さやは女子大に通う大学生。真面目な子だがお化粧やファッションも大好き。もちろんボーイフレンドもいる。ただ彼女の心を占めるのはまわりの女の子たち。否応なく彼女の生活と心に食い込んでくる。女友達とはなにか、女の友情とは。無為で有意義な〝学生だった〟女の子の物語。
by 金魚屋編集部
3 食卓(三)
*
「目、赤くない? 寝不足?」
学校の教室。傍観者の亜紀ちゃんは、人の変化にもすぐ気がつく。亜紀ちゃんの将来の夢はお嫁さんなのだそうだ。だから、就活もしない。ある意味、潔い生き方だと思う。クラスで最も動きの少ない人物だ。誰と誰がけんかした、とか、そういう情報も私より詳しい。
「大丈夫」
私は特に説明もしない。Flying Tigerで買ったポーチをあさり、マスカラした目にバイシンを垂らす。バイシンの効き目は暴力的だ。軽い痛みが走ったあと、一瞬で白目が白くなる。口には、フリスクを放り込む。人数が少ないこの学校では、どんなに些細なことでもすぐに噂になる。一旦、口の端にのぼったら、どんな風に脚色されるかわからない。陰険だけれども、自己防衛するしかないのだ。私は、この見えない敵のようなものを憎んでいる。だれもがそう思っているはずなのに、撲滅できない。孤独だ。
帰り道。百円ショップに寄った。私は安上がりなのか、高級なシャンプーよりもここで買ったもので洗髪したほうが仕上がりがいい。音楽が流れている。いつもなら聞き流してしまうのに、妙に耳に残る。
不甲斐ない僕だけど、君を守り続けたい…。
そのまんまな歌詞。歌唱力も微妙だ。化粧品コーナーの棚に近づく。視界がぼやける。目をこすったら、涙が流れてきた。自分でも、意味がわからない。苛立ちを含んだ感情が、次々と沸いてくる。付近にいる主婦が、不審そうにこちらを見る。セーターの袖で拭い、素早くシャンプーをつかむ。男の子を連れた女性が、叫び声をあげている。
「うるさい。いつまでもわがままにしてたら、置いてくよ。私に恥をかかせないでよ。こんななら、産まなければよかったわ。はい、さよなら」
すたすたと店内を歩いていく。精神的な虐待。ひどすぎるけど、よくある光景だ。子供は、床に寝そべって暴れはじめた。自分が怒られているようで、いたたまれない。私はレジで五百円を払い、店を立ち去った。
下を向いて歩行していたら、人にぶつかってしまった。頭を下げて、そそくさとバスに乗り込む。私は、バス酔いしないタイプなので、携帯を開く。友達と、宮田君からメール。
――昨日はごめん。本当にごめん。でも、来てくれたのが正直意外で、嬉しかった。今夜、電話してもいい?
バスの中で、再び涙が浮かんできた。床にりんごが転げている。坂道でバスが傾いた。りんごも、前に転がっていく。どこかの奥さんが、慌てて回収をする。それだけのことで、私はクツクツ笑った。この頃、感情の起伏が激しい。メーターを振り切ってしまったなにかは、ヤケになる状態に似ている。そのまま思考停止して、盲目になればいいんだよ。ラクしたい私が言う。総量が多すぎるのと、ゼロなのとでは根本が違うでしょ。停止の意味、わかってる? 今度は誰だろう。色々な人が脳内で発言している。疑われたって、心の中まで覗けるわけじゃないんだからさ。きれいごと言ったもん勝ちよ。やー。世間の人はそんなに鈍くない。はず。たぶんね。あんたはそう言うけどね。がっかりしても保障はしないよ。心根が違ってもね。同じ言葉を使ったら、それだけの意味しか伝わらないわけでね。本音を言いたい党の議員が、相手方につかみかかりはじめた。ヤジがとぶ。○○とデキてるー。あんたは世間ってものがわからないからそんなことが言えるんだよー。世渡り党の党首だ。お前みたいになったら、人として終わりだろうが。お前の人間性なんて、そもそも興味もたれてないよ。こっちが本心で言ったことでもね、受け止め方が悪けりゃ、どうにもならないわけで。本心言ったら、正真正銘の馬鹿にまでしたり顔されるぞ。あんたが普段、軽蔑しきってるような奴にな。反対意見なら、黙ってりゃいいんだよ。全員、全員うるさいよ。耳栓してるのに、一睡もできん。明日はゴルフなんだよ。机をたたく音。要は一体、なにが言いたいんですか? まとめに入ろうとした一言で、また場がざわめく。結論なんか、簡単に出ないんだよ。だから、こうして集まってるんじゃないか。世の中、愛よ。女性の議員が立ちあがった。ピンクを着た美人だ。それこそきれいごとじゃないか!これは大変だ。大乱闘で議論が進まない。本音と建て前が混ざっている。大人の世界だ。表情を作るのを忘れてへらへらしていたら、つり革につかまるおじさんと目が合った。
夜、彼から電話がかかってきた。
「あ。俺」
しおれた声が聞こえてきた。
「うん」
「昨日はありがとう」
「なにもできなかったけど」
「あの……さやちゃんのこと、もっと知りたいんだ。免許持ってるのも、はじめて気づいたし。だから、なんでも遠慮しないで話してほしい」
「私、そんなに自分のこと話さないように思える?」
知りたがっていないと思っていたのだ。私のことなんて。女子大の子、というイメージを壊さなければそれでいいのではないかって。
「うん」
「言っとくけど、宮田君もだよ」
「自覚してる。沙耶ちゃんにはできるかぎり打ち明けるようにするよ」
「……宮田君って、ママと仲悪いの?」
「ストレートだな。傷付くから、聞き方をもっと工夫してよ。そうだね……好かれてないことは事実かな。別に、自分の意思で結婚したわけじゃないって本人も言ってたし……親父も祖母とべったりだから、環境になじめないのはしょうがないんだよ」
「そっか」
「けど、事務的なことには疎くて、なにかと頼ってくるから。疎遠すぎるわけではないよ。一度も働いたことないんだし。しょうがない。受験に受かったときも、そっけなかったな。まあ、しょうがないか」
「ふーん」
母親に対して、「しょうがない」を連発する宮田君。
「いいんだよ。うちのことは。また、追々に話す。また近いうちに会おうよ。どこか行きたいところ、ある?」
「宮田君の学校に行きたい」
ほとんど、思いつきだった。
「学祭のとき、来てくれたじゃん」
「嫌ってこと?」
たたみかける。
「いや……女子がやたらと気の強い奴ばっかりだからさ。影響受けてほしくないな、って思って」
「いつがいい?」
「ブレないな。わかった。俺はもう、決心した」
数日後、講義を受けに行くことになった。
雨が降っていた。彼の学校に来ている。校門の前で待ち合わせたのに、移動するまでに五分以上かかった。
「傘はここに入れて」
彼が、傘のスタンドを指さした。円形の、ただ数本刺せるやつではなくて、図書館とかにある鍵付きのもの。私の学校にはない。ぎくしゃくと、傘をセットする。
「ん? ちゃんと刺せてない。しょうがないなー。貸して」
私は生活に向いていないのかもしれない。かちゃん、と音がして傘が固定された。なくないように、平たい鍵をポケットにしまう。
「宮田」
女の子の声。思いきり背中を叩かれている。彼が後ろを向いた。
「授業、出る?」
仲がいい子らしい。
「帰る。ごめん、宮田。借りたノート、家に忘れてきた」
淡々としている。共学の女子はカジュアルなイメージが強かったけど、案外フェミニンな服装だ。ピンクベージュの丈の長いブラウスに、紺のスカート。ほどよいバランス。小さめのベレー帽が似合っている。パロマピカソのバッグは、ママから貰ったものだろうか。
「だから、その場でコピーしてって言ったじゃん」
口調が柔らかい。たいして怒っていないのだ。私にだけ優しいと思っていたのに。
「次回必ず持ってくる」
「はー? その前に返してよ」
「無理。宮田のために学校来たくない。ところで隣にいる子、だれ?」
ちらりとこちらを見る。
「あ。彼女」
「サークル?」
「いや。就活のときに会った」
「だから今日、さっぱりした格好してるんだ。普段、ダサいもんね。話し方も爽やかになってて、正直引いたわ」
「ダサくないよ。バラすなよ」
ふきだしそうになった。
「宮田の天使だね」
足を組んで、斜めから彼を見ている。
「天使ってなんだよ。俺のこと、モテない奴みたいに言うなよ」
「あっ。わかった? 伝わったんだ。微妙なニュアンス」
「はじめまして」
黙っているのも気まずいので、挨拶をする。
「あ。喋った。はじめまして。私も彼女欲しい」
「意味わかんねえよ。そろそろ授業行くわ」
「じゃあね」
「はー」
彼はため息をついている。
教室はとても広かった。大教室なんてどこの学校にもあるけど。女子大のようなこぢんまり感はない。無機質で、実用的なかんじ。社会に出るための技術と教養を身に付けるための機関なのだというかんじがする。絶対にそんなことはないのだけど、机とか椅子も、固そうに見える。いかめしい。
「ここでいい?」
「うん」
彼はポーターのバッグを肩からおろす。
ホワイトボードから遠くも近くもないところに座る。周りを見回す。浮いてはいなさそうだ。椅子が木でできていた。ルーズリーフのほかに、黄色い大判メモを机の上に準備している人が多い。
「あの黄色い紙、なに?」
「え? メモ。俺も持ってるよ」
バッグからリングノートとメモを取り出す。
「本当だ」
「色がついてると、挟んだときにわかりやすいじゃん。ラインマーカーが目立たないのが短所だけど。ピンク使うしかないな。でも、ライン引いたところが白黒印刷したときに黒くなるんだよ」
「へー」
「私にもちょうだい」
「いいよ」
一人で座っている人もいる。淡々と、ゲームをしていたり、読書している。男女混合のグループが目に入る。友達と話すように、男子と会話している。彼は無言で、前回のノートに目を通している。小学生みたいな字。意外で親近感がわく。
「当たる可能性、ある?」
「たぶん大丈夫」
「彼女と授業受けてる人、いる?」
「普通にいるよ」
どれがカップルなのか判別できない。公の場所なのだという意識があって、あまりべたべたしていないからかもしれない。私の学校に来る男子は、女子のことをあだ名で呼んでいる。みきにゃんとか。まるでレジャーランドに来たかのよう。自分の学校にいるときは、違う顔をしているのだろうけど。迎えに来て、彼女と一緒に帰っていくから、わかりやすい。
「宮田、おはよう」
「あ、おはよ」
友人らしき人が手を振りながら通り過ぎていく。普段着だ。
スーツを着た男性が教壇に立った。ホワイトボードに、動物の絵を描いている。
「先生?」
「うん」
「それでは、講義をはじめます。突然ですがこの動物、なんだと思いますか?」
質問しているらしい。
「一番前の、今、カーディガンを着てた人。そうそう。君」
――アヒル?
女の子が、首をかしげている。自信がなさそうに答える人は、どこにでもいるのだということがわかった。髪の毛の先を巻いている。レースのカチューム。
「なんで?」
――尻尾の形に特徴が出ているように感じます。
「じゃあ、その右隣の人」
――白鳥です。すらっとしているので。
どんどん当てられている。
――ガチョウ? 太ってないですか?
「白鳥かアヒルかでお願いします。ガチョウではないです」
笑い声が響く。
――僕はアヒルだと思います。なんとなくですけど。
後ろの扉が小さく開く。中腰になった生徒が一人、そこから出ていった。階段に座っている人もいる。アメリカンスクールみたい。ホワイトボードに書いてあることを、そのままノートに写す。
――みーくん、なんだと思う?
ルーズリーフのはじっこに書いて、見せる。筆談。一度やってみたかったのだ。
――明らかにアヒルでしょ。目つきがどんよりしてる。さやちゃんは? どう思った?
しばらく考える。
――お腹のたるみ具合がアヒルっぽい。
――だろ?
先生がまた話しはじめた。
「ひとつの判例に対してどの法律を当てはめるか、ということの例です。絵が下手なのではなく、意識的にどちらかわからないように書きました。そこらへんを誤解しないように。」
またしても笑い声。彼が、背中をシャーペンでつつかれている。
「なんだよ?」
小声で怒る。ちょっとした技だ。半分振り返っている。
「門間、見なかった?」
今度は男子だ。最初に会った女の子のことを言っているのだろう。
「帰ったよ」
「なんで?」
「わかんない。メールしてみれば?」
「アドレス知らないし。教えてよ」
彼が板ガムをあげている。
「自分で聞けよ。俺から漏れたのがバレたら、殺られるだろ」
前に向き直る。また、つつかれる。
「もしかして、彼女?」
「そうだよ」
「女子大? 清楚だな」
ジロジロ見てくる。門間さんと、違う種類の人間だと思っているのだろうか。警戒しているから無難にふるまってるだけなのに。
「あんまり調子に乗るなよ」
また、規定の姿勢に戻る。
結局、授業はアヒルか白鳥かで時間を割きすぎて、あまり進まなかった。
彼について、購買に向かう。店内をぐるっと一周する。口には出さなかったけど、化粧品は売ってないんだな、って思った。うちの学校みたいにケサランパサランの口紅とか、アイシャドーを置いている学校は、なかなかないのかもしれない。
「スクールグッズとか、ないの?」
キャンパスクラッチとノート。校章と学校名が入っているだけ。デザインは重視していないようだ。
「シンプルだね」
「そんなもんだよ。たまに持ってる人がいる。俺は、高校からだから全然珍しくもなんともないけど。買ってやろうか?」
「だって学校違うし」
彼がレジに行ってもどってきた。
「家で使えばいいじゃん」
「あ。ありがとう。つぎも授業?」
「今日は一コマだけ。待たせるの、悪いし。鍋が美味しい店見つけたから、行こうよ」
「なにそれおじさんくさい」
「トレンドな鍋だぞ?」
怒るかと思ったら、平気で返してきた。
「バーカ」
その日、小さな事件が起きた。宮田君の前の彼女と遭遇してしまったのだ。アトレのエスカレーターで、トレンチコートが似合う女性とすれ違った。私はベージュの、レースの襟が付いたコートを着ていた。私と宮田君は上に向かっていて、その人は下だった。あんなだったら、人生もっと生きやすいだろう。と考えながら地上を見ていた。いつも通り、宮田君が手を引いてくれた。ポケットに、繋いだ手を突っ込んで歩いていた。
「トモヒコ」
だれかが、彼の名前を呼んでいる。嫌な予感がした。後ろを向くと、トレンチコートの女の人が立っていた。同い年くらいに見えるけど、雰囲気は女の子ではなくて女の人だった。細いアイラインをひいて、赤い口紅をつけていた。宮田知彦は、硬直していた。私は状況を認識しないように、自分のセーターの袖を見つめていた。毛玉がひとつ付いていたので、むしり取る。私がフクロウだったら、身体を斜めにして小さくなっているだろう。
「なつかしいね。元気?」
女の人の声。独特のなれなれしさがある。
「あー」
音を出してみました、というかんじだ。
「看護婦の資格、取れたんだよ」と彼女。
「あ。おめでとう」
そっけない。口を開くのも億劫そう。
「それでね……」
「うん」
彼は、彼女が話し終わる前に相槌を打つ。
「わかった。じゃあね」
彼女はエスカレーターのほうに戻っていった。心臓が、規則正しく鼓動しはじめた。
既視感があったから、何が起こっているのかはわかった。サークルの男子が、気持ちのさめた彼女に対して同じ表情をしているのを昔見た。彼女と旅行したけど、もう飽きたと言っていた。私は、人が人に飽きることがあるということが不思議だった。人の気持ちにはいろんな面があって、すべて知ることなんて到底叶わないのに。心の奥は、果てしないのに。何もわからないうちに、飽きることがあるなんて。
私に理解できないことでも、起こるのだ。そう思うのが限界だった。
生物学的なことなのかとか、いくら考えてもどうにもならないし。だったら対策するしかない。
「なつかしいね」とか。彼はそういう彼女の言葉をただ聞き流していた。最初は私に対する礼儀なのかな、って解釈したけど。それとも違った。冷ややかで、根本的に関心がありませんってかんじ。私も、いつかこんな表情で見られるようになってしまったらどうしよう。
いつか別れても、覚えていてほしい。現在進行形で付き合っているのに、そればかり考えている。勿体ぶっているわけじゃない。
(第07回 了)
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