ルーマニアは正教の国であり森の国であり、ちょっと神秘を感じさせる物語の国でもある。ドイナ・チェルニカ氏は作家で翻訳家、ジャーナリストだが、小説ではなく〝物語〟作家を自任しておられる。彼女の清新な物語文学を、能楽の研究者であり演劇批評家でもあるラモーナ・ツァラヌさんの本邦初翻訳でお届けします。
by ドイナ・チェルニカ Doina Cernica著
ラモーナ・ツァラヌ Ramona Taranu訳
第27章 ゴン・ドラゴンはいろいろ知りたがる
まわりでは、クモがガタガタと巣を織る音も、とりこになっているハエのさけびも、コウモリたちのいびきも、クサリヘビたちのさらさらという音も、聞こえません。かんぺきな静けさのなかで、どうくつに住む生きものたちは、きんちょうしながら、ゴン・ドラゴンが怒っているのか、それともただ不満なのか、わかるのをまっていました。それとももしかしたら、ないしんでただ笑っているのでしょうか? クモのはなしを聞きながら、ゴン・ドラゴンは目を閉じました。キツツキが死の水をくちばしではこび、それで少女を打ったのに王子たちの足を止められずに死んだこと、カワウソが流水のとば口から彼らをたすけにきたこと、きずをおって血のヒナゲシをまき散らしながらも、銀狐がすでに水晶のタワーの近くまでたどりついていることなど、すべてがゴン・ドラゴンの耳に入りました。このままでは、ほかになにもおこらないかぎり、銀狐はイルとアイレと再会するだろう… 子どもたちがそばにいなければ、銀狐はきっと死んでしまう! 彼らがそばにいれば、もしかしたら無事にすべてを乗りこえて、ほこらしげにまた虹をわたってゆくだろう。しかし心臓は、心臓はよそくできないもので、とてもきずつきやすい! ゴン・ドラゴンはゆっくり目をひらきました。その目からでた火は、いくつかのクモの巣と、ひめいをあげるひまもなかったクサリヘビたちのむれを、もやしてしまいました。とにかく、天の子どもたちをちかくから見るひつようがある、とゴン・ドラゴンはかんがえました。銀狐にかかわるすべてのものを、見てきたように。
ゴン・ドラゴンは決心し、目を大きくあけました。彼の目からでた二つの火の玉は、コウモリたちをおどろかしてどうくつの壁にペタリと押しつけ、いなずまのようなはやさでふかい森をつらぬきました。火の玉がとおったあとには、花や草やきのこのかわりに、灰の道がのこりました。火の玉は気づかれないうちに少女とハリネズミを眠らせ、王子たちと子馬たちをつつみこんで浮かせると、ゴン・ドラゴンの目に戻るまで彼らをはなしませんでした。
思いがけないはやさで連れさられた子馬たちはめまいをふりはらい、たてがみをふるわせながら、落ちつきなさげにひづめで土をたたきました。アイレとイルは目をこすり、だけどこわがらずに、ただ遅れることだけを心配しながら、ちらっとクモやクサリヘビやコウモリたちを見まわしました。それからゴン・ドラゴンの、けむりと火でできたからだに目を向けました。ゴン・ドラゴンも二人の泡のようなからだをじっと見て、虹のむこうの世界ならではの、かわいらしい透明さにかんしんしました。二人のおちついた決心と銀狐ゆずりの勇気を感じ、ゴン・ドラゴンは満足そうにためいきをつきました。彼らを見ようという決心に間違いはなかった!
「ゴン・ドラゴンさん、わたしたちになんのご用ですか?」
イルのかわいらしい声に耳をくすぐられ、どうくつの中の生きものたちは、目をおおきくひらいて二人を見ていました。
「雨がふる前にあなたたちが銀狐に会わないよう、足どめしようと思っていたんだよ」ゴン・ドラゴンがこたえました。
ゴン・ドラゴンには、彼の大きな力にそうとうする正直さがありました。
「それに、キツツキは失敗したからね」むだに死んでしまったあのバカのことを考えて、たいくつそうにつけくわえました。
「それは、あなたにはけらいがいて、わたしたちには友だちがいるからですよ」アイレがいいました。ゴン・ドラゴンが、自分たちにきょうみをもっているように見えたので、彼を怒らせないほうがいいと感じて、言葉をえらんではなしました。
「んん、それはそうだね」ゴン・ドラゴンは、すなおにみとめました。
それはもちろん、彼には初耳ではありません。だけど無限の力をもった生きものが、けらいではなく、友だちをもっているとは、どういうことだろう?
「わたしたちが、銀狐とさいかいするのを止めたかったとおっしゃいましたが、考えがかわったのですか?」イルは知りたいことをききました。
この子たちはかしこいね、とゴン・ドラゴンは思いました。しかしどのくらいかしこいだろう?
「まあ、ね」ゴン・ドラゴンがもぐもぐとこたえました。「お二人をここに閉じこめれば、銀狐はきっとおしまいだと思っただろう。しかし、なにもかもよそくできてしまうのは、たいくつじゃないか?」ゴン・ドラゴンはいっぽうで、銀狐がやぶれたらおれにさからったことや、おれが反対したのに、どうどうと虹をわたってきたことへの不満がかいしょうされるけどね、とないしんで思いました。しかし、相手をしょうしんしょうめいの戦いでやぶるのと、子どもを閉じこめることでやぶるのとは違う。
それはゴン・ドラゴンにとってはふしぎな考えでした。ゴン・ドラゴンじしんがその考えにおどろいて、あたまをはげしくふりました。すると地球のどこかで強い風がうまれ、ひとつの森の木をぜんぶ土からひっぱりだして、土のうずまきを起こしながらさかさまにしてしまいました。
「ああ、おれは年をとってるんだね」と、ゴン・ドラゴンは自分で面白がっていいました。不死の生きものなのに、もしかしたら年をとれるかもしれないと、かすかなきぼうをかんじました。老いのけはいに気づいたのは、これがはじめてでした。
「それは新しいな」けむりのような自分の体が、雪のようになっているのをそうぞうして、ゴン・ドラゴンはくすり笑いました。すると荒いふちでは、岩の多い山のしゃめんがくずれ、毒の泉が出ました。
「だからおれは、お二人を自由にするかもしれないよ」と王子たちにむかっていいました。なにをしても、彼らは自分の息をこわがるクサリヘビたちみたいによつんばいにはうことはないし、眠りから起こされたコウモリたちみたいに泣くこともないだろうから、ゴン・ドラゴンは顔をしかめようとしませんでした。「しかし、一つだけしりたい。あなたたちの世界は、おれの世界よりなにがすばらしいんだろうね?」
「ここよりいいかどうか、わかりません」イルが小声でこたえました。「ただ、ただ、違うんです。あそこには光があふれているけど、ここには色彩があふれている。あそこは星があって、ここは花がある。あそこは…」
「あそこでは、だれもほかの生きものを傷つけません」まじめな口調でアイレが話に入りました。
「でも、銀狐は自分の心臓があぶないと感じたから、あなたたちをおきざりにしてここへ来たんだよね。そのことに、あなたたちは傷ついただろう? だって、そうじゃなけりゃ、お二人はここまで来なかっただろう?」ゴン・ドラゴンのしせんはするどくなりました。
「自分たちのことではなく、銀狐のことが心配だから来ました。でも、くるしみは、おそらくどこにでもあると思います」アイレがうなづきました。「だけど地球では、ボズガは、ガマガエルやネズミやミミズとおなじ荒いふちのけものらしく、なにも悪いことをしていない緑の小さなカエルやハリネズミを、遊びはんぶんで苦しませているのね。アリやハチは、さいごまでわたしたちの話を聞くのを待てなかったから、少女を傷つけたのね。そしてキツツキは、あなたを喜ばせたかっただけでしょう。ほかの生きものたちも、自分のことばかり考えているから、ほかの生きものに苦しみを与えて平気なのね。だって、あなた自身、銀狐が虹の向こうにいこうとしたから、彼女をとめたかったのでしょう? 彼女のこういは、あなたが万能ではないことを示しているのではないですか。そして、ただただ力を持っているから、銀狐を探しているわたしたちを止めたかったのでしょう」
子どもたちはたしかにかしこかった。しかしどうくつのみんなの目の前で、それをみとめるわけにはいかない。ふとゴン・ドラゴンは、そもそも知りたいことは別にあると考えました。そして世界中の深いふちに、信じられないほどおそろしいかみなりを起こして、けむりの輪を大きくふくらませました。
「バカなやつは死ねばいい!」とどなると、彼がまきち散らした火花は天井にあったクモの巣をもやして、どうくつのかべに刻んであったふしぎな文字を赤くてらしだしました。
「しかし、あなたたちはよくがんばったよ。少女もハリネズミもね」ゴン・ドラゴンはめずらしくおおらかなくちょうで話しました。「だけどだれも銀狐を虹の向こうの世界から呼びもどせなかったのに、心臓がきけんなところにあるのを感じて、あなたたちからもはなれて、自分からこっちにやってきた。ヘビは彼女の近くにいると変にふるまうし、おれもなぜか、夢を見ないほど夢中になってしまう」
ゴン・ドラゴンの目がいきなり太陽のようにおおきく金色にかがやき、うずうずしながら子どもたちにささやきました。
「しかし愛は・・・愛について、なにかしっているんですか?」
その言葉をきくと、クサリヘビたちは床にしっぽをついてまっすぐ立ちあがり、コウモリたちはくすくす笑いながら、期待でつばさを広げました。クモたちは巣のうえで立ちどまって、こおりついていました。
「わたしたち、あなたのしりたいことについて、なにもしりませんよ」ほほえみながらイルがこたえました。ゴン・ドラゴンがしりたいのは、母親と子どもを結ぶ愛についいてではない、と彼は思いました。
クサリヘビはまたよつんばいにもどり、コウモリたちはつばさをとじました。そしてクモたちは、悲しみでちいさくなりました。
「そうか」ゴン・ドラゴンはがっかりして、目の火や、いっしゅんどうくつの大きさをうわまわったけむりの身体をちいさくして、元の輪に戻しました。
「もうすこし大きくなったら、わかるかもしれませんが」アイレがほほ笑んでいいました。
「それは銀狐の子どもであるわたしたちが、地球の生きものでもあるかぎりですね」とイルが付けくわえました。
「なるほどね」ゴン・ドラゴンのがっかりした声がこだまのようにひびきました。
けっきょくは、そんなにかしこくないんだろうか。それとも自分には理解できないからかもしれない。いつかもっと考えてみよう。たいくつでしかたがないときに、考えようとゴン・ドラゴンは思いました。しかしいま、以前からきっとおこるだろうとしっていたこと、しかしどうやっておこるのかしらなかったことを目の前にして、考えこんでいるひまはありませんでした。
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* 『少女と銀狐』は毎月11日に更新されます。
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