その家は今から90年以上も前、大阪の外れに建てられた。以来、曾祖父から祖父、父へと代々受け継がれてきたのだが……39歳になった四代目の僕は、東京で新たな家庭を築いている。伝統のバトンを繋ぐべきか、アンカーとして家を看取るべきか。東京と大阪を行き来して描く、郷里の実家を巡る物語。
by 山田隆道
第十四話
新一の四十歳の誕生日は、特にどこかに出かけることもなく、平凡に過ぎていった。義父母も含めた家族六人で実家の食卓を囲み、いつもよりちょっと豪華な夕飯を食べただけだ。一応、私はシャンパンを買っておいたのだが、新一は夕飯後にも在宅仕事が残っているからと言って、まったく口をつけなかった。
本音を言えば、久々に外食でもしたかった。せっかくの誕生日なのだから、プリティウーマンみたいなデートとまではいかなくても、私と新一と二人の子供の四人だけで梅田とかに繰り出して、新一の好きな焼肉でも食べたかった。
だけど、以前そういう提案をしたとき、新一にあっさり却下された。
「平日の夜に外食すんのはやめとこ。そんなんしたら、お父さんに贅沢やとか気持ちがゆるんでるとか、そういうこと言われて気分が悪くなるだけやん」
義父母と同居するようになってから、新一は義父の目を気にして、めっきり外食をしなくなった。新一いわく、義父はそもそも外食を好まない人らしい。朝に出かけて夜に帰宅し、夕飯は家で食べる。そんなルーティンこそが幸せだと考える団塊世代の男で、そこから脱線した遊び心は理解できないという。
ほんの半年しか経っていないけど、東京に住んでいたころがなつかしい。
あのころの私たちは、たまには息抜きも必要だとか言って、ちょくちょく近所のファミレスや居酒屋なんかに家族で出向いたものだ。子供たちが寝静まった深夜に、新一と二人でこっそりマンションを抜け出して、近所のバーで飲んだことも一度や二度ではない。「うちらってダメ親だよねー」なんて言いながらカシスオレンジを飲む私の隣で、くわえタバコの新一が苦笑していたのを覚えている。
それに比べて、今はずいぶん窮屈になった。新一なんて、もともと仕事が忙しい人だったけど、七月の終わりくらいからは休日が一切なくなった。本業の映像制作以外に、栗山家の様々な雑務にも奔走するようになったからだ。
先週もそうだった。早朝からロケに出かけていた新一は、暗くなるころにいったん帰ってきたかと思うと、急いで喪服に着替えながら言った。
「ごめん、今からお通夜やからメシいらんわ」
「え、また!? 今度は誰よ」
「二丁目の大杉さんとこのおばあちゃん」
「新ちゃんのよく知ってる人なの?」
「いや、向こうは俺の子供のころを知ってるみたいなんやけど、俺はようわからん。まあ、顔見たら思い出すかもしれんけど」
「その程度の関係なら、新ちゃんが出る必要ないじゃん」
「同行やからしゃあないやろ」
また同行か――。私は溜息をついた。
この町に引っ越してきて、驚いたことのひとつに葬儀や法事の多さがある。近所には栗山家と似た古い家が多いため、当然のように高齢化が進んでおり、だから近所のお年寄りが亡くなったという訃報がしょっちゅう入ってくる。
それだけならまだしも、その葬儀にいつも新一が駆り出されるから驚きが倍になる。なんでも、この町には葬儀はみんなで手伝うという、同行と呼ばれる古い慣習があるらしい。だから、亡くなった人と面識がなかったとしても、栗山家が同行に名を連ねている以上、新一はその葬儀に参列しなければならない。ましてや、栗山家はこの町の葬儀を代々取り仕切ってきたのだ。それを新一が継ごうが継ぐまいが、町の人は新一のことを葬儀屋の長男という目で見ている。
かくして大阪での新一は、東京時代よりもはるかに忙しくなった。せっかくの日曜日に法事の予定が入っていることも多く、平日は平日で突然の訃報や義父からの呼び出しなどによって、急きょ家を飛び出すことも少なくない。義父の会社に関しては、まだ正式に入社しているわけではないようだが、それでも葬儀にこれだけ顔を出していたら片足を突っ込んでいるようなものだ。
先日なんて、栗山家が所有する霊園の隣地境界線の確認に立ち会うという、わけのわからない用事で義父に駆り出されていた。その前には、徹夜明けで仕事を終えた直後の新一に義父から電話がかかってきて、眠い目をこすりながら町の公民館の漏水修理に義父の代理で立ち会っていた。義父は自治会の役員も務めており、現在は公民館の管理を任されているという。さらに町の消防団にも入っているため、火事の多い冬場になると、週に何度か夜のパトロールのお鉢が回ってくるらしい。「火の用心」と叫びながら拍子木を打ち鳴らす、例のあれだ。
正直、私から見たら新一はよくがんばっていると思う。本業の仕事に加え、これだけの雑務もすべて真面目にこなしているのだ。急な雑務で仕事を中断するはめになり、そのぶん深夜に在宅仕事が残ってしまうことも珍しくない。それでも新一は睡眠時間を削って、なんとか両立させている。おかげで最近の新一はとにかく顔色が悪く、覇気がない。東京時代にも忙しい時期はあったけど、今のほうが見ていて痛々しいのは、たぶん慣れないことをやっているからだろう。
そんな新一のがんばりを思うと、私なんかがそう簡単に不満を漏らしてはいけないと思ってしまう。東京の母や姉からは、今も私の心身を案じて離婚や別居をほのめかすようなことを平気で言ってくるけど、新一にまったく非がなく、日常生活だって不自由なく送れているのだから、それは無茶な話だ。
真面目で仕事熱心な夫と経済力のある義父がいて、二人の子供も健やかに成長しており、大阪という日本屈指の都会に大きな持ち家と、それ以外の不動産も所有している。義母の病気のことはあるけれど、それを除けば栗山家は他人がうらやむ幸せな家庭のはずだ。これで家庭の悩みなんて言ったら罰が当たる。
十月に入り、秋風が吹くころになっても、手のかゆみは一向におさまらなかった。それどころか、最近は首筋から背中にかけてまでかゆくなってきた。これからどんどん空気が乾燥していくから、症状はひどくなる一方だろう。
以前、フェイスブックに手の写真をアップしたところ、私が戸惑うくらい多くの心配コメントが寄せられた。一人で悩んでいるのがつらくなって、つい友達の励ましを求めてしまった結果だけど、実際に励まされると、なんだか自分がみっともなく思えた。いい大人のくせに、メンヘラのかまってちゃんみたいだ。
だから、今はなるべく明るい話題を投稿するようにしている。
最近の栗山家では、なんといっても孝介だろう。八月から千里中央にある進学塾に通いだした孝介の成績は順調に伸びており、最新の全国統一模試では偏差値七十三という過去最高の結果を出した。孝介の志望する私立中学の合格濃厚ラインとされる偏差値は七十四前後だから、今の時期としては悪くない。
土曜日の午後、塾で進路相談があったため、私も孝介と一緒に出席した。先生が言うには、志望校が決まっているなら、受験までの残り数か月は徹底的に過去問を反復して、試験の傾向をつかむべきだという。だから試験に出そうにない分野の勉強は一切やる必要がない。そんな極端なことまで言い切っていた。
私としては受験だけに偏った教育は、なんだか大事なものを見失うような気がして抵抗があるけれど、孝介が自ら目標を掲げ、その達成に向かって懸命に勉強しているところを見ると、なかなか水を差せない。大切なのは勉強であれスポーツであれ、自分なりに試行錯誤しながら努力するというプロセスだ。
塾の帰り、千里中央の駅構内にあるタコ焼き屋に立ち寄った。新一いわく、ここは地元で有名な老舗店で、店内でタコ焼きを食べられるのが特徴的だ。
「お母さん、次の模試では偏差値七十五を目指すんだ。そしたら塾でトップになるのはまちがいないし、タコ焼きも二皿食べていいでしょ?」
孝介はタコ焼きを頬張りながら、まだ赤みがかった頬をゆるませた。
「トップになったらタコ焼きだけじゃなくて、他のご褒美もOKだよ。なにか欲しいものないの? ゲームとか自転車とか」
「うーん、まあ欲しいっちゃあ欲しいけど、高いから別にいいかな。だって、お父さんががんばって働いてくれるから、俺は私立を受けられるようになったんでしょ。私立の学費は高いんだから、それが最高のご褒美じゃん」
私は言葉を失った。思わず孝介の横顔を見つめてしまう。
「お父さんさ、前より忙しくなったよね」孝介はタコ焼きにマヨネーズをかけながら続けた。「おじいちゃんの仕事も手伝ってるみたいだし、なんかいつも疲れた顔してるし。……あれ、俺のせいだと思うんだ。俺がおじいちゃんのお金をあてにするようなこと言ったから、お父さんは無理して仕事を増やしたんだよ」
もう、この子は……。声に出せない言葉すら、うまく続かなかった。親馬鹿かもしれないけど、孝介は本当にいい子に育った。ちょっとずる賢いところはあるけれど、この子の良さは優しいところだ。人の痛みを想像できるところだ。
「八月の頭くらいだったかな、お父さんに言われたんだ。学費のことはお父さんがなんとかできるようになったから、おまえは勉強に専念しなさいって」
ああ、もう泣きたくなってきた。孝介も新一も、うちの男どもはなんでこう物わかりがいいのだろう。なんでこう優等生なのだろう。
一方で、ますます自分が卑しく思えてきた。栗山家は円満なのに、どうして私はストレスを抱えているのか。いったいなにが不満なのか。たかだか手の異常くらいで、不眠症くらいで、この家庭に傷をつけるわけにはいかない。もしも新一が苦しんでいるなら、私の役割はそれを癒してあげることだ。
その夜、私はスマホからフェイスブックを更新した。孝介と二人で食べたタコ焼きの写真をアップして、『ここのタコ焼き最高! 超幸せ~♪』というハッピーな文言を添える。SNSとしては満点の投稿だろう。
あっというまに六件の「いいね」をいただいた。思わず口の端がゆるむ。
けれど、その勢いで他人のフェイスブックを眺めていると、なんだか胸がざわついてきた。横浜に住む姉は先週の日曜日もまた、子供と母と一緒にお出かけしていたようだ。みなとみらいの赤レンガ倉庫界隈で撮影した写真がアップされていた。パート先で仲が良かった八重樫さんと杉浦さんも、相変わらず二人でカラオケに行っている。かつて新一が勤めていた映像制作会社の関根社長も元気そうだ。テレビでよく見る芸能人と肩を組んでいる写真がやけにまぶしかった。
フェイスブックを見ていると、東京時代に交流のあった友人の動向がどうしても目に入ってくる。そもそも大阪にはまだ友達ができていないから、私のSNS空間は東京のままだ。大阪に住みながら、東京に生きている。
私のフェイスブック友達には、家族ぐるみで付き合っていた新一のかつての仕事仲間も多いため、いわゆるTVギョーカイの華やかさが垣間見えるような投稿も少なくない。秋のTVギョーカイは年末年始の特別番組の制作に大忙しの時期だ。あのプロデューサーさんや、あのディレクターさん、あの放送作家さん、あのタレントさん、新一を通して私とも仲良くしてくれていた人たちがみんな、今も変わらず仕事に励んでいる。大阪の郊外で専業主婦をやっていたら絶対に味わえないような刺激を感じながら、いかにも充実した日々を過ごしている。
ああ、また嫉妬してしまった……。私はスマホの画面を消した。
大阪に来てからというもの、このパターンにいつも陥ってしまう。これまでの私は自分にミーハー願望はないと思っていたけれど、現実は東京で暮らす友人の生活に羨望を抱いている。今の自分に嘆息している。
栗山家は円満だ。それはまちがいないと信じたいけれど、その一方で今の栗山家のような家族の形は、私たちの周りでは特殊だとも思う。だから、私は友人たちと同じ目線で共感しあえない。同じ目線で共感しあえていた時期が長くあっただけに、そこから外れてしまった自分に寂しさを感じてしまう。
ひょっとしたら、幸せとは相対的な物差しで測るものなのかもしれない。周囲と比べて自分はどうか。人間は無意識のうちにそう考えるものだから、時代によって価値観が変わるのだろう。「よそはよそ、うちはうち」なんて子供のころに親からよく教わったけど、私は自分の子供に同じことを言えるだろうか。
十一月に入ると、急な寒風にふるえることも多くなった。新一は相変わらず忙しい毎日を送っていて、このごろは夫婦の会話もめっきり減った。
来週の日曜日は私の三十九回目の誕生日だけど、その日は夫婦で親戚の法事に出席しなければならない。昨日の夕飯中、義父が「来週の日曜は法事やからあれな」と告げただけで、有無を言わさず予定を埋められてしまった。
「ねえ、その法事って絶対に出なきゃいけないもんなの?」
その夜、私はたまらず新一に文句を言った。つい口が尖ってしまう。
「うーん、まあ」新一は困惑したように眉尻を下げると、そそくさと布団にもぐりこんだ。次いで手元のリモコンに手を伸ばし、寝室の電気を消す。
「私、誕生日なんだけど」
「わかってるよ」
「せめて夜だけでも出かけられない? 法事って夕方には終わるでしょ」
「夜は夜で仕事せなあかんし」
「また? 最近ずっとそうじゃん」
「しゃあないやん。俺だって家の用事でしょっちゅう時間とられて、昼間にゆっくり仕事できる日がなかなかないんやから」
「だから、それがおかしいのよ。家の用事が多すぎるんだって」
「まあ」
「私にとっては誰かわからない人の法事だもん」
「俺の曾じいちゃんの弟の三十三回忌」
「そう聞いたら余計気分悪い」
「ごめん」
「私、関係ないじゃん」
「ごめん」
「新ちゃんだって、その人のこと覚えてるの? 三十三回忌ってことは、新ちゃんがかなり小さいころに亡くなってるよね?」
「ごめん」
「ごめんばっかりじゃわかんないよ」
「ごめん」
「逃げないでよ」
「逃げてへんよっ」新一の声が少し大きくなった。「俺だっておかしいって思ってるよ。だけど、どうすることもでけへんねん。亜由美の言ってることはまちがってないし、気分悪いのもようわかる。だから、なんも反論でけへんねん」
新一は再び電気をつけると、上半身だけ起き上がった。哀願するような、くしゃくしゃの表情で私を見つめる。顔中に疲労感がにじみ出ていた。
「亜由美には申し訳ないって思ってるよ。嫁いだ先がこんな家でごめんな、そんな家を継ぎたいなんて言ってごめんな、情けない長男でごめんな、父親に頭が上がらなくてごめんな……心からそう思ってるからこそ、あやまることしかでけへんねん。亜由美はなんにも悪くない。俺が勝手に引きずり込んだんやから」
なんだか悲しくなってきた。新一のうるんだ瞳、目尻の皺、たるんだ頬、白髪が目立つボサボサの頭髪、それらが私の胸に突き刺さって痛みすら感じる。この半年で、新一はずいぶん老けた。母が言うには、私も老けた。
「もういい。わかった」
私はそう言って、寝室の襖を開けた。スマホの明かりで暗闇を照らす。
「どこ行くん?」新一の声が飛んできたので、「ちょっとコンビニ」と答えた。別に買いたいものがあるわけじゃないけど、なんとなく家を出たくなった。
暗く静まり返った廊下を歩く。床がきしむ音が耳に響いた。裏口のドアを開けると、すっかり冷たくなった晩秋の風が吹き込んできた。私は身震いして、自分で自分を抱きしめる。スウェットのジッパーを締め上げた。
「亜由美」
新一が追いかけてきた。私と色違いのスウェットの上に合皮のブルゾンを羽織って、手には私のダッフルコート。昔、新一が買ってくれたやつだ。
「ちょっとドライブでもしよっか」
「え?」
新一のよもやの提案に、なぜか鼻の奥がツンとなった。「うん」思わず素直にうなずき、頬をゆるませてしまう。最近、自分の気持ちがよくわからない。私はこの人のことをどう思っているのだろう。
深夜のドライブも東京に住んでいたとき以来だ。特に目的地を設定することなく、気分の赴くまま車を走らせる。車内のBGMは適当なFM番組だ。
「亜由美さ、ほんまのところはどう思ってるん?」
ハンドルを握る新一が、まっすぐ前を見つめながら言った。
「どうって?」
「俺と結婚したばっかりに、地元を離れて大阪の古い家に住まわされて、血のつながりもない親父に怒鳴られて、夫の母親の介護もやらされて……。今どき、そんなんって普通に考えたら離婚もんやで。そら、手の皮も剥けるやろ」
「ああ」私は両手のひらをこすり合わせた。相変わらず痛がゆい。
「俺、ずっと気になってたんよ。正直、もう嫌になったんちゃうかなって」
「……なにが?」
「この家での生活……いや、もっと言うと俺との生活」
私は思わず唇を噛んだ。心臓が妙にドキドキして、視点も定まらない。
新一はひたすら車を走らせた。大阪の地理はまだ疎いから、どこに向かっているのかわからない。ただなんとなく、明るいところではなく暗いところを目指しているような、街から逃げているような、そんな感じがした。
「箕面の山、昔からけっこう好きやってん」
新一の横顔は奇妙なほど穏やかだった。この人のこんな顔を見るのはいつぶりだろう。少なくとも、あの家にいるときの新一はいつも表情が強張っていて、全身に重い空気をまとっていて、見ているこっちが息苦しくなる。
いつのまにか、車はくねくねした山道を走っていた。車窓の外を見ると、はるか下に街のネオンが広がっていて、なんだか懐かしい気分になる。東京時代の深夜ドライブでも、よくこうやって多摩の夜景に浸ったものだ。
「ねえ、さっきの話だけど……」私が思いきって切りだすと、新一はなにかに勘づいたのか、やけに神妙な声で「うん」と言った。
「私ね、自分の気持ちがよくわからないんだ。そりゃあ今の生活は大変だし、体のことだって医者にはストレスが原因だって言われてるし……。だから、このまま大阪でやっていける自信は……ないかな」
「うん」
「けど、きっと新ちゃんのほうが大変なんだろうなって思うの」
「俺のほうが?」
「うん、お義父さんのこととか会社のこととか……見ててつらくなるくらい。だから、そういう新ちゃんをほっとけないっていう気持ちもあって」
「……俺は大丈夫や」
「いや、大丈夫じゃないよ。大阪に来てからの新ちゃん、絶対変だもん」
「そうかな」
「お義父さんの会社だって本当に継ぐ気なの?」
「しゃあないやろ」
「いつから?」
「今もちょくちょく手伝ったり、挨拶回りしたりとかはやってるけど、正式には来年の四月からかな。とりあえず、これまでに請け負った映像の仕事が三月まで残ってるから、それを終わらせてからじゃないと始められへん」
「映像はやめるってこと?」
「しゃあないやろ」
「本当にそれでいいの? あれだけ好きな仕事だったじゃん」
新一が唇を噛んだ。「……しゃあない」小声で言葉を落とす。
「いつかは映画とかCMとかを撮ってみたいって言ってたじゃん」
「昔のことやろ」
「今は変わったってこと?」
「……いや、俺は変わってへんよ」
「え?」
「変わったのは……状況や」
その言葉が私の胸に深く突き刺さった。状況……頭の中でこだまする。
「大阪では無理やねん」新一が吐き捨てるように言った。「映画とかCMとか、そういう大きい仕事は東京に集中してるし。大阪におる限りは、せいぜいローカル企業のVPとか関西のバラエティとか、そういうのが精いっぱいやもん」
「だったら、また東京に戻ればいいじゃん!」
咄嗟に出た言葉だった。新一は目を丸くしている。
「だって……別に関根社長と喧嘩別れしたわけじゃないじゃん。だから、新ちゃんがその気になって頭を下げたら、また前の会社に戻れるでしょ」
「今さら戻られへんよ。そんな簡単なもんちゃうって」
「だったら別の会社は? 私、知ってるよ。新ちゃんを買ってくれてた人っていっぱいいたじゃん! お願いしたら入れるとこはあるでしょ!」
「そりゃあ、あると思うけど」
「ほら、逆にチャンスだよ! 東京にいたころは関根社長への恩義があって他には移れないって言ってたけど、今はフリーだから関係ないでしょ。しがらみがないぶん、本当に新ちゃんのやりたい仕事ができるかもしれないじゃん!」
「けど、家はどうすんねん。それがあるから大阪に戻ってきたわけやん」
「正直、私はそのへんがわかんないのよ。今どき長男だからって、家を継がなきゃいけないもんなの!? 仕事まで継がなきゃいけないもんなの!?」
「もう、その手の話は散々してきたやろ!」新一の口調が荒くなった。「あの家のおかげで今の俺があるって、そういう感謝があるからやん。もちろん親に腹立つこともあるけど、それ以上の感謝があるから家を無視でけへんねんよ」
「なんでそんなに優等生なのよ! 親と子供がちがう人生を歩むことなんか、今は普通のことじゃん! それと感謝は別問題だよ!」
新一が黙り込んだ。車のハザードランプをつけ、左に寄せながら速度をゆるめる。前方を見ると、道路の左端に臨時の停車スペースがあり、新一はそこに車を停めた。ハザードランプを消し、サイドブレーキを上げる。
私はFM番組の音量を下げた。車内にエンジン音だけが響いている。
「ねえ新ちゃん、ちょっと落ち着いて聞いてほしいの」
そこでいったん咳払いした。新一は顎だけでうなずく。
「新ちゃんもお義父さんも、よく感謝っていう言葉を使うけど、その感謝っていったいなんなの? 感謝してるから親を大切に思う、それはわかるんだけど、その感謝のために自分のやりたいことをやめるってちょっと変じゃない? 感謝って人生の選択肢を制限するものなの? 親孝行って自分を捨てることなの? 感謝があったら、住む場所を自由に決められなくなるの?」
「……そうは言ってへんよ」新一がようやく口を開いた。
「もちろん、郊外とはいえ大阪に一軒家をもってるっていうのは、すごいありがたいことだよ。私は賃貸暮らしの核家族だったから、持ち家がある安心感はよくわかるし、そこに感謝すべきっていう考え方も立派だと思う。だけど、時代が変わって住む場所を自由に決められるようになってるのに、その感謝のせいで選択肢を消去するのはおかしいよ。感謝って自由を奪う言葉じゃないと思う」
私は自分に驚いていた。新一に対して、ここまで言いたいことを吐き出したのは初めてだ。こんなにすらすら言葉が出てきたのも初めてだ。
「ねえ、感謝って自由を奪う言葉じゃないと思うよ」
もう一度、今度は訴えるように言った。新一は黙ってエンジンを消すと、
「ああ!」と大きな声を出して、ハンドルに平手を打ちこんだ。
「新ちゃん?」私が声をかけても、新一は返事をしなかった。おもむろにドアを開け、車の外に出る。私も追いかけるように車外に出た。
真冬のように冷たい山風が猛烈な勢いで襲ってきた。周囲には街灯が見当たらなかったが、あまり暗さを感じない。ガードレールの下に広がる街のネオンが煌々としていて、上下が逆転したプラネタリウムみたいだった。
新一はタバコに火をつけると、そのプラネタリムを見下げながら一服吸い、ゆっくり紫煙を吐きだした。私は少し離れた場所から、新一を見守った。もうこれ以上の言葉は必要ないだろう。たぶん、あの人はすべてわかっている。私の言ったことをすべてわかったうえで、自分の行く道を考えている。
それにしても寒い。あっというまに手が冷たくなって、かゆみも痛みも感じなくなった。ただ皮だけが、ぼろぼろと剥け落ちていた。
(第14回 了)
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* 『家を看取る日』は毎月22日に更新されます。
■ 山田隆道さんの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■