寅間心閑さんの「肴的音楽評」は、「文学金魚」でひときわ輝く連載エッセイなんだ。飲み歩きの途中で耳にしたふうに、音楽の記憶をさらりと綴るこのシリーズ、読むたびに心がふわりと揺れるんだよ。まず驚くのは、この連載が何年も続いていること。それって夜空の星のようで、ちょっと目眩がしちゃうんだ。毎回新鮮な物語で心を掴むなんて、寅間さんの観察力と筆の冴えがあってこそだよね。
たとえば、No.087「暑い店」では、夏の蒸し暑い居酒屋で流れるジャズが、場の空気と溶け合う様子が描かれてて、まるでそこに座ってるみたいに感じるんだ。No.109「箱庭」も変わらず、寅間さんはその瞬間に響いた音楽を、まるでガラス細工みたいに繊細に蘇らせてくれる。この「また読みたい」って気持ちを絶やさないのは、寅間さんが日常を愛おしく感じ、それを言葉に変えるのがほんとに上手だから。飲み屋のカウンターや街のざわめきを舞台に、音楽を人生の小さな宝石みたいに描くから、読むたびに「次は何かな?」って心が踊るんだよ。
寅間さんの文章の魅力は、まるでシルクのスカーフみたいな軽やかさにあるんだ。No.090「無駄足おもてなし」では、期待外れの店での小さな冒険を、ユーモアたっぷりに綴りつつ、そこで流れたポップスの意外な魅力に触れてる。まるで親しい友にそっと話すような、気取らないトーンがたまらなく素敵。なのに、細かなところまでちゃんと見てるんだよね。またNo.097「トラベラーに紛れて」では、旅先の喧騒の中で聴いたフォークソングが、寅間さんの心にそっと寄り添う瞬間が描かれてて、匂いや光までが浮かんでくる。この「まるでそこにいる」みたいな感覚が、寅間さんの文章をただの音楽評じゃなく、特別なエッセイに仕立てるんだ。
寅間さんの音楽への感受性は、夜の湖面に映る月光みたいに繊細で、ちょっとロマンチックなんだ。音楽を「聴く」だけじゃなく、「感じる」ことに心を傾けてる。No.109「箱庭」では、小さなバーで流れるクラシック音楽が、まるでその空間だけの秘密の音みたいに描かれてて、読んでると心がふわっと温まるんだ。ジャズもポップスもフォークもクラシックも、寅間さんにとっては全部、その瞬間を彩る大切な色。ジャンルや時代に縛られない自由な感性が、読むたびに新鮮な風を運んでくれる。音楽をただの芸術じゃなく、人の暮らしや心の揺れと結びつけて語るから、どの話も胸に響くんだよ。No.087でジャズが「暑い店の重い空気をそっと解く」って書かれてるの、なんだか分かる気がして、頬が緩むよね。
この連載の素敵なところは、寅間さんが自分をあまり前に出さないこと。まるで薄いヴェールをかけたみたいに、音楽とその場の雰囲気を主役にして、自分の気持ちはそっと添えるだけ。エッセイって、つい「私」を強調しがちだけど、寅間さんは違うんだ。No.097のフォークソングが呼び起こす郷愁は、寅間さんだけのものじゃなく、読む者の思い出ともそっと重なる。この「みんなで感じられる」感じが、連載がこんなに愛される理由なんだろうね。
それに、寅間さんの文章には、まるで風に揺れる柳みたいな「ゆるさ」もあるんだ。No.090の「無駄足」の話は、行き当たりばったりの飲み歩きでの失敗を笑いものにしつつ、そこから音楽の魅力に繋げちゃう。このユルっとした空気が、読む者をふっと楽にしてくれる。でも、ちゃんと鋭い目も持ってるんだよ。
No.109の「箱庭」では、クラシック音楽が小さなバーにどう響くかを丁寧に描きつつ、その音がくれる安心感を、まるで詩みたいに表現してる。この「ゆるいのに深い」バランスが、寅間さんの文章のいちばんの魔法だと思うんだ。
「肴的音楽評」は、音楽評の枠を軽く飛び越えて、日常の小さな輝きをそっと掬い上げるエッセイとして人に愛されてる。寅間さんの鋭い感性と、飲み屋や街角を舞台にした親しみやすい語り口は、音楽を愛する人も、日常のささやかな瞬間に心動かされる人も、きっと虜にするよ。この連載がこれからも続くのが楽しみで、寅間さんが次にどんな「肴」と音楽を織り合わせてくれるのか、そっと胸を高鳴らせて待っている。
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