女優、そして劇団主宰でもある大畑ゆかり。劇団四季の研究生からスタートした彼女の青春は、とても濃密で尚且つスピーディー。浅利慶太、越路吹雪、夏目雅子らとの交流が人生に輪郭と彩りを与えていく。
やがて舞台からテレビへと活躍の場を移す彼女の七転び、否、八起きを辻原登奨励小説賞受賞作家・寅間心閑が Write Up。今を喘ぐ若者は勿論、昭和→ 平成→ 令和 を生き抜く「元」若者にも捧げる青春譚。
by 文学金魚編集部
越路吹雪という表現者、そしてその作品を想う時にどうしても欠かせない人がいる。フランスを代表するシャンソン歌手、エディット・ピアフだ。『越路吹雪ピアフを歌う』というアルバムもあるし、彼女の代表曲である「愛の讃歌」は元々ピアフの歌、作詞もピアフ自身が手掛けている。
フランス、パリの二十区でカフェのシンガーである母親と、大道芸人だった父親の間に生まれ、売春宿を営んでいた祖母のもとで育った彼女の歌。第二次世界大戦を経て、一度の大恋愛と二度の結婚を経験した「激動」とも「壮絶」とも評される人生。それを百四十センチちょっとの小さな身体で駆け抜けた人間の歌声に、日本が誇る「シャンソンの女王」が実際に触れるのは昭和二十八年、初めての海外旅行で訪れたフランス、パリにおいて。その感想は、こう日記に綴られている。
――悲しい、淋しい、私には何もない。私は負けた。パリに来て初めて一人で泣いた
そして、マネージャーでもあった作詞家の岩谷時子に宛てた手紙には「どうしてもパリが掴めない。私は月夜の蟹だ」とあった。月夜の蟹は月光を恐れて餌を求めず、そのため肉がつかずに痩せている。つまり、中身がないということだ。
当時のピアフは三十八歳、三年前に「愛の讃歌」を発表した正に全盛期。その歌声に衝撃を受けた未来の「シャンソンの女王」は、ピアフが歌ったシャンソンの楽譜を買い漁り、その後パリを訪れる度にピアフの生の歌声に触れ続けた。
そんな彼女が初めてピアフを演じるのは十八年後、昭和四十六年の秋。日生劇場で上演された『ドラマチックリサイタル 愛の讃歌 エディット・ピアフの生涯』。この公演こそが劇団四季、そして浅利先生との初仕事でもあった。
ちなみに「愛の讃歌」に日本語の歌詞が付けられたのは、初めてピアフの歌声に触れた二年後。これが岩谷時子にとって初めての訳詞・作詞だった。
原曲の背景にあるのは、ピアフの生涯一度の大恋愛。相手は妻子あるプロボクサー、マルセル・セルダン。試合の為にニューヨークへ向かう彼は、当初船を使う予定だったが、コンサートで一足先に現地にいたピアフの「早く会いに来て」という言葉を受けて空路に切り替える。しかしその飛行機は墜落、迎えに行った空港でピアフは悲報を知ることとなる――。
『ロングリサイタル』で越路さんの迫力に触れてから半年後、再びおチビちゃんに機会がやってきた。しかも今度はダメ取りとしてではなく、同じ舞台に立つ同士として。演目は『ドラマチックリサイタル 愛の讃歌 エディット・ピアフの生涯』。初演から八年、通算四度目の上演だ。
結局越路さんがピアフを演じるのはこれで最後となってしまうが、もちろんそんな悲しい未来を知っている人はいない。今日もおチビちゃんは一所懸命、稽古に打ち込んでいる。少しいつもと違うのは、それが歌のレッスンであるということ。更にいつもと違うのは、そこに浅利先生の姿がないということ。
そう、この『ロングリサイタル』は、ピアフの名曲二十曲弱を用いて彼女の生涯を劇的に描くという構成になっているので、まずは約五十名でコーラスの稽古をする。一番後輩なのはおチビちゃんたち十四期生。周りは先輩ばかりだ。教えて下さるのはピアニストであり、この舞台の音楽構成・編曲・指揮、そして越路先生の御主人でもある内藤法美さん……ではなくって内藤先生。見慣れたはずの稽古場やピアノなのに、ガラッと印象が違うのはそこに浅利先生がいないからかもしれない。
曲によっては八重唱にもなる自身のアレンジに合わせ、劇団員ひとりひとりの声を聴きながらパートを振り分けていく内藤先生の繊細な能力に、おチビちゃんはただただ感心しきりだった。ピアノを弾かなくても正確に音が取れるのは、絶対音感があるからなのかしら?
教え方はとてもソフト。浅利先生のような一瞬で分かる迫力や威圧感はない。物腰はとても柔らかい。でも下される指示の的確さに、みんなグウの音も出なくなってしまう。なんて言うか、完璧なのだ。もちろん怖いというのとも違う。
レッスンの時はパートごとに前へ出て、内藤先生とピアノの周りを囲む。いつも思うのは「綺麗な肌だなあ」ということ。本当、指の先まで透き通りそうなほど白い。
「ではまず、この音、ドの四度上を出してみましょう」
ドの四度上はファ。こういう時に今まで習ってきたことが役に立つ。ソプラノに選ばれたおチビちゃんは、コクリと頷きファの音を出した……つもりだった。変な沈黙。あれ、と内藤先生を見ると妙な表情。笑う寸前のあの感じ。真っ白な指先がポンと鍵盤を押す。これがファの音。うん、たしかに私のファとは違う……。
そっかあ、というおチビちゃんの顔を見てやっと内藤先生が微笑んだ。「ね、違うでしょ?」。そんな感じの微笑み。ああ、こんな感じのお稽古があるんだ、という新鮮な驚きがある。穏やかなムードのおかげで、歌にはあまり自信がないと言っていた仲間たちも段々と慣れてきたようだ。
そんなある日、内藤先生のお稽古が終わったばかりのおチビちゃんは、浅利先生に後ろから呼び止められた。
「おーい、ちょっとちょっと」
「はい」
振り返ると「ちょっとちょっと」と手招きをしているので、小走りで近付いた。
「もうある程度、出来上がってきたみたいじゃないか」
何がですか? なんて訊いたりはしない。内藤先生のレッスンのことに決まっている。はい、と答えたおチビちゃんに浅利先生は言葉を重ねた。
「来週中に顔合わせしようと思うんだ」
誰とですか? なんて訊いたりはしない。越路さんとに決まっている。はい、と頷いたおチビちゃんに浅利先生は更に言葉を投げかける。
「で、その日までにツナギを考えてくれないか? 大袈裟じゃないヤツをさ」
思わず「え?」と声が出てしまった。ツ・ナ・ギ?
「ほら、コーちゃん、難しい人だろ? だから橋渡しをしてほしいんだよ」
思い浮かんだのは、半年前に自分がダメ取りを任されたあの日の記憶。「コーちゃん、すごく難しい人だから、なかなかみんな入れてもらえないんだよ」という言葉にプレッシャーを感じたことを思い出す。今、内藤先生のレッスンを受けているのは約五十名……。そういうことか、と背筋が伸びる。確かにこれはちょっと大変かもしれない。
「どうだ? やってくれるか?」
どうやら浅利先生に具体策はないらしい。もちろん「はい」と答える。ただ、そうは答えたもののなかなか難しい問題だ。そして恐ろしいことに難問を抱えた時に限って、時間の流れは早くなる。あっという間に顔合わせの日になってしまった。
人数が多いだけに、場所は大きい方の稽古場。恋人のプロボクサー、マルセル・セルダン役の滝田栄さんや市村正親さんといった共演経験者とは違い、初共演の仲間たちはみんな緊張している。別に越路さんが難しい人だと知っているわけではない。彼女が大スターだからあがっているのだ。実は少し前におチビちゃんは、みんなに話をしていた。
「越路さんがいらっしゃったら、私が代表でご挨拶をしますので、その時はみなさん、立ち上がって一緒に挨拶をして下さい」
お願いします、と頭を下げながら、自分の声もちょっと緊張しているなと気付いていた。床に座ったまま軽く息を吐く。そっとスカートの中に隠しているものを確かめた。これが数日考えたツナギだ。多分、大袈裟ではないと思う。
ドアが開き、浅利先生の姿が見えた。室内の空気が引き締まる。おチビちゃんはもう一度スカートの中を確かめた。大丈夫、きっとうまくいく。
「ええと、今日はみんなに紹介します」
自然発生的に拍手が起こり、ゆっくりと越路さんが入ってきた。ステージ上の迫力ある姿や、山荘でのリラックスした姿ともまた違う雰囲気をまとっている。拍手が鳴り止むのを待って浅利先生が越路さんに声をかけた。
「今日はね、いつものメンバーとはまた違ったメンバーが入っているんで紹介しましょう」
そしておチビちゃんに目配せをした。はい、と上体を低くしたまま越路さんにすり寄っていき、隠し持っていたブーケ風の小さな花束を恭しく手渡す。これが大袈裟ではないツナギだ。
「私の同期たちも入るので、よろしくお願いします」
みんな立ち上がって「お願いします!」と声を揃える。越路さんはニコリと笑ってくれた。
「あらあら、ありがとう。どうぞ皆さんよろしくね」
一瞬で場の空気が和んだ。よかった。大成功だ。上体を低くしたまま、元の位置に戻る。案外緊張していたらしく、心臓の鼓動が少し早かった。
公演の初日は昭和五十四年三月四日・日曜日。同月二十八日の最終日まで連日満員の大盛況。チケットは即完売し、おチビちゃんも家族の分のチケットを確保するのに大変だった。客席を埋め尽くしたのは、普段の四季のお客さんとは違う越路さんのファンの方々。子どもや若者の姿は極端に少なく、越路さんと同世代の方々がおしゃれな格好をして席に座っているので、舞台から見る景色がいつもとまったく違う。
おチビちゃんの個人的な感想は「楽しい!」の一言に尽きる。劇中、緊張するのはソロパートと台詞の部分だけ。もう毎日楽しくて楽しくて仕方がなかった。それは内藤先生のレッスンの時から同じ。良い曲を聴けて、歌えて、もう最高の気分。これほど楽しい舞台は四季に入って初めてだった。
そして何より仲間と一緒なのがいい。ひとりじゃないんだ、という心強さがある。そんな調子だったので、ほぼ一ケ月休みなしの連続公演だったけれど、特にストレスを抱えることも体調を崩すこともなく、無事終えることが出来た。
その後も越路さんと顔を合わせる機会は多かった。大抵お会いするのは大町の山荘。一度ステージでの颯爽とした姿を間近で見たおチビちゃんとしては、リラックスしている姿とのギャップに感心したり驚いたり。また何度かプレゼントを頂いたこともあった。最初は初日に付き添っていた『ロングリサイタル』の最終日。楽屋へ挨拶に行った時だ。ドアが開けっ放しになっていて、中では越路さんと岩谷時子さんが椅子に並んで座っていた。つまり廊下を通る人がよく見える。
「おはようございます。よろしくお願いします!」
いつものように元気よく挨拶をして走り出した瞬間、後ろから呼び止められた。
「ちょっと、ちょっと待ってー」
おチビちゃんは慌てて立ち止まって振り返る。たしかに呼ばれたのは自分らしい。
「ちょっと入って入って。あ、そこに腰掛けてちょうだい」
訳は分からないが、言われるがままにした。見れば越路さんも岩谷さんもニコニコしている。
「今日はねえ、渡したいものがあるのよ」
「え?」
「これ、プレゼントなの」
え、と再び驚いたおチビちゃんに越路さんは「はい、これ。デパートで探してきたの」と包みを渡した。
「あなたのイメージで探して、二人で買ってきたのよ」
「ありがとうございます! あの、開けても……」
「ええ、もちろんよ」
それはフェンディのスカーフだった。模様は豹柄!
「どう? ほら、いつも走ってるでしょ? なんかね、爽やかな一陣の風っていうのかな。そういうイメージなのよ」
嬉しいやら恥ずかしいやら恐縮するやらで、何度もお礼を言うおチビちゃんを、越路さんと岩谷さんはずっとニコニコしながら見つめていた。
また『ドラマチックリサイタル』の数ヶ月後、パリ旅行に行った時にもお土産を頂いている。
「これ、クレージーのバッグなんだけど、どう?」
クレージー? と驚かなかったのはフランスのブランド、クレージュのことだと気付いたからだ。実はこれが彼女にとって最後の海外旅行になってしまうのだが、もちろんその時には知る由もない。
越路さんは本当に買い物が大好きで、よく四季の親しい女優さんたちに「これ、越路さんからです」と衣類が届いた。一回着たか着ないかという新品同様の高級ブランド品を先輩たちと分け合うのだが、そういう時に案外おチビちゃんは頑張れない。バーゲンセールで手にしたお目当ての品でも、もう一人反対側を掴んでいる人がいれば「はい、どうぞ」と自分から引いてしまうのだ。
でも、そんなことも越路さんは分かってくれていたのだろう。後から「ねえねえ、これきっと似合うわよ」とジバンシーやディオールのセーターを、こっそり渡してくれるのだった。
(第13回 了)
縦書きでもお読みいただけます。左のボタンをクリックしてファイルを表示させてください。
* 『もうすぐ幕が開く』は毎月20日に更新されます。
■ 金魚屋の本 ■