偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。
by 三浦俊彦
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■視聴率マーケティング基準が自然にフェミニズム各方面への暗黙の釘を刺し続けているのがおろち紀元前の天然風土だった)。そして「滑りやすい坂」が始動するのである。
「出るよー!」そう、「出るよー!」
最初の温泉バージョンのときの「出るよー!」という符丁に最もふさわしいバージョンが出現したのは番組リニューアル後二年目の暮れだったとされる。
風呂から「出るよー!」という合図は、「風呂の中で出るよー!」に容易に意識下変換されるので、あのハプニング実現はべつにハプニングではなく必然の展開だったと言える。
つくづく「出るよー!」だったのである。
問題の放送時の頃には参加視聴者カップルは夫婦とは限定されず、婚約中の男女や、つきあい始めてひと月にならない高校生カップルも含まれていた。
女の側が黒い仕切り板のむこうに横に並ぶ。板には腰の高さにズラリと穴があいており、ここから女性たちが尻を突き出す。全員、同じホットパンツに穿き替えているので、こちら側すなわち男側から見たのではそれぞれ誰の尻かわからない。男が全員、思い思いに尻を撫でたり、押したり、つねって弾力を見たりして、自分の妻の尻がどれであるかを当てるのである。
このバージョンの第2回目収録のとき、一つのハプニングが発生した。女性のひとりが、谷間を撫でられた刺激で
ブスウィッ!
模範的な音響とともに強烈な音を放ったのである。撫でていた男のネクタイピンマイクに原音と風音が二層化するリアルな響き。五十代主婦と二十代専門学校生の組み合わせだった。暴発の瞬間は番組ではカットされて出演者らが大笑いする場面だけが放映されたが、それだけで何が起こったかは視聴者に充分伝わったものと考えられる。
編集によるこの省略暗示法が好評だったこともあり、ハプニングをルールへ変更する提案が企画に反映されたことは言うまでもない。放送はハプニングから四週めの放送だった。
女性側が意図的に放つガスを仕切版のこちら側で男が顔に受けて、それによって自分のパートナーか否かを判定する方式が実現したのだった。
これは大受けに受けた。
番組リニューアル前から、「風呂の中で出やすいもの」という期待が一般視聴者に膨らんでいた証拠だろう。
だからつくづく「出るよー!」だったのである。
こうなったら出せるものはすべて出さざるをえまい。制作サイドは慎重にもう一歩踏み込んで肌露出路線を探り始めた。もしくは肉体接触路線の可能性を探り始めた。この段階を「滑りやすい坂」の最重要ステップと評価するのがおろち学界主流を称するための必要条件とされる。ただし厳密に言えば、単発屁顔面受けというシーンそのものは、『探偵!ナイトスクープ』など深夜番組がすでに別シチュエーションで試みていたことが最近発掘されており、「滑りやすい坂」は実は放屁バージョンまでの進化は垂直落下型であったにすぎないというのが裏定説となっている。いずれにせよ「愛を確かめたい:出るよバージョンアップ」が必然であったことに変わりない。
この番組をめぐっては男なら誰しも数種類の夢想に耽ったことだろう。ファッションヘルス方式もしくは目隠しスワッピングパーティー方式により、たとえば男のそれを女が代わる代わる撫でて、もしくは含んで、その感触により男が「四人目!」などとパートナーを当てる、という尺八バージョン(実際この番組のパロディ漫画としてスポーツ紙などに一度ならず掲載され、それ設定のAVが雑な作りながら数種類人気を博していた)。むろんこうしたベタな尺八型は、いかに世紀末世紀頭の頽廃的露悪趣味に埋もれた風を装ったとて、ベタなりのアダルトチャンネル色に染まってしまうことは明らか。あくまで一般のバラエティ番組の枠に収めることが制作陣の気概なのだった。
そこで前でなく後ろならという発想が難なく採用されたのがフェチ大国のメタボリズムというものだろう。後半身でベタをネタ化する手なら、コミカルなイメージの中にあらゆるリアル衝動を埋め込むことが可能だと思われた。
ズボン尻の谷間に男側が順々に顔を押し付けていって、わがパートナーの尻を言い当てる。
という方式を放送することになったのである。
しかし、十五秒間流された予告編を見た視聴者からの苦情殺到で、本放送は中止せざるをえなかったという。『探偵!ナイトスクープ』の地ならし効果もここが限界だったということであり、滑りやすい坂が真に始動したのはこの放送中止段階だというのがポストおろち学界の定説となりつつある。
ちなみに「苦情殺到」の意味を取り違えてはならない。あまりのハライソ映像に我を忘れた恍惚喪男どもからの「我も我も」的出演希望の挙手が電話やメールの形で殺到した現象をおろち学用語で「苦情殺到」と呼び慣わしているにすぎないのだから。
正規のペアのみでの企画構成が番組の本質ゆえ喪男はすべて謝絶されたのはもちろんだが、視聴者の主力層に垂涎と嫉妬心をむやみに誘発するよりはもう少し滑降を低速で続けるべしとも判断された。世論の摩擦やらなにやら坂の滑りやすさは一様ではなく、ミクロな形状的限界があったということだ。予定は変更され、尻の代りに顔が板の向こうに据えられ、男は目隠しをして、順々に女の吐き出す息を嗅いでいって、自分のパートナーの息を当てるという趣向で放映された。事前に申し合わせた食べ物の匂いで察知されることを防ぐため、女は事前にスタジオのトイレで歯を磨かされたあと、全員同じ食事をとった直後にパフォーマンスが行なわれた。的中は十組中二組と振るわず、しかし息を吐き出す妻たち愛人たち彼女たちの声なき喘ぎがエロチックと好評で、これにはクレームは皆無だった。
顔についで多く試みられたのは、足と脇だった。足裏、脇の下を順々に嗅いで、男が我がパートナーを当てるのである。これは、事前に女性全員サウナで汗だくになって本番を迎えるという方法がとられた。
それらもクレーム皆無だった。
さしもの喪男童貞とて、このレベルへの我が不遇をクレーム状にぶつけることには抵抗感があったものと思われる。
しかしこのような代補で満足してはならなかった。降坂力は着々と整備されつつあった。一年の期間をおいて、いきなり本命が予告編なしで放送されたのである。
当然実現せずにはすまない本命が。
これにもやはり苦情はなかった。
喪男童貞どもの垂涎の的となるにはやや辛口すぎたのかもしれない。いきなり傾斜レベル数段飛ばしアップといおうか、前後方向の正規傾斜に加えて左右方向にも傾けたような多重傾斜の質転換に移る策は正解だったと言える。斜交い傾斜がかえって、所期の傾斜グラフを真っ正直に直線外挿したレベルへとパワーアップしていた。つまりこうである。
男性陣がズラリと椅子に居並ぶ。
彼らの頭上5センチの橋板に女性陣がズラリと並んでしゃがむ。
板にあいた穴から気体ではなく固体そのものを排出する。
そういう新形式だったのである。これの実現はまず当然である。
解答者席にいる男性は目前に落ちて横たわるモノを見、匂いを嗅いで、それが自分のパートナーのモノか否か、当てるのである。
男性ひとりにつき女性ひとりのモノが落下するようになっており、解答者席は仕切られていて、防音・防臭措置がとられ、男性解答者はあてがわれた物質の吟味に専念できるようになっていた。十組の男女がそれぞれ上下で息み、注視し、嗅ぎ、勘で頷きあったりするありさまがワイド画面でいっぺんに映し出される様子は視聴者をさぞ唸らせたことだろう。
この企画での放送初回に対しては無反応だった視聴者から、第2回同企画放送に対しては抗議の電話が殺到した。我に返ったというところだろうか(「ブラインド・フェロモン」というセンスゼロのサブタイトルもよくなかったのであろう)。社会の皮膜の裏でのみ熟成しつつあったおろち文化だったが、深夜のローカルとはいえテレビという公的メディアに浮上したとたん、良識的抗議という形ですんなり受容されたのである。しかも喪男の垂涎に発する恍惚抗議ではなく熟年以上の家庭人による覚醒叱責が大半だったことが確かめられている。
番組制作側の応対は単純明快な正論だった。
モノそのものをアップで映したわけではありません。局部も一切映しておりません。下から見上げる男性には女性の肛門のみが見える設定になっていますが、視聴者には見えないはずです。カラミどころかいかなる肉体の接触をお見せしているわけでもなく、猥褻性はありません。本物が落下しているという確証もないでしょう。ドアップ光景が展開しているとしたらすべてあなたの脳内で構成されたものにすぎないのではありませんか。
残念ながら氏名はわかっていないが、『愛を確かめたい:ブラインドフェロモン編』の現存する企画書から察するに、金妙塾生が番組制作に複数関わっていたことは間違いない。そして抗議電話・抗議メールへの応対にも、後の「おろち価値論六大議論」の基本的論点が出尽くしていた。
おろち学は学者の論文や学会シンポジウムより先にお茶の間に小出しに着実に、自然に啓蒙的に届けられていたのである。
なお、お気づきかと思うが、先に説明した個別防音・防臭ブース設定――
〈男性解答者ひとりにつき女性ひとりのモノが落下〉
という設定では、抽選で決められた男女組み合わせは中途変更ができず、よって男性の回答は「我がパートナーであるか否か」の二択回答となって、難点が主に二つ指摘された。まず、「否」の確率がもともと高いために正答率が無駄に上がってしまい、クイズ番組特有のスリルが減退したこと。第二に、これも確率だが「我がパートナーのものでない可能性大の物質」に対し男性解答者側にいまいち情熱をもって臨む姿勢が希薄、というマイナス傾向が顕著だったこと。それはそうだろう。とくに若年男子がピチピチの彼女ではなく見知らぬどこかの中年女の腸内にあったかもしれない得体の知れぬモノを真面目に検査測定する気になれと命ずるのは酷である。そこで設定は次のように変更された――
男性解答者は、女性陣の足場の真下ではなく正面から一望できる席に着く。尻主の姿は見えず十個の透明壁ブースの中に落下する物質をすべて見比べる。それで「うむ、これぞ我が妻!」「よっしゃ、あれが俺の彼女!」という具合にパートナーの位置を当てる、という設定である。
この設定に変えてから、男性解答者の思考モチベーションは俄然上昇し、白熱した回答合戦となった。
そして抗議電話もピタリと止んだという。
そう、良識的家庭人からの抗議というのは実は、「猥褻だ」「下品だ」という趣旨ではなく、「設定が悪い」「一対一では解答者のやる気が失せる」という意味だったのである。なぜか誰もその真の抗議の趣旨を明言しなかったのだが。
美的は批判を倫理的批判であるかのように本人が勘違いするという現象は、ありがちといえばありがちなことではある。
もっとも、ちょうどテレビ局の啓蒙的応対が功を奏して抗議が無効化されたタイミングがちょうど設定変更の時期に合致しただけ。そういうタイミング説も根強く、最終的な決着は見ていない。
ちなみに、この本命脱糞バージョンに至るまでの各バージョン――風呂上がり、尻撫で、放屁、吐息、脇の下、足裏、等々――の正答率に比べ、脱糞バージョンの正答率は平均して2.47倍であったという。
これは、「おろち文化体質」がプレおろち時代の人類の中にも脈々と生きていたこと。その貴重な証しと考えてよいだろう。
(第51回 了)
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