかね。
三浦 小さいトイレだと少なくとも手洗い場でかち合ったりするんですよね。嫌ですよね。
小原 嫌ですね、本当のところは。
三浦 もともと一個しかトイレがないようなところはいいんだよね。
小原 そう。そこは許せる。ここは狭いから、あるだけましと思って我慢できる。スペースがあるのに、わざわざ意図的に、マイノリティの誰かのためであったとしても、設えられるっていうのはね。
三浦 お化粧なんかトイレで直すのに全部男性と一緒ってことでしょ。最悪だよね。
小原 ある程度の広さのあるトイレは、男性が考えるような生理的な欲求を満たす必要最小限の施設じゃなくて、女性にとってはいろんな身じまいを整えるプライベートスペースなんですよね。レストルームです。身の危険を警戒しながら行くとこじゃない。
三浦 これはもうトランスジェンダーと揉めるのが嫌で、女性トイレをなくしてるってだけのことだからね。
小原 女性と揉めるリスクは考えてないんかい、って。
三浦 女性とトランスジェンダーが揉めるという。結局、どっかで揉めるわけですよ。一般的に文句言われるだけだったら怖くないわけ。ちょっとおとなしすぎたね、女性団体とかさ。なんで大反対しないのかって、不思議だった。
小原 だからフェミニストの皆さまは、さっきおっしゃったように、スネに傷があるんじゃないですか(笑)。一般のわたしたちは、実際にそんな場面に遭遇しないと想像力が働かなくて。概念的にはそれもよさそうだし、広々とした誰でもトイレがあればいいじゃないかと思ってしまう。ただ実際、男子トイレがあるのにわざわざこっちに来る男って、なんか変な奴じゃないですか。
三浦 そんなことないよ。まあ、入れるなら入ろう、ってことが多いからね。
小原 そうだと思うんですけど、それに男子トイレにはチューリップしかないから、こっちに来ざるを得なかったのかもしれないけれど、それがわからないから、恐怖なんですよ。 入れるなら入ろうっていう、女性から見たら厚かましい男と、ちょっと女性と一緒になるのは抵抗あるよね、と思う男とだったら、前者はやっぱり女性にとっては、まあ男のクズっていうか、変な奴なんですよ。よりによってそれが一緒にいるっていうのは、恐怖ですね。
三浦 男はそれは、生理的には絶対にわからない。それなのに女性から声が上がってこないのが、不思議だからさ。
小原 だから杉田水脈さんとか橋本聖子さんとか、今まで一度もシンパシーを感じたことないんですけど、そういう女性議員が一応文句言ってるようだから、それに同調するしかないのかって感じです。
三浦 そういうことだね。これからどうなるか、ちょっと注意して見守らないといけないね。それとね、明らかにゴリゴリの男性であっても女性スペースに入れるようになってしまうって最悪のシナリオは覚悟しておくべきでね。シナリオといっても、アメリカではもう実現している。さっきの見かけの話なんだけど、女性たちの中に見かけ上、完全に埋没している自認女性って、実はいっぱいいるのね。そういう人たちが女性スペースに入ってきても、もうそれはスルーされている。ついてる人も、取っちゃった人もいるんだけど、少なくとも女子トイレでは性器を露出することはないわけだから、外見が完全に埋没して入っているんだったら、誰も咎めない。だけど見かけがゴリゴリの男だったらダメ、ってなる。で、これはルッキズムでしょ。ルッキズムっていうのは差別の最たるものじゃないですか。
小原 問題だ!ってなる…。
三浦 以前は、生物男性はだめですって一律に断っていたから、どんな見かけの男性も女性スペースに入れなかったんですよ、建前上は。でもあの法案以降、見かけが女性なら、建前上OK、と思ってる人が多いんですよ。法案に反対する人であっても意外とそういう人が多い。
小原 わかんなければ恐怖も感じないし、という主観主義ですよね。
三浦 そしたら、見た目女性の人が優遇されて、我々はダメなのかって、見た目ゴリゴリ男のトランス女性たちが怒りの声をあげるよね。
小原 髭ボーボーだけど服はドレスとか、微妙な人が出てくるんじゃないですか。
三浦 微妙なところから切り崩されて、それもいいですよねってなって、もうゴリゴリのどう見ても男っていう人たちも、いいですよね、ってなる。だってね、アメリカでは見た目が女性になれないトランス女性っていうのが一番の弱者なんだもん。自分は女性だと言ってるのに女性として見てもらえない、一番かわいそうな人。そういう見た目ゴリゴリ男の人こそ、女性スペースに入れてあげましょうってなる。
小原 わけがわからない…。
三浦 論理にしたがえば、そうなる。トランスジェンダーは仕方がない、迎え入れましょうと。なし崩し的にどんどん広がってくる。だってオリンピックの女性競技に生物学的男性が出てるんだから、その辺の女子トイレに男が入ってきたって、大したことじゃないよね。
小原 もうややこしいから、あんまり外に出たくない。なるべくZoomで済ます。
三浦 だから女性は家にいろ、ということになっちゃう。
小原 よけいに社会進出を拒まれるってことになりますよね。
三浦 皮肉な話でね。性差別への戦い方を完全に間違えたね、女性は。徹底して身体の違いに固執すべきだった。ある程度、つまり今みたいに社会が解放されたら、「任務完了」とすべきだった。それをいつまでも家父長制がどうのこうのとか言って、ジェンダーに責任転嫁し、ジェンダーを実体化し続けた。それを逆手にとられて、ジェンダーを個人が利用して内面化して。あんたたちの好きなジェンダーで、女ですと言う男がはびこり始めたんだよ、という。
小原 わたし、女なのにアンチフェミニストって、ずっと言われてて。そりゃフェミニストの定義によるだろ、って思ってたんですけど。要するにジェンダーという概念がぴんとこなかった。それに基づくイズムが一つも信じられなかったって、今はっきりわかりました。
三浦 これ、ほんとに歴史をやり直したいところだよね。
小原 もともとフェミニズム、特に日本のフェミニズムは、そういう論理的な矛盾をはらんでいた。それを長年、言ってきたつもりだったんですけどね。社会的な弱者と強者ってマスの概念と、実在する一人一人の生物学的な性別ってミニマルな事実と、そういう審級が違うものを都合よくごっちゃにするから、わけのわかんないことになってるって。おたくの、東大のフェミニストせんせの議論が矛盾してるのも審級の混乱からきてるって、昔、「群像」の書評でもちゃんと書きましたよ。編集からちょっと泣きが入ったけど、基本的にはそのまま。だのに、それを放置していたから今回、逆手に取られた。フェミニストが何も言えないのは当然だと思いますよ。
三浦 その観点でね、ちょっと、本を持ってきますので。今、まさに小原さんが言ったことを具体化している例をお見せします。私の専門の分析哲学って一番理詰めで、分析的・理論的に考えなきゃいけない分野のフェミニズムなんだけど。その分野で今、一番よく参照される、基準となっている「女性の定義」ってのがあって。「女性とは、ある一定の側面において、つまり政治的、経済的、基本的に社会的側面だろうね、体系的に従属化されており、生産的に生殖的役割を担う身体的特徴を持っていると観察または推測されることによって、この扱いの対象としてマークされている。男性の方は、政治的・経済的・法的その他の一定の側面において体系的に特権化されており、男性の生殖的役割を担う身体的特徴を持っていると観察または推測されることによってこの扱いの対象として印付けられている」って。驚いたことに「従属化されており」っていうのが「女性の定義」になっているんですよ。真面目にスタンダードとして。
小原 へぇー。
三浦 「従属化されており」ってさ、定義に入れたらどうなるの? これはいわゆる社会改良のための定義、「改良的定義」と呼んでるわけですが、それだったら社会が改良された後に、女性がどういうものになるかを予定しなきゃいけない。現状、女性が従属化されてるんだからって、従属化されてるのを定義入れてしまうんですね。
小原 へぇー。
三浦 だからエリザベス女王は、女ではないらしいですよ。
小原 へぇー(机を叩く)。
三浦 ヒラリー・クリントンも女性ではない。
小原 へぇー、ふーん、そうなんだー。
三浦 わけわかんないでしょ。そんなんで女性を解放する運動できるんですか、って話だよね。そう定義しちゃったらさ、女性をそのようなものとして持続可能なものにしちゃう。
小原 そういう公理でその空間を定義してしまったら、その公理を超える空間にはならないってことですよね。トートロジーって、わかってないのかな。
三浦 まさにマッチポンプというか、自分たちの飯の種がなくなったら困るってこと。
小原 そうそう、それは感じる。「問題解決したら困っちゃうんだろうな、この人たちは」って、よく思いますね。
三浦 そういうこと。でもさ。それを大真面目にやってるんだよね。現状、どうなってるかって経験的な問題と、本質的な問題をまさにごっちゃにしてるわけですね。
小原 審級の混乱ってのを意図的にやってるなー、って気がします。それはまあ、皆さん論理学のイロハも知らないのかもしれない。審級の違いを意識するって論理のイロハを、社会学の人たちは知らないのをいいことに、自分たちの都合のいいようにねじ曲げてる。それは論理学者、論理を学んだ者としては我慢できないですよね。
三浦 それがね、「従属化されてる」っていう、一番議論の的になるところを女性の定義から落とすとね、「現状をちゃんと見てない」って、暗黙の批判を喰らうんだよ。
小原 それとこれとは別、って分別もないんすかね。
三浦 いかにも活動家らしい定義ですよね。近視眼的にものを考える。基本的にものを考えるという辛抱強さはない。直近やり過ごせば、なんとかなる、と。あの法案の通り方を見ても、そうだし。どんどんどんどん、ゴールポストを動かして。
小原 利権のぶつかりあいで調整してるだけですよね、結局のところ。
三浦 利権をさ、逆サイドが利用するようにしてほしいね。今は利権享受しているのは左派ばっかりだからさ。私はどっちかというと、左派なんだよ。だから左派が弱まるのは本意ではないんだけどね。
小原 東大ですからねぇ。
三浦 天皇制とか、本当はなくなればいいと思ってるんだけど。
小原 私は前回、文学金魚の編集後記に「小原さんはたぶん超保守」って書かれちゃったけど。でもあの、美しい伊藤詩織さんとか最初から応援してるし、だから杉田水脈さんとか嫌いだったけど、今回は同調しないといけないかな、と。はて、超保守なのか?
三浦 主張の是々非々だよね、人物っていうより。
小原 これ言うと、やっぱり超保守みたいだけど、今回のLGBT法案で、もしかしたら愛子さまに「心が男だ」って言わせられないか、って。それって素晴らしくないですか。
三浦 本当のところ、そういう光景を見てみたいね。
小原 見たいですよね。天皇霊は精神的なものなんだから、「心が男」のところに降りてくると思う。これ絶対。
三浦 そっち側にも頑張ってほしい。国会では左派を応援してるけど。大日本帝国を称揚するとか、私は断じて認められない。慰安婦に関しては拉致なんかなかったし、大日本帝国の名誉を回復しないといけないけど、その同じ人たちが、南京大虐殺なんかなかったって言うわけよ。あれだけリアルタイムに報道されて、軍人たちが手記を残しているのに、なかったわけないじゃない。ただ従軍慰安婦に関しては堂々と、あれは自由意志による商行為ですと言うべきだけど。彼女たちがひどい目にあったというなら、その家族との関係で悪徳商人に騙されて、ということはあるかもしれないけど、大日本帝国が拉致したわけでは断じてない。
小原 学問ってサイエンス、広い意味の科学だけど、科学をするものとして、エビデンスに基づいて是々非々を問うわけで、右も左もないよね。
三浦 まったくない。だけど、どっちかに偏らないとさ、事実を述べると右からも左からも叩かれるんだよね(笑)。
小原 人間って、自分の味方なのか敵なのか、はっきりしてもらわないと落ち着かないんじゃないですか。男なの女なのか、はっきりしてもらわないと落ち着かないと同じです(笑)。
三浦 そうだけど(笑)。ただ知的なレベルではいくらでも時間をかけて考えてほしいけど、現場レベルではそんな余裕ないからね。男と女って、そもそもはっきり分かれてるわけだからさ。妊娠する性と妊娠させる性とは、はっきり違うでしょ。そして社会的な達成の側面では、妊娠する性の方が圧倒的に不利なわけよ。逆に幸福度は高いと思うよ。子供との絆だって強いじゃないですか。
小原 幸福度っていうのはいろんな切り口があるし、女性の場合は幸福にもっていくための手段がいろいろ用意されてるし。
三浦 身体的にもストレスを感じにくいよね。
小原 感じてると、死んじゃうからね。
三浦 男性の脳って極端な働きをするのね。だからすぐ自殺したりする。自殺未遂は女性の方が多いんだけどね。
小原 未遂が多いっていうのは狂言が多いってことですよね。
三浦 ためらい、とかね。実行前に、人に言ってまわるとか。
小原 騒げば、かばってもらえるって成功体験があるのが女性で。男は自殺未遂したからといって同情されたり、かばわれたりしないもん。
三浦 そう。男は助けを求めたら人間失格みたいなところがあるからね。黙って死ぬ。
小原 やっぱりちょっと大変ですよね、男で生きる方が。追い詰められてるんだから、ある社会的行動の中で成功する確率が高い、と。それだけ追い詰められているからだろうと思いますけどね。
三浦 男の方が絶対、幸福度が低い。どの国でも共通です。万国共通で自殺率は男の方が高いからね。
小原 女性は不利に作られてるから、それをカバーする社会的制度なり自分の中でのセーフティネットなりがはたらいて、結果的に充足感や幸福度を上げているということですよね。だから肉体的には不利に作られているのは大前提のわけで。
三浦 文明活動においては不利ということだけど、自然基準では女性が有利だよね。
小原 やっぱり差別とは違いますよね。
三浦 だからね、右派の活動家にもたくさん入ってきて欲しい。心の性別なんて無いって、教育の現場でも動いてほしい。埼玉県なんて今、極端なことしてるからね。その洗脳を解いてもらいたいね。男女の違いは身体の違いだけなんだって。徹底して修正してもらいたい。
小原 ただそういうのって、たいていやり過ぎる。保守は保守で、また今度は女性は家庭にとか、オーバーシュートしかねない。
三浦 その恐れはあるけど、男の子らしく、女の子らしくとかはさすがにもう言わないんじゃないかな。そういうステレオタイプが今のトランスジェンダリズムに利用されてるんだから。このトランスジェンダーで揉めたおかげで、右派はだいぶまともになってきている。
小原 比較して、まともに見える恐ろしさ…。
三浦 今、科学的にエビデンスに基づく考えを述べると。右派ってことになっちゃうんだよ。性別は身体の差だけによるものだ、なんて言ったら極右だよ。
小原 あー。そう見えるのかもしれない。そしたら、わたしやっぱ超保守…。
三浦 昔は、そういう科学的知性の表れは左派のものだったんだけど。だけど学校教育はそもそも科学に基づいて教えるものでしょ。政治的なことを右派に任せちゃだめだけど、この性的なことに関しては、もっと科学的に、右派に主導権を握ってもらいたいな。啓蒙団体とか、出てきてくれるかなぁ。このままほっといてまともになると思えないんだよね。大学生だってオカルト信じているのが多いんだから。心の性別なんて存在不可能なものを教育された日には…。
小原 三浦先生、がんばってみてください。協力しますよ。
(第02回 了)
縦書きでもお読みいただけます。左のボタンをクリックしてファイルを表示させてください。
*『トーク@セクシュアリティ』は毎月09日にアップされます。
■ 小原眞紀子さんの本 ■
■ 三浦俊彦さんの本 ■
■ 金魚屋の評論集 ■
■ 金魚屋の本 ■
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■