こんちはー。始まりましたねー東京オリンピック。ほんで新型コロナ感染者数は3000人超えてんだけどさ。オリンピック期間中に1万人とかに近くなったら、どうすんだろう。まぁたしかに無観客っていうのは、最低ラインだったね。なんとなく皆、つまりトヨタとか安倍元首相とか逃げ腰なのは、この辺の数字の予測がもう出まわってたんじゃないのかな。
そんで皆、腰が引けてる中での開会式だけど、やっぱ腰が引けてる出し物だったね。ビートたけしさんが「金返せ」とかって笑。その言葉を批判する人もいるけど、モノを創ってる人から見たら、たけしさんの言う通りなんだよ。クリエイターの良心からしたら、逆立ちしてもあれ以上のことは言えない。
なんでかって言うと、どうしてあんなふうになっちゃったか、手にとるようにわかるから。絵でも、映画でも文章でも、何でもそうだと思うんだけど、最初から上手な人はいないでしょ。誰もいっぱい失敗して、少しずつ上手くなる。その過程を経てるから、失敗作を見ると、どうして失敗したのか、どんな心根がそれを生み出したのか、わかるわけよ。だから黙っていられない。それは「悪口」とは違うんだなぁ。自分にはっきり見えているものを、見えてる、って言わざるを得ないってのかな。
そんで、りょんさんはロンドン五輪の開会式をYouTubeで見たの。口直しっていうか笑。まぁ、そりゃ素晴らしかったね。マジで日本はもう二度とオリンピック誘致しないほうがいいと思った。絶対かなわないし。そんでもって、日本のあの開会式で使った予算が、ロンドン五輪の開会式の予算を超えてるってんだからさ。めまいがするよ、まったく。
もちろん、いい部分だってあったんだよ。あのドローンの地球は、わーって声が出ちゃったよ。ピクトグラムも、とっても面白かった。海老蔵さんも、森山未来さんだってすごくよかった。なんか入場行進の曲がゲームの音楽とかで、それだけで満足って人たちもいて、喜ぶ人がいたのはよかったと思う。だけど作品っていうのはさ、そんな「部分」でいくら点数を積み重ねても、ダメなものはダメなんだよ。そこのところが、モノを創ったことのない人にはわからない。
って言うと、クリエイター何様とか、上から目線とか言われるかもしれないけど、まぁ何年か経ってごらん。何一つ記憶に残ってないよ、結局。「あの開会式は」って言ったとき、全体の完成度しか人の記憶には残らないんだよ。あのピクトグラムはよかったねーとか、あのときのドローンはすごかったねーとか、そういう記憶をたまたま持ってる人はいるかもしれないけど。でもそれは「開会式の記憶」ではないよ。それがわかってるからね、たけしさんでも誰でも、モノを制作して完成させてる人たちは。
だけどロンドン五輪にはかなわない、っていうのは、欧米人にはかなわないとか、文化の厚みが違うとか、そんなこと言ってるんじゃないんだよ。モノを創るときのバックアップというか、体制そのものが、今の日本の社会では無理なんじゃないか。ロンドン五輪では、競技場に緑の丘や田園が出現して、そしてそれが産業革命の都市にまで変貌する。
それ見て、競技場ってものすごく広いんだって、実感した。で、その広い競技場を1つの作品に仕上げていくには、ものすごいエネルギーが必要。絵でも何でも同じでさ、なんだかんだ言っても、大きなモノを仕上げるにはやっぱり相応の力量が必要になってくるんだよね。こちょこちょ描いて、ちょっと上手な小さい絵、っていうのは意外と誰にでもできるの。
で、大きな競技場を有機的に創り上げていくには、誰かが強い統率力を持っていなくちゃいけない。力のあるクリエイターが全権を握って、皆をどんどん引っ張っていかなければ、絶対うまくいかないんだよ。だからビートたけしさんが「俺に任せろ」って言ってたのも、確かにそれでよくて、ある意味、誰でもいいの。自分が全権を持って引っ張るぞって、覚悟がある人だったら。たけしさんが言う通り、映画監督なんか向いてるんだよね。
だから今回、電通五輪とか言われるけど、電通って会社でしょ。そしたら組織でもって分担とかするわけだよね。それがもうダメなんだよ。モノを創るってことは、まるっきり構造からして違うんだ、大企業を経営することとは。その辺がわかんないかなぁ。もし電通の誰かエラいさんが「この監督に全任する。うまくいかなかったら俺が全部責任とる。」そう言ったら、もちろん電通だって大したもんなんだけど。
あまりにトラブル続きで忘れてたけど、そもそも一番最初は、野村万斎さんが降りちゃったところから始まってるよね。野村さんは狂言をはじめとする日本文化を世界に認知させるためだったら、どんな苦労もいとわなかったと思うよ。そんな簡単に辞めはしない。だってそれ野村家の悲願だもん。だから辞めたのは大変だからじゃなくて、どんなに頑張っても、これではうまくいかないって、クリエイターとして直観したからだと思う。何をやっても邪魔が入る、自分に任せてくれない、そういうことだったんじゃないかな。しかも邪魔をするのは誰、って特定できるわけじゃなくてさ。組織、なんとなくの仕組みで、それはダメだったんだと思うな。
だってさ。小林賢太郎さんがラーメンズ時代にホロコーストのタブーに触れたことで、ほぼ開幕前日になって解任されたけどさ。「小林さんの担当した箇所を削除しなくていいのか」って聞かれて、「小林さん一人で創った箇所はないから、どこも削らなくて大丈夫」って。耳を疑ったよ。創ったところがないんだったら、なんでいたのさ。大勢で寄ってたかって、ぼんやりとしか全貌が見えないものを創ってるって、そりゃわけワカメになるに決まってる。たとえ出演者の一人ひとりが全力を尽くしたとしても、さ。
ロンドン五輪で、緑の丘と田園と都市を出現させた競技場は、ものすごく広い。あんな広い中で、たとえば海老蔵さんがどれだけ素晴らしくたって、一人じゃ無理があるよ。ほんと、観客いなくてよかったよね。もちろん密になっちゃいけないから、すごい大群衆を使えないとか、そういう制約もあるかもしれないけど。
それにしたって、あまりにも完成度が低いっていうのは、人数が少ないからじゃないよ。もともと日本の芸能文化はそんな大群衆は必ずしも必要としないし、そこには日本文化を醸成した思想があったはず。クリエイターが皆、口を揃えて言ってんのは、なんでタップダンスなんだ、なんで海老蔵さんがジャズピアノに合わせなきゃいけないんだ、って。それがすごく悪くて非難されることってわけじゃないけど、でも理由がわからない。そういうことでしょ。
YouTubeでは、若くてイケイケのミュージシャンのお兄ちゃんが、なんで「イマジン」なんだ、って怒ってた。自分がジョン レノンが好きとか嫌いとか、そういうことじゃない、自分はジョン レノン大好きけど、って。ね、大御所から若い兄ちゃんまで、クリエイターなら皆、おんなじこと言うんだよ。思想が見えねぇんだよ、って。
で、思想っていうのを体現するためにはさ、その思想を自分のものとして抱えてる人が全権を振るわなければならないの。それがヒエラルキー構造をもって、大勢に伝わって、そして立ち上がってくるのが作品ってもんなんだよ。作品はピラミッド構造でないと見てられない。誰も責任とらない、民主的みたいなやり方じゃダメなの。それは大企業のサラリーマンとかさ、ミソつけないで暮らすことばっかり考えてる人たちには絶対、理解できないの。
だから結局、出来上がったシロモノは全体的に平板で、作品としての迫力がない。立体的に立ち上がってきてないんだよね。あの広い競技場を強権をもって統括して、完成した作品としてみせるにはさぁ、まず高さが必要なんだよ。高ぁーいところに視点を持ち上げていかないと、大きな作品は完成しないんだ。ただそれは、ただ上空にぽかーんとドローンの地球を浮かばせるとか、そういうんじゃないの。下からぐーっと立ち上がっていく構造を示すこと、そこにエネルギーと力を見て、感じるんだな。人間としてのパワーを発揮した作品ってものをさ。それこそがオリンピックにふさわしいよね。
そう、作品っていうのは人間のものなんだよ。(株)電通とか、ドローンの地球を作ったらしい(株)独インテルとか、そういう企業の展示会みたいになったら、その時点で失敗なの。作品に、広い意味での思想を感じないってのは、人間の頭も背骨もなくて、手足だけもじゃもじゃ動いてカッコつけてるみたいな、気持ちの悪い生き物にしか見えない。クリエイターたちは、だから怒ってる。気持ち悪いからさ。人間の肉体とおんなじで、作品も構造がないと、ただ気持ち悪い。でも予算とか体面とか、組織とか、そういうのがあるから、とりあえずカッコだけつけようとしてる。そのみっともなさがわかんないなら、もう国際的な表舞台に名乗りをあげるのはやめたほうがいいよ。端の上塗りだからさ。
りょん
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