■鶴山裕司抒情詩集『おこりんぼうの王様』■
『東方の書』『国書』(「力の詩篇Ⅰ、Ⅱ」)と現代詩の王道を歩んでいた詩人が大きく方向転換した抒情詩集。富山、東京、横浜という実在の土地から架空の世界へと言葉が渦を巻くように舞い上がってゆく珠玉の抒情詩51篇を収録。単純な抒情詩ではなく引用の手法を駆使し、ペルソナ(架空の語り手)技法を自在に使いこなした21世紀的な新たな抒情詩。
「羽沢/秋雷/ランナー/星空/my birthday/こわれもの/花が萎れるまえに/多摩川/落としもの/最初の一音を/ライトレールに乗って/EXPO ’70/平成乙酉卯月追想/貯水池/アキラはやさしい/自転車に乗って/ランプ屋/軽井沢レイクガーデンに薔薇を見に行った/われらの旅/シロ/東京タワー/ファン・ゴッホ/吉祥寺に南桂子展を見に行く/手紙/窓/友達/橋づくし/科学博物館/神田/月曜日、元町/泣いているこども/夢見ておやすみ/ガラスの靴/お月さま/森の中/恋する虜/誘惑/アイスクリーム/おこりんぼうの王様/画家のおじさん/贈り物/なぞなぞ/本の家/女の子のともだち/親方の獲り分/メアリアンとマックイン/チャイナ・ナイト/セイレーン/神様について/王様とわたし/世界は美しい」
A5版変型 304ページ
装幀 伊達のび太
ISBN978-4-905221-09-8
定価1,900円(税込)
一九六一年富山県富山市生まれ。明治大学文学部卒業。詩人としてだけでなく、小説や現代小説・短歌・俳句・現代美術・古美術の批評も手がけるマルチジャンル作家。著書に詩集『東方の書』『国書』(『力の詩篇』第一の書、第二の書)、『おこりんぼうの王様』(第三詩集)、『聖遠耳』(第四詩集)、評論集『日本近代文学の言語像Ⅰ 正岡子規論―日本文学の原像』、『日本近代文学の言語像Ⅱ 夏目漱石論―現代文学の創出』、『詩人について―吉岡実論』、『詩誌「洗濯船」の個人的研究』がある。
鶴山裕司はポスト戦後詩・現代詩を担う詩人ですが、小説を書き、短歌・俳句・小説・現代美術・古美術の批評も旺盛に手がけるマルチジャンル作家です。『おこりんぼうの王様』は激変する21世紀初頭の高度情報化社会に敏感に反応してこれまでの詩の書き方を大きく変えた抒情詩集です。従来的な詩人の〈個〉に閉じこもる抒情詩ではなく、引用とペルソナ手法を駆使して新たな21世紀的表現の可能性を表現しています。
■鶴山裕司長篇詩『聖遠耳』■
モダニズム詩、シュルレアリスム詩、戦後詩と同様にすでに過去の文学潮流として役割を終えた現代詩からいち早く抜け出し、新たな高度情報化社会の現代に対応する新しい書法を見出した鶴山裕司の長篇詩2,172行。詩の創作でも理論でも現代詩を相対化し、新たな詩のパラダイムである自由詩を提唱してあらゆる書き方をマージした新に自由な自由詩。抒情詩集『おこりんぼうの王様』と同時刊行。
「僕は渋谷のスクランブル交差点にいる/109の巨大な女が太陽を背に/僕を見下ろしている/大型ヴィジョンが桜の開花を伝える/もう誰も喩では納得しない/満足しない/現実の残酷に曝されなければならない」
「「少年の身体の重みが/ナイキのバスケットシューズの皺になって/キュッキュッと青空に鳴る/室内楽となって/少年の身体いっぱいに響く/線路沿いに赤い花がどこまでも咲いていて/目覚まし時計は鳴るのを忘れてしまったのだから/海まで走っていって/海水をバケツに汲んで/太陽の光で鏡にして/ゼンマイ仕掛けのライト兄弟の飛行機を飛ばす/鏡に手を入れると/手首だけ向こう側に届く/火曜日の獅子が/水曜日のお魚にお願いしている/導きの糸が切れかけてるよ/忘れかけてるよ/だから日が沈んだら/すぐに迎えに来て」/修辞を捨てよ」
A5版変型 144ページ
表紙絵 ロベール・クートラス
表紙構成 伊達のび太
ISBN978-4-905221-08-1
定価1,500円(税込)
鶴山裕司はポスト戦後詩・現代詩を担う詩人ですが、小説を書き、短歌・俳句・小説・現代美術・古美術の批評も旺盛に手がけるマルチジャンル作家です。『聖遠耳』は詩人が二〇一九年の三月十八日から二十六日まで慢性中耳炎の手術で横浜保土ケ谷区の聖隷横浜病院に入院していた間に書き上げられた2,172行の長篇詩。エズラ・パウンドの『ピサ詩篇』になぞらえられる長篇詩であり、戦後詩とも現代詩とも違う新たな詩の書き方で書かれた画期的長篇詩です。抒情詩集『おこりんぼうの王様』との同時刊行。
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