ルーマニアは正教の国であり森の国であり、ちょっと神秘を感じさせる物語の国でもある。ドイナ・チェルニカ氏は作家で翻訳家、ジャーナリストだが、小説ではなく〝物語〟作家を自任しておられる。彼女の清新な物語文学を、能楽の研究者であり演劇批評家でもあるラモーナ・ツァラヌさんの本邦初翻訳でお届けします。
by ドイナ・チェルニカ Doina Cernica著
ラモーナ・ツァラヌ Ramona Taranu訳
第26章 少女はきけんなめにあう
とつぜんのことだったので、王子たち、それにハリネズミと子馬たちは、いっぽも動けずにその場に立ちつくしていました。くろい羽のたばにしかみえなかったあやしい鳥は、近くのどうくつか、どこかの影からとつぜんあらわれ、いなづまのような早さで少女にむかうと、くちばしでつよく彼女の肩をうちました。そのあと、なにがおこったのかわからないでいたみんなのまえで、あやしい鳥はたおれ、その体はつばさとはねとくちばしをふくめ、あとかたもなくとけてしまいました。やみにつつまれたあの鳥がたおれた場所では、草がすぐにかれてしまいました。
少女はさいしょ、くるしいというよりただおどろいて、ほほえんでいました。しかし、しだいに彼女のほほえみがきえ、目にやみがかかったように見えました。するどい痛みにおそわれ、少女はたおれました。毒の入っていたくちばしがあたった肩には、秋のクロッカスのようなむらさき色のシミがうきだしました。少女は友だちの声が聞こえなくなり、姿も見えなくなって、息をするだけでもくろうしていました。何がおこったのかさとったとたん、ハリネズミはすぐに少女のちかくの土をほりだしました。彼があまりにもひっしだったので、子どもたちはなにも聞けません。やがてわき水を見つけたハリネズミは、大きな声でみんなをよびました。
「みんな、早く! あのきずに水をかけないと! これだけでは助からないけど、せめて毒が彼女のしんぞうにすすむのを、少しでもおくらせなくちゃ」悲しい声でハリネズミが言いました。
「今のはなんだったの?」アイレはおどろいた声でききながら、小さな手で水をはこんで、少女の肩でおおきくなっていたむらさき色の花の上にかけました。
だけどハリネズミは答えるひまさえありません。すずしい水のしげきで、少女のからだがびくっとうごき、くるしそうにくちびるをうごかして何かささやきました。
「銀狐よ! ておくれになるまえに、銀狐をさがしに行ってちょうだい! わたしはいいから! 早く行って!」
そのあと少女は、ふたたびなにも聞こえない、なにも見えないじょうたいになってしまいました。
すぐそこに母親がいて、ここは友だちがいる。そして二人とも子どもたちのたすけをひつようとしている。ハリネズミはそうかんがえて、ほほえむ力をなくし、しょうがいではじめて、完全におしつぶされてしまったような思いにとらわれました。
「アイレ、どうしよう?」手で水をくみながら、イルがなきそうな声でいいました。
「わからないわ」少女のきずに水をかけながら、妹がこたえました。
どうすればいいのー、とたてがみをゆらし、痛みでつめたくなっている少女に小さなきりさめをおくりながら、子馬たちもなやんでいました。
ハリネズミは不安なままかんがえをめぐらせていました。私たちがいっしゅんでもここをはなれると、少女はしんでしまう。そして王子たちがそばにいないと、銀狐がしんでしまう。そう考えながら、ハリネズミはもうがまんできなくなって泣きだしました。泣きながら、手をとめずに、水をどんどんはこんでいました。
子どもたちは、行くこともできず、行かないこともつらかったです。少女の肩に咲いた花は大きくなっていませんでしたが、かんじゅくのブラックベリーの実の色になっていました。それとどうじに、銀狐のジャスミンのかおりがまわりで強くにおっていました。
子どもたちはとてもつかれていました。やがて夜はあけ、朝になりましたが、みんなはぜつぼうにうちひしがれていました。わき水が少なくなりそうなので、ハリネズミはべつのところで土をほっていました。そのため王子たちと子馬たちが水をくみに行く道がどんどんとおくなり、さぎょうがさらにつらくなっていました。
「どうしよう、イル?」アイレがさけびました。あまりにもつかれていたので彼女のゆびがかたまってしまい、水をはこぶためにひつような、まるい手のひらのかたちになりません。それとどうじに、ジャスミンの香りが彼女のほほをなで、まわりに咲いていたヒナゲシをいっそう赤くしました。
そのしゅんかん、土から水のはしらがあがり、子どもたちのまえに、銀狐の妹とおもえるくらい、彼女にそっくりなカワウソがあらわれました。つゆのような涼しさをまとったカワウソは、子どもたちをうれしそうに、あたたかい目でみつめました。少女にちかづき、やさしく彼女の肩のきずにくちびるをあてました。つぎのしゅんかん、少女はふかく息をすって、ゆめからさめたように元気にたちあがりました。
「命の水だ!」おどろいて、ハリネズミが言いました。「流水のとば口から、命の水を持ってきてくれたんだね!」ハリネズミはよろこびでとびあがりそうでした。「どうしてわかったの?」
カワウソは王子たちのほうを見ました。
「銀狐は、あなたたちがたすけをひつようとしているって感じたから、わたしもそれを感じたのよ」
カワウソは子どもたちを、愛にあふれた目でみつめました。少女とハリネズミにやさしくほほ笑むと、子馬たちのたてがみを目でなでました。
アイレとイルは、カワウソのやわらかい手にほほをあてました。
「おかあさんの手のようだ」アイレがなつかしくささやきました。もういっぽうの手で、カワウソは子どもたちのあたまをなでました。それから心にひめていた不安を見せないように、やさしくかれらをはげましました。
「いそいでね」
土からわきあがった水のはしらがカワウソをつつみ、子どもたちがくわしいことをきくまえに、カワウソはすがたをけしました。
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* 『少女と銀狐』は毎月11日に更新されます。
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