性にまつわる全てのイズムを粉砕せよ。真の身体概念と思想の自由な容れものとして我らのセクシュアリティを今、ここに解き放つ!
小原眞紀子
詩人、小説家、批評家。慶應義塾大学数理工学科・哲学科卒業。東海大学文芸創作学科非常勤講師。一九六一年生まれ。2001年より「文学とセクシュアリティ」の講義を続ける。著書に詩集『湿気に関する私信』、『水の領分』、『メアリアンとマックイン』、評論集『文学とセクシュアリティ――現代に読む『源氏物語』』、小説に金魚屋ロマンチック・ミステリー第一弾『香獣』がある。
三浦俊彦
美学者、哲学者、小説家。東京大学教授(文学部・人文社会系研究科)。一九五九年長野県生まれ。東京大学美学芸術学専修課程卒。同大学院博士課程(比較文学比較文化専門課程)単位取得満期退学。和洋女子大学教授を経て、現職。著書に『M色のS景』(河出書房新社)『虚構世界の存在論』(勁草書房)『論理パラドクス』(二見書房)『バートランド・ラッセル 反核の論理学者』(学芸みらい社)等多数。文学金魚連載の『偏態パズル』が貴(奇)著として話題になる。
小原 今、とりあえず三浦さんの言いたいことお願いします。
三浦 基本的なことで、だからこのアベマTVですよ。こちらちょっとあの、エッセイを他の媒体にも出したので、ちょうど発表はされてるといいんだけど。これはね、橋下徹ともあろうものがって、まあまあそんなにね、おかしいこと言わない人じゃないですか。
小原 まあね。
三浦 まずはこの特例法「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」、これがあの二人が話している法律の二つの法律の一つ、もう一つが今の国会に出されようとしている「理解増進法」。今回橋下さんはLGBT支援の活動家じゃないのに、こういう認識だったと驚いた。特例法の、性別を変更する条件、手術をしろということになるわけですよね、普通は解釈として。これは残酷である、と言うんだ、国際基準で。国際基準といったって少数派なんだけど、だってロシアとかね、アフリカとか大半の地域は認めてないんだけど、まあ日本にとっては西洋諸国が世界になってるから、世界基準で、日本は遅れてるいうことを活動家は盛んに言ってる。不妊手術なんて残酷なことを要求、義務化してると。
小原 それが嫌だから変えたいってんじゃないんですか。
三浦 そう、これがこれ重要なところで、体が嫌だから手術を必要不可欠とする人々がいるという現実がある。で、その人たちは自分の希望によってもう生殖器の外見とか見た目を変えているのだけれど。そうすると元の性別のスペースには、特に体の露出する場所に非常に入りづらい。だから、手術した人は法律上の性別を変えた方がいい。性別を変えないと社会生活上不便なわけですね、だからその配慮のための特例というわけですね。体の変更が目的であって、性別変更っていうのはそのための手段だったんですよ。それが、活動家が言うところの、性別変更が目的でそのための手段として体を変えなきゃいけないのは酷いと。これは論理の逆転であって、クリティカルシンキングの初歩からしても許されない。あの二人、弁護士だよね。ちょっとショックですよね。
小原 一般の人はますますわかんない。
三浦 性同一性というのは、もともと脳内地図と生理的な体との一致のこと。それがいつのまにか「性自認」と理解されるようになってしまった。身体イメージと身体とのブリッジを指す性同一性っていうのを、自分をどの性別として認識するかという主観的なものに置き換えてしまった。欧米では、この自分の認識だけで手術なんかなしに自由に性別を変えられる、と。むしろ、自分の体を変えて性別変更したその人たちを人権侵害された被害者である、というふうに位置付けるわけですが、それは間違っている。犠牲者なんて、もうとんでもない。まず体を変えたくて、その結果、法的な性別も変更できて、感謝している、と当事者は言うんです。ところが、活動家のイデオロギーからすると、彼らを哀れな犠牲者、圧力に屈して手術をした人々としているわけですが、その方がとんでもない侮辱であり、差別です。
小原 確かに。
三浦 これは元々この特例だからね。性別を変えるという、そういう一見非常識なことを当事者の切実な事情にしたがって、体を変えざるをえなかった人たちの社会生活の便宜のために、性別を変えさせると。社会的な性別を変えたいから体を変えるわけではない。だから、体を変えたことで満足して、戸籍上の性別はあえて変えないという人もけっこういるわけです。そういう人は、社会的ジェンダーには関心のないという、健全な性別意識を持った人たちと言えますよね。
小原 健全…。
三浦 ほら、社会的ジェンダーってフェミニズムにおいては、むしろなくすべき対象なわけでしょ。男女の格差とか、そういったものを理解するためにジェンダーという概念を設けて、女性の生物学的な性差から、統計的に自動的に発生してくる社会的な現象という意味で、むしろ、それにむやみに囚われないようにしようって意味で、あくまで学術的にジェンダーという抽象概念を論じたわけですね。それが現実の現象としても尊重しなきゃいけないというふうに横滑りしてきて、身体性別とは別のジェンダーというものを尊重しましょうという、それも個人の属性として尊重しましょうと言う。これもまた逆転現象なんですね。性別という個人の属性は身体の属性でしかないのに。だから、身体構造が違うから、自己認識が違うだけの話でしょう。ジェンダーは(学問的に)大切だ、だから個人のジェンダーを重んじようと、社会の属性であったはずの、望ましからぬジェンダーというものを、その最低限に縮小しなきゃいけないジェンダーをなんと個人の属性として尊重してしまったという、とんでもない倒錯があるわけですよ。だから二重の逆転ですよ。本来は社会の必要悪としてのジェンダーをセックスとは違う個人の属性として何故か公認してしまったという第一の逆転。学術的にのみ重要となるそのジェンダーを実際の現象としても持続可能にしなきゃいけないという第二の逆転です。性別変更というのが、本来は付随的なものであったジェンダーを変えるという、現状では仕方ないことを逆に目的にしてしまって、その目的を達成するために仕方なく体を変えるんだというふうに論理が正反対にすり替えられてしまった。二つの逆転現象は構造的に同じだと思うんです。セックスの違いしかないのに、ジェンダーの違いというものがなぜか不当に重んじられてしまったことから、二つの逆転現象が生じると思うんです。それを誰も認識していない。ネット上で散発的にこういうことが言われても、大手メディアで実際そういうことは言われない。
小原 性同一性障害って言われてた頃は、それは障害だったはずなんですよね。それはもう性自認って言い方で、障害ではなくなったんだろうか。
三浦 国際的には精神疾患から除外されてますね。
小原 障害ではないっていうことになると、つまりそれが病を抱えた人を救うための特別措置だと思っていたことがそうじゃなくて、誰でも人権としても自由に性別は変えられるっていうことにつながりますよね。
三浦 えっとね、これは難しくてね、WHOがICD 11で性同一性障害を精神疾患から除外して「性の健康に関連する状態」というところに置き直して、いってみれば妊娠と同じ扱いじゃないかな。妊娠は病気じゃないけど医療の対象になる。配慮は必要だということなんで、厄介なんですよ。病気だったら「直せ」って言い方できるけど、それはもう言えなくなってる。だから当人の希望をもう尊重して大切に扱いましょうよっていう厄介な立場になっちゃう。
小原 妊娠は客観的な状態としてあるわけだけど、これは誰でも言い出せばいいわけですよね。私が明日から、私は男だったからとか言い出して、その権利を主張してもいいわけですよね。
三浦 当然。アメリカ、ヨーロッパでそうなってますね。アメリカはあの半数以下の州だけれども、セルフIDっていうかな、自分で申告すればオッケー。そうするとクリック一つで性別変更出来るんだからさ。
小原 そうするともう性犯罪というものも存在しないわけですよね、言ってみれば、単なる暴力。
三浦 でも、やっぱり性犯罪はもちろん存在する。暴力じゃなくても、カリフォルニアで客が騒いだから問題になったのは、男性器をブラブラさせたまま自分は女性だと称する男がスパ、日本で言う銭湯に入って、九歳の女の子がいる目の前で。それで女性が騒いでフロントに文句を言ったんだけど、退去させると店が罰せられるのでできません、っていうことで暴動が起こって。LGBT支援の人たちが加わって、路上で流血の衝突があった。
小原 性犯罪の存在を認める人たちと認めない人たちの対立。
三浦 そんなことが起こってるわけですよ。そんなに大騒ぎ聞こえて来ないじゃないっていうのは、みんな我慢してるわけですよ。日本だってあの性犯罪のほとんどは揉み消しでしょう。トイレに男がいたなって場合でも、気がつかなかったフリをして、あの時おかしかったよって、友達同士で喋るぐらいで、たまにそれが許せなくて騒ぐ人がいたときに立件されるというだけで。だからこれ今度の理解増進法通れば、ますます声を上げにくくなります。本人の主観至上主義ですよ。そのことにあまり皆さん気づかないうちに、あまり反対が起こらないうちに通してしまえ、っていうのが稲田朋美。言ってること聞くと本人自身が本当に理解してないふしがあるね。
小原 まあ、そういうことって何かの利害で立場を取っていることが多いと思うんですよね。橋下さんにしても稲田さんにしても、何らかの利害があって立場を作っているわけで。
三浦 稲田朋美なんかは、ああいう理解増進法というものを作って、そういう女子トイレに男性がいても文句を言ったら差別になるって、そういう帰結が生じるんですけど、でもそれを知っていながら許容し、むしろ促進する声がマイノリティではなくマジョリティだと信じてる。マスコミも応援してるし、それもそういう活動家の声が大きいから。利権が生じるのは法律を作る側だけだからで、「性的指向および性自認(自民党修正案では「性同一性」に変更)の多様性に関する理解を深めるための」何とかかんとか言ってるわけよ。とにかくこういったLGBTの、単に事実を理解するって意味じゃなくて、お気持ちを理解、なるべく寄り添うような、そういう意味の「理解」で、そのための研修を実施することを企業とか学校に義務づける。つまりLGBTセンターがあちこちにできる、そうするともう大量の雇用が発生して活動家の仕事が増えるわけね。ものすごい利権ですよ。また東大も今年からさ。ダイバーシティ&インクルージョン部門の授業が大量に新設されたね。で、これまた活動家がたくさん雇用されている。一方で、反対派がこの法律をつぶしてもさ、自分が得するわけじゃないからさ。自ずとロビー活動の声の大きさに差が出てしまう。
小原 やっぱりそういうことだと思うんですよ。法律っていうのは常に、役人なんかも作れば実績になるけれども、その弊害を述べてつぶしても、それは業績にはならないじゃないですか。だから問題があることがわかってても、ラディカルなことをあえてすると利権になるということなんでしょうね。
三浦 それね。だからこそ、それを見抜いてちゃんと理屈で述べるのがマスコミの役目なのに、今のマスコミは声のでかさを後押ししてるだけだね。
ちょっと前からさ、むしろ政府の方針を支持するのがマスコミの論調基本になってる。理由ははっきりしているのね、アメリカのさ。言うなりじゃない日本って。政治家と無関係に、日本の官僚が一致団結してアメリカ様の意向に沿う。だから議員ががんばらないと、官僚の動きに操られる政治家を正常に戻せないわけで。アメリカは民主党が政権とってるでしょ、メディアってのはもともと民主党寄りだから、その民主党の政権がある間は政府とマスコミが一体化するわけです。非常に不健全な状態になるわけね。共和党が政権を取るとさ、マスコミがもう徹底して政府のやり方を批判するという健全な状態になるんだけど。トランプを嫌うという、民主党の方針に水を差すようなこと言わないわけ。アメリカの政府とマスコミ一体になった論理がもう、日本にそのまま流れてきて、日本人はその言うなりっていうことが起こってるんだよね。
小原 日本の場合、それに中国や韓国の言いなりとか、そういうのも絡んでくると…。話を戻すと、障害ではないという位置づけになったんだとすると、じゃあ男がどんどん女子スポーツに入って行って、一位から三位まで生物学的な男性が独占するっていうような、現実に起こる不都合みたいなものをどう認めていくのか、あるいは排除するのかっていうところなんですよね要するに。
三浦 いや、だからそれ不都合と見てないってことなんだよ。
小原 じゃあ、それで進めていくとして、それで例えばオリンピックの競技だとか、ちゃんと観客席が埋まるのか、ファンが付いて来るのかっていう問題じゃないですか。それでいいならいいって、それ価値観だから自由ですよ、だけど女子スポーツのファンだとか、それを目指してた女性たちの活動、特に経済活動として数字で落ちてきた場合、誰が責任取るのか、その経済的なデメリットどうするのかって話でしかないじゃないですか。
三浦 そうそう、だからそれが起こってるんですよ。エンタテインメントの世界でも、ディズニーが一番すごいね。ディズニーランドがLGBT支援を進める急先鋒だからさ、ディズニーの本拠地があるフロリダ州だっけ、あそこの知事と衝突して。もともとディズニーランドは聖域で、自治権があって、税金なんか払わなくていいみたいなことになってたのが、あまりにもディズニーが政治に、特にこのLGBT関係のことに口を出して、なんかそういう特権を剥奪するってことが起きてますね。
小原 政治的な価値観のぶつかり合いで、ディズニーは売上が上がるんですかね。
三浦 下がってるわけ。ディズニーは過去の名作を改変して、何とか姫を黒人に変えたり、つまりポリティカルコレクトネスでキャラクターの人種や性的指向を原作から変えてる。でね、客が入らない。
小原 当然でしょ。だからそれ続かない。
三浦 つまんなくてさ、昔からのファンがどんどん離れていって、全然売れない、新しい映画は客が入らないっていうことが続いてるんですよ。
小原 ある人々に特に配慮するっていうことに対して。どんな価値観が働こうと結局、経済がついていかなければ続かないわけじゃないですか。
三浦 でも彼らは実は、あまり痛くも痒く無いらしくてね。運動の後ろ盾になっている大金持ちの人たちがいるわけですよ。ジョージ・ソロスっているでしょう、自分のイデオロギーに合わせてどんどんお金出すわけ。そっちから来るお金で、もう客が入らなくともへっちゃらなわけ。しかも一定の、リベラルなイデオロギーに染まった観客も確保できる。今までより売り上げは半減するかもしれないけど、そんなことはいいんだよ。ポリティカルコレクトネスに忠実な知識階級がいるから。アメリカではもうリベラルじゃないと知識人は生きていけないような部分もあるから、トランプ支持者なんてのは完全に情弱扱いであってさ。「知性のある」人たちはニューヨーク州とカリフォルニア州にいて、要するに目覚めた人達はお金を、もう惜しみなく出すわけで。一般の客がどうだろうとさ。
小原 まあ確かに、それは一つの価値観、新しい文化というか、新しい構造ができるんだったら、そうなってしまえばそれが当たり前だと思うかもしれない。
三浦 商業主義で、大衆の趣味に迎合してるよりは非常に、何と言うか、あっぱれではあるよね。
小原 面白いかもしれないですよね。それ意外とね。
三浦 美女と野獣の美女さあ、こんな太った黒人にするわけ。ピーターパンのティンカーベルって妖精もさあ、こんな…。
小原 それはそれで定着というか、その方向に行ったら行ったでいける、面白いかも。
三浦 本当に芸術的に考えればいいよ、高い表現だったらいいけどさ、完全に政治が先行しすぎちゃって、本当にもう大衆迎合よりさらに低俗なものになってさ。
小原 でもまあ、やるだけやってみたらと思うけど。そこまで行くなら(笑笑)
三浦 あっぱれだよね、それは思う。
小原 良識としては、女子スポーツはどうなるとか、女子トイレで危険な目に遭ったらとか、つまり今の生活の安全やメリットを守るって、あるっちゃあるんですけど、まあそれはそれで一回壊してみるのもやってみたらっていう感じ。
三浦 まあ、そういうふうに笑ってられないのは、常にこれで不利益を受けるのは女性のみということなんですね。
小原 前々から、皆が言ってるんだけど、「わたしは心が男性だから」って男風呂に入っていく〈身体が女性〉の人はいなくて、なんで逆ばっかりなんだっていうのはね。
三浦 トランスジェンダーと言われる、広い意味での部類では、生物学的男性はだいたい女性になるだけどね、生物学的女性っていうのはね、どうなるかというとノンバイナリーになる。自分のこと男だって言うと、ちょっと自分がしんどい思いすることが多いよね。男の中でやっていく覚悟が大変だから、ノンバイナリーって言うんだよ。それってねえ、腰が引けてるというかさ、単に女性じゃないよ、っていうだけ。
小原 意味がない。
三浦 だから女性扱いするしかないじゃない、ノンバイナリーとか言われたって。ノンバイナリーって項目を作って尊重するっていうのがまた世界標準になったり、そっちの方がよりラディカルなんだという評価を、海外では受けがちなんですね。そういうノンバイナリーとかってお茶を濁している人たちが実は、そういう体制変革の最先端のようにもみなされているという皮肉な傾向がある。
小原 そしたら、女性として今まで通り、女性の守られた空間にいたいっていう人の方を特別な病者にしたら。守られた空間を我々に配慮して作ってもらってさ、我々は障害者として。女性であり続けたいと思っている哀れな存在として、そこを使うっていうんでも別にいいと思うんですよね。ただまあ人数的にマジョリティなだけで(笑)。実は、我々のほうが特殊な病をかかえているんだっていうことで、ただすごく人数多いんですけど、どうしてくれます?(笑)
三浦 それが難しいのはね、ここが女性の非常に弱いところで、やはりそういう宣伝に弱いんですよ。こう決めつけたら悪いけど、これ。いろんなところでわかっていてね。例えばネットの広告をクリックして物を買うのは、女性が圧倒的に多い。だからコマーシャルなんか女性に非常に有効なんだけど。女性がやっぱり、世界の趨勢というものに合わせるんですよ。だからね、いわゆるそういう一般の女性たちは、「トランスってやっぱり女性ですよね」っていう方に同調するんだよ。下手するとね、多数派はそちらの方、つまり女性の空間を守ろうじゃなくて女性の空間をそういう人たちに解放しなきゃいけない、という人の方が、実際、一般の女性に多かったですよ。
小原 じゃあ、もうそれで頑張れるんだったら、それでやってもらって。わたし頑張れませんっていう人だけで、特殊な空間にいたらいいんじゃないですかね。
三浦 そういう人たちはやっぱり差別主義者と言われるわけですよ。
小原 いや別に、自分を差別してるだけで。自分はそういう病を抱えてる可哀想な人なんだから特別な空間を用意してください、って言ってればいいんじゃないですかね。わたし言おうっと。きっと快適な空間になりますよね。
三浦 女性はみなPTSD、ってのが本当になる可能性だってありますしね……。
小原 あのね、差別については、ジェンダーの問題以前に、本当に問題だと思ってたことがあって。ただ言ったら叩かれると思って、今まで言えなかったんだけど。ハンセン病の元患者さんたちが差別を受けていて、その言われなき差別を撤廃しようというのは、素晴らしいと思うんですけどね。あるときハンセン病元患者さんたちの団体がホテルの温泉に泊まりたいって言って、それを他のお客様がいるからって断ったら、そこの旅館が処分を受けて。そしたらそこ、廃業しちゃったんですよね。それで、そこの経営者だったら苦しむな、と思って。その人たちを受け入れなきゃいけないっていうのは法で決まってるのかもしれないけど、宿泊施設は。だけどお金を一生懸命貯めて、家族でそこの温泉に行くのを楽しみにしている、例えばそういうお客さんに、一緒に湯船に入ってくださいって商売人が言えるのか、って。それを強制するってことは、もう商売するなって言われてんのと同じなわけですよね。伝染性がないという科学的な事実と、営業マーケティングとは別の話なわけですから、廃業するのは当然だろうと思うんですけど。
三浦 それ、いつの話?
小原 2003年ですね。元患者さんたちは国で手厚く保護されていて、それは保護されるべき人たちなのだから、温泉だって国が借り上げて行かせるべきだと思うんですよね。貸切にする日程調整をきちんと行えば、正当な理由なく宿泊拒否できない、とするのもいいと思いますけど。
三浦 ラブホテルなんかさ、同性同士の同伴はお断り、とかってのは普通にやってるわけだから、条件設定するっていうのはありでしょ。
小原 営業の自由もまた、憲法で保障された権利ですからね。それを犯さないようなかたちでだったら指導もあっていいでしょうけど。
三浦 営業の自由が侵害された例は、goldfinger事件ですよ。レズビアンバーにペニスのついた男が、青山学院の先生なんだけど、アメリカでは法的に女性なんだということで入ろうとして。断わられた腹いせに、英語で、自分がこういう仕打ちを受けたってばらまいて。世界中から攻撃を受けたわけですよ、その店が。レズビアンのパーティーなんだからさ、互いの接触とかあって、そこにその心理的女性の男性が来たら、みんな嫌に決ってるし。
小原 そうですよ。
三浦 その本人だってさ、みんなに避けられて惨めな思いをするに決まってるじゃん。そういう人はもう遠慮してもらおうというのが当たり前なのに、ただもう、店は謝罪して、これからトランス女性の入場を断りませんと誓約出してね。だからそれ、大営業妨害ですよ。そういったことがどんどん起こるよね、この法案が通ると。
小原 例えば男が自由に入って来る銭湯や温泉に女性が行くかってことなんですよ。そうすると女風呂が閑古鳥が鳴く。今、観光って女性に見向きもされなくなったらもうだめですからね。事実上、営業ができなくなっちゃう。そういう現実的な、特に経済に関わるようなことをどうするのかって一点ですよね。どこもみんなディズニーじゃないですからね。そんな強くない。
三浦 欧米だと銭湯の文化がないからさ、韓国式スパとかは問題になったけど。日本の銭湯の営業がダメージを被るね。
小原 マスクをしてないとか、ドレスコードに反してるとかで入場を断るっていうのは通ると思うんですけど、例えば黒人だから入れないとか男だから入れない、みたいな変えようのない部分で拒絶をすると、それはまあ、差別主義ということになるのかもしれないですけど。
三浦 ただその属性が本質である集まりだったらさ、レズビアンの恋活のためのパーティーだったら、これもう身体的男性が入ったって意味ないよ。
小原 独身者同士の出会いの場に、既婚者が入り込んでくるっていうのは問題じゃないですか。
三浦 婚活市場なんかもう影響受けるんじゃないかな。性的指向と性自認を理由とする差別を禁止って言ってるから、じゃあ結婚相談所が主催する婚活パーティーなんかでさ、男女マッチングすること自体、差別主義だって。
小原 (爆笑)
三浦 男女をまず一緒にしてさ、そこで婚活できないんだから、これは相当、影響あるよ。
小原 そうですよ。笑い話か、ポストモダン的状況かってことになる。性別をトランスするって言ったら、ポストモダン的状況になるに決まってんですけど。
三浦 だから根拠っていうのは、精子を作るか、卵子を作るかって意味であってさ、これが根拠がないと言い始めると、なぜ我々はここにいるんですかってことになるよね。そこを相対化しちゃうというわけだけど、そのわりにはジェンダーのこだわりっていうのは絶対化するという。
小原 うん、そうですね。だから子供作ってそれを育てるっていうのが、たまたま作った人たちと社会とで育てていけばいいものを、そこにまつわる家族だとかジェンダーだとかが非常に厚く層を作っていて、それに対する反発であり、ラディカルな問題提起だっていうならわからんことはないって気はしますけどね。
三浦 逆なんだよね。精子と卵子の違いをないがしろにしながら、個人のファンタジーであるジェンダーというものを絶対視する。とんでもないオカルトでね。これだから日本の科学教育と齟齬がある。科学教育っていうのはちゃんとそういう本質を見極めた上で、世界にある存在をきちんと分類していくことになってるわけでね。じゃないとあらゆる科目が、高校で習う科目が成立しないわけで。個人的ファンタジーを基本に据えて定義するというのが「性別」だけで止められるかって話で。三省堂の国語辞典がもうすでに男性女性の定義をさ、もう変えちゃって。そういう意識高い系が入り込んでしまって、つまり辞書のレベルから言葉の定義を変えてるけど、国民的なコンセンサスないよ。
小原 とんでもない進め方ですよね。いいとか悪いとか以前に、どういうことなんだろう。
三浦 ほんの10年ぐらい前までは、欧米だって認めてなかったんだよ。同性婚が認められたのいつだっけ、2010年ぐらいか。10年も遡れば一切なかったわけで、カウンターカルチャーとしてはあったけどね。もうほんの十数年だから一時的なブームなんだよ、はっきり言って。今、各国で反動が起こってるわけで、イギリスが一番最初に正気を取り戻した。
小原 一番ラディカルだから最初に正気を取り戻してる。(笑)
三浦 スコットランドでも首相が辞めたのは、あれは結局LGBT教育の行きすぎだったんだよね。国民が反発しているし、アメリカでもやっぱりスポーツにトランスジェンダーの出場を禁止する州が増えてるんで、向こうは一回のブームが去って、元に戻すときに日本は…。
小原 周回遅れ。(笑)
三浦 そう、完全周回遅れ。それがわかってない。
小原 ずっと思ってたのは、トランスジェンダーっていうのはスポーツの世界での男子競技・女子競技から言ったら、ちょっとやっぱり障害というか特殊な人たちなんだからパラリンピックとか出たらどうなんだろう。パラリンピックでトランスジェンダーを吸収することが出来ないんだろうかと。
『人権と利権 「多様性」と排他性』(森奈津子編 月刊紙の爆弾2023年6月号増刊)
鹿砦社(2023年5月23日刊)
三浦俊彦『アカデミズムを蝕むトランスジェンダリズムの利権』掲載
三浦 それは彼らの性自認に反してるからダメなんだよ。だからあの渋谷区のトイレが問題になってる、男性専用とだれでもトイレ二つというね、一つ女性用にすればいいものをさ。なぜそうするかっていうとさ、やっぱり女性用にすると揉め事が起こるからなんで。だから無難にああして、女性用は消えていくことは予想できる。男性専用・女性用・誰でもトイレにしたとしますよ。そしたらトランス女性は頑なに女性用に入る。近いところに誰でもトイレがあったとしても、意地でも、少し距離が離れていても女性用に行くんだよ。彼らはそのこだわりゆえにトランスジェンダーになったんだからさ。一般の女性は誰でもトイレ入るという人がいるとしてもさ、一般の女性よりさらに強く女性用にこだわる。だからトランスジェンダー用を作るのは、まったく無意味なんだよね。
小原 なるほどね。
三浦 非常に厄介なんだよ。だから揉め事をなくすにはさ、女性用をなくす。
小原 やっぱ、そうなるわけですね。
三浦 誰でもトイレなら、それはもう誰でも入っていいんだから、見かけが男である人がいても誰も文句言えない。
小原 揉めるか揉めないかっていう点では、そうですよね。女性が騒ぐことができないと言う意味でね。
三浦 ただ、それはね女性にとって怖ろしい。実際、女性がおとなしいから困るんだよ。これ逆だったらね、男性がこれほど不利益をこうむるような法案だったら、ただで済まない。
小原 たしかにわたしも、トイレに関しては何が不利益なのかよくわかんなくて。わたしレベルの実感なんですけど、実は女性トイレを使うときに一番困るのは、狭い。窮屈なんですよ。いろんなことしなきゃいけないんですよね、荷物を置いてあれしてこれして。だから一番望むのは、女性用でも誰でもトイレでも何でもいいので、自分の使う空間をもっと広くしてほしいってのが実感で。誰でもトイレって割と使いやすいんですよ。広々してますからね。だから願わくば、誰でもトイレをいっぱい作ってほしい感じ。
三浦 まあ狭いっていうのは、それは男子トイレだって。
小原 渋谷区の例のトイレっていうのは、男性用のチューリップが並んでて、誰でもトイレが二つあるんでしょ。男子用のチューリップが並んでるのはただ単に、簡便に済ませられる人をいちいち個室に収納すると混むから、そのチューリップでやってくださいって隅に押し込めているだけで。基本、誰でもトイレを男も女も使うって、そういう建付けなんじゃないかなと。
三浦 もちろん、そうですよ。男性用小便器なんか本当はいらないんだよ。男性用を設けてあるんだから、女性用も設けなさいって話になるわけよ。
小原 チューリップが並んでるのを男性用って言えるかどうかっていう問題があって、そこに立ちションしてくれ、それで済むんだからあんたたちは、って、むしろ男性が差別されているとも言えるわけで。
三浦 実際はね、男性用小便器もない方がいいっていう人、多いんだよね。やっぱりね、飛び散るしね、汚れるんだよ。掃除も大変だしと昔から言われていて。ああいう公共のところでは、もう一歩前に出てしてくださいとかって。
小原 そうなんだ…。隣のが飛んでくるとか。あるのかな。
三浦 そうそう。いつも気にしないでやってるけど。
小原 だからそこで済むならやってよっていうだけで、特別にチューリップを男性のために設置しているっていう感じはあんましないですけどね。
三浦 なんかトイレは、お風呂に比べると軽視されやすいんだよね。女性の危険っていうことだけど、犯罪は多くトイレで起こってるし、子供が引きずり込まれるとか。僕の知ってる豊島区のトイレでは、男性用と誰でもトイレしかないトイレで、誰でもトイレの方だけ16時という早い時刻にカギがかけられて、翌朝9時まで閉鎖。男性用は24時間使用可能なのに。誰でもトイレは危険だということを区もわかってるんだ。
小原 誰でもトイレとか、空間として広々として快適ってことは、逆にそういうリスクも増えるということだと思うんです。だけど女子トイレであれば安全かって、確かにリスクが減るかもしれないけど、完全に安全ではないわけですよね、女子トイレだって。犯罪を防ぐためだったら、例えばもっとテクノロジーを使って徹底的にリスクを減らすような工夫をすることが優先されるかもしれない。リスクを減らすために女子トイレを作るっていうのは抜本解決になってないような。
三浦 いや、これ確実に分けた方がリスクは減る。犯罪原因論、犯罪機会論っていうのあってね。犯罪原因論っていうのは犯罪に走る前にちゃんと教育しましょう、そういう原因をなくしましょうっていうの。それうまくいかないんだよね。絶対、一定数いるわけだよ、良からぬ心を持った奴とか、自暴自棄になってる奴とか、酒飲んで理性失ってる奴とか。犯罪機会論っていうのは、犯罪をそもそもしにくくする、入口を物理的に遠くするとか。
小原 それはたしかに、実際的にはそうでしょうね。
三浦 男がそっちに向かったら、もうこれは目についてさ。わざわざその女性トイレに行く男もいないはずだし。もし簡単に男が入れると、よしじゃあこのまま閉じこもって、なんかしてやれっていう。本来だったら犯罪を起こさない人であってもさ、そんな気持ちになっちゃうね。誰でもトイレは、そこに入ったまま待ち伏せてる変質者にとっては、もう天国みたいな場所だよね。
小原 やっぱりリスクを減らすのには、有効ではありますよね。
三浦 騒いで抗議する女性はいいんだよ。ただ楽観的な女性の言うことを聞いててさ、我々が危惧の念を持つのはね、いかに男を知らないか、だよ。
小原 はい。
三浦 男がいかにね、そういう機会があれば虎視眈々と狙ってる生き物であるか。こんだけ性犯罪者が、多様な性犯罪者がいてさ、私も性犯罪者を何人も個人的に知ってるんだけどさ、このようなことやってる人いっぱいいるわけで、隙あればもう。だいたい泣き寝入りする女性が多いから、実は通報されているのは十の内の一にも満たないんだよね。それを楽観視してるっていうのは非常に危機感は持つよね。
小原 数字の上で、やはり防犯上効果があるということですよね。女子トイレを確保して男女分けるということは。すごくテクノロジーが発達するなりして、どっちみちそういうことはできないっていなるんだったら、全部誰でもトイレっていうのは悪くないなと思うんですけどね。
三浦 あと効率的なことから、やっぱり誰でもトイレは実際には共用で、同じ入口から入ることになると思うんだけど、その場合に問題は、性犯罪だけじゃないんだよね。つまり男性がいるというだけで居心地が悪い、あるいはPTSDの女性もいるわけじゃない。
小原 やっぱトイレで、男の人がそばにいるっていうのはあんまり気持ちよくないですよ、もちろん。誰でもトイレって、今のところわりとガラガラだからいいと思ってるんで。
三浦 女性のそういう本能的な気持ちを抑える、ということを恒常的に要求することが、どういう社会的な効果を持つかってことね。性犯罪に対する臨戦態勢を下げるっていうことになるわけ。男が近くに寄って来ても警戒しちゃいけないよ、と。そうすると、恒常的にほかの場所でも性犯罪を許容しやすい社会になることは確かだよね。そう考えると、性犯罪さえなければいい、その場で何か実害さえなければいいという考えは非常に危険で、やはりそういうまあ風土の問題だよね。
小原 なるほどね。奥深いな。
三浦 今、ストーカーとかそういったものに対する法整備も進んでいる反面、LGBTへの配慮から、ということで下げるとなると、混乱するよね。統一しないと。性犯罪の厳罰化っていうのはさ、たぶんいい傾向だと思うんだよね。あるいは今、セックスも強制性交罪から不同意性交罪に改められましたね。それも良い傾向だと思います。私も女子大に長年勤めた。「付き合ってるから当たり前」みたいな雰囲気で、義務感に駆られて本来は嫌なのにやらせちゃってる女性がごまんといたのを知っている。その法律によって、黙っていても不同意っていう断りができるので。だからこの共用トイレが増える、女性専用トイレがなくなるっていうのはまあ非常に、どうなのかなと思う。
小原 守られるべき存在なんだって意識が薄まるっていうことだから、それはよくないかもしれないですよね。
三浦 薄まるんだったら、まだしも。個人レベルで洗脳される人はたくさんいますからね。
小原 いるかもしれない。いろんな人がいる。
三浦 最初に戻ると橋下さんと稲田さんのこの勘違いというか、逆転現象だよ。論理の逆転を強調したいね。こういう社会的弊害にもつながるんですよ。性同一性障害特例法も、いい法律なんでしょうけど、たぶん困ってる人たちのためには。ただ一回、そこで譲歩するとどういうことが起こるかっていう教訓だと思うんだよね。性別変更を認めたら、それを捉えて論理を逆転させて、救済措置を非人道的だと逆転させて、社会的適応からジェンダー強化へとエスカレートするに決まってるわけだ。今回、実証されたことですよ。だから一回、譲歩するととんでもないことになるよ、と。
小原 そもそも、性転換の手術が重大なもので、それを強制するのは酷だという議論についてですが、性別という社会的に意味を持つ身体部分を変えるということで特別視されますけど、ようは整形手術、あれに近いものなのかなと思っていて。整形手術は別に、健康を取り戻すための処置じゃないけれども、本人がどうしてもここを変えたいと思って手術するわけじゃないですか。
三浦 それもう、医学的にもそうですよ。身体完全同一性障害ってのがあって、例えば自分の腕があるのが許せない。そういうことで、こう自分で切断しちゃう人いるんだから。
小原 うーん…。
三浦 そうしますとね、脳内地図と身体の不一致っていうのは、たまたま生殖器関係だと性同一性障害になるけど、ほかの部分もそれが起こる。醜形恐怖ってのもあるじゃない。あれは単に醜いと思っているってコンプレックスだけじゃなくて、本当に自分のこの目の形が気に入らないとか、歯並びが気に食わないとかっていうのが、もう脅迫観念になるような病気。
小原 なんか、どんどん変えていっちゃう人いますよね。実際、客観的に見ると、全然美しくなってない。むしろ変になってるのに、どうしても変えたいって。それに近いもんだとすると、やっぱりそれは障害だから手術してるんだろうってことになる。
三浦 障害だよ。あの身体完全同一性障害ってのは本当に命に関わるから。自殺する人いるからね。だからその障害なんだから、それの連続線上にある性同一性障害を「障害」でなくすっていうのは、辻褄が合ってないんだよね。だから精神医学者がしっかりしないといけないんだけどね。人権優先みたいな感じで「人権」の美辞麗句に流されてしまう御用学者たち。
小原 これ、思ったより奥も深いので、引き続きこの調子で…。
三浦 あまり枠をはめずに続けていきましょう。
(第01回 了)
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*『『トーク@セクシュアリティ―LGBTQ+は法的保護の対象か?』』は毎月09日にアップされます。
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