世の中には男と女がいて、愛のあるセックスと愛のないセックスを繰り返していて、セックスは秘め事で、でも俺とあんたはそんな日常に飽き飽きしながら毎日をやり過ごしているんだから、本当にあばかれるべきなのは恥ずかしいセックスではなくて俺、それともあんたの秘密、それとも俺とあんたの何も隠すことのない関係の残酷なのか・・・。辻原登奨励小説賞受賞作家寅間心閑の連載小説第四弾!。
by 寅間心閑
十四、ペガッサ、チブル、ペロリンガ
右田氏と待ち合わせたのは翌日の夜九時。指定されたのは池袋だった。彼とは鶯谷のホテル・バーリトゥード以来になる。昨日「大金星」で電話に出た時は、本当に一瞬誰だか分からなかった。珍しい苗字なのに、と可笑しくなる。
「もしもし、右田です。今大丈夫ですか?」
ええまあ、と答えながら店の外に出たのはどんな話になるか分からないからだ。彼がブラックなおしぼり屋ということを忘れたわけではない。ただ警戒した割に話は短かった。
「明日の夜、久しぶりに会いませんか?」
「あ、はい。大丈夫ですよ」
それだけだった。あとは時間と場所を決めて終わり。あれが「これからすぐ会いませんか?」や「明後日会いませんか?」なら断っていたかもしれない。明日と言われたから、今こうして池袋に来ている。
財布の中には五万弱。なるべく借りは作りたくない。彼はきっとブラックだ。いざという時はカードもある。そしてポケットにはバイアグラのジェネリック。深い意味はない。夜の待ち合わせだから、憂いがないよう備えているだけだ。
ナオには何も言わなかった。今頃「マスカレード」で働いている頃だろう。会って何するの? と訊かれても困るし、かといって何も訊かれないのは気味が悪い。だったらいっそのこと、と話さなかった。多分俺は休みたいんだと思う。安太と冴子のことや、それを知っているナオから少し離れたい。リフレッシュ、と浮かんでげんなりした。その通りだからだ。
ナオは今日のことを右田氏から聞いているのかもしれないし、俺とナオの関係を右田氏は知っているのかもしれない。考え出せばキリはないが、俺はそもそも何も知らないんだと思えば諦めもつく。
待ち合わせたのは駅北口の階段付近。予想どおり人々で賑わっている。と、向こうから歩いてくる右田氏の姿が見えた。今までと同じくピチピチの白Tシャツだが、今日は黒いジャケットを着ているので左腕の入墨は隠れている。大股で堂々と歩きながら、俺の姿を見つけると表情を変えずに片手を挙げた。さあ、煮るなり焼くなり好きにしてくれ。そんな気持ちで軽く頭を下げた。
「どうも久しぶり。待ちました?」
「いや、今来たばかりです」
手が痛くなる程、力を込めて握手をするのも今までと変わらない。
「腹、減ってます?」
「軽くで大丈夫です」
じゃあ行きましょう、と踏み出した彼の半歩後ろを歩く。相変わらず鍛えているのだろう、薄手のジャケットの上からでも、筋肉の盛り上がりが確認できた。
「後輩がやってる店なんですけどいいですか? 狭いし大して旨いモノもないけど、気使わなくていいんで」
もちろん異論はない。五分ほど歩いて「ここです」と立ち止まったのは雑居ビル。事務所しか入っていない雰囲気だが、右田氏は慣れた様子で階段を下り何の飾りもないドアを開けた。音楽が聴こえる。調子っ外れの甘ったるい声。どうやらカラオケだ。彼は店員に片手を挙げながら一番奥の席に腰を下ろした。ウイスキーボトルが置かれたテーブルを挟んで向かい合う。
「狭いでしょう?」
「ああ、まあ……」
「別に長居しないんで」
適度に暗い店内の席の配置はキャバクラ、もしくはスナック風。いらっしゃいませ、と現れたのは金髪のホスト風。こちらを、と出したのは封の切っていないウイスキー。ということはテーブルの上のボトルは高級風だ。「女の子、すぐ来ますから」と引っ込む金髪に、「ちょっと話をするから、まだいらない」と右田氏が声を掛ける。そう、話があるから今日は呼ばれたんだ。当然のことに背筋が伸びる。今、客は俺たちだけ。看板もない雑居ビルの地下の店に入ってくるのはどんなヤツなんだろう。ここまで怪しいとボッタクリ店としても不向きだ。外観で即ヤバい店だと気付いてしまう。
「こんな店だけどさ、まだ摘発されてないから大丈夫」
そう言って彼は白い歯を見せる。不自然に白いような気がするが、何かやっているんだろうか。
「じゃあ、とりあえず乾杯」
ウイスキーのロックが腹にしみ、思わず奥歯を噛み締める。そんな俺の顔を見て右田氏は炭酸を頼んでくれた。礼を言うならこのタイミングだ。
「あの、右田さん。この間は本当にありがとうございました」
やめてよお、と大袈裟に手を振る彼に忰山田進が被害者――つまり安太の愛人・バーバラの親戚だったことを告げると腹を抱えて笑っていた。
「マジで? そうだったの? ウケるな、それ。いや、変に追い込まなくてよかったね」
俺も安太も関わった「事件」の舞台、あの「ランブル」は現在開店休業状態らしい。いつも近くを通るのにちっとも知らなかった。
「元々のオーナーもまた戻れそうだって喜んでたよ」
なるほど、と相槌を打つと背後から「こんばんはー」と甘ったるい声がする。振り返ると派手な花柄のセットアップを着た二人組。
「いらっしゃいませ。レイナでーす」
「私はジェーンです。こんばんは」
さっき歌っていた女の子たちだったが、右田氏は「まだ早いよ」と断った。
「酒も自分らで作るから大丈夫。話が終わったらちゃんと呼ぶから、もう少し歌ってな」
「はーい、すいませーん」
程なくして曲がかかる。まったく聴き覚えのない歌だ。アニソンだろうか。右田氏はグラスの氷を指で回している。そういえば、と俺の方から切り出してみた。
「ミンちゃん、あの後連絡取ってますか?」
「うん、今日はそのことも少し関係あるんだけどさ」
グラスを持つ手に力が入る。彼女に何かあったんだろうか。そして俺にはどういう関係があるのだろうか。
「結局あいつ、ロングステイ、ダメだったんだよ。今は一時帰国中。グッチのバッグとかアニメのDVDセットとか、色々持たせてさ」その口ぶりからあの日限りの関係でなかったことは分かる。「でも次に来る時は大丈夫なはず。今度こそロングステイさせてやれるよ」
「次?」
偽造パスポートを頼めるルートは見つかったが、今回はあまりにも時間がなかったという。やっぱり大変なんですね、と言うと「技術的には難しくないらしいんだけどさ、ほら、よく知らない相手にいきなり頼むの怖いから」と頭を掻いた。よく知らない右田氏にいきなり頼んだ俺は「ですよね」と小さく同意する。では、今日の用件はいったい何だろう。
心なしかカラオケの音がさっきよりも大きい。振り返ろうとした瞬間、彼はぐっと身を乗り出し「あの時が初めてだったんだ」と呟いた。まるで内緒話だ。
「あの時?」
「ほら、あいつと初めて会った鶯谷の……」
初めて、といってもまさか童貞だったわけではないだろうが、返事を間違えて機嫌を損ねてもつまらない。曖昧な表情の俺に右田氏はじれったそうに畳み掛ける。
「だからほら、何て言うのかな、その場にさ、相手の女以外の人間がいるっていうのが経験なかったんだよ」
神妙な顔で「なるほど」と頷いてみる。あの時彼に目隠しをした状態で、ミンちゃんの口に突っ込んだのは黙っておくのが賢明だ。
「ああいう乱交みたいなのって初めてだったから変な気分だったけど、こう時間が経ってみると案外よかったんじゃないかと思ってさ、うん……。ああいうこと、よくやるの?」
安太となら何度でもあるけど、それ以外だと経験ナシ。そういえばバーバラとしたのも池袋だったと思い出しながら、「まあぼちぼち」と適当に濁した。
「そっか。まあ、あいつが韓国に帰っちゃってさ、なんか気が抜けちゃって……。で、その穴埋めって訳じゃないんだけど、またああいうのしたくてさ、でもいざとなると人選に困るっていうか、切り出しづらいっていうか……」
デリケートな話ですからね、と俺の口からは言えない。ただ、何となく呼ばれた理由は分かった。一度経験したヤツなら話が早い、というところだろう。
「あのー、お話、もう終わりましたかー?」
歌い終えたさっきの二人、レイナとジェーンが戻って来た。きっと俺の勘は当たっている。
「二人ともオーナーの先輩なんですか?」
「いや、俺だけ。さあ、じゃあ呑もうか」
はーい、と右田氏の隣に座ったのがレイナ。失礼します、と俺の隣についたのがジェーン。二人とも二十歳前後のギャル系。花柄の制服が似合っている。この後四人でぐちょぐちょやるのかという予想に興奮しつつ、実は緊張もしていた。もしそうなるとしたら、鶯谷の時とは濃度が違う。あれは先っちょだけ、今回はきっとズブズブだ。バイアグラのジェネリックを持って来て本当に良かった。そう安堵しながら改めて乾杯をした。
四人で店を出たのは約二時間後。その間、客は一人も入って来なかったし、俺は一銭も払わなかった。タクシーで向かったのは茗荷谷にある右田氏の家。安太みたいに「アトリエで呑み直さない?」なんて嘘は無用。交渉めいたやり取りもなかったので、元々レイナとジェーンに話はついていたのかもしれない。
土地勘ゼロなので駅との位置関係は分からないが、マンションが新しいのはすぐに分かった。部屋は十五、六畳ほどのワンルーム。「ドラマみたいじゃない?」「めちゃめちゃ綺麗じゃん」と、ほろ酔いのレイナたちははしゃぐけど、単に生活感がないだけだ。目につくのはベッドとテレビと冷蔵庫。きっと女を連れ込むだけの部屋だろう。レイナ、俺、ジェーンの並びでセンターテーブルに肘をつく。両隣には無防備な生足。花柄のセットアップは私服だったようだ。
「座布団ないけど我慢してな。あとビールだったらあるから」
右田氏はさっきからずっとミニキッチンに立っている。上半身裸で鼻歌混じり、御機嫌だ。通常なら安太の部屋に入って数分でおっ始まるが、これは少々勝手が違う。そして照明も明るすぎる。内心戸惑っていると「お待たせお待たせ」と彼が戻ってきた。はいこれ、とお盆をテーブルに置く。一目見て事態は飲み込めた。ライターと巻紙と小さなポリ袋。そうか、ハイになるのか。女子二人は引くことなく「イェーイ」と歓迎気味。ビールも飲まずに巻紙を折り、ジョイントを作り始めている。さっきの店、どうなってるんだ。
「ここにはさ、コンクールで入賞したのしかないから安心して。高級品、高級品」
「え、マジですか。凄いんだけど。私、安いのしか吸ったことない」
「たしかにー。頭痛くなったりするのあるし」
そんな会話を聞きながら高級品を紙で巻き、火を点けて深く吸い込んだ。元々俺はそんなに効かない方だが、「高級品」という触れ込みのせいか気分は悪くない。むしろ良い方だ。結局プラセボかよ、と疑いたくもなるが今日のメインはぐちょぐちょの方だ。
気付けばレイナは右田氏の横に移動し、トライバルの刺青を指でなぞっている。じゃあ俺も、と隣で煙を吐き出しているジェーンの腰を引き寄せれば、「きゃあああ」とおどけながらしなだれかかってきた。一応カップル成立。花柄の下に手を潜り込ませながら、右田氏の筋肉で遊ぶレイナを眺める。まだ俺も彼も正気だ。目を合わせるのも変な感じだから、お盆の上の高級品が入った袋を見ている。全部で三種類。よく見るとそれぞれに文字が書いてあった。袋が透明で読みづらいがカタカナだろう。ジェーンの意外と大きな胸を指先で確かめつつ、俺はその文字を目で追った。
ペガッサ、チブル、ペロリンガ。そう読めた。視線を感じて顔を上げると右田氏と目が合う。どうやらずっと見られていたらしい。
「ペガッサ、チブル、ペロリンガ……、で合ってますか?」
「ああ、正解。何だか分かる? それ、俺が書いたんだ」
「えっと……」どれも知らない単語だ。「……ヒントは?」
「子どもの頃なら分かったんじゃない?」
そんなヒントを反芻しながら本格的にジェーンの胸を弄った。反応しているのがよく分かる。少しずつ荒くなる息遣いのせいで急激にしたくなった。
「あんまりテレビとか見なかった?」
「テレビ? 子どもの頃ですか?」
「そうそう。もしかしたらアニメの方が好きだった?」
私アニメ好きー、とレイナが右田氏の厚い胸板に唇を這わせる。四人の中で一番効いているのは彼女だ。明らかに目がトロンとしている。そうかそうか、と言いながら右田氏が乱暴に上着を脱がせた。色白の痩せた身体を隠すでもなく、レイナは吸いかけのジョイントを指に挟む。
「何かテレビの番組とかですか?」
「ダメかあ……。ウルトラマンとか見てなかった?」
何も浮かばなかったが、言いたいことは理解できた。そうか、そういうことか。でも「怪獣の名前ですか?」と尋ねると「惜しい」と笑われた。惜しいんだってえ、とこっちを見たジェーンの唇に舌を突っ込み、硬くなった乳首に悪戯する。あああ、と顔にかかる吐息が熱い。
「怪獣じゃなくてセイジン。『星』に『人』で星人。聞いたことない? ペガッサ星人、チブル星人、ペロリンガ星人。全部セブンに出てくるんだけどね、ウルトラセブン」
「ああ、そう言われると何となく、はい」
「まあ直感的なものなんだけどさ、その三つとも味は違うわけじゃん? だからそれぞれの味のイメージを星人で表したってわけ。あと見た目が同じだから、名前付けてた方が便利だし……」
話が途切れたのはレイナが右田氏にキスをしたからだ。俺はその隙にジェーンの花柄を捲り上げ、硬い乳首を唾液まみれにする。大きな胸と気の強そうな顔のバランスがいやらしいと初めて気付いた。低めの声もいい。そんな彼女に求められるがままシャツを脱ぐ。まだ右田氏は喋れないようだ。俺だって硬いんだからな、とジェーンに触らせると「いい?」と訊かれた。もちろん「いいよ」と頷く。
「確かにセブンなんて俺たちが産まれるずっと前だもんなあ。でも、俺ずっと見てたんだよ、ずっと。家にVHSのビデオでセブンが全巻あってさ、それを何度も何度も見てたんだ。あれ、元々は親父ので、あ、親父は俺が小三の時に死んじゃって、でも、お袋が再婚しても、あのビデオはずっと見てて、もうDVDで持ってるから捨てていいんだけど、形見みたいだから捨てれなくて……」
右田氏もかなり効いてきたらしく、呂律が怪しくなっている。俺は床に寝そべり、硬いのを頬張るジェーンの顔と乳房の輪郭を交互に見ながら遠慮なく喘いだ。ジェーン、と呼ぶと返事代わりに舌を動かす。一周したり、軽く突いたり、巻きつかせたり。何度も何度も呼びながらジョイントをくわえ、煙を深く深く吸い込んでみる。俺も早く右田氏と同じくらい効きたかった。
「お袋の再婚相手は金持ちだったから、小六の時に自分の部屋ができて、ビデオも置いてもらえたんだ。だから好きな時にセブンが見れた。何度も見た。何度も何度も見た。見ている時が一番楽しかったから何度も見たんだ。もちろん画像は汚くなる。劣化するんだ」
ジェーンの口の中で萎えそうになった。理由はひとつ。右田少年を想像しちまったからだ。新しい父親に与えられた部屋で、本当の父親の形見と向き合う少年の姿は劣情を骨抜きにする。いや、それだけではない。俺の古い記憶まで勝手に揺さぶり、様々な場面を思い出させようとする。
まずいな、と思った。脳裏に浮かんだ映像は目を閉じていても見えてしまう。だから小さい頃の俺や冴子が浮かぶ前に、そしてこの劣情が萎えてしまう前にジェーンの口からそっと引き抜いた。代わりにジョイントをくわえさせ、「ちょっと待ってて」と立ち上がる。どうしたの? と顔を上げるジェーン。この女と早くぐちょぐちょしたい。強烈にそう思った。だからバイアグラのジェネリックをビールでぐっと流し込み、まだ効き目も出ないうちから再びむしゃぶりつく。
「画像がね、劣化するってのは、ちっともね、悪いことじゃないんだよ。あれはね、時間が経ったという証しなんだから」
ヘロヘロの右田氏の声を聞きながら、ジェーンにくわえさせたジョイントを奪って思い切り吸い込む。気分がいい。効き方は緩やかだが本当に高級品かもしれない。ゆっくりと煙を吐き出した俺の背中に、柔らかい乳房を押し付けながら彼女が囁く。
「それ、ペガッサよ」
本当に? と尋ねる代わりに新しいジョイントを巻く。これを巻き終わる頃には、バイアグラのジェネリックも効いてくるだろう。
(第14回 了)
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