偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。
by 三浦俊彦
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■ 『新世紀エヴァンゲリオン』第拾壱話「静止した闇の中で / The Day Tokyo-3 Stood Still」。危機的停電でエレベーターに閉じ込められた葛城ミサトと加持リョウジが天井を破って脱出を試みるときの二人の位置関係は、タイトスカートのミサトが加持の肩に膝立ち肩車されているというものだが、「なんで開かないのよ~! 非常事態なのよ~~! もれちゃう~~!」といった漫画的切羽詰まったやり取りを、在野オタクのすべての考察が尿意の表現であると決めつけていた。もちろんおろち学的に解明された真相は、ミサトの下腹部で荒れ狂っているのは尿意ではなく便意だというものだ(おろち学の結論がそれ以外でありえようか)。この発見には実はおろち学の助けは必要ない。電源が回復してエレベーターのドアが開いたとき、加持とミサトが重なり合って倒れているのを見て伊吹マヤが「不潔」と呟くのだが、これも従来の考察では「肩車が崩れた態勢を〈セックスしていた〉と誤解した」というのが定説だった。もちろん潔癖な脇役処女というマヤのキャラクター表現に沿った考察だが、アラサーの先輩がセックスしていたくらいでその呟きはないだろう。あの倒れ方が69という形に見えたとしてもである。「不潔」という語が自然に用いられるのはやはり臭気を伴った光景、糞便全面爆裂的飛散プレイにも見えた光景に対してであるはずだ(ただしアニメの映像からは放送時および市販ソフトともに爆裂黄金描写は省略されている)。呟いたときのマヤが無表情すぎるという可能的反論に対しては、内部テロ・使徒侵入という超非常事態の直後ゆえに、おろち用リアクションへの切り替えに神経的フリーズが生じたものと答えられるだろう。
この考察は重要である。「暑けりゃ服ぐらい脱いだらどうだ? 今さら恥ずかしがることもないだろう」というミサト-リョウジ関係、同棲当時も含めたその因縁の関係全尺において、おろちプレイも黄金プレイも行なわれていなかったという蓋然的事実が判明するからである。旧定説すなわち「尿意説」では、二人の間に聖水プレイすらなされていなかったという過小評価過剰の解釈に落ち着いてしまいかねない……。
■ 異説によると――『蔦崎日記』の記述とは食い違うものの、いっそうのディテール的鮮明さを持って一部で伝えられてきた説であり、蔦崎自身の会話発情報として複数の独立筋で語られているゆえあながち信憑性に欠けるとは限らない異説――実際に起きたことは次のようだったとも言われる。第7回に紹介した定説とはかなり雰囲気が異なっているが、参考までに記しておこう。
蔦崎の「ステーキ定食」の注文を受けるやいなや、お姉さんの一人がハアイただいまと、待ち時間ゼロで赤い生肉どっしり載せた皿を捧げてきたというのである。彼女はそっとテーブルに置くやいなやテーブルにのぼって、蔦崎の目の前で裾をまくって真っ白な生尻を突き出したともいうのである。そして一声「くすすすっ」と無声で笑ったのを合図にカウンターの奥からあと二人の相似形準美人がいそいそと歩みでてきて、やはりテーブルに乗って左右対称に尻を――左右そろって中央尻よりやや色黒で局所も黒ずみ気味の尻を――突き出し、「せえぇのォ……」といっせいにしかし幽かな声を合わせてぐっと尻肉群が揺れたかと思うと、
プ鬱すうううウーっ……
長大な、おそらく四十秒は途切れぬ無声音響が同時噴射されたというのである。汁気をたっぷり含んだ超濃厚ものであったと。一応無色の二噴射がときおり交わるところは山吹色に、三噴射がたまたま重なった一瞬はオレンジ色に霧状発光していたのだともいう。二十秒ほどのところで左の肛門が一瞬「ブ」「プ」と断続有声音を小破裂させ、「いけない!」と音尻の主が極小声で自戒するのが聞こえたというが、あと二十秒たっぷり無声屁の協奏が生肉に降り注ぎ続けたことは間違いないと。絶妙だったと。白筋の走った赤肉は三方同時の集中砲火を浴びて、始めは真っ黄色にそしてたちまち土色に染まってきたのだという。ぷすううううと三尻同時に噴射を終えたときには、店内の空気は三屁三様の放散熱をじっとり含んでうっすらうすら湿り、靄が薄くそして濃くまた薄く漂い、洒落た蔓草模様つきの窓ガラスは幾重にも曇って、やがて全てじっとりうす黄色い露を滴らせ始めたのだという。三人の準美女がテーブルを降りながら「ま、ゆ、ら!」と小声で奥に手招きすると、まゆらちゃんが黄色いセーターにピンクのミニスカート、頭に白いリボンという今までにない派手ないでたちで現われ、まだ三姉妹の腹奥臭気が厚く漂いたなびいている蔦崎の眼前にゆっくり白尻をおろすと今度は
ぶっしゅーーぅぅぅぶぶぶびびゅびびびび……
勢いよく有声破裂音をふりまきながら、これもまた長大な腸外射出を開始したのだという。
特筆すべき事実が四つある。ひとつは一目瞭然、まゆらの猛屁は一直線に土色の肉に降り注いだが、そのさいバチバチと火花を散らしたということである。テーブル面近くに漂泊する姉たちの残留濃屁の沈殿層を貫くさいに、屁と屁が化学反応を起こしたに違いない。自が経験値にうんざりしていた蔦崎にして目を見張る色彩であったという。七色では尽きない大小の星がきらめいて、まゆら屁の竜巻状の軌跡をくっきりと示したというのである(棒状直線ではなく微妙なDNAらせん型だったのが蔦崎的感動を喚起したと)。始めの十秒くらいの刹那に有声音が途切れてぴゅすすすゅすゅぅぅーーと透かし屁模様に透き通りかけたところでいったん星模様が消え、「まゆら!」と奥から見守っていた姉らの一人が咎めるような案ずるような声援を送り、これを受けてまゆらは「ふんっ!」露骨な鼻息を発してブルルッと尻を痙攣的に振り絞り、再びびゅりりり有声爆裂、星光乱舞へと戻しおおせたのであったと。有音噴射はたっぷり六十秒間続き、姉らの無音三屁にすでに染まっていた肉表面はまず赤々と灼け、泡立ち、そしてじゅうじゅうと白煙を立てすらしたのであると。まゆら屁がついに先細りに搾り切られ止んだときには、肉表面の三四箇所にはうっすら細い焦げ目すら滲み、ステーキはすっかりミディアムレアに完成していたという。肉周辺、テーブル面付近の屁霞濃厚層だけでなく、部屋中に薄く充満していた有効成分も全て化学反応で消費し尽くされ、窓ガラスを覆っていた露は全て褐色の薄い膜へ固化してはらはらと剥がれ捲れていた。
第二の事実は、まゆらの肛門付近に、無数の蕁麻疹様の吹出物、赤い点々が盛り上がっていたことである。これらが見るからに痒みを発していつもまゆらの指を誘っていたのであると同時に、今や放屁に伴う肛門爆裂音の大半を担っていたらしかった。屁風に吹出物一粒一粒が細かく振動しているのが見えたからである。のみならず直径1~3ミリ粒粒の少なからぬいくつかは屁風に煽られてぽろぽろと尻皮膚を剥がれこぼれ、焼けつつある肉表面へ落下して、胡椒さながらの有色香辛料として視覚的に、そしてたぶん味的にも突起作用を添えつつあるものであるらしかった(蔦崎が数えられただけで三十九粒が添加されたと)。
第三の事実は、これは重要な事実だが、無声状態に陥ったときにほんの一瞬肩越しに振り返って蔦崎の気配を確かめるふうだったまゆらの表情が、多少額に皺寄っているものの、普段とは比べ物にならぬ高尚な美貌――前述のようにふだんも古典的白痴美の範疇内的形式美形を呈してはいたのだが――に輝いていたのである。その顔があまりに知的なオーラを放っているような気がした蔦崎は、ちょっとだけ席を立って(このとき蔦崎は十秒ほどまゆらの肛門から視線をそらしているので、見逃された落下吹出物は六~九粒と推定される)まゆらの正面に回り込んで顔を注視してみたのだった。やはり知性美に輝いていた。放屁に集中しているまゆらの目は正面に一瞬現われた蔦崎を見ておらず気づいてもいないようだったが、じっと目前の空気を睨み据える決意の瞳には凛々しい白昼知性が灯り、キリリ引き締まった唇からは神々しい黄昏霊性が立ち昇っていたと蔦崎は後に「金妙塾集会」で呟いている。なお「ことに及んで」品性レベルが一変するという現象は、学生時代に印南哲治がもてあましたあの春坂越美を想起されるだろう。放屁時のみ知性美系へ脱皮するまゆらは実際、「ヤル直前ブスに大変身する」春坂越美の公式ネガであった(後に言及する「一般相対性表裏論」を予期せよ)。
第四の事実は、やはり蔦崎体験というべきか、これがなくては終わらぬというべきか、まゆらの放屁終了直前を告げるように持続爆裂音がプピュプピュピュウウゥゥーゥーと小さくなりきった頃、勢い余ったか巨大なおろちがメリメリと降りてきたという超千篇一律大事実である。ササクレだらけの極太真茶おろち。その伸び方が振るっていて、螺旋状の放屁を跡付けるようにゆっくり回転しながら出現し、肛門内壁の小ポリープと括約筋付近の吹出物による複雑微妙な引っ掻き痕がマヨネーズのギザくっきり螺旋模様をおろち表面に描いているのだった。その螺旋線を中心に、空気中に解き放たれた表面がはらはらとササクレ出すという成行である。姉屁まゆら屁の大混合した室内臭気に倍する健康おろち臭がむうっと漂い始めた。「まゆ、らー!」強くたしなめるような姉たちの囁きが飛んできた。まゆらが「ううっ」とこらえるうめきを吸い込むと同時に、おろちは直径五センチ半もの胴体をするすると再び螺旋を描きながら肛門内に引っ込んでゆくのだった。しかし「あうっ」こらえかねたように肛門が一度弛んでまゆらおろちはまたもぬらっと伸び出してしまい、あっという間にステーキ表面に頭を接して「じゅっ!」と黒煙を立てたのだが、再度のふんばりでまゆらはするするすぽんっとおろちをテーブル上に落とすことなく直腸内に回収したのであった。しばししゃがんだままのまゆらの肛門からは焦げたおろち煙がしばしくすぶり出していたという。
蔦崎はステーキを、まゆらおろちが接して黒丸痕になった部分からナイフで切り出して、全部平らげた。「甘美な苦み」ではなく「苦美な甘み」であったと蔦崎は語っている。
レジを済ませて外へ出るとき、留守をしていた店主夫婦が入れ違いに入ってきた。「お。あれやったのか」父親が蔦崎に「ありがとうございましたー」と言いかけざまぐるっと店内ガラス窓などを見回しくんくんと空気を嗅いで、姉たちを咎めたという。「だめでしょ。あれはサービスメニューなんだから。やたらやっちゃぁ。看板に落書きされないように気をつけなさいって言ったでしょう」
サービスメニュー……。サービス特価ということだったのかサービス料金を上乗せされるはずだったということなのか、つまり損したのか得したのか、店主はレジのやり直しを申し出ようとしなかったけれどもというような、蔦崎はそんな瑣末な疑問よりも、直ちに自分の正気を疑う方を選んでしまったともいわれる。あのようなことが街中に公に開業している料理店において行なわれるなど、非現実的だと思われる向きが大半だろう。蔦崎もさしあたりそう考えたのである。『かえで亭』を出てすぐに今のは現実だったのかと疑い始め、入るときに目にしたあの落書き――もう一度繰り返すと「サービスタイム・ランチ大盛り」という朱字看板の「ラ」の上の棒が薄れていたのをチョークか何かでり塗りつぶし新たにマジックで縦のチョンを書き加えてあるあの幼児的落書き――を蔦崎は振り返って、まがりなりにもこの表記どおりのことが四姉妹によって完遂されたとは言えまい、いったん現われたまゆら大蛇もまゆら直腸内にそっくり引っ込んだまま二度と出てこなかったのだからチョン付け直しランチ大盛りにはなってないし、あ、そういえば「定食」で注文したのにご飯も味噌汁もお新香もついてこなかったな、肉だけだったなと気づいたのはバス停まで歩いたときだったがそもそも現実だったかどうかを疑っている以上そんなことはどうでもよく、翌朝目覚めてからは、あれはすべて夢だったのではないかという疑いへと深化させ、あのような屁ぢから料理のごときが現実にありうるのか確かめるために、というより夢だったことを確かめるために『かえで亭』に翌日また出向いたのだったが、今度は外の看板の字が直されていて、そのせいか店内の空気は再び穏やかで、そこで「ステーキ定食」をまた注文してみると何食わぬ顔で三姉妹がウェイトレスを勤め、ふつうに定食一式が運ばれてきたのであって、その自然めかした澄まし具合がいかにも前日の糊塗のように疑われ、しかもふと見ると肝心のまゆらが――
この日に限ってカウンターの後ろから恥かしそうにこちらを覗き見ているだけだったのが――
何よりも真相を物語っているように思われた。蔦崎公一のオーラに誘われた無垢な少女の変則行動――蔦崎は自分の「食ワサレ体質」が伊達でもシャレでもないと悟ったのはこの時だったというのである。
実際、『かえで亭』で食事経験のある客三十人余への調査では、猛屁ステーキ焼きを知っているものは一人も確認されていない(よって蔦崎が耳にした店主の「サービスメニュー」が何を指すのかは現在謎である)。この異説によると第7回に紹介した定説とは異なり蔦崎は『かえで亭』にそれ以来出入りしなくなったということだが、後に自分がおろち文化の中核に組み込まれ「体質」概念による自己把握を再確立するにしたがって、『かえで亭』は現実であるのみならず全ての先触れであったのだ的納得の仕方によって蔦崎的信念の内外表裏に組み込まれたのであった。
以上のような出典不明の「異説」が『蔦崎日記』的正史に劣らず重んじられねばならない理由は、異説の存在には必ず夾雑物特有の意義が嗅ぎとられるべきこと〈大便の胆汁組織という地よりも未消化物という図にこそ注目に値する意義ありのごとし〉以外にも、もっと通俗的な次の事実による。すなわち、十数年後のあの蔦崎事件からまもなく『かえで亭』経営者一家および家財一切合切が行方不明になっている――という事実。登記簿から預金通帳に至るまで、一家の痕跡は一切残っていない。一夜にして空っぽの店舗と住居が残されていたという、ちょっとした怪事件扱いの囁かれ方を被り続けている。
(第81回 了)
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