偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。
by 三浦俊彦
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■ 二尻同時放出直下ジカ受けパフォーマンスの後続企画については、同じく印南哲治本人による報告が残されている(ツカサムックNo.40『お尻マニア』vol.1,司書房,pp.115-9.続編ではなく各々単発レポートの扱いであるため繋がりがやや掴みづらいが、ツカサムックNo.35エッセイ「人間肥溜への吐息」に報告されたパフォーマンスは当日後半分であり、次なるレポートでは当日パフォーマンスの前半部の様子が、報告本筋の後日後続パフォーマンス描写のついでとして触れられている)。
カレー味の勇気君
石丸φ
俗っぽいんだか前衛っぽいんだか、訳あって厚かましいタイトルを付けたぶん、ふた昔くらい前の青春小説のノリでひとつやってみるかな。
典型的なそんなノレるものが実在していたらの話ですが。
まあ聞いてください。
待合わせの場所に、演劇学科のキミコさんが現われたところから。
髪をストレートにして現われたのには僕たちゃ驚いた。キミコさんといえばもう赤毛のカーリーヘアがトレードマークだったのだ。このあいだの食糞パフォーマンスから一ヵ月半経っていたが、会わないでいるうちにいつのまにか、髪は原色の黒になり、まっすぐつやつや普通になってしまっているのだ。だけどよく見るとちょっとソバージュがかかっている。ふふふふ。僕たちは横目でタナカ君を見る。カンタロウなどはタナカ君の脇腹をあからさまに肘で突っ突いてやったりしている。微笑ましいな。タナカ君がゆるいソバージュの女が好みだというのは前に聞いたことがあった。キミコさんはまさにタナカ君の好みに合わせた装いをしてきたんだな。
おいおい、このシアワセものォ、青春ゥゥん、と僕も思わずタナカ君の肩を叩きかけて、あ、これはかなりむごいプレッシャーをかけてしまうことになるな、と気がついた。タナカ君はこの一ヵ月ひとりで四国九州を旅行していたらしいが、どうも決意の旅行というか勇気を整えるための旅だったようだ。夏休みに大学スタジオでやった前回のパフォーマンスでは張り切ってキミコさんのウンコを食べる役を勝って出たのだが、いざ本番、お皿いっぱいに盛り上げたキミコさんのホカホカの黄土色を、
皿に顔近づけて……
なんとか全部頬張って飲み込み……
はしたものの、いや確かに見事にやってのけたものの、カメラが止まると同時に顔を真っ赤にしてトイレに駆け込んで、どうも全部モドシテしまったらしいのだ。
肝腎の映像の方は無事迫力を保てたからよいものの、パフォーマー側に一抹の気まずさが残ったのも事実だった。
タナカ君は明らかにキミコさんが好きだった。
すごく真っ当な意味で。
今でも好きだろう。で、キミコさんはタナカ君の純情に気づいてまんざらでもなくて、でも過去に男のいい加減な気紛れのため何度か涙を飲んだ経験があるために、すんなり素直にはタナカ君の愛を受け入れられないのだった。で、先月の食糞パフォーマンスをタナカ君が
「愛する女性のならうれしい!」
のノリでやりおおせたならばふたりの愛もめでたく成就、ということに相成ったのだがどうもこれが、タナカ君はキミコウンコを三分の一食べたところで早くも苦悶の表情を浮かべてしまったのだ。映像が何よりの証拠だ。ぴくっ、ぴくひくっと、(ああ、こんな役買って出るんじゃなかった……)的怒濤の後悔の念が額に眉間に滲み出ている。最後の方はもう吐きたいのを我慢している「オエ」の衝動が眉間と口もとの動きに見え見えだわ、白眼になってしまった両目が涙ぐんでいるわで、予定テーマ「愛する女性のは天国の味!」が一転して「SM強制糞食い拷問」ビデオになってしまった。
テーブルに置いた皿盛りウンコにうつむき顔を近づけて食するデザインだったので拷問色はなおさら濃厚だった。制作側としてはそれはそれで面白いのだが、悲惨な思いを抱いたのは当のタナカ君とキミコさんだというわけだ。
だからきょうはふたりとも挽回のチャンス、しかも最後のチャンスというわけで気合が入っているのだが、タナカ君はキミコさんの気合を見てウッ、ウウウとプレッシャーによろけてしまっているようなのだ。そう。今度こそタナカ君に我が腸詰めを楽しく嬉しく食べてもらって証明済みの彼の愛を受け入れようと、一生懸命タナカ君好みのファッションに変えてきたキミコさん。ソバージュの黒髪に変えてきたキミコさん。イメージ一新してきたキミコさん。ここまで気を使われては、女の気合を見せられては朗らかに食べぬわけにはいかないだろうよタナカ君。
当日後半の僕サイド、エハラミヤカワ同時脱糞ジカ受けを見学したタナカ君は、パフォーマンス後僕に向かってさかんに「先生、すごすぎます」を連発していたが、感服の心理を攻めの姿勢に転嫁できなければダメだな。(※「先生、すごすぎます」について超重要なる注)
さて挽回を期する第二回撮影日。
撮影場所であるヤヨイの家では撮影班がスタンバイしていた。タナカ君も照明係に加わって、「咀嚼リレー」の撮影を終えた。浴衣を着た女子四人のパフォーマンスだ。最初の女の子が食べ物をもぐもぐ噛んで、それを次の子の口の中へぽとん、と口移しで落としてゆく。それをその子が噛んで次の子へと渡してゆき、四人目の子は特に念入りにもぐもぐ噛んだあげく最初の子の口へ戻し、最初の子がもぐもぐゴクンと飲み込んで、飲みましたよ、と大きく口をあけてカメラにアピールする。この円環リレーを赤いトマト、黄色のカボチャ、緑のホウレンソウ、茶色の肉ダンゴ、白いユデタマゴの五種類で繰り返し、最後のユデタマゴを第一の女の子が飲み込んだところで、台座にのぼって、おもむろに浴衣の裾を捲りあげ、
その下に僕が寝そべる。
そして末端女子が浴衣情緒で脱ッッ糞して、僕が口で受けて食べる。五周した閉じた円環がここでプツッと開き、先端が外の胃の中に消えてゆく――アルファベットのQみたいなそういうコンセプトのパフォーマンスだった。
そしてその通りスムーズにすすんだ。
すすみましたと。
女の子らの唇がむにゅむにゅ開いて、食べ物といっしょに唾液が太い糸を引いて口から口へ粘っていって、最後のウンコもあまり大きくはないにせよネバリケ充分の迫力もので、最後の僕の咀嚼と飲み込むときの喉ぼとけの動きもアップで撮られていて、もうこれは褪せぬ快楽伴う職人芸で、「食べる」「内臓」「輪廻」をテーマとした大変いい映像になった。タナカ君はじっくりと「食」の光景を、唇と肛門の繊細な湿ったウゴメキを観察して、さて次は自分が食べる番なのだという覚悟をゆっくり練ることができたはずだ。
できたはずです、と。
咀嚼リレーが終わって、一休みして、僕の口の中から胆汁の苦みがほぼ消えた頃、さあ、いよいよタナカ君とキミコさんの出番となった。これは料理パフォーマンスである。本日のメインエベント。僕とタナカ君が並んで食卓に座って、卓の上にしゃがんだキミコさんがカレーを入れた鍋の中に脱糞する。
少し温めかけたカレーの中にね。
カレーの湯気を尻に浴びながら脱糞する。
その鍋を料理役のヤヨイが改めて直火にかけて、温まったウンコカレーをご飯にかけて、僕とタナカ君の前に出す。僕たちはそれを美味しそうに、あれこれ味を批評しながら食べる。と、そういう段取りである。
■ ※超重要なる注:
後に筆者印南哲治自身が痛烈に気づくことになる「インポスター症候群」の萌芽的ロジック吉箇条(疑問形バージョン)を提示しておこう。繰り返すがこれは後のあの大惨劇の基盤をなす超重要おろち原理に直接発する個別応用系の一に他ならぬゆえ深く堅く記憶されておきたい。
φ1 咀嚼中に、自分の口の中の唾液まみれの食物に嫌悪を感じる人はどれほどいるだろうか。
φ2 咀嚼中の食物を皿にいっぺん吐き出し、その唾液まみれの外観を数秒観察してから、ふたたび皿から口中に戻し咀嚼嚥下すること。それに抵抗を感じる人はどれほどいるだろうか。
φ3 この差はどこから来るのか。生物と死物の差ではないだろうか。
φ4 いったん皿に出されて数秒以上経ったおろちと、肛門から一瞬空気に触れたばかりのおろちとでは、どちらが生物でどちらが死物なのか。
φ5 皿上に屈んで冷えた褐色を俯いて食うのと、頭上肛門へ仰向いて湯気立つ黄土色を受け止めるのと、どちらの方が衛生的勇気を要するのか。
φ6 どちらを食べる方が直観的スペクタクルなのか。
φ7 「すごすぎます」というセリフに、衛生的勇気と視覚効果的スタンドプレイとの混同はなかったか。
φ8 「すごすぎます」と言われてそのまま「愛の証明を挽回しなきゃ」などと上から目線を弄している印南姿勢は、それ自体錯覚とはいえ初心者の勘違いに乗じた浅ましい錯覚であり、はたして達人体質にふさわしいと言えるのか。
φ9 初心者における衛生-視覚の混同と、達人における無反省的字義主義とでは、どちらの方が罪が重いのか。
φ10 たしかに、タナカ用皿盛り脱糞ではキミコおろちは70グラムに満たぬ反面、印南用ミヤカワおろちは150グラム超の量的優位を誇っていたとは言える。しかし少量ゆえの「熱放射」により速やかな冷却・腐敗・雑菌増加・臭気倍加等のハードル上昇現象はタナカ君に対して不公平であった、そして達人印南にとって有利すぎたと言えるのではないか。
φ11 皿上キミコおろちは、皿上横たわり時間が五百秒超にもおよび、ほんの5秒も空気にさらされぬうちに新鮮爆食に至ることのできた印南サイドに不当な「スペクタクル効果」をもたらしたのではないか。
φ12 たしかに皿上キミコおろちは、横たわり中に刻々冷却してゆくが、直上キミコ肛門からの健気放屁(ブウウ)高熱大放屁(ブウウウ、ブウウウウウーーーッ)を反復的に浴びることによって(プスーーーッ、プスーーーッ、プスプスーーッ)そのつどほかほかと煮沸・加温され、生命を吹き込まれ(プウウーーーッ、ブスブスーッ)、完全死物化を免れ、腐敗が遅らされたとは言える――にせよ、皿上横たわり時間五百秒超は健気屁ノ死物化防止作用を凌駕しており、キミコ尻が皿上より退いてタナカ唇が初めてキミコおろちに接した時点ではキミコ屁ノ煮沸殺菌作用も冷却喪失されており、ほぼ完全死物をあてがわれるという至極苛烈なる試練をタナカ舌・タナカ喉・タナカ胃・タナカ鼻腔に強要する結果となったのではないか。
φ13 キミコ本人もまた、自らの尻下で自糞が冷めるに任せることこそが、出したての熱臭を薄めることになり、タナカ君にとって食べやすい設定を実現するものと勘違いしていた可能性はなかったか。
φ14 キミコ-タナカ系のように素人はえてして視覚的・温熱的スペクタクルで「派手度」「難度」へ短絡する。そこに無意識に便乗して衛生難度低レベルの達成により過大評価を獲得した印南哲治の詐欺性は、無意識とはいえ罪状的トラウマ的作用をいずれもたらすことがここで必然決定したのではないか。
φ15 慣用句的にゴキブリといきたいところだがイナゴくらいでいいかな。活発に動き回る生イナゴを掴んで食うのと、ぴくりともせぬイナゴの冷えきったナマ死骸を拾って食うのと、どちらが派手でどちらが安全か比べてみるがよい。そんな要らぬ比喩が実は要ったりするだろうか。生物死物ロジックの納得だけのために。
φ16 タナカ君とのコラボ、カレーおろちパフォーマンスにも同型の論理が成り立つ。熱せられたカレー鍋の中のおろちは、成分揮発によりナマおろちに比べて強い臭気を周辺大気に充満させる。派手である、ナマおろちよりも。鍋おろちに取り組む精神はナマおろちに取り組む心より勇気があると思われかねない、一見。しかし実のところ素人が恫喝される派手さにすぎず、衛生的には鍋おろちの方がナマおろちよりもはるかに安心であって、その安全度たるもの――鍋熱による雑菌消毒分だけだろうか、それともカレースパイスによる殺菌消毒分も寄与しているだろうか。
φ17 死物食い:生物食い=生物食い:煮物食い=素人受け:玄人呆け?
φ18 結局、見た目派手より地味の方がえてして難度高、そこを真逆に勘違いした素人の感覚的敬意で食っている空虚な玄人が世にはびこっていますよねって話。「達人」印南哲治も、今となってみればその眷族にすぎなかった的解釈にも一理だろうか二理以上だろうか。
φ19 だから結局、タナカ君の方が似非達人よりもよっぽど高いハードルをあてがわれてたってことですよ。違いますか? 枢要おろち原理に派生する達人現象ゆえ冗長を厭わず今一度確認しておこう! 皿上に少量長時間横たわって発酵腐敗冷却しきったナマおろちチョビチョビ食いより、見た目派手だとて肛門直結湯気纏いおろち大量バクバク食いの方が実質はるかに簡単だということ。熱した鍋おろちの誇張臭気にしても深層の無害さたるもの素人のみ怯えさせる外観倒れだということ。以上につけ込んだ達人体質なるもの、実質安易な芸当を見た目ハードに積み重ねた結果浮上した虚像にすぎなかったのではなかろうか。
φ20 「俗っぽいんだか前衛っぽいんだか」「ふた昔くらい前の青春小説のノリでひとつ」などと反省的意識明瞭たるポーズを表面上とっている印南哲治なだけに自らの安易安楽位置への無自覚ぶりが映え痛ましいと言ってよいだろうか。もっとも最終的に自らの天然詐欺状態へ覚醒したがゆえのあの惨劇雪崩れ込みだったわけだが、と結論づけられるだろうか。
φ21 「死物を食うには死にもの狂いの必要あり」「生物を食うには生物狂いで十分」と観じ澄ました達人的生物狂い渡世が死物狂い憑依をいずれ免れまいという因果応報萌芽の一経緯がこのパフォーマンスであったろうか。
(第57回 了)
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