社会は激変しつつある。2020年に向けて不動産は、通貨は、株価は、雇用はどうなってゆくのか。そして文学は昔も今も、世界の変容を捉えるものだ。文学者だからこそ感知する。現代社会を生きるための人々の営みについて。人のサガを、そのオモシロさもカナシさも露わにするための「投資術」を漲る好奇心で、全身で試みるのだ。
小原眞紀子
第十四回 自己投資I――すなわち自己矛盾
世の中には、なんとなく腑に落ちない言葉というものがある。単なる言葉だといえばそれまでだが、言葉というのはある固まった概念を示すものだから、やっぱりその言葉が生まれたバックグラウンドには何らかの思想があって、それが腑に落ちないということだろう。言葉は置換可能な記号とは違う。
その言葉への不審なり不信なりというのは、その言葉を使った人への不審なり不信なりと響き合う気がする。だから自分でうっかりそういう言葉を、たとえばあわてていて、他の適切な表現を思いつかなかったといった理由で使ってしまうと、後々まで記憶に残って後悔する。自分以外の誰一人として、気に留めてなかったとしても、だ。
どうにも納得できない言葉に「自己投資」というのがある。幸いにも、自分でその言葉を使った記憶はない。ただ、人が言ったのはよく覚えている。必ずしも悪意があるとか、思想的に相入れないという人たちではなくて、むしろ共通点や感心する点があるといえる人たちだ。だからこそ自分が言った言葉のように、記憶に染みついて離れない。そこだけ消化できない骨とかビニールとか。そういう感じだ。
最初に引っかかったのは、あるコンサルタントに月額10万円のVIP会員になれ、と言われたときのことだ。彼は不動産コンサルで、大家さんたちが物件の修繕を安くあげるためのノウハウを提供している。わたしは物件も持たないのに、自宅リフォームを安くできないかと彼の著書を読み、いろいろと感銘を受けて3万円もするセミナーに参加した。まあ、そのセミナーは確かに一見に値するものではあった。多くの物件を所有し、毎年や毎月の修繕費がかなりの額になるというメガ大家さんなら、会員になってもいいかもしれない。
セミナーの後の懇親会で、わたしはたまたまそのコンサルの彼の隣の席となった。たまたまと言うが、こういった集まりでは新顔の女性は気をつかわれているのか、そういう席を与えられることが多い。少し話すうちに彼の出身大学が、わたしが非常勤で週一回、もう十数年も通っている大学と知れた。そうではないか、とは思っていた。下宿して大学に通い、「アパートの大家っていいなあ」と思ったのが最初だと彼の著書にあったからだ。最寄駅から大学まで、学生相手のアパートが軒を連ねているマンモス大学なのだ。
わたしは毎週見ている学生たちのボンヤリした顔を思い浮かべ、一度のセミナーでウン千万稼ぐ、と鼻息荒い彼の顔を見て、もちろん彼らに爪の垢でも煎じて飲ませたいと思った。四十歳前の若さで三億の資産をつくったとブイブイいわせている彼は、もちろんちょっと危うい感じがする。しかし彼の収入源は不動産投資でもたらされているのではなく、ほとんどコンサルタント業によるものだそうで、それを隠しもしない。コンサル業は労働の一種で、不労所得ではないが、一切のリスクを負うことはない。リスクを負う立場の顧客の不安や相談の受け皿になるのが、コンサルタントというものだ。三億でも四億でも、フィーを吊り上げることに血道を上げていれば、資産は徐々に増えるだろう。
学生時代に羨ましく思った賃貸物件を一つ手に入れ、無茶なほどの激安でがむしゃらな修繕をし、そのときのノウハウが不動産修繕コンサルとしての彼をつくった。「今は不動産なんかむしろ嫌いだ、よほどのものでなければ割りに合わない」と言ってのける彼の取り巻きは、地方のメガ大家さんが多いようだった。たくさんの物件を所有していれば、確かに高額のコンサル料もペイするし、親の代からの資産であればローンも済んでいる。気になるのは修繕だけかもしれない。
継承した不動産のある大家さんたちはのんびりして、誠に優雅な存在だけれど、ちょっと退屈しているのかもしれない。そこでセミナーのたびに上京して、コンサルの彼の若い勢い、危うさも含めてペットを飼うように楽しんでいるというか、月10万の会費を払いながら掌で転がしているようでもある。
さて、そんな富裕層に囲まれたコンサルの彼が、なんだってわたしなんかにVIP会員になれなどと言い出したのかはわからないけど、そのときのセリフが例のその「自己投資として」というもので、はたと考えてしまった。考えたのは無論、会員になるかどうかではない。そんなのは論外で、わたしはそもそも修繕すべき住宅は、自宅マンションしか持たない。月に10万円も払ってたら、どんなにリフォーム代が安く上がろうと足が出るに決まっている。加えて彼が提示したプランと価格は、さして魅力的ではなかった。大手メーカーの「新築そっくりさん」にでも丸投げした方が、全体としてはリーズナブルではないか。
わたしは、どんな場合にもコンサルは不要だと思っているわけではない。ただ目的と期間は明確にすべきだろうと思う。セミナーと違い、コンサルは基本一対一だ。それへの投資を「自己投資」と呼ぶのは、彼我を混同していることになる。先生に惚れ込むのは、セミナーの場合ならいい。学習効率が上がるからで、セミナーの場合は学習しているのが自分だ、ということが明確だ。コンサルの場合は距離が近いぶん、何もかも肩代わりになりやすい。そのようにして、自分に依存させるという顧客管理をするコンサルもいる。目的を明確にして距離をとるか、彼我の年齢差でペット化でもするしかない。
不動産修繕コンサルの彼自身の関心は、そのとき国際金融に向いていて、数人の仲間とともにそのコンサルタントも行うと言っていた。専門外で危うさ満載、そのスリルを買う人もいるだろうが。「いいこと、わたしはね、この歳になるまでホスト遊びなんかしたことないのよ」と言ってやりたいのをぐっと堪えた。コンサルは一種の水商売だ。水商売とは、水ものだけれど元手はゼロ。壇上であれだけ喋ってもまったく疲れないというエネルギーの切り売りだが、攻撃的な小動物のようで、イケメンというより可愛い顔をしている。ホストっぽいとはいえ六本木のオラオラ系だ。もっとも本人が注目しているのは五反田で、遊ぶのにコスパが高いという。選択と集中!と叫んでいた。それももう5、6年も前の話になる。不惑を過ぎた彼は、どうしているだろう(ってもメルマガ来てるが読んでない)。
自己投資、という言葉を最近聞いたのは、わたしより少し歳上の女性の口からだった。たまたま大家さんだが、コンサルの彼とは関係ない。何の気なしの言葉だろうし、引っかかった理由も単純だ。先の彼の、自己と他者が混同するような、それは「自己投資」でなく、あなたという普通の「他者への投資」では?と問い返したくなる例とは違う。単なる株式投資のテクニカルに関するセミナーの月々の費用、という話だった。月3万(税別)のそれを「自己投資と考えれば、まぁね」と、おっしゃった。
つらつら思い返すと、その前にわたしが「ゴルフ習うよりいいんじゃない?」と言った。すると「それはまた別」とおっしゃって、だったと思う。ゴルフ好きならゴルフするのは大前提で、検討する余地はないということか。ただ、月3万というのは教育費と考えると、たとえば中学受験の塾より安い。子供を塾に通わせることを「投資」と考える親がいるだろうか。いるかもしれないが、思ったような結果は生むまい。その授業を受けるのが自分になっただけの話で、それは「投資」でなく単純に「勉強」ではないのか。「投資」は投資効率、結果からの逆算で善し悪しを決めるものだが、「勉強」はそうではない。どんなかたちで成果が現れるかわからないけれど、逆に言えば得るものは必ずある。いや、あるかないかは100%の自己責任だ。「自己責任」もまたひどく難しい言葉だが、この場合には納得がいく。
小原眞紀子
* 『詩人のための投資術』は毎月月末に更新されます。
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