社会は激変しつつある。2020年に向けて不動産は、通貨は、株価は、雇用はどうなってゆくのか。そして文学は昔も今も、世界の変容を捉えるものだ。文学者だからこそ感知する。現代社会を生きるための人々の営みについて。人のサガを、そのオモシロさもカナシさも露わにするための「投資術」を漲る好奇心で、全身で試みるのだ。
小原眞紀子
第十三回 ビットコイン II――もしもしナカモトさん
それでその、ビットコインを創り出した「ナカモトサトシ」とは誰なのか。馴染みのない人にとっては何かの冗談としか思えない問いが、今まさに神話を醸造している、と知れ渡るには、あとどれだけかかるだろう。たとえば小学校の教科書に載るまで。その頃、教科書はiPadの中のKindleかもしれないが。
その答えに大きな感銘と衝撃を受けたのは、YouTubeの「アンゴロウ暗号資産研究ちゃんねる」で論じられたときであった。可愛くて切れ者のロボット、暗号郎(アンゴロウ)ちゃんが、仮想通貨の詐欺案件などを検証する人気YouTube番組で、こちら文学金魚のYouTubeレビューでも取り上げたので、参照してほしい。
アンゴロウちゃんは「ナカモトサトシ」について、架空の人物ではないかという過去の考察などを経てついに「あの金子勇氏である」と、結論付けている。金子勇氏とはファイル共有ソフトWinnyの開発者であり、天才数学者として知られる。茨城大出身、東大助手から講師などを務めたが、Winnyを匿名で2ちゃんねるに上げ、「神」とも呼ばれていた。そのWinnyを利用した不正なファイルコピーが相次ぎ、著作権法違反の逮捕者が出る中で、プログラム開発者の金子氏までもが著作権法違反の幇助罪で逮捕された。一審では有罪判決。これは当時、大いに批判を浴び(当たり前だ)、続く高裁では逆転無罪、最高裁では上告棄却されて無罪が確定したが、金子氏はそのわずか1年半後、2013年に42歳の若さで急性心筋梗塞で亡くなった。
これだけでも伝説的な人物といえるけれど、ナカモトサトシの正体については、名乗り出る者、否定される者、グループではないかと諸説入り乱れ、しかしながら今回のアンゴロウちゃんの仮説はちょっと鳥肌もので、これで決着の感がある。その骨子は、これまでも言われてきたWinnyとBitcoinの使用技術(P2P)の一致、暗号化・電子署名や匿名性といった開発思想の類似点、その他プラットフォームや開発言語、掲示板書き込み時間帯などの同一性を挙げているが、何より新しい着眼点としての「ナカモトサトシ」という「暗号」の読み解きが大変スリリングだ。
まず「ナカモト」は日本人名として最も多い表記、「中本」とする。縦書きにすると左右対称性が際立ち、その対称性を「サトシ」に敷衍し、左右対称の「サトシ」の漢字を求めると、ない。しかし「勇勇」という表記で「サトシ」と読ませることがわかる。赤ちゃんの命名に使われるサイトにあるもので、その情報の最初のアップがいつかを検証中とのことだが、それがナカモトサトシ命名時より後でも問題ではない。「勇勇」の二文字でサトシと読ませる事例が実際にあったから収録されたのだろう。人は自分の名前の周辺知識に敏感なものだし、勇さんが、そういうサトシさんをどこかで見かけて記憶していたという方が、サイトを見て決めたというよりもありそうだ。
これはあくまでP2P技術を用いたWinnyとBitcoinとの共通性などを前提として、もし金子勇氏がビットコインを生み出したのだとしたら、自分の刻印を論文名に残すだろう、という仮説を検証したものだ。したがって反論も寄せられている。それでもこれが決定打ではないかと感じるのは、創作者として、ものを創る者の発想をなぞると、外形的にも内面的にも他には考えにくい、と思われるのだ。
私ごとだが昨年秋に、東海大学文芸創作学科で続けてきた講義をもとに『文学とセクシュアリティー現代に読む源氏物語』を上梓した。その中で、紫式部が複数いるとか、男であるとか、宇治十帖のみ作者が違うとか、さまざまな諸説を検証し、結論から言うとすべて蹴飛ばした。創作者として『源氏物語』の作者の考えを辿れば、事実はシンプルなものだからだ。作品の思想(を正しく把握することが前提)の一貫性、その本質を複数の人たちが共有するなど不可能だ。男では決して書くことのない(そして男の研究者・作家がこれまで理解できずに無視してきた)表現がある。宇治十帖のテーマは実際には、その前までのテーマと響き合い、より深めたものである。これら書き手の立場からすれば当然の読解が、研究者や一般の読み手からすると、目隠しされて見えないことがしばしばあるのだ。
わたしにとって(数学科は出たけれど)、Winnyを開発した天才数学者の頭の中を推察することは、一千年前の女性作家の考えを辿るほど容易ではない。けれども今ある証拠を(場合によっては恣意的に)ピックアップして根源に迫ろうとするやり方に加え、ある仕事を成した創り手が、自分の印を作品に刻もうとするときの心理を辿れば、何かが「腑に落ちる」。
まず彼は、複数ではない。理由は紫式部が複数でないのと同じだ。仕事が根源的で思想的であればあるほど、複数で為せる可能性は減る。そしてもし複数ならば、そのメンバーの誰かから何かしらの秘密が漏れる。人々というものは、そんなに長い間、一枚岩でいることはできないものだ。さらにアンゴロウちゃんが言う通り、ナカモトサトシのビットコインアドレスから1サトシ(ビットコインの最小単位)も出入りがないのは、持ち主が亡くなっているからに他ならない。
数学者のペンネームといえば、たとえばあの『不思議の国のアリス』の「ルイス・キャロル」は、チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンという本名の「チャールズ・ラトウィッジ」をラテン語にし、もう一度英語名に直してできた名だという。行って来い、すなわち鏡像、左右対称だ。数学者にとって対称性は重要な概念だが、心理的にも鏡に映した名前とは、完全に隠蔽するためのものでなく、匿名癖のある創り手の自己顕示が裏返しであらわれたものだ。すなわちいつかは名乗り出るつもりのもの。そもそもビットコインを発明して、なぜ今、逃げ隠れする必要があるだろう。いつまでも出てこないのは、機会を逸したまま亡くなったからだ。
アンゴロウちゃんの「中本」の対称性からの推理は、だから特に数学者に関しては、極めて妥当だ。さらにYouTubeのコメント欄にあった「左右対称なら田中でもいいじゃないか」を受けて、わたしはちょいと「中本」を国語辞典で調べてみた。言葉は記号と意味でできているので、形で行き詰まったら意味。常道だ。
《ちゅう-ぼん 意味》
《「ちゅうほん」とも》江戸時代の書籍の名称の一。美濃紙二つ切りを二つ折りにした本で、半紙本と小本との中間の大きさのもの。また、この判で版行された滑稽本や人情本。中本物。
(goo 辞書)
クリエイティブな仕事を成し、自身の刻印を残そうとする者はその瞬間、神のようにすべてを知り尽くしている。自分の名をサトシナカモト、ナカモトサトシとしたその人物は、「ナカモト」が「中本」として左右対称の形をしているだけではなく、「ちゅうほん」というそれ自体が二つ折りの書物を指す言葉であることを知っていただろう。「美濃紙二つ切りを二つ折り」と、あくまで「2」に関わる言葉であることも、コンピュータの世界にとっては美しい符合である。すなわち「ナカモト」のコマンドとは、「横書きの『サトシ』を二つ折りにせよ」。さすれば「勇」が現れる…。
国際的な研究の世界で、ナカモトサトシはもちろん日本人とはかぎらない。日系人ですらない者が、なんのこだわりもなく適当に付けた偽名かもしれない、という反論は予想される。出来上がったものを表からだけ見れば、ロジックとしてはそれも成り立つ。しかし本当にそうだろうか。何かを作り出し、論文などの形にまとめる経緯や苦労を知っていたら、そんなことはしない、と思うのではないか。かつてキュリー夫人は、自らが発見した元素に母国ポーランドに因んだ名を付けた。彼女がずーっと猛烈な愛国者であったとは思えず、それでも自身の苦労の結晶に、ヨーロッパの弱小国であった母国の誇りを込めた。日本もまた国際的な研究の場で欧米に押され、不利な立場にある。差別を感じる瞬間もあるかもしれない。そんな中で、わざわざ日本を彷彿とさせる名を、格別に日本と関わりのない者が、我が子のようにかわいいはずの研究成果において名乗るだろうか。
「わたしがナカモトサトシだ」と主張する者はむしろ欧米人だ。日本人、日系人で名指された人たちは、たいてい即座に否定している。シャレにならん、ということだろう。しかし欧米の偽サトシナカモトは、ジョークをかましているにしてはしつこい。アンゴロウちゃんが言う通り、ナカモトサトシの正体、すなわち彼がすでに亡くなっていることを知っているので、その名誉を奪えると思っているのか。同国の、同胞に対し、そんなことはしにくい。彼我が近ければ、その差異が露わとなるのをむしろ怖れる。他国の富をむしり取る者が英雄となる戦場でなら、死者の勲章を自分のTシャツに付けても非難されるまい。
小原眞紀子
* 『詩人のための投資術』は毎月月末に更新されます。
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